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4 婚姻が決まる


 優しい薄闇の中をリリアセレナは漂っていた。

 会いたくて堪らなかったネリーが、リリアセレナを膝に乗せ、物語の続きを語り聞かせてくれていた。


『女の子は毎日早く起きて、魔女の庭に咲く花に溜まった朝露を集めなければなりませんでした。それを飲めば美しくなれると、魔女は信じていたからです。

 朝露を集めた後は、食事作りです。その後は掃除が待っていました。

 女の子は辛くて寂しくて、よく泣いていました。そしてその小さな泣き声はふわふわと空を漂っていた一人の妖精を呼び寄せました。

「どうして泣いているの?」とその妖精は女の子に聞きました。

 妖精は泣いているお友達を放っておけなかったのです……』



 そこで唐突に意識が浮上した。

 ぼんやりと開いた目に、見慣れた格子柄の天井が見えた。

 母に首を絞められたのは夢だったのかなと一瞬思ったけれど、喉の辺りには痛みが残っていて、母のショールもそのままベッドに残されていた。


「何で……」


 目が覚めちゃったかなぁと続けようとしたけれど、喉が激しく痛んでそのまま咳き込んだ。

 ゴホゴホと咳き込みながら、リリアセレナはベッドの上で身を守るように横向きに丸くなる。


 カーテンの隙間から漏れる薄い光が、朝が来た事をリリアセレナに告げていた。

 目が覚めたくなかった。あのまま夢の続きを見ていたかった。ネリーの膝に顔を埋め、物語の続きを聞いていたかった。


「会いたいよう……」


 そう呟いた途端、涙がほろりと零れ落ちた。

 大好きなネリーにもう一度会いたい。

 ネリーはもう、リリアセレナの事を忘れてしまったのだろうか。


「あのね、ネリー……。母様はリリアセレナを殺そうとしたの。リリアセレナの事が嫌いなの。女の子だから要らないッ……んだって……」


 拳でいくら拭っても、新しい涙は後から後から溢れてくる。

 もう会う事もできない乳姥に、リリアセレナはしゃくり上げながら訴えた。


 怖くて苦しくて悲しくて堪らないのに、それでもまだリリアセレナは母様を憎み切れない。

 それが何より惨めだった。


「母様に愛されるって、どんな気持ちなのかなあ」


 震える声でそう呟く。

 目尻を落ちた涙が耳に入り、リリアセレナは乱暴に拳で頬をぬぐった。


 リリアセレナの問いに答えてくれる声はない。

 ベッドの中で身を丸めたまま、リリアセレナは声を押し殺して泣き続けた。



 

