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年上の従兄弟


 幼い頃から、ヴィヴィアはずっと恋をしていた。


 いつから好きになっていたのかはわからない。

 気が付けばいつも目でロベルトの姿を追うようになっていて、春の日差しにつぼみが緩やかに綻ぶように、雨に濡れた緑がより一層鮮やかさを増していくように、そんな風に自然に恋に落ちていた。


 ロベルト・フォン・アンテルノ。

 ヴィヴィアより三つ年上の、母方の従兄弟である。



 アンテルノ家は、マティス公国ではかなり名の知られた貴族だ。

 領地自体は公都からやや離れた海沿いにあり、所有する土地もさほど広い訳ではないが、アンテルノ家は何と言っても、前大公家であるクス家の流れを引いている。


 貴族社会では家が持つ歴史の長さがまず重要視されるから、前大公家にまで遡る系譜を持っているアンテルノ家は、まさに公国屈指の名門だと言えた。


 余談ではあるが、前大公家の系譜が途絶えたのは政変などではなく、消滅である。

 クス大公家は近親婚を好む家系で、そのためだんだんと正常な子供が生まれなくなっていたのだ。


 せっかく子が生まれついても夭折する場合が多く、やがて最後の大公が男子をもうけぬうちに病死して、クス家は断絶した。

 その後、前大公の姉姫の孫息子に当たるマティス卿が新たな大公に立つ事となり、ここにマティス公国が誕生した。


 さて、その数世代前に大公家から分家していたアンテルノ家は、幹となるクス家が途絶えた後も順調に血を繋いでいた。


 ただ、血の近しい者に惹かれ合うという性癖は色濃くその血に残しており、一番近いところでは、ロベルトやヴィヴィアの祖父母に当たる前当主夫妻が、従兄妹の関係で婚姻を結んでいる。


 とはいえ、結論から言えばこの婚姻は正しいものではなかった。

 

 今まで散々血族結婚を繰り返してきた家であれば、かなり血も濃くなっていたのだろう。

 祖母は結婚後早々に流産し、一度の死産を経てようやく男児を産み落とし、二番目の男児は生後三か月で夭逝、その後にもう一人女児を産み落としたが、出産まで至ったのはそれが最後だった。

 その後流産を繰り返した祖母は、最後の子を流した時にそのまま亡くなった。

 二十八歳という若さだった。


 最愛の妻を亡くした祖父は生きる気力を失い、それから数か月後に自死をしている。

 外聞を憚るため病死として届けられたが、残された二人の子は心に大きな傷を負う事となった。

 それが、ロベルトの父であるランドルフと、ヴィヴィアの母リレイラである。

 

 兄妹で身を寄せ合って大きくなった二人は、両親のそうした悲劇を知るが故にそれぞれ何の血縁もない貴族と縁を結んだ。

 新しい血が入った事で、ランドルフは二男二女に恵まれ、リレイラもまた嫡男を筆頭に三人の子どもの母となった。


 生まれた子どもたちも皆、順調に育ったが、唯一ヴィヴィアだけは幾分病弱な子どもだった。

 ちょっとした事で熱を出す事が多く、館の外に出る事はほとんどない。

 それを案じてか、アンテルノ家の従姉兄たちがよくセルダント家に遊びに来てくれていた。


 従兄弟たちはヴィヴィアの兄たちと外で遊ぶ事が多いから、ヴィヴィアはその輪には入れない。

 ただ、二人の従姉妹クラウディアとリテーヌはヴィヴィアを実の妹のように可愛がってくれたから、外遊びができなくてもヴィヴィアは全く寂しくなかった。


 月に数度、顔を見せてくれる賑やかな従兄妹たち。


 ヴィヴィアは彼らが来る日をいつも心待ちにしていたが、いつの頃からか、遠くで遊ぶロベルトの姿ばかりを、我知らず目で追うようになっていた。


 アンテルノ家特有の鮮やかな金髪が風に舞い、優しそうなはしばみ色の瞳を細めてロベルトが笑う。

 その姿を見る度に胸が引き絞られるように痛くなり、しばらく動悸がおさまらなかった。


 どうしてロベルトにだけ視線が向かうのか、ヴィヴィアにはわからない。

 ただ会う度にどうしようもなく心が乱れ、何でもない振りを装うのがだんだんと難しくなった。


 自分の姉たちにはいつも面倒くさそうに返事をするロベルトも、ヴィヴィアにだけは優しかったように思う。


 家を訪れると、ロベルトはまずヴィヴィアの額に手を当てて熱を確かめてきて、ロベルトの指がそっと自分に触れるだけでヴィヴィアの心臓はことりと跳ねた。


 同じ事を自分の弟がしようとするとロベルトはあからさまに嫌がって、するとまるで自分がロベルトの特別な存在であるように感じられて、ヴィヴィアはとても嬉しかった。

 

