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夕餉の時間だった。
卓上には、兎肉とレンズ豆の煮込み、葱とじゃがいものスープ、パンが並んでいる。
毎度、逞しい騎士たちが食すのと同量の料理が出るので、大きな皿にたっぷりとよそわれている食事を目にしただけで、アベルはいつもお腹がいっぱいになるような気がした。
食べものを残すのは心が痛んだが、かつて出された量の半分も食べられたことはない。
男たちの口にまたたく間に料理が吸いこまれていくなか、アベルは少しずつ酒を飲みながら、小さくパンをちぎって食べている。
そんな様子を見て、騎士のひとりがアベルに声をかけた。
「アベル、鳥のエサじゃないんだから、そんなに細かくちぎって食べなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
アベルは、パンを口に入れようとした手を止めた。
「おう、そうだぞ。おまえ十五歳だっけ? 年のわりに、ずいぶん小さいじゃないか。たくさん食べないと大きくなれないぞ!」
左隣にいた騎士が、どんとアベルの肩を叩く。
そこは二週間ほどまえに負傷したところであり、治りかけているとはいえ、さすがに強く叩かれると痛んだ。
「ラザール。おまえが叩いたのは先日の試合で怪我をしたところだ。アベルが痛そうにしているではないか、気の毒に」
顔をしかめたアベルを見て、年配の騎士ナタルがラザールをたしなめる。
「すまん、つい忘れていた」
「しかし、ラザールの言うとおり、ちゃんと食べてしっかり体力をつけなければ、リオネル様の身辺をお守りできないぞ」
ナタルがアベルに言う。
「そうそう、おまえは実力があるんだから、あとはベルトランのような身長と、獅子のような筋肉をつければ、怖いものなしだ」
「はあ……」
アベルは曖昧にほほえんだ。
自分がそのような体格になることは、一生ありえないだろう。
そんなふうに思いながら、ふとアベルは、自分が彼らの話に自然と加わっていることを不思議に思った。
こうなったのも、つい最近のことである。
ディルクと真剣試合をした日から、館の者たちの、アベルに対する態度が少しずつ変わってきていた。
もともとアベルに対して良い感情を抱いていなかった人たちのなかでは、以前にも増して嫉妬を覚え、敵対心を見せる者もいたが、多くの中立の立場にいた人々は、アベルに対して好意的に接するようになったのである。
リオネルのそばにいることが許されるだけの実力を、多くの者が認めたのだ。
館の跡取りを守る、輝くように美しい少年に、皆は期待と愛着を抱いた。
その雰囲気を感じとったリオネルは、アベルが少しでもこの館で過ごしやすくなったことに安心したが、同時に気を揉むことも増えた。
それは、騎士たちとアベルの距離が縮まったことである。
ときには先程のように、アベルに乱暴に触れてくる者もいる。
離れた円卓の席から、ラザールがアベルの肩をたたくのを目にして、リオネルは思わず腰を浮かしかけた。
そんなリオネルの気も知らず、アベルのまわりの騎士たちは話し続ける。
「ジュストとは一歳しか違わないんだろう? こうも体格が違うのは不思議なくらいだ」
「アベル、腕相撲をしてみようか。剣では勝てなくても、これならおまえに勝てるかもしれない」
と言ったのはラザールである。
「おお、おれも参加したい。アベルがまだ細っこいうちに勝っておけば、これから先ずっと勝ちを言いふらせるからな」
アベルはひきつった笑顔で小さく首を横に振った。
こんな屈強な男たちと腕相撲などしたら、冗談抜きに骨が折れるかもしれない。
「アベルは怪我しているのだ、今度にしたらどうだ」
先程の年配の騎士ナタルが、再び騎士らをたしなめる。
ジュストもこの場におり、皆の会話を笑顔で聞いていたが、アベルに対しては一度も視線を向けなかった。
