第十話 「不毛の地」
雨粒ひとつ降らない不毛の大地で一人の犠牲者も出すことなく歩き続け。
あと三日もすれば目的の街へ到達するところまでやってきた。
「ねぇー、お菓子ちょうだーい。あたしの魔臓がすいてるってー」
はじめは暑さにひぃひぃ喘いでいたもののずば抜けた適応力を発揮し、今ではものともしなくなったカレンが退屈しのぎに食い物をねだる。
「アレン肉と紅王蠍の肉、どっちがいい?」
「サソリ肉」
「私も」
家計の敵である魔臓持ちを二人――それも片方は二つ内蔵している――抱えているため、信じられない速度で備蓄が消費されていく。
もちろん必要最低限の食料には手をつけさせないでいる。……が、それ以外の余剰分となればお構いなしに貪っていくのだ。
十日前に百キロ近くも仕入れた強敵の干し肉はほとんど残っていない。
四爪魔獣の死臭が付いてしまっているせいか、そもそも魔獣が極端に少ないのかは断定できないが、あの日以降我々以外の生物は優雅に空を飛ぶ鳥しか確認していない。
なので今ある分を食べてしまえば余剰の食料は無くなり、朝昼晩の一日三食しか口にすることができなくなる。
とするとどうなるか。
カレンとミロシュの機嫌が大なり小なり悪くなる。
『ほどほどに味が良くて可食部が多く、危険度の低い魔獣が出てこないだろうか?』
ふと、そんな考えが頭をよぎったが、まかり間違っても口には出さない。
言霊にしてしまえば最後、やつらは現れる。科学的な根拠はこれっぽっちもないがそういうものなのだ。
とにかく一切の戦闘を行わず安全に到着できるに越したことはない。いつだって愛と平和が一番――
「にしてもさー、ぜんぜん魔獣出なくなったよね」
全員に聞こえる声で、魔獣を食料として見るようになった怪物が退屈そうに言い放った。
これはもう、人の思考を読んで故意にやっているのでは?
(ラクサ、分かっているな?)
(……おうヨ)
いつ空から竜が降ってきてもいいように、いつ地に大穴が空いてもいいように警戒を強めた。
そして警戒を強めて一時間近くが経ち、まだ何も異常はない。
なるほどさすがにこの広大な土地は生息数が少ないためか、そこら辺からぽんと湧いては出てこないか。
「……たく、ビビらせやがって」
「アレンくん何か言った?」
「いんや、ただの独り言じゃよ」
しかしよくよく考えなくても何の悪意も他意もないカレンに対して怒るのは理不尽というものだ。
となると全ては悪意を持って魔獣を生み出したクソ自己中ブラコン癇癪持ち女のせいである。
いつか貴様の兄を真横に並べ、兄妹揃ってタコ殴りにしてやるからな。
そう誓って天を仰いだ、まさにその時であった。
――ズズと、後方で起こった小さな地鳴りを最高感度の不死者耳が拾った。
「待ってみんな! ……何か聞こえない?」
「……あら、なにかしらぁん」
遅れて他の皆も気付いて足を止める。
前回は地鳴りがなった直後に分断され魔獣が湧いて出てきたので、誰も彼も神経を尖らせ臨戦態勢に入る。
そして尖らせたおかげで、少なくとも三キロは離れた地点から発信されていることが分かった。
これはもしかしたら、いやほぼ確実に我々とは無関係の地鳴りだろう。
だが決してそれを口に出してはならない。出してしまえば最後――
「これだけ離れてたら関係ないんじゃない?」
「お馬鹿ァ!」
「えっ? もしかしてあたし、何か悪いことしちゃった……?」
「何かしたというか、言ったというか……」
カレンの言霊が魔獣を呼び寄せているのだから口を慎め、とは言えずに悩んでいると。
「……ねえみんな、地鳴りが大きくなってない?」
地鳴りが大きくなっただけではなく、小さな揺れも感じるようになって。
