第十八話 「約束」
──棄権する。
その言葉を聞いた誰もが声を失った。
五十万の観客がいるとは思えない静けさだ。
『えぇと、ラファーダル選手? 本当に棄権されるのでしょうか?』
「背に腹は変えらんねえ。俺は棄権する」
それ以上は何も語らず俺の手からカツラを取って、観客に手も振らずさっさと出口に向かっていく。
『わ、分かりました。……と、いうことで第三千八百七回ゼンフトゥ武闘大会優勝はァー……! ケイ、グリゴール、アレン選手の勇者チームだぁぁあアーッッ!!』
実況がどうにかして盛り上げようと声を張り上げても乗ってくれる者は一人もおらず。
「きたねーぞテメェーッ!」
誰が言い出したか、異なる場所で同時に発生したかは問題ではない。
一が十となり、十が百となり、百が千となり、千が万となり。
「最後まで正々堂々殺し合えーッ!!」
「ビビってんじゃねえぞコラァ!!」
「こんな決着認められるか!! 再戦しろーッ!!」
『加齢臭がここまで臭うわい! もう一回封印されろーッ!!』
「ぶっ殺すぞ租チン野郎ーッ!!」
罵詈雑言誹謗中傷殺害予告の雨あられが降りかかってくる。
さらに魔人が口にする「お前を抹殺する」は大概冗談でも脅し文句でもない。
それを示すように殺意漲る十数万の観客が最前列へと押し寄せて膨らんでいた。将たる戦災龍が号令を出すかどこかで縁が壊れでもしたらそこから雪崩れ込んでくるだろう。
お前だけは生かして帰さないという強い意思がひしひしと伝わってくる。
「アレンくん、これはちょっとマズくない?」
「少しの間、グリゴールを連れて離れていてくれ」
「何か考えがあるの?」
「まぁね」
ケイはそれ以上何も聞かずにグリゴールを抱えて隅へ。
『皆さん落ち着いてください! まずは先に表彰式を……アレン選手? どうして服を脱いでいるんですか?』
『ちょいと、登山の予定があることを思い出したのでワシはこの辺りで。ではまた来年』
『え? あ、はい。お疲れさまでした!』
魔人側の最大戦力であるペラペラおじさんは一方的に言い残してからヒトの姿のまま翼を生やして飛翔し、あっという間に雲の彼方へ消えた。勘のいい奴め。
……どれ、いっちょやるかな。
「者共ォ! よーく聞けィ! 君達外野がなんと言おうとラファーダルは敗北を認め、我々は勝利した! これは決して覆すことのできない事実であーるッ!!」
闘技場の外にまで聞こえるほど声を大にして、軽く煽る。
当然皆さんの怒気怒気がかさ増しした。
溢れ出てしまう前にさっさと本題へ。
「しかぁし! それでは納得できないのもよぉく分かる! ……なーのーでッ! これよりッ! 観客参加型の特別試合を執り行う!!」
大いなる怒りの渦に困惑が流入してざわめいた。
大方このまま戦わずに逃げる小賢しい人族だとでも決めつけていたのだろう。
だが、勘違いしてもらっては困る。たしかに戦略的撤退が得意ではあるが、
「ルールは何でもありだ!! 千人でも万人でも死にたいヤツは立ち向かってくるがいい! この俺様を討ち取るか封じることができたのなら、王の座をかけて再びラファーダルと戦おう。今度こそ生きるか死ぬかの死合を遂げてみせよう!」
俺は俺より弱いヤツには決して背を向けぬわ!!