 幼い恋だったと自分でも思う。

 けれどヴィヴィアにとっては、これ以上ないほど真剣な恋だった。



 やがてロベルトは十二となり、騎士学校へ進むために家を出る事になった。


 寮に入る前、ロベルトはいつものようにセルダント家を訪れたが、泣きそうな目で自分をじっと見つめているヴィヴィアに気付くと、そっと物陰にヴィヴィアを引っ張っていった。


「卒業したら、また会えるから」


 その言葉に、ヴィヴィアは堪え切れずに涙をひとしずく零した。

 長期休暇もある筈なのに、ロベルトは会いに来るとは言ってくれない。結局、恋しく思っているのはヴィヴィアだけで、ロベルトにとって自分はその程度の存在なのだ。


「ロベルト兄さまも、どうかお元気で」


 ありったけの慕わしさを込めて、ヴィヴィアはそう言葉を絞り出した。

 尚も溢れそうになる涙を必死に堪え、嗚咽を喉の奥に噛み殺す。


 と、ロベルトが不意に身を屈め、ヴィヴィアの体を強く抱きしめてきた。


「ヴィヴィアも体に気を付けて」


 一瞬、自分の身に何が起こったのかわからなかった。

 凍り付いている間にロベルトはすぐに抱擁を解き、そのまま立ち尽くすヴィヴィアを置いて遠ざかってしまった。



 そのまま言葉を交わす事のないままロベルトはセルダント家を辞してしまい、深い物思いに沈んでいたヴィヴィアは、その晩、母の部屋に呼ばれた。


 あの抱擁を見られていた訳ではなかったが、ロベルトを見る度に頬を上気させる娘に母はとうに気付いていて、ロベルトの騎士学校入学を機に、ヴィヴィアにきちんと現実をわからせようと思い立ったようだ。


 貴女とロベルトが結婚する事は許されないのと、母ははっきりとヴィヴィアに告げた。


 貴女たちは血が濃すぎるの。

 もし、貴女がロベルトと結婚しても、アンテルノ家の嫡子をもうける事は叶わないでしょう。

 血筋を繋ぐのはロベルトの義務で、その義務から逃れる事はロベルトには許されていないわ。


 

 ヴィヴィアはまだ九つで、血族結婚の恐ろしさなど考えた事もなかった。

 けれど、滅びたクス大公家の話や祖父母の事を聞かされて、自分がロベルトにとってどういう存在であるのかをまざまざと思い知らされた。


 自分はロベルトに近付いてはならない人間なのだ。

 どれほどロベルトが恋しくても、この恋だけは諦めなければならない。

 


 ヴィヴィアの想いは母から父や兄たちにも伝えられたのだろう。

 ロベルトと共に騎士学校に入学した兄のセイシルは、帰省しても不自然なほどロベルトの話を避けるようになり、ロベルトがどのように日々を過ごしているのかさえ、ヴィヴィアにはわからなくなった。

 それは、姉のように慕っていた二人の従姉妹も同様で、たまにセルダント家を訪問してくれても、ロベルトの話だけは決してしない。


 誰もが、ヴィヴィアとロベルトが親しくなる事を恐れていた。


 ヴィヴィアは想いを封印したまま時を過ごし、ロベルトが騎士学校を卒業し、アンテルノ家が持っている別の爵位、ジュベル卿の名を継いだ時も、ヴィヴィアがその宴席に呼ばれる事はなかった。


