第十六話 「挑戦者」
ケイはまるで実の両親と初めて対面した時くらいの唖然とした顔を見せた。
「そんな……理由で……」
「そうだ」
普通の女性的感性を持つ者にとっては到底信じられないことなのだろう。死を顧みず吸血鬼となり、それでもなお勝てないとされる相手に命懸けで挑むというのは。
だが、我々のような高みを求め続ける者にとって世界最強という称号には命を投げ出すだけの価値がある。
「理解してやれとは言わん。その代わりせめて見守って、応援してやってくれ」
少し間を置いてケイは静かに頷き、グリゴールの晴れ姿を視界に収め。
またしても目を見開いた。
『信じられません!! あのラファーダル選手と拮抗! 拮抗しております!!』
『拮抗ではないでしょう。今のところはラッファが押されていますな』
グリゴールは史上最強の魔人と拮抗……いや、たしかに押していた。
ラファーダルの圧倒的な暴力と俊敏な動きに対し、極めた柔の拳と吸血鬼の身体能力を以って封じ込めているのだ。
『いやー、このワシの目をしても予想できませんでした。一昨日まで彼女は人族だったはずですが、まさか一日二日でここまで仕上げるとは。もしやすると勇者以上の天才やも知れません』
あの伝説の戦災龍がグリゴールの才能を褒めちぎった。全くその通りだと思う。
グリゴールは一昨日の夜に人族を辞めたばかりだが、すでに血の操作による肉体強化まで使いこなしつつある。
アレン・メーテウスなる人物は安定して吸血鬼になるのに三十年、そこからさらに吸血鬼としての力を使いこなせるようになるまで十年近くかかったというのにだ。
なーにが「アタイもアナタと同じ持たざる側」だよ裏切り者め。君もケイやミロシュと同じ世界の住人だったじゃないか。
「どーおー? これが弱っちい人族達の編み出した技術よぉん」
「ははっ、こりゃすげえや。渦潮と戦ってるみてえだ」
もちろん吸血鬼の力だけでどうこうできるのなら彼は史上最強などとは呼ばれていない。
ラファーダルの攻撃は軽めの突き一つでさえ、三爪魔獣以下の生物に対しては即死級の必殺技だ。
グリゴールはそのような隕石の雨とも称せる乱打を余さずいなし、凌ぎ、僅かな隙をついて反撃しているのだ。彼女の練り上げた技術なしには出来ぬ芸当よ。
「ハァッッ!!」
「ぐぁッ!」
『おおっとぉ! 決まったァ!!』
試合開始から十分は経過し、ラファーダルが未だ一つも有効打をとれてない中で、グリゴールの渾身の前蹴りが鳩尾に食い込んだ。
筋肉の塊が弧を描いて吹っ飛んで青土の上を転がり観客が盛大に沸き上がる。
『初出場から百三十年続く不敗神話が! 今日で終わりを迎えてしまうのかッ!?』
「アレンくん! この調子ならグゥは勝てるよね!? ……アレンくん?」
「…………」
二時間は身動きひとつできないはずの束縛をほぼ完全に解いてしまったケイが手をブンブンと振って嬉しそうに聞いてきたが、良い返事ができない。
「ここからだ」
「え?」
ここからが本番なのだ。
「へへっ、今のは効いたぜ」
「あと十回同じのをやってようやくってところかしらぁん?」
ラファーダルは手をつかず飛び跳ねるように立ち上がって再びグリゴールの元へ向かう。
流石というべきか、アレだけ派手に吹っ飛ばされたというのにまるで効いていない。
「で、そろそろ本気を出してもいいんじゃない? 焦らす男は嫌いよぉん」
「わりぃな、別にお前をナメてたわけじゃねえ。ついて来れるか試してたんだ。下手したら跡形もなく殺しちまうからな」
ラファーダルは深く息を吐き、左腕を引いて構えをとる。
グリゴールも対応する構えをとって静止する。
「こっからは本気でいかせてもらうぜ」
「望むところよ」
不思議と風も止み、実況も観客も静かに二人の出方を待つ。
「ねえアレンくん、ラファーダルはずっと力を抑えてたの?」
「いいや、全力だったさ。……そう、まるで子供のようにね」
「…………あ」
これまではただ殴っているだけただ蹴っているだけ。
極めて直線的で回転数が多く、誘いも惑わしもないガムシャラな打ち込み。
それこそ道理を何も知らない子供や獣のような戦い方をしていた。
だが、彼はヒトである。
三百四十年生きて経験を積んでいる。
グリゴールの十倍以上の年月を経て、技の一つや二つ極めていないわけがない。
「バモォー……」
「いまさら怖くなったなんて言わないわよねぇん?」
奇怪な息遣いと共にラファーダルの身体が小刻みに震える。
あのような技は…………まさか!