「――《我々ト同化セヨ》」
あの野郎に押し付けられた外なる世界の言葉、この世界の理から外れた秘法を唱えると。
虚空より無機質な、温かくも冷たくもない黒い靄が溢れ出てこの身を覆い隠す。
上も下も分からない闇の中であっという間に身体の構造が組み替えられていく。骨の髄の細胞から、ヒトとはかけ離れたものになってゆく。
その全てが完了し靄が晴れた時、視える景色はやはりヒトの時とは異なっていた。……と同時にぎょっという悲鳴のような大量の喚声を、俺自身でも位置を正しく把握できていない聴覚器官が感じ取った。
『ア、アレン選手っ!? その姿は!?』
少し前に喰らった巨大サソリと超巨大ミミズを組み合わせ、ついでに竜の翼を生やした貌を見た誰もが動転した。
陸上戦艦とでも言うべきこの姿を見ただけで、はちきれんばかりに詰まっていた魔人の大多数が引き下がった。
それでもまだ、優に千を超える数の命知らずが縁に張り付いている。
ならばこうだ。
「――《掌念爆砕》」
怪物ミミズのふざけた体積の肉体を破裂させて舞台一面にまき散らし、いくらかの肉片に浮遊の魔法をかけて半球に散りばめ、
『アレン選手、一体何をしようと……?』
「――《掌念爆砕》ッ!」
再び唱えて観客席に近い肉片をまとめて爆破した。
直接被害は出ないよう威力を抑えたが、音と風圧で恐ろしさのほどは感じ取れたであろう。
これこそが悪名高き「小死滅帯」だ。
戦地で使おうものなら向こう三十年間は公共の敵扱いされる非人道的奥義である。
「もう一度言うぞ? 死にたいヤツからかかって来い!」
爆破による砂煙が鎮まった時、最前列の縁から身を乗り出す者は一人もおらず。
「うむ、賢明だ!」
それもそうだ。いくら魔人が命知らずの戦闘種族だとはいえ。
穴蔵から出て稲妻と雹の降り注ぐ荒れ地に立ち、舗装された道を踏まずに底なし沼を渡り、雲の上から崖の下に叩き落とされたい、などと真に望む愚か者がどこにいよう。
死にたがりと自殺志願者は似て非なるものなのだ。
「――《掌念爆砕》ッッ!!」
使わずに済んだ肉片を全て空に打ち上げ、花火代わりにまとめて爆破した。
あかくさきほこるはなのようで、われながらとてもきれいだった。
きっとみんなのわすれられないおもいでになるだろう。
♦︎♦︎♦︎
「それじゃ皆さん揃ったことですし、始めましょうか」
それは大会が終わって三日と経たずして。
誰の心にもあの激闘がまだ鮮明に残っているうちに。
この都市で最も高い塔の最上階に置かれた、正方形の会議卓を挟んで我々は顔を合わせた。
対面には元絶対王者、右には人族の希望、そして左には自分の領地をほったらかしにしている情報通おじさん。
「――で、誰が今から“一年間”俺の代わりをするんだ?」
開口一番、ラファーダルが瞳の奥を燃え上がらせて尋ねた。
やけに含みを持った言い方である。来年は絶対に出場しないでおこう。
「四将の席にはこのまま君が座っていてくれ。それでいいよなケイ、グリゴール?」
「うん」
「構わないわよぉん」
「あ? そりゃあどうして」
「どうせロジャーから聞いているだろうが、俺たちは魔界を乗っ取りに来たわけでもましてや滅ぼしに来たわけでもない。ノヴァクとかいう野郎と話し合いに来たんだ」
そもそも勇者様を魔界の要職に就けるわけにいかないだろうが。
そんなことしたら何もかも俺のせいにされて向こう百年間は日の下を出歩けなくなるっての。
「代わりと言っちゃあなんだが、ノヴァクとの話し合いに口出しはしないでくれるか?」
「あー、そういうことか! ったりめえよ! なんなら俺もロジャーと加勢してやりてえくらいだ!」
「ワシも同意見じゃよ」
最優先事項の不干渉はすんなり確約できたが、やはり共闘とまでいかないか。
魔王の許可なく四将同士の私闘ができないよう契約を結ぶのがここ四千年の通例となっているため、仕方のないことではある。
……まぁ、その通例を創めたのは俺なんだけど。
「はぁー……」
「どうしたのアレンくん?」
本題があっさりと終了した脱力感も相まって机に突っ伏すと。
すかさずケイが心配そうに声をかけてくれた。
「過去の俺が今の俺を苦しめているようなことばかりだなぁ……と」
「そりゃ、おヌシは良きも悪しきも刻み続けてきたからの。どうせ千年封印されていたってのも自業自得じゃろうて」
