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欲に満ちた足掻き


 ヴェントは頭が真っ白になった。


「ユリフォスが、アンテルノの名を継ぐ……?」


 聞き違いかとヴェントは父の顔を仰いだが、父は平然と眼差しを受け止め、その言葉を肯定した。


「いかにも。

 アンテルノ家を継ぐのはユリフォスだ」


 ヴェントは呆けたようにロベルトを見つめていたが、やがて、あり得ない……と首を振った。


「何の冗談をおっしゃっているのです。

 ユリフォスの母親は平民だ。

 あのように血が卑しい者に、由緒あるアンテルノ家の名が守れる訳がないではありませんか!」


「血が卑しい者……か」


 ロベルトは苦い笑みを口元に浮かべた。


「実にお前らしい言葉だ。

 そうやって、お前はずっと実の弟を見下し続けてきたのだな。


 私は何も気付いていなかった。

 私の目には、お前たちは普通に仲良くやっているように見えていた。今思えば、何をどう言われようと、ユリフォスが我慢していたのだろう」


 一方的にユリフォスだけを庇う言葉に、ヴェントは思わずかっとなった。


「血を重視する貴族社会において、私は決して間違った事は言っておりません!」


「……お前は事あるごとにユリフォスを貶めていたようだが、立場の劣る弟はいかようにも踏み躙っていいと本気で思っているのか?」


 ロベルトは辛辣に問いかけた。


「少なくともお前と違い、ユリフォスは心からエリーゼの事を可愛がっていた。

 ユリフォスがこの家を継ぐと知れば、死んだエリーゼもきっと喜ぶだろう」


「だからユリフォスを継嗣に据えると?

 父上のおっしゃっている事はめちゃくちゃだ。そんな訳の分からない理屈が貴族社会でまかり通る訳がない!」


 いくら父がユリフォスの方を好ましいと言っても、自分は代々アンテルノ家の嫡男が継いできたジュベルの名を冠しており、後見となるイル卿は財力と幅広い人脈を持っている。


 その自分を差し置いて、平民を母に持ち、碌な経歴も人脈も持たない弟を継嗣に据えるなど、どう考えても気違い沙汰だった。


「では、アンテルノの名前欲しさに妹の死を願うような人間が継嗣にふさわしいとでも?」


 そんなヴェントに、ロベルトは冷ややかな眼差しを向けた。


「一体、何の事を……」


「身に覚えがないと言うか?

 二か月前の夜会で、お前とイル卿が話していた事だ。


 あの時、周囲には誰もいないとお前たちはふんでいたのだろうが、たまたまあの場にはお前の義母と伯母がいたんだ」


 みるみる顔を青ざめさせていくヴェントに、ロベルトは更に厳しく言葉を重ねた。


「私の事もかなり辛辣に言っていたと聞くが、そのような事はどうでも良い。

 問題なのは、お前たちが死んだエリーゼを貶めていた事だ。


 近親婚の果てに生まれた子だからまともに育つ筈がないだと?

 僅か五つで死んだ妹に、よくもそのような口が利けたものだ。


 お前たちの心ない言葉にヴィヴィアは傷付いて、あの後はとても夕食会に出席できる状態ではなくなった。


 お前もよく覚えているだろう。

 見舞いと称して、翌日から何度もこの館を訪れていたからな」


「あ、あれはそのような意味ではなく……」


「何度お前が訪れても、私はお前には会わなかった。ヴィヴィアにも会わせなかった。

 ヴィヴィアがそう望んだからだ。

 お前とイル卿の顔はもう見たくないと。


 当たり前だ。

 子を失って苦しんでいる母親の前で、お前たちはようやく死んでくれたと、その死を喜んでいたんだ。

 そのような相手の顔を見たいと思う人間がどこにいる」


 ヴェントの全身から汗が噴き出した。

 よりによってあの会話を聞かれてしまったなど、とんでもない失態だった。


「謝罪を……! どうか義母上に謝罪をさせて下さいッ!」


 恥も外聞もなく、ヴェントはその場に膝をついた。


 父がどれだけ義母を大事に思っているかは、幼い頃から身に染みて知っている。

 義母の願いは父自身のものより優先され、ただ弱く優しいだけの存在である義母は絶大な影響力を父に持っていた。


 義母からのとりなしがなければ、自分は身の破滅だった。

 どうにか丸め込んで許しをもらわないと、アンテルノの名は永遠にヴェントの手の届かないものになる。

  

 汗まみれになり、鼻先を床に擦りつけんばかりのヴェントに、それでも父は無情だった。


「本当に悪い事をしたと思っているのか」


「思っております。本当に取り返しのつかない事を致しました。

 あれは決してそのような意味ではなかったのです……!


 どうか、義母上にお取次ぎを……。

 幾重にも謝罪いたします。義母上のためにできる事があれば何でも致します。ですからどうぞ……!」


「では二度と、ヴィヴィアの前にその顔を出さぬようにするがいい」


 信じられない言葉を聞いて、ヴェントは呆然と顔を上げた。


「ち、父上……?」


「謝れば、確かにお前の気は済むだろう。

 だが、謝られた当人は?

