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継嗣の発表


「は?」


 それを聞いたエクゼス卿の顔は見ものだった。

 呆けたように口を開き、そのまましばらく凍り付いたように固まっていた。


「第二皇女殿下は母君の身分が低い方ですので、この婚姻に国が絡む事はありません。あくまで皇家と我がアンテルノ家の二家の問題となります。

 ただ、曲がりなりにも他国の皇族の姫君をお迎えするのですから、大公殿下には内々にご報告申し上げました。


 この縁組を整えるにあたり、アンシェーゼ側はユリフォスがアンテルノ家の継嗣であるかを確認してきましたので、大公殿下の了承を頂いた上で、間違いないと返答もしております。


 つまり、ユリフォスが次期当主となる事はすでに定まった事項なのです。

 今更、私の一存でどうにかなるものではありません」



 エグゼス卿は信じられないと言わんばかりに何度か大きく首を振った。

 その後、だんだんとその口角が上がっていき、やがておかしくて堪らないといった様子で腹を抱えて笑い出した。


「イル卿の奴め。

 何が当主としての資質に欠ける、だ。

 完全にしてやられているではないか」


 今やエクゼス卿は完全に面白がっていた。


 イル卿はアンテルノ家当主の事を、感情で回りが見えなくなる困った御仁だとさりげなくエクゼス卿に吹き込んでいたのだ。


 だが、蓋を開ければどうだ。

 当主としての能力に欠けている筈のアンテルノ卿はイル卿が気付かぬうちに着々と手を打っており、しかも引っ張り出した相手は他国の皇女殿下だ。

 そのための根回しも抜かりない。


 大公殿下も巻き込んでおられるとはな……とエクゼス卿は肩を震わせ、そんなエクゼス卿をロベルトは苦笑混じりに眺めやった。


 元々このエクゼス卿が悪い人間でないという事は、今までの付き合いからロベルトもよく知っている。

 心を動かされるだけの金を積まれたのは事実だろうが、客観的に見て長男の方が旧家の跡取りにふさわしいだろうと考えて、一種の親切心で口を挟んできただけだろう。


 だが、これで形勢はひっくり返った。

 大公殿下も認めた縁組にケチをつけるなどいくら従兄弟の立場でもできる筈がなく、つまりはエクゼス卿はこの決定を受け入れるしかないのだ。


 面子を潰されたと怒り狂うタイプの人間であったら手こずっていただろうが、幸いにしてエクゼス卿はさっぱりした性格の人間だった。

 半面、平気で掌を返すような事もできる御仁だが、貴族社会では別段珍しい事ではない。


「先ほどお願いされた件ですが、すでにここまで事が動いている以上、今更イル卿が謝罪に来られても意味はないのです。


 謝罪は勿論受けますが、それだけです。

 ユリフォスが跡継ぎである事は変わりませんし、今後親しく付き合うつもりも当方にはありません」


 エクゼス卿がどうしてもと会ってやって欲しいと言うのであれば勿論顔は立てるが、ロベルトは正直あの顔を見たいとは思わない。

 娘の死を望み、妻を傷つけた張本人である。

 はっきり言って、館に上げる事も不快だった。


「……イル卿とは縁を切られると?」


「妻が、もう二度とあの二人の顔を見たくないと言いましてね。

 ならば、その願いを叶えてやるだけです。


 今後、二人を当家に招く事はありませんし、二人が出席するような社交の場もできるだけ避けるようになるでしょう。


 ついでに申し上げれば、アルマディーノ家やロビン家も我が家に倣うそうです。

 今後はユリフォスをり立てていくと言っておりました」


 それを聞いたエグゼス卿は何とも言えぬ顔でロベルトを見た。

 あの二人を夜会に招くと、旧家三家はもれなく参加を断るとわかれば、今後、あの二家との付き合いを避けようとする貴族が増えていくだろう。


「イル卿やジュベル卿には相当の痛手となりますな」


「そうでしょうね。

 まあ、両家の事は当人たちが考えればいい事です」


 ロベルトは静かにそう答えた。


 どこか冷ややかなその笑みを見ながら、ああ、そうかとエクゼス卿は今更ながらに気が付いた。

 