「国をまるごと一つ消したんじゃねーカ?」
「一つですむわけないじゃん。絶対三つはやってるわよ!」
「大量殺戮。百万人はくだらない」
先の大会で仲間を守るためなら手段を選ばない気高き精神性を魅せたはずなのに、誰も擁護してくれないどころか俺が悪事を働いたという前提で盛り上がっていく。
息苦しいとはこのことよ。生き苦しいとも言う。
「あーもう黙れ黙れ! その辺りで止めてくれ! それよりもロジャー! ラファーダル! 君らの同僚について詳しく話をしてくれ、詳しくだ!」
「おう、まかせろ!」
「もうちっとつつきたいところじゃったが、まぁよいか」
当代の四将は歴代屈指の強さを誇ると恐れられている。四将が足並み揃えて総攻撃を仕掛けてくれば人族になす術はないと言われているほどに。
もっとも、うち一人はすでにケイ達に撃破されているのだが、残りの三人が三人とも歴代の魔王と同等以上の力があるという。
「では、語るとしよう。多少後味の悪い話になるじゃろうから覚悟しておくがよい。あの男はの――」
殺し合いの最中でも緩んだ顔をしている二人が、今回ばかりは硬く重苦しい顔をして紡いでいく。
「――皮だけが残されていた……とな。これらがワシの知る全てじゃよ」
小一時間の長話が終わって。
「ご苦労」
沈黙――。
俺に続いて声を発する者は無し。
話が長かったせいで皆が眠ってしまったわけではない。口を開けられないほど空気がとてつもなく重いのだ。
それもそのはず、二人が語ったものは英雄譚などとは真逆に位置する、怪談とでも言うべきおどろおどろしい内容だったからだ。
曰く、ノヴァク・グルテンムリーは四将であると同時に権威ある生物学者として、日夜怪しい人体実験に励んでいると。
曰く、ノヴァクは魔人のくせに手段を選ばない、合理的で冷酷な人族じみた精神構造をしていると。
曰く、野郎は不死身の化け物だと。
「ところで二人はさ、ノヴァクとタイマンしたら勝てる? ルールは何でもアリ」
「あー、こことか青土の多い場所でやったらたぶん勝てるぜ。それ以外だったらキビシイけどな」
「勝てる勝てないは置いといて彼奴とはやりたくないのう。おヌシとやりたくないのと同じ理由で」
「一応聞いとくけど、ケイ達三人がノヴァクとやることになったとして、勝率はどの程度だ?」
「日頃の行いが良ければ、その場で楽に死ねるじゃろうな」
少なくともロジャーの送り込んだ者は皆、魂を抜かれたようになるか文字通り中身を抜かれて帰ってきたという。
「そういうわけで勇者様、今回ばかりは「――帰らない」
小娘は年長者の言葉を最後まで聞かずに遮った。
どうせそう言うだろうなとは予想していたが、頭を搔かずにはいられない。
「……二人からも言ってやれ」
「悪いわねぇん、アタイはいつだってケイの味方よぉん」
「右に同じく」
三人が三人とも、確固たるケツイをキメた目でこちらを見つめる。
己の力量も計れんガキ共が……。
「自分の立場を理解していないようだから教えてやろう。いいか? 勇者ってのはただの称号やお飾りじゃない。人族の象徴であり希望なんだ」
弱き人々にとっては勇者の存在そのものが生きる糧となる。
傷付き苦難に苛まれようといつか勇者様が救ってくださる世界を変えてくださる、ならばそれまで頑張ろう。……と、前を向いて生きてゆけるのだ。
「お前らはまだ若い。生きてさえいればこの先数十年と世界を飛び回って何千何万と救うことができる。だが死んでしまえば救える人も救えなくなっちまうんだ。ここで無駄死にするのは大勢を殺すのと変わらない。分かるだろう?」
ケイが目を伏せる。
そうだ、よく噛み締めて考え直せ。
その命はもう自分一人だけのものじゃない。
「……うん、そうだね」
「理解してくれたか? 中央大陸まではロジャーの背に乗って帰るといい。世界一安全な交通機関だ」
「アレンくんの言うことは全部正しいよ。でも、ここで帰ったらわたしは一生後悔する。そのせいで救える人も救えなくなっちゃう……かも」
「ねぇアレン。ケイはあたしよりも頑固だよ。もう諦めたら……?」
なんなんだよもぉおおおおおおおお!!
明後日の予定すら間違えるくせにどうしてこういう時だけ弁が立つんだよぉおおおおお!!
カレンまでそっちの味方をするなよぉおおおおおおおおお!!
