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不遇の子にも


 煌びやかな灯りの下、華やかに着飾った男女らが音楽に合わせてダンスを楽しんでいた。

 エスコートされてステップを踏む女性たちのドレスが軽やかなターンで大きく舞い、まるで風に揺れる花のようだとユリフォスは思う。


 ユリフォスにとってはこれが初めての夜会で、さざめくような色彩とその絢爛さにただただ圧倒されていた。

 本来なら騎士の叙勲を受けて間もなくこうした場に出席するようになるのだが、学校を卒業後すぐに辺境の騎士団に旅立ったユリフォスには無縁の場だった。



 会が始まって間もなく、父はユリフォスを連れて招待客の間を回り始めた。


 夜会の前日までに、今回の招待客の領地や産物、経歴から縁戚関係に至るまでを丸暗記させられていたユリフォスだが、それだけでスムーズに会話が弾むというものではない。

 父のフォローもあり、何とか失態を犯さずに挨拶回りができているが、背にはもうぐっしょりと大量の汗をかいていた。


 父からは、今日会った招待客の顔と名前をできるだけ一致させておくようにと言われていたが、紹介された半分も覚えていられるか疑問である。


 さて、招待客を一巡して、ユリフォスはようやく肩の凝る挨拶回りから解放された。

 このままこの場から遁走したい気分だが、この会の目的が自分のお披露目であれば、そういう訳にもいかない。


 取り敢えずホールの向こうに騎士学校時代の友人の姿を見つけ、そこに逃げ込もうとしたユリフォスだが、足を向けた先に見覚えのある顔を見つけ、思わず口元を強ばらせた。


 異母兄のヴェントだった。

 一際ひときわ目立つ深紅のジャケットを身に纏い、満面の笑みで周囲の貴婦人らと談笑している。


 そう言えば四年前に娶った妻との間に待望の男児をもうけたのだと、今更のようにユリフォスは思い出した。


 二人きりの兄弟ではあるが、ヴェントと自分との間に交流は全くない。

 継嗣となる子が生まれた事も人伝に聞いたくらいで、というのも兄のヴェントが平民の母を持つユリフォスの事を一方的に見下していて、関わる事すら嫌がっていたからだ。



 昔から、ヴェントには嫌な思い出しかなかった。

 普段は、ブレノスとエトワースという別々の土地に離れて暮らすため接点は全くないのだが、夏になれば二人そろって公都にあるアンテルノ家の本邸に呼ばれ、ふた月近くを一緒に過ごすようになる。

 

 物心つく頃から、とかくヴェントには苛められていた。

 今でも鮮明に覚えているのは、庭先で地面に升目を書き、一人でボードゲームのまねごとをして遊んでいたら、いきなり靴でそれをめちゃめちゃに踏み躙られた事だ。


 呆然とするユリフォスに、「お前の母親は平民だ。目障りだからあっちへ行け」とヴェントは言ってきて、ユリフォスは思わず、「私の母はここにおられる母上だ!」と言い返した。


 自分の実母が自分を捨てて館を出ていった事を、ユリフォスは幼いなりに理解していた。

 いくら乳母に優しく育てられようとその寂しさが消える事はなく、年に一度、母上と呼ぶ事を許された本家の母だけが、ユリフォスにとっては唯一の母親だったのだ。 


 だが、言い返された事にヴェントは激怒した。


「平民のくせに私に逆らう気か!

 本家の奥方はお前の母親なんかじゃない!

 お前の母親は金と引き換えに子どもを捨てた、卑しい育ちのどうしようもない女だ!」


 取っ組み合いの喧嘩になり(と言っても、体格差があったから一方的に殴られただけだが)、気付いた大人たちが慌てて間に入り、やがて父も駆け付けてきた。


 ヴェントは、ユリフォスがヴィヴィア母上の事を悪く言ったから喧嘩になったのだと父に作り話を言い、驚いたユリフォスは何も言い返せなくなってしまった。


 その場で反論すれば良かったのだと今はわかっている。

 けれどあの時は何も言えなかった。


 ユリフォスはひどく叱られて、その晩は夕食抜きになった。


 本邸には、傅育官のトマスが同行してくれていて、その晩、理由を聞かれたユリフォスは泣きながら事の経緯をすべてトマスに話した。

 トマスは館の使用人らにすぐに確認を取ってくれ、庭師の一人がたまたま子どもたちの喧嘩を耳にしていた事をつきとめ、その事を父に報告した。


 二人は翌晩、父の部屋に呼ばれ、父は今までにない険しい顔でヴェントに向き直った。


「お前たちの喧嘩の一部始終を使用人の一人が見ていた。

 お前が何を言い、ユリフォスが何と答えたか、その者を呼んで証言させようか。

 それともお前の口から真実を言うか」


 咎められたヴェントは真っ青になり、泣きべそをかいて父に謝った。

 父親は自分より弟に謝るようヴェントに言い、ヴェントはその場ではその通りにしたが、馬鹿にしていた弟に頭を下げさせられた事がよほど腹に据えかねたようだった。


 以来ユリフォスを目の敵にし、苛めはいよいよ陰湿になった。


 もし父上に告げ口するようなら、自分が当主になった時にお前の人生を目茶目茶にしてやると、ヴェントは繰り返しユリフォスを陰で脅した。


 いずれヴェントがアンテルノ家の家督を継ぐ事はすでに定められた未来だった。

 周囲に助けを求め、今は叱ってもらえたとしても、兄が当主になった時に何をされるかわからない。

 そう思ったユリフォスは、それからは何をされても口を閉ざすようになった。

 


