第八話 「健闘を祈る」
一歩踏みしめる度にザクリザクリと音が鳴る。
それは昼の空と深い海の中間くらいの涼し気な色をしているが、成分上は紛れもなく砂と土であり冷却効果は一切ない。
どこを見回しても草木が一本もない青土砂漠、水分の必要なほぼ全ての生物にとって過酷な環境に私たちはいる。
じりじりと痛めつけるような日差しが照りつける灼熱の砂漠で各々が距離をとって歩く中、五千歳を過ぎた老いぼれにぴたりと肩を寄せてくる女性が一人。
「アレン」
「はい、何でしょう」
「カレンを私に譲って」
「一時間おきにそれ言うのやめてくれませんかね?」
カレンが二つの魔臓を持っていると告白した日、ミロシュは観光と買い入れの誘いには乗らずただ一人部屋に籠り。
翌日何事もなかったように部屋から出て、カレンを朝から晩まで食べ歩きに連れ回した。
そうして互いの魔臓を満たした上でラクサに視てもらい。
『私とカレンの魔力量を比べて、どう?』
『アー……。嬢ちゃんはお前さんの二倍……いや、三倍近い魔力を持ってるナ』
それからはもう定期的にカレンをくれカレンを売ってくれあなたの娘を私にくださいと、頭の悪い彼氏めいた頼み方をしてくるのだ。
「ねえ、カレンを譲って。代わりに私の全てをあげる」
「色仕掛けのつもりかい?」
炎天下で構わず腕を絡ませて柔らかい部分を押し付けてくる。
ミロシュは成長途中のカレンと変わらないほど小柄で、端正だが派手さのない物静かな顔つきをしているわりにケイやグリゴールよりもよっぽど主張の激しい豊満な肉付きをしており。それでいて勇者一行としての運動量が一般人よりは数段勝るので、引き締まるところは引き締まっているという男ウケの塊である。
それこそ色仕掛けが初めてでぎこちなくとも、大抵の男を籠絡できるだろう。
だが、残念ながら、このアレンに付け焼き刃の技など通用せん。
そもそも二千歳未満の小娘はお断りだ。
「カレンは渡せないけど、俺ならいくらでもタダであげるよ? お兄さんじゃダメかい?」
「興味ない」
今回も無理だと分かると、素早く腕をほどいて素知らぬ顔で離れていった。
うーむ、最近の若者とやらにはまだまだついていけんな。
一日、
二日、
三日と。
ただただ茹だる暑さの中を歩き続け、各々の脳みそが青を暖色だと思い込みつつあった。
「太陽が……」
「憎い」
カレンとミロシュが息を合わせて恨み言を呟いた。
ただでさえ歩きにくい砂の上と著しく水分を奪い取る灼熱の組み合わせがあっては、いくら勇者一行と言えど体力の消耗も激しいだろう。
こまめな水分補給と休憩も必要なおかげで、仮に砂漠ではない平坦な土地であれば二日で到達できる距離を五日かけている。
ドンスタ現象の地ではあれほどありがたかった太陽が、今では敵以外の何者でもない。
「ぅあー……」
ちょっとした丘を乗り越え、下り坂に入ったところでカレンが風呂上りの中年男性めいた掠れた声を出した。
「なーんか静かだなぁ。魔獣は一匹もいないし、今までとはぜんぜん違う」
「そうねぇん。魔界の戦力は軒並み向こうに回してるのかもね」