 大公家からアルマディーノ家に降嫁されたシャリイアさま、あの方がおそらくアンテルノ家と大公家との橋渡しをされたのだ。

 そして大公殿下夫妻を説得するために、より詳しい事情も伝えられた筈だ。


 大公妃殿下は、シャリイアさまの上に姉姫を一人生んでおられたが、その姫君は一つの誕生日を迎える前に病死されている。

 今でも、死んだ娘の事を忘れた日はないと、何かの折に話されていた妃殿下だ。

 子を喪う苦しみがどのようなものであるか知る妃殿下は、子の死を心待ちにしていたというあの二人に深い嫌悪を覚えられ、だからこそジュベル卿を外す事にも賛同されたのではないだろうか。


 エクゼス卿は考え淀むように視線をテーブルに落とした。


 旧家三家から付き合いを断たれ、妃殿下の不興も買っている恐れがあるイル卿とこのまま親しく付き合っていく事は危険だった。

 これ以上纏わりつかれないよう、渡された金は全額返し、早々に縁を切っておいた方がいいだろう。


 自業自得だ……とエクゼス卿は心に呟いた。

 二人には二人の言い分があったのだろうが、己の欲のために罪のない子の死を望み、それを口にした時点で、二人の運は尽きたのだ。

 同情の余地はない。



 それにしても……とエクゼス卿は心に呟いた。

 この一連の流れの中で大きな核となったのは、アンテルノ卿夫人だった。

 

 ただか弱く、ふわふわとしてどこか頼りなげなあの美しい奥方は、ご自身が思う以上に周囲に絶大な影響力を持っている。

 幼い頃よりアンテルノ家の直系らの庇護の対象であり、それは年を重ねた今でも変わっていない。


 ヴィヴィア夫人をひどく傷つけたと知ればこそ、彼らは結束して二人の排除に動いたのだ。

 夫人がこの一連の騒動に関わっていなければ、これほど事は大きくなっていなかっただろう。



 血を同じくする者に惹かれ合うアンテルノ家の血筋を、エクゼス卿はぼんやりと思い起こす。


 アンテルノ卿とヴィヴィア夫人は従兄妹同士の間柄であり、すでに近親結婚を繰り返してきた家系であれば、二人の間に子は生せないだろうと結婚当初から囁かれていた。

 実際に結婚後まもなく、ロベルト・アンテルノは外に愛人を迎え、男児を生ませている。


 多分それは、セルダント家からの申し出であったのだろうとエクゼス卿は思う。

 ロベルトはいくらでも良縁を望めたし、夜会で名を落とした自分の娘と結婚させたばかりに、アンテルノの直系であるロベルトが我が子を持つ事ができなくなるなど、許される事ではないとセルダント側は思った筈だ。


 アンテルノの血脈を繋ぎたいだけなら、旧家に嫁いだ姉の息子の中から養子を迎えるという手もあった筈だが、結局、両家はその道を選ばなかった。


 おそらく、ロベルトが庶子をもうける事が二人の結婚の条件になっていて、だからこそヴィヴィア夫人は、結婚後立て続けに生まれた夫の庶子を諸手を上げて迎え入れたのではないだろうか。


 

 二人が結婚へと舵を切った十数年前のあの夜会の事を、エクゼス卿は今も鮮明に覚えていた。

 当時、ロベルト・アンテルノの婚約者候補であったアイラ・ノルディアムは、多くの崇拝者を持っていて、そのうちの一人がエクゼス卿の父方の従兄弟のハンツであったからだ。


 あの夜会の日、エクゼス卿はハンツと共に馬車で帰宅したのだが、その時ハンツがとんでもない事を自分に暴露した。

 ハンツは、夜会でセルダント家のヴィヴィア嬢が未練がましくロベルトを見つめていて、それを皆で笑い者にしたとおかしそうに話したのだ。


 それを聞いた時、こいつは正気かとエクゼス卿は思った。

 ロベルトの父であるアンテルノ卿がたった一人の妹を溺愛している事は社交界では有名な話だった。

 その妹の娘であるヴィヴィア嬢を虚仮こけにするなど、あの一族を敵に回すようなものだ。

  

 単なる悪ふざけでは済まないと思ったエクゼス卿はすぐにその事を叔父に伝え、叔父はアイラ・ノルディアムの取り巻きをやめるか、継嗣を辞退するかどちらかを選べとハンツに迫った。