しかもそれは次第に増してゆく。
これではまるで、何かが砂の海を泳いでこちらに向かっているようではないか。
「全員備えろ。必ずここに現れる」
「どうしてわかるの?」
「そういうものなんだよ。……ミロシュ」
「……ん」
ミロシュと協力して青土を焼き固めた即席の要塞を建造する。
要塞が完成して高所に避難した時には、はじめ「ズズ」という茶を啜るくらいの頼りなかった音が「ズドドド」という拳大の雨粒が降り注ぐような音になっており。
「アレ見て!」
ほど遠くない場所で、砂の海を泳ぐ鯨か大蛇がいるのを示す巨大な隆起と沈降、神が砂に手を潜らせて遊んでいるような浮き沈みを目視で確認。
やはりそれは少しだけぐねぐねと曲がりながらもほとんど一直線にこちらへ向かって伸びてくる。
「……来るぞ! 《電々霧刺》」
「《霜ヨ積モリテ嶺ヲ越セ》」
「《来ル者拒メヨ暴嵐帽》」
青土の浮き沈みが目と鼻の先に来たところで、それぞれ魔法を用いて要塞をさらに強固なものとする。
熟練者と大天才と年寄りの緻密な防衛魔法は干渉し合って邪魔することはなく、堅牢な三重の防護壁を構成した。
これを単独で突破できる者などこの世に百といない。
「さぁいつでも来……い……?」
「おいおいマジかヨ」
「……予想外」
槍衾よりも凶悪で攻撃的な防護壁を感知したのか、ついに砂の海から現れた。
そいつは目がなく大口に無数の歯を敷き詰めた、蛇というよりはミミズか牛の腸に似た灰色の魔獣だが、魔獣を越えて怪獣とでも言うべき巨体であった。
即席で作った、それでも並の豪邸よりは大きい要塞を覆い隠せるほどの巨獣だ。
横幅がおよそ十メートル。ケツの方は砂に埋もれていて見えないが、全長は横幅の十数倍あるだろう。
「アレンくん、この魔獣知ってる!?」
「俺が知っているのはカレンくらいの大きさで、毒を吐き出す可愛いヤツだよ」
ぼくはこんなばけものしりませーん。
こいつが暴れ回れば一夜どころか一時間とそこらで国が滅ぶんじゃなーい?
などと言っている間に巨大ミミズが首……はないがヒトの首に相当する辺りを膨らませ、常に開けっ放しの大口から白い煙が漏れ出し――
「……ナァ、ヤバくねーかアレ」
「あたしも……ヤバいと思う」
――毒ではなく灼熱を吐き出した。
竜とは比べ物にならない、それこそ龍にも匹敵する青い炎の放射が雷電の網を難なく通過し、分厚い氷の壁をあっという間に溶かして穴を開ける。
そして最後の壁である暴風の渦にかき消された。
「《堤タル土塊》」
「《風抗盟毘》」
炎を吐くと分かれば当然、相性の良い土と風の防壁を貼り直す。
しかし向こうも学習し、より強く、より細く束ねて一点を狙うようになりやがった。
さらには上体をのけぞらせて鞭のように勢いよく叩きつけ、俺が三割近い魔力を注いで建造した土壁をいとも簡単に崩しやがる。
「《堤タル土塊》……クソッ、このままでは持たんぞ! 次で俺は死ぬからな!」
「わたしが行く! お願いミィ!」
「ふぅー……。――《常勝己隆》《四面ノ歌喰エ洞鏡》」
使い切った魔力を全回復するために死のうしたところで勇者様が動いた。
ミロシュは一度深呼吸すると、俺の最大値よりも多い魔力を用いて聞いたことのない魔法を唱え。
それを受け取ったケイがわずかな助走をつけて跳躍。
あろうことかひとっとびで風の防壁を越えて最前線の土壁に乗り移り、そこからさらに大ミミズの頭に飛び乗って剣を突き立てた。
「……は? いまのなぁに?」
ケイは当たり前のように跳んだが、どう見積もってもここから土壁まで三十メートルはある。
ただでさえ俺とグリゴールを超える身体能力がさらに上昇していて、魔人の中でも化け物扱いされるほどになっていた。