 見たくもない相手の顔を見させられて、謝罪を受け取るよう強要させられるなど、更なる暴力を受けるようなものだ。


 お前が心底、ヴィヴィアに対し、済まないと思っているならばできる筈だ。

 

 私の言う事は理解できるな」


「けれど……」


 ヴェントは血走った目で父の顔を仰いだ。

 ここで謝罪もできずにこの家から出されれば、この先自分に未来はない。

 旧大公家の流れを引く名家の名は平民出のユリフォスにいってしまい、自分にはジュベルと言うちっぽけな名前しか残らなくなる。


「父上、お願いです。

 どうか義母上におとりなし下さい……!」


「ヴェント」


 とにかく取り次いで欲しいと尚も懇願をし続ける息子に、ロベルトは静かに言葉を掛けた。


「お前は自らの手で、この結末を引き寄せたんだ。


 エリーゼが生まれた時、未来が指から零れ落ちたような気がして、お前が恨めしく思った気持ちはわからぬでもない。

 けれどこれは元々、お前が生まれる前からのとり決めで、その事は繰り返しお前に伝えておいた筈だ。


 ……今になって思えば、バンベッセの娘をお前の傍らに許したのは間違いだったのだろう。

 無理やり追い出すような真似をすれば、お前に恨みが残るかと思ったが、あの女は結局、お前に害しか与えなかった。


 実母の許で育ったお前は、ヴィヴィアを母と呼ばせた事に反感をいだいていたようだが、そもそもこの公国では愛人の子どもであるお前に一切の権利はない。

 このような事、公国に住まう貴族なら子供でも知っている事だ。


 ヴィヴィアがお前を息子として認知したからこそ、お前は貴族に名を連ねる事ができたんだ。

 それを感謝こそすれ、敵意を抱くなど以ての外だ。



 お前とイル卿がエリーゼの死を望んだ事は、すでにアンテルノの主だった親族には伝わっている。

 親族らは、お前を後継から外すという私の決定に賛同した。


 もし今後ユリフォスに何かあったとしても、お前に爵位が回ってくる事は金輪際ない。

 アンテルノの血を引く甥の中から、私は後継者を選んでいく事になるだろう」


「あんまりだ!」


 堪え切れずにヴェントは叫んだ。


「私はアンテルノ家の長男だ。家を継ぐ権利は私にある!」


「お前にはすでに別の爵位を渡している筈だ。

 裕福な舅も背後に控えている。バンベッセと違い、この先生活に困る事はないだろう。


 ヴェント。

 お前はすでに多くのものを手にしている。

 そして、それを奪う気もない。


 手に入らないものを嘆くのではなく、自分が人としてどうあるべきか、真摯に考えてみよ」


「父上は間違っておられる……!」


 ヴェントは歯噛みした。


「元々エリーゼは病弱で、アンテルノを継げるような体ではなかったんだ。

 当主としての教育を受け、努力も怠らなかった私が、ちょっと愚痴めいた言葉を漏らしたからと言って、どうしてそこまで責められなければならないんです……!

 

 どうか公平で冷静な目で見て下さい!

 そうすれば、ユリフォスよりも私の方がよほどアンテルノの嫡子にふさわしいと、父上にもお分かりになる筈だ!」


「……お前は欲にとりつかれている」


 尚も言い張るヴェントに、ロベルトは小さく首を振った。

 

「お前がこの決定を納得し、心から懺悔して罪と向き合う事を私は望んでいた。

 だが、私の言葉はどうあってもお前に届かぬのだな」

 

 ヴィヴィアと関わりの深いセルダント家はともかく、他の三家に関して言えば、もしヴェントが心底悔いてこの申し出を受け入れるなら、見捨てずに縁を繋いでやるようロベルトは頼むつもりでいた。


 だが今のヴェントでは、それをすればつけあがるだけだ。


 ヴェントは未だに、自分の事しか考えていない。

 死を願った妹に済まなく思う気持ちも、その母を呵責なく傷つけた事も、人目のない所で陰湿に弟を苛めてきた事も、何一つ心から反省していないのだ。


「……今後アンテルノ家は、ジュベル家やイル家に一切関わる気はない。

 それはアルマディーノを始めとした親族四家も同様だろう。


 私たちの縁はこれで切れた。

 お前はお前で好きに生きなさい」

 

 ヴェントは怒りに打ち震え、血が滲むほどに唇を噛みしめた。

 不当な仕打ちを受けたと、恨みと怒りしかないのだろう。

  

 ロベルトは人を呼び、ヴェントに帰るよう伝えたが、ヴェントは納得しなかった。

 屈強な従僕らに両脇を抱えられながら父への恨み言を声高に叫び続け、ユリフォスの事を泥棒猫と罵倒して、自分こそが正当な跡継ぎだと最後まで喚き続けた。





 ようやく取り戻した静寂の中で、ロベルトは握り締め続けていた拳をようやく緩めた。


 もう二度と、あの息子と話をする事はないだろう。

 今、自分が手にしているものを大切にしなければならないのだと、あの愚かな息子が気付くのはいつの事だろうか。


 窓辺から緑に溢れる庭園を見下ろしながら、ここまで息子を歪めたのは自分だとロベルトは思った。

 幼いヴェントがユリフォスを見下し、犯した罪を弟になすりつけようとしたと知った時、あの子の生まれ育つ環境をもっと気にかけてやっていれば、おそらくヴェントの人生は違っていた。


 やりきれない哀しみがロベルトの心を苛んだ。


 娘を病で失い、そして今、もう一人の息子を永遠に失った。

  





後、数話で本編は終わりとなります。


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