「まずい! 避けろッ――」
俺の声が届くより先にラファーダルの拳が届いた。
右胸に打ち込まれることを読み切っていたグリゴールは当然のように柔の拳で受け、
「なっ」
グチュンと肉を押し潰す音。
さっきラファーダルが吹っ飛んだのと似た形でおおよそ倍の距離を飛んだ。
あの技を完全には流せなかったのだ。
「やべ……死んじまったか? おーい!」
「ダイ、ジョーブ……よぉん」
吹っ飛んだ先で巻き上げた青砂が落ち着いて、そこからさらに十数える前にグリゴールは起き上がった。
千切れた右腕を拾ってどうにか起き上がった。
「グゥ! 腕が! もう棄権して!」
「これくらいどうってことないわ」
ケイの心配をよそに、千切れた腕に向けて無数の血管を伸ばして結合し、潰され抉り取られた骨肉も元通りに治していた。
これこそが対エルフ用に造られたとされる吸血鬼の再生力である。
「さ、続きをしましょ」
「へっ、そうこなくちゃな!」
不撓の挑戦者を讃える歓声に後押しされ、彼女は再びラファーダルの目の前に立った。
ただ、巌のような足腰と拳はほんの僅かに震えている。
そして激しい打ち合いが再開されたが、やはりグリゴールの戦法が変化していた。
『避ける! 避ける! また避けるッ!! グリゴール選手、全く受け止めようとしません! ただひたすらにラファーダル選手の攻撃を回避しています!!』
「うぅむ……」
アレばかりは吸血鬼の肉体と柔の拳を以ってしてもどうにもできないか。
『ロジャーさん、どうでしょうこの展開』
『一見逃げ回っているだけに見えますが、アレが正解ですな。ラッファのあの技は剛の拳系統の究極奥義が一つ「バモヒャーゲ」』
『バモヒャーゲ、ですか?』
『ここ五十年は「バモスピン」の方しか使っていなかったので知らない者も多いかのう。バモヒャーゲは筋肉を激しく振動させて多方向に力を分散させる技です』
つまりは一本しかなかった力の矢印が何本にも増えて襲いかかってくるということだ。
こちらを受け流せばあちらを防げず、あちらを受け流せばこちらを防げず、どうにかしてこちらとあちらを受け流してもそちらから破壊される。
対応策が避けるまたは受けて耐えるの二つしか存在しない。
受けて流すを主とした柔の拳との相性は最悪である。
『バモヒャーゲを見極めて完全に受け流せる者などこの世には存在しないでしょう』
技の性質ゆえにただ全力で殴るよりも三割ほど威力が抑えられてはいるだろうが、ラファーダルはデコピンで飽魔銀の兜を砕くという。それが真実ならば威力が半減していようとまず耐えられん。
ゆえに避けるしかないのだ。
『ちなみにワシは百年前のこの大会であの技に負けました。悔しいですが未だに攻略法を模索中です』
あの負けず嫌いの戦災龍でさえ殴り合いにおいては勝てないと素直に認めている。
見た目通りの豪放磊落、しかし雑というわけではなく繊細で練り上げられた技を持ち合わせている。四将ラファーダル、まっこと恐るべき戦士だ。
だというのにグリゴールの目に諦めの色はない。
「アレンくん、流石にもう止めた方が……!」
「……止められるものなら止めたいさ」
どんな理由であれ俺は俺以外の犬死にを、無意味な滅びを心底憎んでいる。万に一つも勝てない勝負ならば問答無用で割り込んで止めている。