 当時のアンテルノ家は、アルマディーノ家やロビン家といった公国きっての旧家と次々に縁組を結んでおり、その高位の貴族たちを敵に回すような事をしでかしたアイラの傍に嫡男を置いては、まずい事になると叔父は考えたのだ。


 現に、その夜会の後すぐに、ロベルトの姉姫二人が、公的な場でこっぴどくアイラ嬢にお灸を据えている。

 旧家の嫡男に嫁いでいた二人が激しい不快を表明したため、頭の軽い取り巻きたちはともかく、その親たちが事態の収拾に向けて動き始めた。

 下手な噂を撒き散らした張本人は社交の場に姿を現わさないようになり、あの件をきっかけにアイラと距離を取り始めた取り巻きも出始めた。



 結局アイラ嬢は、高位の貴族からは全く相手にされなくなり、地方に居を構える中堅どころの貴族に嫁したと風の噂に聞いている。


 一方のヴィヴィア嬢はあの一件で名を貶められたが、ほどなくジュベル卿、ロベルト・アンテルノとの婚約を発表した。

 二人は従兄妹同士であり、政略的には何の利もない縁組だった。

 おそらくヴィヴィア嬢の名誉を守るためにロベルトが責任を取ったのだろうと、周囲はロベルトに同情的だったが、そうした予想が間違っていた事はすぐに明らかになった。


 それまでヴィヴィア嬢に一切関わろうとしなかった事が嘘のように、ロベルトがヴィヴィア嬢を構い始めたからだ。


 片時も傍から離そうとせず、ヴィヴィア嬢が他の男と親しく語ろうとすればあからさまにそれを威嚇する。

 ヴィヴィア嬢を見つめる眼差しを見れば、ロベルトがどれだけヴィヴィア嬢を愛おしく思っているかは丸わかりだった。


 おそらくは近親婚を避けるために想いを封印していただけなのだろう。


 ヴィヴィア嬢の名誉を守るという口実を手に入れたロベルトは、まんまと愛おしい女性を手に入れたと言う訳だ。



 外に子を生ませた後も、ロベルト・アンテルノの愛情は褪せる事なく、ヴィヴィア夫人の許にあった。

 体の弱いヴィヴィア夫人を風にも当てぬよう大切に遇し、その偏愛ぶりは夫人たちの間でよく話題に上った。


 比べられたエクゼス卿は、いい迷惑だと内心思わないでもなかった。


 普通に妻を大事にしている男が責められるなんてどうかしている。

 奥方をあそこまで大事にするロベルト・アンテルノの方が異常なのだ。


 

 さて、妻に関する事以外では有能なアンテルノ卿に、エクゼス卿は改めて向き直った。

 卿の次男に何の含みも持っていないという事を、取り敢えずアンテルノ卿に示しておく必要がある。


「ところで、今日ユリフォス殿はご在宅ですかな?」


 おられるならば顔繋ぎだけでもと考えたエクゼス卿だが、ロベルトは「残念ながら」と小さく首を振った。


「バリュエ卿の所へ出掛けています。

 せっかくの機会ですし、是非、卿にユリフォスを紹介したかったのですが」


「あのボードゲームの一件は聞いています。どうやらいい縁を繋がれたようですな」


 バリュエ卿は国の要職には就いていないが、ある意味存在感のある男で、高位の貴族に知り合いも多い。

 そのバリュエ卿に気に入られているという事は、豊富な人脈を期待できるだろう。 


「そう言えば、ユリフォス殿はガランティアの王立修学院に進まれると耳にしましたが」


「はい。この四月から通うようになります」


「実は私の息子もいずれ修学院へ進ませるつもりなのです。

 騎士学校があと一年残っているので、進学は来年の話になりますが」


 ロベルトは少し驚いた。


「初耳です。貴方の下で政治を学ばれるものかと」


「数術が好きで、どうしても行きたいと頭を下げてきました。

 この四月入学ならば、ガランティアの第三王子と同学年になれたものを、学年がずれるとは運がない事です」


 やはり行かせる限りは、向こうで王族との縁を繋がせておきたいようだ。

 どの親も考える事は一緒だとロベルトは内心苦笑した。 


「王族が進学すれば修学院が活気づくと言いますか、この年度はアンシェーゼやシーズの高位の貴族の息子も進学を決めたと聞きました。

 このタイミングでご子息を修学院に進ませるなど、卿もよく考えられたものですな」


「たまたまです」


 ロベルトは小さく笑った。


「今まで碌に構ってやれなかった息子です。

 何か望みはないか聞いたところ、修学院に進学したいとユリフォスの方から言ってきました」


「それはカルロと気が合いそうだ」


 エクゼス卿は破顔し、身を乗り出してきた。


「向こうで親しくさせて頂く訳ですし、宜しければ一度、我が家に遊びに来られませんか?