「フゥーーー…………っっ」
一年に一度あるかないかの大きな溜息が腹の底から吐き出された。
あーもう知らん知らん、好きにしろ。
だけど俺は止めたからな。
勇者一行の腸詰めが各国首脳に贈与されてもアレン・メーテウスのせいにするんじゃねえぞ。
「おいロジャー」
「なんだ」
「ケイとミロシュを鍛え上げろ。それで貸しを半分チャラにしてやる」
「それはまたとない申し出だが、ワシの修行は厳しいぞ?」
「ついてこれないようなら殺して構わん。それとラファーダル」
「おう」
「グリゴールを弟子にしてやってくれないか?」
「そうしたいのはやまやまなんだけどなー、こう見えてかなーり忙しいんだよなー」
「もちろんただでとは言わん。知り合いのドゥーマンに頼んで最高級のカツラを作らせよう」
「まかせときなァ! 俺の次に強い漢にしてやるぜ!!」
というわけで、とんとん拍子で話が進み勇者一行は四将の弟子になりましたとさ。
展開の速さに追いつけていない三人にさらなる追い打ちをかける。
「一年だ。一年後に俺の求める水準に達していなかった場合、問答無用でぶっ飛ばして帰らせる。二度と魔界の土を踏まないと契約させて、だ」
「……っ」
「せいぜい強くなるんだな――」
♦♦♦
「もう三日経つよね」
「あぁ」
ケイとミロシュはロジャーの本拠地である《竜哭き峰》に連れていかれ、グリゴールはラファーダルの故郷であるマヒルカ島へ帰省した。
今頃は少なからず弱音を吐いているだろう。
対して俺達は優雅に魔界観光を楽しんでいる。
「あたしたち、遊んでていいのかな」
カレンがぼそっと声を漏らした。
厳しい修行にもがき苦しむ三人のことを考えているのか、この都市で流行りの化粧を施し、伝統衣装の青赤のマントを羽織り、指の間に串焼きを二本ずつの計十六本挟みながらもばつが悪そうに俯いている。
「アレンもいいの? 何もしなくて」
「いいのいいの。今は頭を空っぽにしてケイ達の分まで楽しみなさい」
「そうだぜ嬢ちゃン。休むのも大事ダ」
「……うん」
俺は彼らのような天才ではないので、一年ぽっち修行した程度で劇的に強くなったりはしない。そんなことよりも今はいつか去ってしまうカレンとの時間を大切にしたい。
さらに十日が過ぎ去り。
ローランゼンフトゥを堪能し終えたので次なる観光地へと向けて青土砂漠に飛び込み。
「――あたしも修行する」
まだ半日と経っていないのに暑さで頭がやられたのか、幻聴が聞こえてしまった。
「どうだねラクサ君、想像していたよりは魔界も悪いところじゃないだろう?」
「あぁ、魔獣さえいなけりゃ永住してもいいナ」
「二人して無視しないでよッ!」
「どうしたカレン、何をそんなにカリカリしている? どれ、一息吸うだけで死人のように落ち着けてかつ高揚感の得られる粉末を「――そういうのはいいから!」
なるほど、冗談は通じないし決意も固いと。
……まいったなぁ。
「カレンが命を懸ける必要はどこにもないんだぞ? 俺とケイ達だけでどうにでもなる。正直な話、今のカレンがいたところで足手纏いにしか「――それ」
またしてもカレンは遮って答えた。
「それがイヤなの。いつまでも何もできずに守られる側はイヤ! あたしもみんなの役に立ちたい! みんなと一緒に戦いたい!」
「そうかそうか。やはりカレンは良い子だな。……そして聡い子でもあるから分かるだろう? 一年ぽっち修行したところで彼らのようにはなれないと」
カレンはまごうことなき天才だ。千年に一人いるかいないかの大天才だ。
だが、彼らもまた百年に一人存在するかどうかの抜きん出た逸材よ。その上で鍛え上げた年月も踏んだ場数もまるで違う。
そうやすやすと追いつけるものではない。
そんなことはカレン自身も重々承知しているはずなのだが……熱の冷める気配はない。
「追いつけなくても半分、せめて三分の一くらいには強くなれる方法を知ってるんでしょ? 教えてよ! どんなに厳しい修行でもついてくからっ!!」
もちろん知ってはいるさ。
過去に何度か施してきたとっておきの修行法がある。あるにはあるが……
「今回だけは退かないから。どうしても教えてくれないっていうならあたし一人で魔「――いいよ」
今度はこちらから遮った。
こうなったカレンは梃子でも動かない。
これ以上拒否し続けたら何をしでかすか分からないし親子関係も悪化する。それはいけない。
「……え? 本当!?」
「本気か先輩!?」
「カレンの気が済むまで強くしてあげるよ。だけど一つだけ約束してほしい」
「うん!」
一瞬きょとんとして、すぐに瞳を輝かせた愛娘にとある誓いを立てさせる。
これだけは誓約してもらわないと秘密の修行は施せない。
「――俺のことを嫌いにならないでくれ」




