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異国から嫁いだ皇女


 さて、ユリフォスがめでたく進学を果たした王立修学院はかなり独特な授業形態をとっていた。


 特に学生の大半が貴族である数術学部の場合、基本、講義は朝から昼過ぎまでで、その後は各々の自主性に任されている。

 なので学生たちは、学部内図書館へ行って難解な理論を解いた本を読み漁ったり、数式の主題を決めて仲間内で討論をしたり、あるいは、貴族としての社交に精を出したりと、皆それぞれに時間を過ごしていた。


 という事で、見も知らぬ国に一人でやってきて、取り敢えず入寮を果たしたユリフォスであったが、この学院でうまくやっていけるのだろうかと悩む間はなかった。


 荷を置いて、取り敢えず講義棟の見学に行ったところ、同じ新入生と思われる学生と出会い、あっという間に意気投合して数学愛を語り合う事となったからだ。

 さすが天下の修学院、道を歩けば数式狂いにぶつかるんだと、ユリフォスは内心ほくほくとする。


 このまま語り尽くしたいのは山々だったが、着いたばかりであれば、しなくてはならない事が山積している。

 また講義の時に会おうと手を振って別れ、所用を済ませて寮の自室へ戻ってくれば、ちょうど戸口のところで鉢合わせたのが先ほど愛を語り合った新入生だった。


 右隣の部屋って、王族専用の特等特室じゃなかったっけと思い出し、まさか……と顔をまじまじ見れば、その学生に、にこっと笑って自己紹介された。

 ガランティアの第三王子のアルルノルドで間違いはなかった。


 そんなこんなで知り合いもでき、ユリフォスは十日と経たぬうちにここでの生活に馴染みきった。

 何と言っても、一日中数式を解いていても幸せと言う、かなりアレな人間が揃っているところである。

 同じ変人同士、大いに馬が合い、学力レベルも大方一緒であれば、談義も大層盛り上がった。


 

 気付けば結婚式の日取りが近付いてきて、ユリフォスは泣く泣く十日ばかり休学申請をして、慌ただしく自国へと旅立っていった。

 十日休学すると言っても、移動に時間をとられるため、公国に滞在するのは実質三日である。

 

 船と馬車を乗り継ぎ、船酔いだか馬車酔いだかわからぬまま、ユリフォスは取り敢えず久しぶりの我が家に帰ってきた。

 父や義母に挨拶を済ませ、その翌日は、結婚式に備えての打ち合わせや衣装合わせに追われる事となる。


 結婚相手の皇女はすでに公都の迎賓館に着いている模様で、明日は少し遅めの朝食を取ってから花嫁支度を整え、こちらに向かうらしい。


 ユリフォスが幼い妻に関われるのは式当日とその翌日だけで、翌日にはもうガランティアへと旅立つ予定だった。

 難解とされる授業を余り欠席したくないというユリフォス側の都合で九日間の強硬帰国にしてしまったが、こんな不実な夫で申し訳ないとユリフォスは心の中でまだ見ぬ花嫁に謝った。