「おいミロシュ! なんだあの魔法は!?」
「少し前に発明された身体強化の魔法。正確にはケイの動きを後押しする魔法と外部からの力に抵抗する魔法」
「なるほどな……。これから師匠と呼ばせてもらうぞ」
そして俺が魔力を回復させるために死んで目を覚ました時、すでにミロシュは眼鏡を外し腰を下ろして休んでいた。
「おい、大丈夫なのか?」
「あの状態になったケイはアンディを倒した。後は任せておけばいい」
「そうか……。なら応援でもしておこう」
「ケイー! がんばれぇー!」
「やっちまエー!」
「怪我だけはしちゃダメよぉん!!」
「うるさい。向こうでやって」
高度な魔法を用いて疲弊しているミロシュの怒りに触れないよう声を抑え。
怪獣ミミズが振り落とさんと砂埃を巻き上げてもがくのを意に介さず、人外じみた身体能力で蜂のように飛び回る勇姿を見守った。
「すっご……」
「うぅむ、俺でもアレは無理だ」
「ただでさえケイは巨人の魂を持っているんだから、あの魔法をかければ無敵なのよぉん」
観ている者を熱くさせ安心感すら与えるその働きぶりは《人族の希望》と称されるに相応しい。
今のケイには奥の手を使った我が師ライノと同等以上の身体能力がある。
さすがは歴代でも五本指に入ると名高い勇者様だ。
「……んん?」
ケイが着々と斬り裂いて弱らせていくおかげですでに祝勝ムードだったのが、唐突に一変した。
ズドドという嫌な、とても嫌な地鳴りが新たに聞こえてきたのだ。
「まさか!? もう一体いるのかッ!?」
「冗談……よねぇん……?」
怠そうにしていたミロシュは目を見開いて立ち上がり。
俺はいつでも自爆できるようポンチョ以外を脱ぎ去ってから。
どれだけ助走をつけようが筋力を酷使しようが三十メートルの跳躍は不可能なので、足を爆破して土壁に飛び移った。
「何が来るってんだ……?」
青い砂の海を見渡して巨大な影かうねりを探すが、どうも見当たらない。
しかし地鳴りはたしかに聞こえる。
もしやこれは幻聴ではないのか?
……そう思い始めた時だった。
「何だアレは…………人、だよな?」
三キロほど遠方に、激しく砂煙を巻き上げながらこちらに向かってくる人影を発見できた。
どうにも信じられないことだが、地鳴りの正体はあの者で間違いない。
どうにも信じられないことだが、時速百キロ近い速度で疾走している。
砂漠の暑さが見せる蜃気楼か幻覚の類だと思いたかったが、その者は少しずつ地鳴りを増しながら確実に近づいてきている。
残り二キロ、一キロと、早馬よりも速く駆けてきて、その姿が正確に分かるようになった。
身長はグリゴールとそう変わらずやはり鍛え抜かれたメリハリのある肉体を持ち、角や尾は無いが二本腕二本脚で褐色赤目の荒々しい見た目をした魔人だ。
ついでに頭髪も荒々しい不毛の地である。
「くぉらぁぁあああアアアーッ!!」
なにやら怒っているのか、雄叫びを上げてさらに速度を上げた。
あっという間にすぐそこまできた魔人は、そのままの勢いでミミズの背を駆け上り。
「下がれケイ! ……クソッ!」
ケイに退くよう呼びかけても、外部からの力に抵抗する魔法がかけられている――つまりは音にまで抵抗してほとんど何も聞こえていない――おかげで気付かない。
「《掌念爆砕》!」
なので少し強めに足と背中を爆破し、即座にケイの前に立ち塞がった。
ほぼ同時に魔人も目の前に到着したが、我々には一切見向きもせず垂直に十メートルほど跳躍。
そして――
「――を返せェーッ!!」
砂の海を真っ二つに割り、星の裏側まで貫通させるような破滅の一撃が哀れなミミズに撃ち込まれた。