しかしこの試合は違う。
百に一つ……いや、二十に一つくらいの確率でグリゴールは勝てる。
風で巻き上げられた青砂がラファーダルの目に入れば、砂に埋もれていた小石で躓けば、どこからともなく飛んできた小枝か花弁が視界を遮れば。
それくらいの幸運があれば勝ちを望めるのだ。
何よりも本人の心が折れちゃいない。
「もちろんダメだと思ったらすぐに止める。そうならないように信じて応援するぞ!」
「……うん! 頑張れぇえっ!!」
剛柔入り混じった激しい応酬が繰り広げられる。
息さえつけない瞬きすらできない高度な攻防がしばらく続いたが……史上最強の名に偽りはなかった。
「おいおいどうしたグリゴール! 動きが鈍ってんぜェ! いや、俺がキレてるのか!!」
回避と防御に徹するグリゴールの動きをラファーダルが見極めつつあり、強烈無比の凶拳が次第に身体の中心を捉えていく。
「ッラァ!」
「ぐぅうっ!!」
『これは痛いッ!! ラファーダル選手の強烈な上段蹴りがヒット! 左肩から先が千切れ落ちました! しかもロジャーさん、まさか今のは!』
『はい、バモヒャーゲですな。まさか足でも使えるようになっていたとは……』
それでもなお、何度手足がもがれようとも、脇腹を抉りとられて吹っ飛ばされようとも、彼女は立ち上がった。
一つ、また一つとグリゴールを後押しする声が増えていく。
不屈の挑戦者に観客は絆され声援が一色に染まってゆく。
「へっ、これじゃ俺が悪者みてえじゃねえか」
「アタイというヒロインのために悪者らしく負けてくれないかしら?」
二人は距離を取って軽口を交わし、構えて静止する。
グリゴールの筋肉が膨れ上がる。
ラファーダルも同様に膨れ上がり、さらには振動している。
どちらも限界まで力を解放するようだ。
次で全てが決まる――。
「がぁっ!!」
「フンッ!!」
それは一瞬だった。
二人は互いに気を読み合って同時に飛び出し。
ラファーダルは左ストレートを、グリゴールは右アッパーを繰り出した。
左ストレートは鳩尾を中心に大きな風穴を空け、右アッパーは史上最強の男の脳味噌を揺らした。
「……っぶねぇ」
先に安堵の声を漏らしたのはラファーダルだった。
ものの数秒たしかにふらついたが、耐えきった。ノックダウンには至らなかった。
「ど……して、今ので……落ちな……いのよぉ……」
胸に大穴を空けて倒れ、起き上がることもできなくなったグリゴールが悔しげに呟く。
「いやー、結構やばかったぜ。中身まで鍛えてなかったらな!」
その言葉を聞いてグリゴールはやり遂げたような晴れやかな顔をした。傷口の再生を止めて「ありがとう」とだけ言い残して目を閉じた。
『……これは勝負あり、でしょうか?』
『ええ、まっこと良き仕合でした!』
負けず嫌いが転じてろくに他人を褒めない龍が唸って喝采し、それはすぐに会場全体に伝播した。
そして、世界の中心にいるラファーダルが礼儀を、トドメを刺すために一歩二歩と前進する。
「あばよグリゴール。楽しかったぜ」
勝者がはなむけの拳を振り上げたところで……。
俺は予定通り二人の間に採れたての右腕を投擲し、腹の底から声を張り上げた。
「そこまでぇぇえいッ!!」