 それにしても自分が明日、七つの子どもを娶るという事が未だに信じられない。

 いや、ただの子どもではなかった。大国アンシェーゼのやんごとなき姫君だ。


 リリアセレナさまはこの婚姻をどのように思っているのだろうと、ぼんやりとユリフォスは考える。

 突然降って湧いた婚姻話で、相手は十九の他国の貴族。

 七つの子どもから見れば、立派なおじさんに思えるんだろうなとユリフォスは少々へこんだ。


 そういえば、もしエリーゼが生きていたら、リリアセレナさまはエリーゼの一つ下になるのだ。

 小さな妹はユリフォスに懐いてくれたが、アンシェーゼの皇女はどうだろう。

 皇女として誇り高く育てられていたら、ヴェントのようにユリフォスを見下してくる可能性もあり、それだけは嫌だなと思うユリフォスである。



 翌日、迎賓館からアンテルノ家の邸宅まで、長々と連なる花嫁道具の馬車を従えて、アンシェーゼの皇女がアンテルノ家へ嫁いで来た。

 豪奢な馬車の扉が開かれて、使者に手を取られてゆっくりと降り立った幼な妻は、ユリフォスよりも思うよりも更に幼なげな子どもだった。


 立ち居振る舞いが幼稚だというのではない。

 マナーや受け答えはしっかりしていて、カーテシーも申し分なかった。

 顔立ちも整っていて、これが美男美女の両親から生まれた子どもなんだなと妙に納得した。


 柔らかくウエーブのかかった鮮やかな金髪が背に流されて、露わになった顔のラインも美しい。

 瞳は透き通るような碧色をしていて、長い睫毛で縁取られていた。

 陶器のように白い肌はどこか人形めいていて、小さな唇には僅かに紅がさされている。


 とても美しい少女ではあるのだが、ただ、リリアセレナはとても小さかった。

 これが本当に七つの子ども……? と首を傾げたくなるほど、背たけも低く、袖からのぞく手も細かった。


 まず執り行ったのは、簡素な結婚式だった。

 この日のためにカナの大司教をアンテルノ家に呼んでおり、邸宅内にある小聖堂でユリフォスとリリアセレナは神の御前で婚姻の誓約を交わした。

 出席者は父ロベルトと義母のヴィヴィア、そしてアンテルノ家に仕えている使用人達だ。


 いずれ親族にもリリアセレナを紹介していかなければならないが、生憎花婿であるユリフォスは翌々日には留学先のガランティアに戻ってしまう。

 いずれ時機を見て、リリアセレナだけのお披露目をしていくようになるだろう。



 長い馬車の旅が堪えたのか、リリアセレナの顔色は悪かった。そして、新しい生活にどこか怯えていた。

 家族四人でゆっくりお茶をした後、邸宅内を案内する予定だったが、ひどく体調が悪そうだったため、ヴィヴィアはすぐ自室へと案内させ、堅苦しい衣装も着替えさせた。


 少し休むようにとゆったりとしたソファに案内すれば、疲れ切った様子で目を閉じてしまい、その様子を見たヴィヴィアは、すぐに医師を呼んでリリアセレナを診察させた。


 医師は、アンシェーゼからの長旅が堪えたのと、見も知らぬ国に一人嫁いできた事の緊張で精神が疲弊しているようだと報告してきて、それを聞いたヴィヴィアは夫の許可を得て夕食会を取りやめる事を急遽決めた。