 ロベルト自身がセルダント家を訪れる事もなく、そうして色のない時間だけがヴィヴィアの上に降り積もった。



 やがてヴィヴィアは社交デビューの日を迎え、ヴィヴィアを溺愛する両親はその準備のために奔走した。


 出席するのは、大公家主催のデビュタントたちのための舞踏会だ。

 この舞踏会でヴィヴィアは貴族社会にお披露目され、縁を繋ぐ相手を見つけていく事になるのだろう。


 人形のようにほっそりと可憐なヴィヴィアに用意されたのは、薄いブルーのシフォンドレスだった。

 透明感があり、ふんわりと優しい質感で、ヴィヴィアの清楚な愛らしさを余すところなく引き立てる。

 襟ぐりは開いているが、胸元はきちんと隠されていて、締め上げられたウエスト部分からスカートがふわりと広がった。


 ヴィヴィアは鏡に映る自分の姿を、物珍しいものを見るようにじっと見つめた。

 ちょっと体を斜めにすると、光沢を放つ金の巻き毛が白い背にゆったりと流れているのが見える。

 以前は完全に結い上げる髪型が主流だったが、今どきのデビュタントの娘たちはその髪質の豊かさを見せつけるように軽く結い上げた髪を背に流すのだ。


 この姿を一番に見て欲しい人の名前がふと心に思い浮かび、ヴィヴィアは慌てて頭を振り払った。

 最後に会ってから、もう五年近くが経っている。

 懐かしい面影は少しずつ記憶から薄れていって、息もできないほどの胸の痛みはいつの間にかなくなっていた。


 ロベルトとの時間は優しい思い出として、今もヴィヴィアの心に息づいている。

 従兄妹の関係である限り、自分たちの縁が切れる事はないのだから、いつの日かロベルトとも何の屈託もなく笑える日が来るのかもしれないとヴィヴィアはぼんやりとそう思った。




 その日開かれた大公家主催の舞踏会は、大層華やかなものだった。


 ヴィヴィアは父に連れられて大公夫妻の許に挨拶に向かい、お言葉を頂いた。

 その後は父、次いで兄とダンスを披露し、すぐに大勢の貴公子たちに取り囲まれて、請われるままにダンスを踊る事になった。


 大公家が主催しているだけあって、招待客は相応の身分を持つ者ばかりだ。

 告げられた名をきちんと心に刻んで、目を見つめ合い、リードされるままにヴィヴィアは軽やかにステップを踏んだ。


 幼い頃からダンスに親しんでいた体は、意識しなくても次のステップへと体が動く。軽やかにターンをすれば、ブルーのシフォンドレスが羽のようにふわりと舞った。


 二言三言、言葉を交わし、けれどどの相手との会話も心に残らぬまま、ヴィヴィアは差し出された次の相手の手を取っていく。

 何も考えずに、ダンスに身を任せるのは楽しかった。

 透き通るような白い肌は僅かに上気して、柔らかく小さな口元が楽しそうに弧を描くと、相手の青年貴族が顔を赤くした。


 十曲近く踊った後、ヴィヴィアは疲れを覚えてダンスの輪から遠ざかった。

 ついて来ようとする青年をやんわりと断り、知り合いを見つけた振りをして、目立たぬようにホールの端へ移動する。

 父や兄たちの姿を探したが見つからず、人に話しかけられるのが煩わしかったヴィヴィアは、庭に面したバルコニーの方へ足を向けた。



 きらびやかな世界に足を踏み入れた興奮が、まだ体を包んでいる。


 身体を冷まそうと、手すりにそっと身をもたせかけた時だった。

 ふと誰かがこちらに近付いてくる気配がして、ヴィヴィアは何気なく後ろを振り返った。


「ヴィヴィア」

 