 ただこの一件は悪い事ばかりをユリフォスにもたらした訳ではなく、実母に捨てられたと言葉を投げつけられたユリフォスを気遣ってか、アンテルノの祖父がそれまで以上にユリフォスを気にかけてくれるようになった。

 

 祖父はエトワースに生活の拠点を移し、領地の見回りにも同行させてくれた。


 なだらかな山裾から広がる麦畑、整備された街道や立ち並ぶ商店、そして見渡す限り広がっている泥状の干潟。

 祖父と共に見る景色は何もかも新鮮で、何より、祖父から与えられる確かな愛情はユリフォスにとって大きな心の支えとなった。


 八つの時に祖父は亡くなったが、幼少期に与えられたあの温もりは今もユリフォスの心に息づいている。


 やがて十二になったヴェントは騎士学校に入学し、その翌々年、アンテルノ家を揺るがす大事件が起こった。

 義母が女の子を出産したのだ。


 ヴェントは跡継ぎの座から転落した。

 ヴェントはくさって本邸に近寄らなくなり、それはユリフォスにとって、まさに願ったり叶ったりだった。


 夏場に本邸を訪れても、あの鬱陶しい顔を見ずに済むので気分は最高にすがすがしい。

 それにエリーゼはとてもかわいい子で、ユリフォスはすぐに夢中になった。


 騎士学校へ入学した後は、休暇を利用しては度々、本邸に顔を覗かせるようになった。

 エリーゼは体調を崩して寝ている事も多かったが、ユリフォスが顔を見せると嬉しそうに「兄ちゃま」と呼んでくる。


 ユリフォスはよく、エリーゼを抱っこして庭の景色を見せてやったり、絵本を読んでやったりした。

 エリーゼが生まれるまではどこかよそよそしかったこの邸宅も、ようやく家族の住まう場所なのだと思えるようになった。


 楽しい夢だったとユリフォスは思う。

 このまま優しい時間が過ぎていくと思っていたのに、卒業を間近にしたある日、エリーゼは死んでしまった。

 たわいもない風邪をひき、それをこじらせてあっけなく逝ってしまった。



 


 物思いから覚め、ふと顔を上げたユリフォスは、すぐ向こうに先ほど挨拶をしたばかりの壮年の貴族がいる事に気が付いた。


 シシー地方に領地を持つバリュエ卿だ。

 洒脱な人物で、権力とは関係ないところに身を置きながら、その人脈の広さは宮廷でも無視できないと言われている人物である。


 辺りを見回したが、ちょうどバリュエ卿の近くには誰もおらず、話し掛けても構わないだろうと思ったユリフォスは、ゆっくりとバリュエ卿に近付いていった。


「少し、よろしいですか」


 声を掛ければ、バリュエ卿はちょっと驚いたようにユリフォスを見た。

 先ほど紹介をされたものの、年もかなり離れている上、特に接点もない相手だ。何故話しかけてくるのかわからなかったのだろう。


「以前、ガランティアの王立修学院に進まれていたとお聞きしています。

 よろしければ、当時のお話を聞かせていただけないでしょうか」


「……何故とお聞きしても?」


 バリュエ卿は笑みを浮かべながらも、慎重に問い返してきた。

 公国から遠く離れたガランティアの修学院に興味を覚えるような貴族は滅多にいない。

 別に思惑があるのではと勘繰られたようだ。


 因みに、バリュエが在籍していたガランティアの王立修学院は、列国の教育機関の中でも最高峰と言われている学校である。

 法、農、医、数の四つの専攻があり、貴族の子弟が進学するのは数術学部だ。

 


