第二十二話 「最後の試練」
「アレンくんとカレンが攫われた!?」
「……アァ」
ケイが今聞いたことをそっくりそのままオウム返しで尋ねると。
血の通っていない緑鳥はゆっくりと首を曲げて頷いた。
「冗談だよね?」
もちろんそんなことは信じられない。
グリゴールとミロシュも口々にありえないと言っている。
なぜか妖精に当たりの強いミロシュは「つまらない嘘を吐くなら焼き鳥にする」とまで言って杖の先に火を灯した。
「嘘じゃない、本当ダ。二人揃って連行されたんダ」
「だって、カレンはともかくアレンくんがそう簡単に捕まるわけが……あっ」
「そういうことダ」
「カレンちゃんが人質にされたってワケねぇん」
「迂闊」
それならば仕方がない。
伝説の不死者の弱点が義理の娘だというのは周知の事実である。カレンのためなら世界の半分を焦土にし、空に浮かぶ月を真っ二つに割ることだって躊躇わない、などと嘘か本気か見分けのつかない物騒なことも言っていた。
とにかくアレンにとっては自身の命よりも世界の命運よりもカレンが大事だ。
それが人質にされたとなっては無抵抗で従う他なかったのだろう。
「それで二人はどこに連れて行かれたの? 誰がそんなことを?」
「奴らは親衛隊を名乗ってたナ。我らの王がお呼びだとかなんとか言ってやがったゼ。それで二人を首都の方へ連れて行っタ」
「てことは……」
人族最大の仇敵たる魔人の総本山――魔王城。
数多の御伽話で毎度お決まりのように姫君が囚われる地に二人はいる。もっとも、実際は王族が人質として捕らえられたことなど歴史上で三度とないのだが。
兎にも角にも十中八九メーテウス親子は魔王城へと招待された。
「どうするのよぉん?」
「もちろん今すぐ二人を助けにいくよ」
「オレはどうすル? 魔王城まで案内するカ?」
「ラクサくんはロジャーを呼びにいってくれる? 弟子の晴れ舞台だって言えばたぶん来てくれるから」
「分かっタ」
ケイはリーダーに相応しい判断力で誰に相談することもなく即座に決定し、二人もそれを受け入れた。
「それじゃ行くわよぉん!」
そうと決まれば話は早い。
グリゴールが長く太い腕を広げてケイとミロシュを脇に抱え、黒々として威圧感のある翼を広げた。
バサリバサリと豪快な音を出して羽ばたき飛翔。
ぐんぐんと地面が離れて草木が小さくなっていく。
形を変えて流れる雲と同じ高度まで昇って、熱くなりかけた頭を冷やしてくれるように空気が冷たくなった。
「今日中に着くわよ! ミロシュ、追い風をちょうだい」
「ん」
少しでも速度を上げるために壺を大事に抱えるミロシュに魔法を唱えてもらう。
「うわっ!?」
「ちょっと強すぎるんじゃない? けどまぁいいわ、二人共しっかり掴まってるのよ! 飛ばすわよぉん!!」
足の裏から服と皮を剥ぎ取るような強風が吹きつける。グリゴールが羽ばたきの回転数を上げる。
地上近くを飛んで得物を探す蝶に似た魔獣を追い越し、彼方で火を吐きながら悠々と舞う竜を尻目にし。
三人は今、風よりは遥かに迅く音にも迫る速度で雲を貫いている!