 数術が好きな者同士、カルロとは話が弾むでしょう」


「それは願ってもない話です」


 二つ返事でロベルトは了承した。

 エクゼス卿の邸宅に招いてもらえるならば、ユリフォスにとってこれ以上ない箔づけになる。


 と同時に、ロベルトはエクゼス卿の意図も正しく理解した。

 エクゼス卿はユリフォスの縁組を潰そうとした一連の出来事を水に流して欲しいのだ。そして未来のアンテルノ家当主を取り込んでおきたいと思っている。


「今後ともユリフォスを宜しくお願い致します」


 ロベルトは手を差し出し、それぞれの思惑を胸に両者はにっこりと握手を交わした。






 翌日アンテルノ家では親族を招いての晩餐会が開かれ、ユリフォスがアンテルノ家を継ぐ事と、アンシェーゼの第二皇女との婚約が調ととのった事が発表された。


 大国の皇女との縁談に場は大きくどよめき、その興奮もあけやらぬ間に、この四月からユリフォスがガランティアの王立修学院に進学する事が同時に発表された。


 晩餐の席には、長男であるジュベル卿やその舅であるイル卿の姿はなかった。


 詳しい事情について語られる事はなかったが、「今後当家、及びアルマディーノ家、ロビン家、シオン家、セルダントの五家は、ジュベル、イルの両家に対して一切関わる事はない」と当主が明言したため、何か大変な事が起こったのだと親族らはようやく理解した。


 晩餐が終わるや、ユリフォスは事情を知ろうとする従兄弟らに取り囲まれた。


 事情は話して構わないと父から言われていたため、ユリフォスは簡単にその理由を話してやったが、実の妹の死をヴェントが望んでいたと知った従兄弟らは、さすがに呆れ果てたように互いに顔を見合わせた。


「そりゃあ、ヴェントも詰んだわ」とぼそりと言ったのはリテーヌ伯母の三男坊で、「道理で、あの晩、母が怒り狂っていた訳だ」とようやく納得したように頷いていた。


 この度の発表については一族内でのあからさまな反発を覚悟していたユリフォスだったが、従兄弟たちの反応を見る限りその心配は要らなかったようだ。


 よくよく聞けば、ヴェントは高位貴族からの覚えは良かったものの、身分の劣る親族らに対しては人とも思わぬ態度をとる事が多かったらしい。

 注意をした年配の親族もいたようだが、ヴェントは一切耳を傾けようとせず、そうした傲慢さがわかりやすく親族内で嫌われていたようだ。

 

 いずれアンテルノ家を継ぐ可能性があったため、表立ってそれを口にする者がいなかっただけだとその従兄弟に言われ、そういう事かとようやくユリフォスも納得した。

 報復怖さに口を噤んでいたのは自分も同じだから、その気持ちはよくわかる。





 さて、ユリフォスがアンシェーゼの第二皇女と結婚し、アンテルノ家を継ぐという噂は瞬く間に社交界に広まった。


 旧家二家がそれを支持し、国務卿であるエクゼス卿も率先してそれを歓迎したため、流れは一気にユリフォスに傾き、アンテルノ家の嫡男と懇意になりたいという貴族からの招待状が連日ユリフォスの許に届けられる事となった。


 そうして留学までの僅かな日々をユリフォスは忙しく過ごし、三月半ば、多くの荷を積んだ馬車と共に遠いガランティアへと旅立っていった。



 リリアセレナ姫との婚姻の日取りが決まったのは、その十日ほど後の事だった。






素敵なレビューを書いて下さり、ありがとうございました。

とても嬉しかったです。


また、ブクマ、評価、誤字報告、感想などを下さった方にも、心よりお礼申し上げます。

途中でくじけそうになりましたが、おかげさまで、ようやくここまで書き進める事ができました。


外伝を含め、あと数話で完結しますので、今しばらくお付き合いいただけたらと思います。

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