 そも数術とは十数年前から貴族の間で流行り始めた学問で、突き詰めれば、一種の道楽であると言っていいだろう。

 数式や空間や構造を学んでいく中で感性や知性を磨き、俯瞰ふかん的に物事を眺める一助になるとして、貴族の間で奨励されるようになった。


「騎士学校の時から数術が好きだったのです。

 修学院ではどのような講義がされるのか、是非お聞きしたく……」


 バリュエ卿はちょっと考えた。


「数術が好きという事は、ボードゲームも得意ですかな?」


「はい」


「では、勝負をしませんか。勝てばいくらでも学院の話をするという事でいかがでしょう」


 ただの道楽で他国に留学させてもらえるくらいだから、バリュエ卿は家がかなりの財力を持つ。

 そのため年の離れた妹たちを持参金狙いで口説きに来るやからが多く、目的がわからずに近付いてくる相手がバリュエ卿は苦手だった。


「喜んで」



 バリュエ卿に警戒されている事はわかったが、ボードゲームをするというのであれば、ユリフォスに否やはない。


 貴族の嗜みとして幼い時分よりゲームに親しんできたし、ついでにいえばユリフォスは滅法、このボードゲームが強かった。

 本気を出せば勝負にならないのでいつも手加減しているくらいで、その相手がバリュエ卿であるというのであれば、存分に楽しめそうだ。




 二人は連れ立って社交室へと向かい、レデの盤を真ん中にして向かい合った。


「先行は君に譲ります。どうぞ」


 レデは、縦横二十四本の線で仕切られた升目に七種類の駒を置き、王を奪い合うボードゲームである。

 駒の三分の二以上を占めるのが歩兵と呼ばれる平駒で、王以外の五種類の駒を使い分けてどう陣形を組んでいくかがゲーム者の技量にかかっていた。


 夜会の合間に行なう場合は、一手に時間をかけてはならないという暗黙の了解があるため、今回の勝負も早置きとなる。

 相手が次の一手を進める前に、どこに駒を置いてくるか、置かれたら自分がどう返し、相手がどう反応するかなど、何十種類もの想定を次々に頭の中に構築していく頭脳戦だった。


 十数手を動かした時点で、「ああやはり、この人は違うな」とユリフォスは思った。

 的確にユリフォスが嫌だと思う場所に、バリュエ卿は駒を配してくる。


 時には、何故こんな所に駒を置いたのだろうと首を傾げる場面もあったが、しばらく駒を動かしていくと、このために配置されていたのかと、その意図がわかって苦笑いした。


 最初は学院の話を聞くための手段としてゲームを始めただけだったのに、いつの間にかユリフォスは夢中になっていた。

 こんな楽しい頭脳戦は未だかつて経験した事がない。


 一方、あしらうように駒で遊んでいたバリュエ卿だったが、中盤近くで、それまでの流れを断ち切るような絶妙な一手をユリフォスに打たれて、思わず顔色が変わった。

 心を落ち着けるように一つ大きな息を吐き、ジャケットの襟を整えて盤に集中する。


 互いの歩兵を取り合う凄まじい展開に、二人の周囲にはいつの間にか人が集まり始めていた。

 興味本位で覗いていた貴族たちが、複雑な展開に思わず唸り、次の一手はどうなるかと固唾を呑んで見入っている。


 周囲の雑音はユリフォスには全く気に掛らなかった。

 数式を構築していくように、何十通りもの展開が瞬時に頭の中に浮かび上がり、相手を追い詰めるための最良の一手を求めて、可能性を次々と篩い分けていく。


 黒騎士を最大限に働かせるために、右下の歩兵をどう進ませるか。中央から左下にかけての布陣は勇み過ぎたが、赤騎士の働き如何によっては戦況は十分覆せるだろう。

 ならばまず倒すのは、相手の白騎士か……。




「夕食会の準備が整いましたので、皆様こちらにお越し下さい」


 唐突に使用人の声が割って入り、盤上に集中していたユリフォスは、夢から覚めたように頭を持ち上げた。


 周囲の音が耳に戻ってきて、いつの間にかたくさんの貴族らに取り囲まれていた事に初めてユリフォスは気が付いた。


「これほど面白い勝負を見たのは久しぶりだ」


「後、二、三十手で終わるんじゃないか」


「これでお流れと言うのは全く残念だ」


 貴族らは勝負が中断された事を口々に惜しみ、けれど晩餐の席に遅れる訳にはいかないため、一人また一人と退室していく。



 やがてゲームを競った二人とバリュエ卿の友人らしい数人だけが場に残され、尚も未練がましく盤上を見つめながら、最後までやりたかったなとユリフォスは渋々立ち上がった。


 そのユリフォスに、バリュエ卿が声を掛けてきた。


「明日は何かご予定が?」


「いいえ。

 明後日まで休暇を頂いておりますので、特に予定はありません」


「では、明日、我が家に来られませんか?

 この勝負の決着をつけるために」


 思わぬ誘いにユリフォスは顔を輝かせた。


「是非とも」

 

「駒の配置は覚えてますか?」と聞かれたため、「一手目から打てます」と即答する。


「だろうと思いました」


 バリュエ卿は笑いながら頷いた。


「私も覚えています。

 明日の午前中に、迎えの馬車を差し上げます。この続きから始めましょう」

 

 周囲を取り巻いていた四、五人が、「私たちも行っていいか?」と勢い込んでバリュエ卿に尋ねていて、「来るなと言っても来るでしょうに」とバリュエ卿が苦笑する。


 どうやらこのメンバーで、明日、ボードゲームを囲む事になりそうだ。





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