 メニューを消化が良く子どもが食べやすいものに変更させ、リリアセレナが寛いで食事ができるようにと自室に食事を運ばせる事にした。



 一応夫であるユリフォスは、夕食の前にリリアセレナの居室を訪れた。

 ユリフォスの訪れを聞くや、部屋の中で慌ただしく身支度を整える気配がして、やや息を切らしたリリアセレナが戸口から出てきた。


「こちらに着く早々、体調を崩してしまい、申し訳ありません」


 どこか堅苦しく頭を下げてくるリリアセレナに、ユリフォスは笑って首を振った。


「長旅で疲れたんだろう。別に謝る事じゃない」


 そして頭を撫でてやろうと何気なく頭の方へ手を伸ばしたのだが、リリアセレナは手を恐れるかのようにすっと身を引いてしまった。


「あ……」


 リリアセレナはすぐに自分の非礼に気付いたのだろう。

 顔を強張らせ、「ごめんなさい」とか細い声で謝ってきた。


 胸元で握り合わせた手が細かく震えているのに気付き、ユリフォスは笑みを消さぬまま慎重に手を引いた。

 自分の事が怖いのだろうかとユリフォスは首を傾げ、この少女の生い立ちを改めて思い起こした。


 リリアセレナの父親は、いわゆる女性に節操のないクズ男だった。

 皇后との間に第一皇子をもうけた後、目に留まった侍女に次々に手を出して、母親の違う皇女を続けざまに三人生ませている。

 その真ん中がリリアセレナだ。


 リリアセレナがもし男児に生まれついていたならば、運命は大きく変わっていただろうとユリフォスは思う。

 アンシェーゼでは、皇位継承権のある皇子を生みさえすれば、その母親は側妃として宮殿を一つ与えられ、手厚く保護してもらえるようになるからだ。


 現に、今パレシス皇帝が寵愛しているツィティー妃は名もない踊り子であったが、セルティスと言う皇子殿下を見事に生み落として、側妃の地位にのし上がった。

 紫玉宮を皇帝から賜り、そして未だその寵愛は薄れる事なく、皇帝の全ての夜を独占している状態だ。


 リリアセレナたち三人の皇女は、父親から完全に見捨てられていた。 

 公式の場に一度も呼ばれた事はなく、皇女らが母親と暮らす離宮に父皇帝が訪れる事も皆無であったらしい。

 愛妾たちはそれぞれ離宮の一角を与えられていて、誰にも顧みられる事なく、我が子とひっそりと暮らしていたようだ。


 父親を知らぬ子であれば、大人の男性自体に余り馴染みがないのかもしれないとユリフォスは考えた。


 それにリリアセレナの母親は、子を生んだ後にあっさりと皇帝に捨てられている。

 そんな親の姿を見て育ったのであれば、結婚自体に対して不信を覚えていても仕方がない。


 取り敢えず、いきなり距離を詰めるような真似はした方がいいだろうとユリフォスは思った。

 母親から無理やり引き離された上、見も知らぬ大人が家族然として近付いてきても、この子にはおそらく怖いばかりだ。


 無理やり遠い国へ連れて来られて、さぞや母親が恋しいだろうとユリフォスは小さく吐息をついた。

 自分も幼い頃は、見た事もない母がやはり恋しかった。

 自分を捨てた事を恨みながら、それでもいつか会いに来てくれるかもしれないと仄かな希望をずっと捨てきれずにいた。


「アンシェーゼのお母さまに会いたいのかな」


 思わず言葉が零れてしまい、それを聞いたリリアセレナがぴくりと肩を震わせた。


「いえ、そのような事は……」


 ユリフォスの方を見上げ、答えたその声音には微かな怯えが滲んでいた。

 何がリリアセレナを怖がらせてしまったのかわからぬまま、「そうか」とユリフォスは頷いた。


「つまらぬ事を聞いて、悪かったね」


 どちらにせよ、リリアセレナが会いたいと言ったところで、会わせてやれる訳でもないのだ。

 馬鹿な事を聞いてしまったものだとユリフォスは思う。


「今日は、こちらに食事を運ばせると義母が言っていた。

 食べやすいメニューに変えたそうだから、食べられるだけ食べてごらん。

 お腹がいっぱいになれば、気分も少し楽になるから」


 リリアセレナははっとしたように顔を上げた。目ばかりが大きく見えるその顔が今度は不安に彩られる。


「でも今日は、皆で夕食を取る筈だと……」


「その予定だったけど、長旅が続いてリリアセレナも疲れているだろう?

 明日は一緒に食べようか」

 

 リリアセレナは、どう答えるのが正解なのか惑うように瞳を揺らした。


「……ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願いします」


 しばらく沈黙した後、リリアセレナはそう言って小さな頭を下げてきた。





 結局リリアセレナは出された食事の半分くらいを食べ、落ち着いた頃に侍女が湯あみをさせて寝かしつけたようだ。


 ユリフォスたちは花嫁を抜いた三人で晩餐を囲む事になり、社交界の様子や領地の報告などを父から聞く事となった。


 夕食の席で、義母は努めて明るく振舞ってくれたが、時折視線が辛そうに揺れるのをユリフォスは見てしまった。


 無理もないとユリフォスは思う。

 どこか幼いリリアセレナの姿は、五つで死んだエリーゼをどうしても彷彿ほうふつさせてしまうのだ。


 考えれば、エリーゼを失ってまだ二年しか経っていない。

 子を喪った嘆きは未だ義母には生々しく、他の子の姿を見るのは苦痛であるのだろうが、義母は決してそれを言葉に出そうとしなかった。


 どこか儚げで、常に父に守られているというイメージがある義母だが、ただ弱いだけの方ではなく、人を傷つけぬ確かな強さを持している女性ひとだとユリフォスは感じている。

 夫が他所よそで生ませた男児を我が子として迎え入れ、唯一、腹を痛めて生んだ子を病で亡くし、そして今、さぬ子どもに爵位を継がせるために他国からの嫁を迎え入れようとしている義母だった。


 父と結婚したばかりに、この女性ひとはどれだけの苦しみを呑んできたのだろうと、ユリフォスはふと義母の半生に思いを馳せた。


 もし他の男性と結婚していれば、今頃は健やかな子どもにも恵まれて、自分の血を継ぐ子や孫たちに囲まれて幸せに笑っておられたのではないだろうか。



  

