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1 大好きな乳姥

虐待を受けていた幼少から、アンテルノ家で幸せになっていく様子を、リリアセレナ視点で描いてみました。本編と対になる物語ですので、本編同様に二人が再会する手前で物語が終わります。最初はどうしてもつらい展開になってしまいますので、苦手な方はご注意下さい。一日二話更新の予定です。




――昔あるところに、みにくい魔女がいました。


 そんなお伽噺とぎばなしを聞かせてくれたのは、リリアセレナが四つになるまで世話をしてくれた大好きな乳姥おんばだった。


――魔女は赤ちゃんを授かりましたが、自分が醜かったので子どもも醜く育つに違いないと思いました。

 だから魔女は、お腹の大きな美しい女が歩いているのを見つけ、転魂の魔法でおなかの子どもを取り換えてしまったのです。

 美しい女は、時が満ちて醜い顔の子どもを産み落としましたが、子の美醜を気にする事なく大切に育てました。一方の魔女は美しい女の子を産んで得意満面でした。けれどその子どもは自分の本当の子ではありません。魔女はだんだん子どもを疎むようになりました。


 今思えば、実母に虐げられていた小さなリリアセレナを哀れんで、乳姥はそんなお伽噺とぎばなしを語り聞かせてくれたのかもしれない。


 この乳姥は名をネリーと言い、リリアセレナに乳を含ませるために雇われた平民の女だった。

 高貴な身分の女性は自分で子に乳をやる習慣がないため、子が生まれた時には別の女性が雇われる事になる。

 ネリーもそうやって選ばれたリリアセレナの乳姥だった。


 ネリーは健康で乳の出も大層良く、リリアセレナが生まれた頃、ちょうど子が乳離れをする時期と重なっていた。大工であった夫は当時大きな怪我をして働けない状態にあり、生活に困窮していたネリーは、高額な給金がいただけるのならばと、一も二もなくこの話に飛びついたのだ。


 乳姥として働くようになった経緯はどうであれ、ネリーは善良で面倒見のいい女だった。

 自分の乳房に元気良く吸い付いてきた高貴な赤子を我が子のようにかわいがり、愛情を込めて世話をした。


 その頃のリリアセレナにとって、ネリーは世界の全てだった。

 夜眠れずにむずかると、すぐにやってきて大きな胸に抱いてくれる。

 何くれとなく話しかけ、小さなリリアセレナが初めての事を覚える度に手を叩いて喜んでくれた。


 ネリーがいない時は別の女の人が交互にやって来たが、リリアセレナはその女性達が余り好きではなかった。

 いつも同じお仕着せを着ているネリーと異なり、彼女達三人はいつもきれいなドレスに身を包んでいる。

 どうやら侍女と呼ばれる人達らしいが、ネリーに比べるとどこか態度がつんけんとしていて、笑顔を向けてくる事は一度もなかった。


 その侍女達よりも更に苦手であったのが、時折ふらりとリリアセレナの部屋を訪れる若い女性だった。

 いつも憎々しげにベッドの中を覗き込み、小さなリリアセレナが理解できない呪詛の籠った言葉を撒き散らす。

 恨みの籠ったその眼差しが怖くて、リリアセレナはその姿を見る度に怯えて泣いていた。


 カーラという名前のその女性こそが『母』であると知ったのは、いつの頃だっただろうか。

 その恐ろしい人の事を自分はずっと「母様」と呼ばされていたが、母様という言葉が何を意味するかを初めて理解した時、リリアセレナは激しく混乱した。

 だって絵本に出てくるお母さんは皆、子どもの事を愛している。

 あんな風に子どもを睨んだり、嫌な言葉を投げつけたりする事はない。


「どうして?」

 小さなリリアセレナは幾度となくネリーに尋ねた。

「なんでリリアセレナの母様はリリアセレナの事が嫌いなの?」


 そう問われても、ネリーにはどう答えようもなかったのだろう。

 困ったように眉をへの字にし、言葉に詰まりながらも何とか答えを返してくれた。


「母君は少し機嫌がお悪いのかもしれませんね。心の中ではきっと姫様を大事に思っていらっしゃいますよ」


 けれどネリーがどう言葉を取り繕っても、リリアセレナが母から疎まれている現実が変わる事はない。


 ある日、散々カーラに罵倒されたリリアセレナがカーテンの陰で泣いていたら、ネリーは「内緒ですよ」と言って、幼い頃に聞いた事があるという『魔女の取り換え子』という昔語りをリリアセレナにお話ししてくれたのだ。