そうして休むことなく飛び続け、日が地平線の下へ隠れてしばらくしてから営みの光が目に入った。
一つ見つけたと思えば新たに十見つかり、十見つけたと思えば新たに百見つかり。
すぐにそれが魔界の首都ヴィルタニアに住まう人々のものであると分かった。
「大都市ねぇん」
「想像以上」
「……だね」
なんて大きな街なんだろう。
中央大陸でもここまでの都市は見たことがない。人族より魔人の方がよほど素晴らしい国を作っているじゃないか。
などとお偉いさんに聞かれたら勇者の称号を剥奪された上で国際指名手配されそうな思いを抱いたが口には出さなかった。すぐ別のものが目に入ったからだ。
「山……じゃないよね?」
「そうねぇん……」
初めは暗闇にうっすらと浮かぶ巨大な影がただの山に見えた。都市のど真ん中に山がそびえ立っているんだなと思った。
しかしよく見ると山にしては人工的な角や円が無数にあり。節々から青や赤、紫色の妖しい光を漏らしていて。
まるで闇の奥深くからこの世界に侵入してきた異界の怪物のようにさえ見えてしまった。
「これが……魔王城……」
「緊張してるのケイ? アタイはもちろんしてるわよぉん」
ミロシュはなんとも思ってないでしょうけど、と苦笑して付け加えた。するとミロシュが当たり前と鼻で笑った。
きっとグリゴールは緊張をほぐそうとしてくれたのだろう。
だからそれ以上は何も言わずに無言で飛んでいた。
「到着、よぉん!」
グリゴールが羽ばたきの回転数を下げ、ほとんど衝撃もなくふわりと着地した。
そこは城の真正面。一般的な人族の城よりは一回りも二回りも大きい門と扉の間に不法侵入した。
もちろん今は夜なので、人を喰らう巨大な怪物の口は固く閉じられている。
どういうわけか番をする者もいなかった。
「こんばんはー」
なのでちょっとふざけてノックをしてみる。……と、
「えっ」
「あらやだ」
開いた。
竜の火炎を難なく防ぎそうな重厚な扉が音もなく開かれて、中から強めの光が放流される。
「あ、えっと……お邪魔します」
砦を三つ収容できるような馬鹿げた広さのエントランスに。
扉のそばから奥に見える階段まで、揃いの制服を着た大小さまざまな魔人がズラリと整列して道を作っていた。
無数の力強い瞳が三人を見つめる。
「勇者御一行様ですね? 我が王の元へ案内いたします。どうぞこちらへ」
扉が開いた時から三人の前に立ち塞がっている紳士然とした魔人に案内され、警戒しながらもその背を追った。
広く長い廊下を歩いて階段を上り、また広く長い廊下を歩いて階段を上るのを何度か繰り返し。
この城には人の国と同じようにいくつも省や部門があって正しく組織されていることが分かった。
そして七階まで上って少し歩いて。
威圧感のある赤々とした扉の前で案内人が足を止めて脇にどいた。
「この先で待っておられます。勇者様御自身の手でお開けください」
「あ、はい。ありがとうございます」
では私はこれで、と。
ここまで無言で案内してくれた魔人は軽くお辞儀をして、来た道を帰って行った。
その足音が遠くなってから、ふぅーっと大きめの息が堪え切れなくなって溢れ出す。
「大丈夫ぅ? アナタの好きな時に開けていいわよぉん」
「集中して」
「……うん、大丈夫」
いずれにせよノヴァク討伐の許可を貰いに謁見するつもりではあったので、それが少し早まっただけ。ついでにアレンとカレンを解放しろという要求が増えただけだ。
覚悟は、できている。
「いくよ――」
意を決して真っ赤な扉に付けられた金の取っ手を掴んで押す。
何の抵抗もなくすんなりと開いた。
「広いわね。それに綺麗ねぇん……」
「ここ本当に城の中だよね?」
「無駄に広大」
扉の向こうにあったのは今日行ったばかりの迷宮最下層と似た円柱の部屋だ。ただしあの迷宮と同様に部屋と呼ぶには広すぎる。