 夕食が済んだ後、ロベルトはユリフォスを遊戯室に誘った。

 久しぶりにボードゲームの盤を広げ、二人でのんびりとゲームを進めながら、修学院での様子について聞いてみる。


 水を向けられたユリフォスは、楽しそうに向こうでの生活を話し始めた。

 寮の一等特室に入れてやったため生活にも不自由は感じておらず、ロベルトがつけてやった秘書官のジェルドとも仲良くやっているようだ。


 ジェルドは次期当主の側近となれるよう、ロベルトが手元で育ててきた使用人の一人である。

 上級使用人としての仕事をこなせる他、貴族の社交にも詳しく、領地運営の手伝いや事務管理一般なども学ばせており、何かと頼りないユリフォスの補佐をさせるためにガランティアに同行させた。


 そのジェルドの助けを借り、向こうでの社交も問題なくこなせているようだ。

 生き生きと話すその顔を見ていれば、向こうでの水がユリフォスに殊の外合っている事がロベルトにもよくわかる。


 楽しそうなその様子に、ロベルトは心底安堵した。

 ヴェント絡みでは、辛い思いばかりをさせてきた息子だった。

 幸せに過ごしてくれているなら、それでいい。


 そのうちユリフォスは、何故自分が学内留学をして農学を学びたいと思ったかについて、ロベルトに話し始めた。


 幼い頃、ロベルトの父はよく領地の見回りにユリフォスを連れ出してくれていたらしい。

 その時、海岸部に広がる広大な干潟を見て、幼い自分は衝撃を受けたのだとユリフォスは言った。


「ここからは何も生まれないと嘆いていたお祖父さまの言葉が今も耳に残っているんです。

 もし叶うなら、あそこを農地に変えたいと思いました」


 ロベルトは組んだ手の上に顎を乗せ、しばらく考え込んだ。


「あの土地については、お前の祖父も埋め立てを考えていたが、あの面積だと凡そ山一つ分の土が要るそうだ。

 近くには山もないし、だから断念したと聞いているが」


「埋め立てではなく、干拓ではどうでしょうか」


「干拓……?」


 耳慣れぬ言葉にロベルトは戸惑った。


「はい。埋め立ては水を抜きながら土砂を入れていきますが、干拓だと水を抜く作業だけになります。

 エトワースにはこちらの方が向いているのではないかと。


 農学部に編入できれば、農学部内の図書館にも入館が許されます。

 干拓についても、具体的な工程が記述された本があると思うのですが」


 農学部の図書館で干拓に関する本がどこまで開示されているかはわからないが、おそらく大丈夫だろうとバリュエ卿が言っていた。


 公国はどこか閉鎖的なため、そういった情報は流れて来なかったが、バリュエ卿によると干拓はかなり昔から行われている工事であり、ガランティアのみならず、アンシェーゼやアストールでも成功させているとの事だ。

 ならば、機密扱いにはなっていない可能性が高い。


「だが、水を抜いただけでは土地に塩が残るのではないか」


 ロベルトの疑問に、ユリフォスは「ええ」と頷いた。

 一番の問題点はそこだった。塩分が残る土地に、普通の農作物が育つとは思えないからだ。


「何か塩を抜く技術があるのだと思います」

 自信なげにユリフォスは答えた。


 そのそもエトワースで干拓が可能なものか、試算はいくらくらいになるのか、そして干拓後の土地の塩は本当に抜けるのか、ユリフォスには何もかもわからない事だらけだ。

 けれどガランティアで農学を学び、少しずつ知識を身に着けていけたらとユリフォスは思う。


「こうして好きな学問を許していただけたのです。エトワースに還元できるよう、これからも精進していきたいと思います」


 生真面目に抱負を語る息子にロベルトは小さく笑い、「頑張るのはいいが、身体はきちんといとうように」と言葉を掛けた。


 三人いた子どものうち、ロベルトの手元に残ったのはこの次男だけだった。

 この子が身を立てられるようになるまでも私ももう少し頑張らないといけないなと、苦笑混じりにロベルトはそう独りごちた。





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