 婚姻が決まったと知らされたのは、それから数か月後の事だった。


 離宮に父帝からの使者が来ると先触れがあり、六つのリリアセレナはいつもより煌びやかな衣装に着替えさせられた。

 身支度を整えて部屋を出れば、苛々とした様子で爪を噛むカーラの姿が廊下にあり、リリアセレナはおどおどとその前に膝を折った。


「お待たせして申し訳ございません」


 カーラの化粧は普段以上に濃かった。

 色白のカーラはわざわざ白粉おしろいをはたく必要はなく、普段は唇に紅を指すくらいだったが、今日は目元や頬にも色を付けている。


 青みがかった緑色の目が強調されて、いつも以上に大きく見えた。

 結い上げられた金髪にも宝玉の髪飾りがちりばめられて、見た事もないあでやかな装いにリリアセレナは息を呑んだ。


「相変わらず愚図な子ね」


 怯えたように立ち尽くすリリアセレナに、カーラは苛々と吐き捨てた。

 リリアセレナが知る限り、離宮に客人が訪ねてきた事は今まで一度もない。

 そのせいか、カーラはかなり気を高ぶらせているようだった。


 このような状態のカーラには特に注意が必要だ。何が導火線になってしまうのかわからない。


「いい事。ヴェルモ卿の前ではもう少しまともに振舞いなさい」


 言われたリリアセレナは「はい」と神妙に頷いた。


 卿と呼ばれるくらいだから使者は貴族なのだろうとリリアセレナは思った。

 ただし、今まで習ってきた皇族の系譜の中にヴェルモという名前はなかった。

 皇族妃を輩出した事も皇女が降嫁した事もない貴族家であるのだろう。


 そんな事をつらつらと考えていれば、母カーラが光を宿さぬ濁った目でじっと自分を見ている事に気が付いた。


 リリアセレナはぞわりと毛を逆立てたが、よくよく見れば母のその瞳はリリアセレナを映していない。

 失った過去をこいねがうような狂気じみた哀愁に揺らいでいて、熱を孕みながらどこまでも虚ろだった。


「昔は皇帝の視線を自分に留めようと、へらへらと笑いながら羽虫のように周りを飛び回っていたわ」


 カーラのその言葉がヴェルモ卿を指すのだと気付くのに少し時間がかかった。


「本当にうまく取り入ったものね。

 今じゃあ、押しも押されもせぬ皇帝陛下の執務補佐官だそうよ。

 この離宮にだって度々ご機嫌伺いにやってきたくせに、お前が皇女だとわかった瞬間、ぴたりと顔も出さなくなったわ」


 また恨み言をぶつけられるのだろうかとリリアセレナは身を固くしたが、どうやらそうではなかったようだ。

 カーラの怨みはひたすらヴェルモ卿へと向いており、リリアセレナに対しては投げやりな警告を口にしただけだった。


「お前もせいぜい言動に気を付ける事ね。

 気分を害させたら、あの腰ぎんちゃくにどんな悪口を吹き込まれるかわからないわよ」




 侍女の先導で応接の間に入れば、手持ち無沙汰に窓の外を眺めていた一人の貴族がゆっくりとリリアセレナ達の方に向き直った。


 年の頃は三十四、五といったところだろうか。

 大きめの鼻はやや下に湾曲しているが、目鼻立ちは整っている。

 高級そうな刺繍入りのジャケットに身を包み、タイ留めには馬鹿でかい翠玉を使っていた。


 指には重そうな指輪を二つ着けて財力をさりげなく誇示していたが、華麗に装えば装うほど人としての薄っぺらさを感じさせるというか、体からぷんぷんと匂う胡散臭さを隠しきれていなかった。


 そのヴェルモ卿はまず、リリアセレナの後ろに立ち控える母にさっと目を走らせ、続いてリリアセレナへと視線を落とす。


 一瞬目を瞠ったのは、リリアセレナが思う以上に小柄であったためかもしれない。

 しつけと称し、よく食事を抜かれていたリリアセレナは、同じ年頃の子どもに比べて明らかに成長が遅かった。


 フリルがついた膝丈の袖から覗く腕は折れそうなくらい細く、背丈も低い。

 血色も悪く、小柄な顔の中で緑色の目だけが大きく見えた。

 ウエーブのある金髪をサイドで編み上げ、明るい色の花飾りを挿していたが、お世辞にも似合っているとは言えなかった。


 リリアセレナがじっとヴェルモ卿を見ていると、卿はわざとらしくごほんと一つ咳払いをした。

 皇女の方から声をかけるのを待っているのだと、一拍遅れてリリアセレナは気が付いた。


 そう言えば、宮廷では身分の低い者から声をかけてはならないというしきたりがあったのだ。

 リリアセレナは慌てて母の方を窺ったが、斜め後ろに立つカーラは不愉快そうに瞳を伏せたままだ。


 この場で一番身分が高いのは皇家の血筋を引く自分なのだと、リリアセレナは唐突に思い知った。

 目の前に立つヴェルモ卿はアンシェーゼ皇国の臣下であり、皇帝の愛妾に過ぎないカーラは、皇国内での身分を持たない。


「離宮へようこそ。第二皇女のリリアセレナです」

 リリアセレナは何とか言葉を取り繕い、ヴェルモ卿に椅子を勧めた。


 一通りのマナーは習っていたが、貴族と対面するのはこれが初めてで、きちんと対応できているか自信がなかった。

 それに、実を言うと間近で男性と対峙するのも怖かった。


 離宮に閉じ込められて育ったリリアセレナにとって、言葉を交わした事があるのは離宮長くらいのものだ。

 リリアセレナに対して従順な態度を装っていたが、眼差しにはいつも軽侮が浮かんでいた。


 このヴェルモ卿も同じだと思った。形ばかり膝を折っているけれども、その態度は明らかにリリアセレナを見下している。


 一体何を話すつもりだろうかとリリアセレナは身構えたが、ヴェルモ卿が語った内容はリリアセレナの予想を大きく上回っていた。

 来月にようやく七つとなるリリアセレナに、他国の貴族との縁談が用意されたと伝えてきたのだ。


「わたくしの婚姻……」

 リリアセレナは呆然と呟いた。


 そう言えば、自分より一つ上の異母姉は、つい先日スラン公国に輿入れしたのだと今更ながらに思い出した。

 その時は他人事だと思っていたが、皇女の婚姻というのはこういうものであるのかもしれない。


「お相手はマティス公国の旧家、アンテルノ家のご子息です。

 名をユリフォス・ジュード・アンテルノと言われ、現在はトラモント卿を名乗っておいでです」


 そう説明したヴェルモ卿に、カーラが思わずといった感じで口を挟んだ。

「トラモント卿? アンテルノ卿ではなくて?」


 ヴェルモ卿は、カーラの無知を嘲笑うかのようにふんと鼻を鳴らした。


「カーラ様はご存じないでしょうが、セクルト連邦の国々は旧家と呼ばれる特別な高位貴族を有しています。

 旧家は複数の貴族位を持ち、成人した継嗣はそのうちの一つを当主から与えられるのが一般的です。

 ユリフォス様はアンテルノ卿の次男ですが、継嗣に選ばれた時点でトラモント卿の名を与えられました」


 皮肉の籠る慇懃な説明に、カーラは羞恥で顔を赤くした。

 相手がヴェルモ卿でなければ、ここで癇癪を起していたところだろう。

 ヴェルモ卿が帰った後の母の荒れようを思い、リリアセレナは青ざめた顔で床をじっと見つめ下ろした。


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