砂漠が広大で住む生物がほとんどいないからというのもあるが、我々はまだ魔獣や敵対的な魔人と遭遇していない。それだけがせめてもの救いか。
これを言うと頭のおかしい人間扱いされるので心にしまっておくが、奴らは『出ない出ないと油断していると出てくる』ことが多い。だからできるのなら何も言わずに黙々と歩いてほしいものだ。
それでもラクサにだけは話すと、
(オレはどっちかと言えば先輩よりの考えだゼ。ジンクスってのは大事ダ)
嬉しい答えが返ってきた。
やはり年を重ねると感じるものがあるのだろう。
「まっ、魔獣なんてもう関係ないけど!!」
「不機嫌だな」
「そりゃそうよ! 暑くて喉はカラカラになるし、砂のせいで脚は疲れるし、早く街に着いてベッドで休まないと!」
「あぁ、そうだな。立ち止まらない限り街へと道は続――」
――ズズズズ! ……と。
俺があと一語で言い終えるのを遮って突然の揺れと地鳴りとが起こった。
「えっ! なに!?」
「地震!?」
揺れと共に下り坂の先、すり鉢の底のような場所に大穴が空き、そこに砂が流れ込んでいく。
「アレン助けて! 動けない!」
「掴まれ!」
咄嗟に対応できなかったカレンが背後から雪崩のように押し寄せてきた砂に胸の下まで埋まり、助けを求めた。
すぐさま駆け寄って、怪我をさせない力で引き抜きにかかる。
ケイとグリゴールも同じようになったミロシュを助けようとしていた。
「ぬ……おりゃあッ!」
どうにか引き抜くことはできたものの、
「下!」
「あっ」
すでに足元にはぽっかりと、底の見えない虚ろな黒が広がっていた。
「きゃあっ!!」
「絶対に離すなよ!」
俺だけならまだしも、このまま落下しては着地時の衝撃でカレンが痛みかねない。
それはまずいので、小刻みに足の裏を爆破させて勢いを殺す。
「うぉっ」
ぼすんと、カレンを抱いたまま溜まっていた砂の上に着地し尻餅をついた。
これくらいなら問題ないはずだ。
「大丈夫かカレン? どこか骨が痛まないか?」
「……うん、大丈ぶぇっ!?」
一安心したのも束の間、二人一緒にまとまって流れ落ちてきた砂に埋められてしまった。
それからすぐに揺れと地鳴りが止み、砂がざぁざぁと落ちてくる音も消えた。
(――《掌念爆砕》)
カレンを片腕で離さないように巻き、もう片方の腕を伸ばして爆破と再生を繰り返す。
窒息してしまう前に砂を搔き出して抜け出さなくては。
「よし、手が出た」
砂の山から先に出て小さな身体を引き摺り出す。
「うげぇ……砂食べちゃった……」
「今度こそ大丈夫か?」
「……いちおう」
ぺっぺっと口に入った砂を吐き出す娘を尻目に真上を見る。
あの穴は閉じていて、一切の光が差し込まなくなっていた。
(嬢ちゃん、先輩、聞こえるカ!?)
(ラクサか、今どこだ?)
(地上ダ)
まだ思考の届く距離にいるラクサと通じた。
(今どうなっている? ケイ達は無事か?)
(揺れが収まったと思ったら、砂の中に隠れていたらしい魔獣が大量に湧いて出てきてヨ。絶賛交戦中ダ!)
(魔獣が出たの!?)
(どんなヤツだ? 数は?)