唯一の違いはと言えば……天井から床に至るまでの全面が、零れた血が映えるような純白で染められていることくらい。
もちろん黒い球体が三つ置かれてはいない。しかしその代わりと言うべきか、部屋の中央に黒い人影がポツンと佇んでいた。
「あれが魔王かしら?」
「置物、じゃないよね?」
「試しに撃つ?」
「だからそういうのはだめだって!」
非現実的な白の中を真っ直ぐ進み、ある程度の距離まで近づいてから「すみません」と声をかけた。
その者は吸い込まれるような漆黒のマントで身を包み、黒光りする不気味な仮面で頭を覆い隠しているので男か女かも分からない。
耳を澄ませば「コーホー」という呼吸音が聞こえてくるので置物ではなく生ものであることだけはたしかだ。
「待ち侘びたぞ」
黒い影が答えた。
仮面越しに話すのでくぐもってはいるが、間違いなく聞き覚えのある声だった。
「えっと、アレンくん……だよね? ここで何してるの?」
「俺はアレンではない。魔王様の右腕アクライン・ランドランナーだ」
「え?」
「つまらない冗談はよしてちょうだい。それよりカレンは? 無事よねぇん?」
「そのような者は知らんな」
黒装束の男はあくまで己はアクラインだという姿勢を崩さない。
「貴様らが魔王様の御前に立つに相応しきかどうか、見定めさせてもらおう。では、いくぞ」
「何言ってるのアレンくん? そのふざけた仮面を外――」
ケイが一足歩み寄った時、アクラインはすでに間合いに潜り込んでいた。
漆黒のマントから拳が繰り出される。
「くッ!?」
咄嗟の判断でリターンエースを抜いて防ぐ。
強力な拳を剣の腹で受けてミロシュとグリゴールの後ろまで押し飛ばされた。
剣を握っている手が痺れる。
(……本気だ)
拳を受けた瞬間、飽魔銀よりも硬い戦神鋼で作られた剣身がしなったのをこの目で見た。
防御せずに食らっていたら間違いなく頭と体が離れていた。
一年前の自分だったら今のは防げなかった。
アレンは自分達を本気で殺すつもりだ。
「ミィ! グゥ!」
名前を呼ばれるまでもなくミロシュは後方に下がり、グリゴールはケイの横に並んで一番慣れた戦闘隊形を取る。
アレンが本気で戦うつもりだということに二人も気付いているようだ。
「ようやく覚悟が決まったか」
「アナタもしかして、カレンちゃんを人質に取られて戦わされているんじゃ……」
「カレンとやらは知らんが断じて戦わされてなどいない」
グリゴールが疑問を代弁してくれたが、どうやら無理やり戦わされているわけではないらしい。
だったら自らの意思で自分達を殺そうとしていることになるが、どうして……?
「うむ、最後にこれだけは言っておこうか。何を隠そう俺は不死身の身体を持っていてな。日に二度蘇ることができる。魔王様にお目通りしたくばこの俺を三度殺して進め! でなければここで果てるがいい!」
そこまで言われてやっと、以前アレンが言っていたことを思い出せた。
『一年後に俺の求める水準に達していなかった場合、問答無用でぶっ飛ばして帰らせる』
つまりはそういうことだ。
これは自分達に魔王とノヴァクに挑む力が備わっているかどうかを見極める最後の試練だ。
「――《常勝己リュ「待ってミィ! それはまだ使わないで」
「何故。理解できない」
「どれだけ強くなれたか。今のわたしがどれだけ通用するかを試させて!」
「アタイ達の成長っぷり、アレンちゃんにタァーップリ見せてあげるわよぉん!」
「あそう。なら私は見てるから。さっさと終わらせて」
ミロシュが呆れた顔をして距離を置く。
「愚か者め、素直に三人でかかってくればいいものを……。だがこれもまた一興か、貴様らの試みに付き合ってやる――」
一際コーホーと大きな呼吸音を立て、かつて最強の名を恣にした男が床を強く踏みつけた。
空気が震える。
肌がひりつく。
マントと仮面に覆われていようとその迫力は隠し切れない。
「――まずはこの拳で叩きのめしてくれようッ!」