「もしかしたら姫様は、生まれる前に誰かと魂が入れ替わってしまったのかもしれませんね。姫様を大事に思う本当の母様がどこかにいらっしゃるのかも」


 ネリーはただリリアセレナを泣き止ませようと、その場限りの慰めを口にしたのだろう。


 ただその物語を聞いた時、リリアセレナは本当にそうなのかもしれないと思ってしまった。

 リリアセレナの母様は、「お前は私の子どもなんかじゃない」とよくそう罵っていたからだ。


『本当は男の子が生まれる筈だった。何故、役立たずの女なんかに生まれついたの!』

『私が不幸になったのは全部お前のせいよ……』

『何でお前が私の子どもなの! お前さえ男に生まれていていれば、私は全てを手に入れられたのに……!』


 紅玉ルビーのように赤く艶やかな唇から放たれる言葉は、恨みを孕む呪詛じゅそだった。

 そんな風に責められても、リリアセレナにはどうしていいかわからない。

 きっとリリアセレナが生まれる前、母様のお腹の中にいた男の子とリリアセレナが、何かの拍子に入れ替わってしまったのだ。


 母の暴言や暴力から逃れたくて、小っちゃなリリアセレナは一生懸命、母に謝った。


 女の子に生まれてきてごめんなさい。母様をがっかりさせてごめんなさい。


 けれどリリアセレナが怯えながら謝る度に、カーラはいよいよ加虐心を煽られていったようだった。

 感情が高ぶれば平手で頬をぶたれ、目つきが生意気だと食事を抜かれた事もある。

 ある時は、カーラの気が済むまで廊下にずっと立たされた。


 それでもこの時にはまだ、優しいネリーがいた。

 実母からなぶられるだけのリリアセレナを泣きそうな目で見つめ、リリアセレナが一人になるやすぐに駆け寄ってきて、大きな胸に抱き締めてあやしてくれた。


 リリアセレナはネリーさえ傍にいてくれたらそれで良かった。

 この世界はリリアセレナに厳しいけれど、たくさんの愛情も注がれていた。

 多くを望まなければ、それなりに幸せであったのだ。


 別れは突然訪れた。

 子に乳をやる事が仕事である乳姥は、子が四つの誕生日を迎える前に傍を離れる事が慣例となっていて、ネリーにもついにその時がやってきたのである。


 リリアセレナが誕生日を迎えるひと月前、ネリーは離宮長から突然呼び出され、その場で解雇を言い渡された。

 リリアセレナに別れを告げる事も許されなかった。


 午睡から覚めたリリアセレナは、いつもならば傍にいる筈のネリーが部屋にいない事に初めて気が付いた。

 リリアセレナは泣きながらネリーの名を呼び、その姿を探し歩いた。


「ネリーはもうおりません」


 侍女の誰かがそう言った気はするけれど、その言葉を信じたくなかった。

 リリアセレナは癇癪を起して泣き叫び、それを聞きつけてやってきた母親に思い切り頬を叩かれた。


 手加減のない打擲ちょうちゃくに、小さなリリアセレナの体は吹っ飛んだ。


「カーラ様!」


 慌てて侍女が、リリアセレナとカーラの間に入る。

 床に倒れ込んだリリアセレナの瞳から、新たな涙がぶわりと溢れ出した。


「ネリー、ネリー、ネリー……」


 叩かれた頬を抑えたまま、リリアセレナはネリーの名を呼び続けた。

 涙と涎が床を汚したが、もうどうでも良かった。

 こんなにリリアセレナが泣いているのに、ネリーは来てくれない。

 悲しくて寂しくて胸が潰れそうだった。


「耳障りなこの子の声を黙らせてちょうだい! 一体どういう躾を行っているの!」


 カーラは鬼のような形相でリリアセレナに掴みかかろうとし、侍女が慌ててリリアセレナを庇った。余りひどい傷を負わされたら、さすがに責任問題になるからだ。

 二人がカーラを落ち着かせている間に、リリアセレナはもう一人の侍女によって寝所へと抱き運ばれた。


「好きなだけ泣いて構いませんが、どのみちネリーは帰ってきませんよ。

 あの者は宮殿を出ました。二度と戻ってくる事はないのですから」


 リリアセレナはしゃくりあげながら侍女の顔を見上げた。

 無機質な目はリリアセレナの上をさらりと通り過ぎ、リリアセレナが泣こうが笑おうがどうでもいいようだった。

 何も言えなくなったリリアセレナがぽろぽろと涙を零すと、侍女はそのまま背を向けて去って行った。


「ネリー、寂しいよぉ。帰ってきて」


 リリアセレナのか細い声が寝所に虚しく散っていく。

 その晩リリアセレナは、目が腫れ、声がしゃがれるほどに泣き続けたが、大好きなネリーはとうとう帰ってこなかった。


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― 新着の感想 ―
禁じられた〜は、胸が締め付けられるエピソードが多くて読んでいて辛くなりながらも、その哀しみが晴れて花咲く日が来る日が嬉しく思われて読み返さずには居られません。 リリアセレナの心の母ヴィヴィアも愛する娘…
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