 その瞬間、ヴィヴィアの時間ときが凍り付いた気がした。


 濃紺のジャケットをすっきりと着こなした端正な面差しの青年が真っ直ぐに自分を見つめていて、ヴィヴィアにはすぐそれがロベルトだと分かった。


 ヴィヴィアは喘ぐように息をついた。

 五年ぶりに会うロベルトは随分と背も高くなっていて、すらりとしたその精悍な姿に胸が締め付けられる。

 言葉もなくただ立ち竦むヴィヴィアを柔らかな目で見下ろして、ロベルトは静かに口を開いた。


「美しくなったね」


 その声音はヴィヴィアへの紛れもない賛辞と歓びに満ちていて、けれどそれだけではない、どこか鬱屈としたほの暗さを内包していた。


「会えない間にこんなに美しく成長するとは思っていなかった」


「ロベルト兄さまこそ、随分変わったわ」


 震える声でヴィヴィアはようやくそう返した。


 熱を帯びたはしばみ色の瞳に絡めとられたように、ヴィヴィアはロベルトから目が離せない。


 最後に会った頃はまだ少年のあどけなさも残していたのに、今のロベルトは肩幅も広く、腰の辺りも引き締まって、力に溢れた大人の男性を思わせた。

 きっと今のロベルトなら、ヴィヴィアの華奢な体など軽々と抱き運べるのだろう。


「まだ、兄さまと呼ぶの?」


 面白がるようにそう問われて、ヴィヴィアは混乱するままに首を振った。


「…ジュベル卿とお呼びした方が?」


「その言い方は好きじゃないな。ロベルトと呼んでくれ」


 名を呼ぶなどまるで恋人同士のようだと思い、ヴィヴィはどう答える事も出来ないまま曖昧な笑みを浮かべた。


 母の言葉が今更のように脳裏に蘇る。


 ロベルトに近付いては駄目よ。

 近付けば貴女が傷付くわ。貴女がロベルトに渡せるものは何もないのだから。


 立ち去らなければとヴィヴィアは思った。

 これ以上一緒にいれば想いが募るばかりで、それはきっとロベルトの望むところではないだろう。


「急にホールから離れたから、お父さまたちがきっと心配しているわ。

 もう戻らなくては」


 何でもない事のように微笑みかけて、ヴィヴィアはロベルトの脇を通り抜けた。

 そのままホールに戻ろうとしていた時、黙って後姿を見送っていたロベルトが不意に声をかけてきた。


「……君には近付くなと父に言われた」


 ヴィヴィアは大きく息を呑んだ。

 自分の淡い恋は、勿論伯父にも知られていた筈だ。

 けれどその事実を慕う相手から改めて口にされると、身を切られるように辛かった。

 

「それはいつ…?」


 ロベルトに背を向けたまま、ヴィヴィアは小さな声で問いかける。


「騎士学校に入る前だ。

 いい機会だから距離を置けと。休暇中も決して会うなとそう言われた」


「そう…でしたの」


『卒業したらまた会えるから』

 あの言葉を口にした時、ロベルトはもうヴィヴィアの想いを知らされていて、縁を断つ事を決めていたのだろう。


「では兄さまも、こんな風にわたくしに話しかけたらいけないわ」


 強張った顔に笑みを無理やり張り付けて、ヴィヴィアはゆっくりとロベルトを振り返った。


「そうだね」とロベルトは頷いた。


「君の言う通りだ。

 多分、こんな風に君を追うべきじゃなかった」


 ロベルトはそのまま黙り込んでしまい、ヴィヴィアもどう返してよいものかわからず、惑うままに視線を床に落とした。


 ホールに戻るべきだとわかっていたが、この場を立ち去ればもう二度と二人きりで会う機会はないと思えば、どうしてもその一歩が踏み出せない。


 そのまま立ち尽くしていると、ホールの方から誰かが慌ただしくやってくる音が近付いてきて、見れば兄のセイシルが焦ったようにこちらにやって来るところだった。


「ヴィヴィア、探した」


 やや息を弾ませて近付いてきたセイシルは、声を掛けた後でヴィヴィアの陰になっていたロベルトの姿に気付いたらしい。

 一瞬、眉がそれとわかるほどに潜められた。


「こんなところで何をしている」


 セイシルの問いにロベルトは軽く肩を竦めた。


「彼女が余りきれいだったから、つい声を掛けた。


 大した話はしていない。

 父からヴィヴィアに近付くなと言われている事もきちんと伝えた」


 セイシルは苦虫を噛み潰したような顔になった。


「わざわざ馬鹿正直に言う事はないだろうが」


 そしてロベルトの肩を軽く小突く。


「ほら、お前はさっさとホールに戻れ。

 お前の姿を令嬢たちが探していたぞ」


 ロベルトはややうんざりとホールの方に目をやり、それから諦めたように「了解」と呟いた。

 そしてヴィヴィアにはもう目をくれる事なく、そのまま場を後にする。


 去って行くその後姿を見送るともなく見送って、セイシルはようやくヴィヴィアに向き直った。


「ヴィヴィア、お披露目は済んだ。館に帰るぞ」







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