(アリジゴクとサソリを合わせてデカくしたような魔獣ダ。数は……正確には分からねーがとにかくたくさんダ。完全に包囲されているヨ)
(なら毒にだけ気を付けろとケイ達に伝えておいてくれ。では、健闘を祈る)
(……あいヨ)
そこで念話を遮断し、ふぅとため息を吐いた。
「どうするカレン、休憩しようか?」
基本的に日の届かないこの場所はひんやりとしていて居心地が良い。
熱った頭と体を落ち着かせるのには最適だ。
「みんなを助けに行かなくていいの!? 魔獣に襲われてるんだよ!」
「仮にも勇者一行だぞ。大丈夫だって。彼らの実力を信じられないのか?」
仲間を信じろという陳腐だが刺さる者には刺さる言葉を有効活用してカレンを留めた。
ラクサの口調からしても大した危機ではないはずだ。
そもそも群棲のしょっぱい魔獣相手に追い詰められるようでは、どちらにせよこの先生き残れないだろう。
これで少しはサボ……休める。
「楽にしなさい。抱っこか膝枕でもするかい?」
「いらない。それよりもあたしたち、ここから出れるの?」
「いい感じに歩けばその内地上に出られるさ。ダメだったら天井を爆破して穴を空ければいい。――《月ノ欠片ヨ我ガ下照ラセ》」
光を生み出すと真っ黒な空間が真っ青に塗り替えられた。
天井は……目算で二十メートルほどの高さにある。
こんな砂漠にずいぶんと広い休憩所があったものだ。
「あっ……あ……」
「どうしたカレン、まだ口の中に砂が残っているのか?」
「ちが……あれ……」
振り向いてカレンの震える指の先を見ると、光の行き渡らない薄闇の中に巨大な輪郭が。
「《月ノ欠片ヨ我ガ下照ラセ》…………あちゃー」
光を重ねて強くし、ハッキリと現れてしまった。
一応反響定位を用いて幻覚や錯覚ではないかを確認するも。
たしかにアリジゴクとサソリを組み合わせたとしか表現できない、真っ赤な魔獣が目を光らせていた――。
「カレン」
「な……に……」
「俺が合図を出したら一目散に逃げろ。お父さんは今からこいつと話し合いをするから」
「わかっ……た……」
フシューフシューと。
興奮を高めつつある魔獣の吐息が聞こえる程度の小声でやりとりする。
「…………走れッ!!」
カレンが翻って思い切り青土を蹴る。
貴重な餌を逃がしはしないと、魔獣が槍を何本も重ね合わせたような尾の先端から何かを射出した。
「させるか!」
確実に避けられないカレンを庇って飛び出す。
汚い緑色をした何かが鳩尾に直撃し、ドロリと溶けて落ちた。
落ちずに付着したものは俺の衣服と肉をまとめて溶かしていく。
「なんだよ……けっこう溶けるじゃねえか……」
強酸性の毒弾が鳩尾から胸骨を、胸骨から臓物を、そして最後に背骨を溶かして貫通し、ボロボロの鍵穴にも見える空洞ができた。
滅茶苦茶痛い。身体の内側から赤熱した火かき棒でかき混ぜられている感じだ。
全身を同時に溶かされた経験のある俺でなきゃ、今頃激痛で気を失っているだろうよ。
「アレン!!」
「早く、行け。止まるんじゃねえぞ……! ――《血潮踊リテ腸隠セ》」
命が絶える前に、残りの全魔力と血液を投じて目くらましの煙幕を張った――。
(――早く!)
光も音も臭いもない真っ暗闇の世界で。
自分が自分であることだけは分かっていて、手でも足でもない曖昧な何かでそこにある青白い光に触れる。
瞬間、目が覚めて私は帰ってきた。
「五秒は……かかってないな。よし」
赤く鉄臭い煙幕がまだ残っていて、カレンの駆ける音が五十メートル以上離れたところから聞こえる。
ほっと安らかな心で立ち上がった。
新品の血を巡らせて集中し、仁王立ちで構えていると次第に煙幕が薄れて消え、ヤツの巨体が視界いっぱいに現れた。
(おいラクサ、そこにいる魔獣は赤いか? 大きさはどれくらいだ?)
(何言ってんダ? 擬態してたんだから青に決まってるだロ。大きさはせいぜい獅子くらいだナ)
(……では、健闘を祈ってくれ)
ラクサが意地悪な妖精らしい嘘をついているのか、俺が目の当たりにしているのは青と真逆の紅に染まっていて、竜にも勝る体躯の持ち主だ。
どう考えても地上にいる群れの長である。
「俺の肉をあげるから上で暴れてる君の手下達を退かせてくれない? 実はこう見えてちょっとばかし昔に君達の主人、魔王をやっていてさ。もちろん今は違うから命令はできないけど、だめかな?」
「ギシィイッ」
「うぉっと」
血の流れない停戦を求め、即座に返ってきたのはさっきのと同じ毒の弾。
なるほど、ヘイワ的な話し合いをお望みか。
「ドーモ、アレン・メーテウスと申します。正々堂々戦いましょう。まずはおじぎをするのだ!」