「そういえば、今日はラロシュ侯爵が当館にいらっしゃるらしい」
「ラロシュ侯爵……またか」
皆の表情がかすかに曇る。
「山賊討伐の話だろうな」
「先日は、ベロム伯爵と、シャレット男爵も来ていたぞ」
騎士たちの話題に上っている貴族たちは皆、ラ・セルネ山脈のふもとの領主たちである。
山賊による被害を王宮に訴えた彼らは、それについてはベルリオーズ家に一任しているとの回答しかもらえないため、ここへ幾度も足を運び、討伐の開始を願い出てきているのだ。
王宮からの命令に対して素知らぬふりをし続けると決めたベルリオーズ公爵も、直接被害を受けている貴族らの切実な訴えまでをも無視し続けることができるのかどうか、騎士たちは興味と不安の入り混じった気持ちで様子をうかがっていた。
「やはり、山賊討伐は避けられないのだろうな」
「軽々しくそのようなことを言うな。かような危険な役目を、我らがベルリオーズ家、ひいてはリオネル様が負われる必要など微塵もないわ」
「しかし、このまま山賊らの横暴を見過ごすわけにもいかないだろう。先日は、クヴルール邸が襲われたが、使用人らは殺され、財宝は奪われ、令嬢や侍女らはさらわれたらしい。今頃どのような目に遭っているか……いたわしいことだ」
「クヴルール男爵家のような小貴族には、まとまった兵力はないからな。襲われたら、ひとたまりもない」
「これ以上、被害を拡大させてはならないのではないか」
「しかし、それでリオネル様の身になにかあったらどうするのだ。ベルリオーズ家の未来はない――いや、この国の未来はない」
「…………」
暗い空気にのまれつつあったなかで、ラザールがアベルの肩に腕をまわし、陽気に言った。
「そのために、アベルがいるんだよな?」
アベルは再び肩に痛みを覚えて、眉を寄せる。
「リオネル様とこの国の未来は、アベルの腕にかかっているぞ!」
「ほら、ラザール。アベルの肩の怪我、もう忘れたのか?」
「ああ、すまんすまん」
まったく悪気のない様子のラザールは、慌てて腕を離した。
「お食事中に、失礼いたします」
そのとき食堂の扉が開き、ひとりの兵士が公爵やリオネルの食卓の前でひざまずいた。
「どうした?」
慌てた様子の兵士に、公爵は食事の手を止めた。
「王宮からの使者が書状を持ってまいりました。急ぎであるとのことで、すぐにお持ちした次第です」
兵士は恭しくその手紙を差し出すと、執事のオリヴィエがそれを受けとり、公爵に手渡す。
封蝋を解き、公爵がその書状に目を通しはじめると、食堂内はしんと静まり返った。
食事を再開する者はいない。
皆、書状を読む公爵の様子を、真剣な面持ちで見守っている。
読み終えた公爵の表情に変化はなかったが、リオネルだけは父親の瞳の奥に生じたかすかな動揺をみとめた。
「返事をいただけるまで、使者は王宮に帰らぬと申しております」
「……そうか」
公爵は書状の字面を再び見つめた。
「父上、書状にはなんと」
リオネルが尋ねると、公爵は黙って書状を息子に手渡し、自らは立ちあがった。
「わかった。返事を書くゆえ、使者には別室で待つよう伝えよ」
「かしこまりました」
兵士は頭を下げ、退室する。
食堂内には緊張感が漂っている。
このまま騎士たちに対し書状の内容について説明しなければ、皆の不安は解消されず、余計な憶測が飛び交うだろう。
「皆の者、よく聞いてほしい」
公爵は、落ちついた口調で語った。
「王宮からの書状は、山賊討伐についてのことであった。もし我々が討伐を開始しなければ、山賊らの行為に賛同、加担したと見なし、公爵位を剥奪のうえ財産を没収するとあった」
騎士たちがざわめきはじめる。
席を立ちあがり、卓に両手をつく者もいる。
「なんと理不尽な!」
「横暴にもほどがある」
「国王らの狙いは、もともとここにあったのではないか」
「これ以上、国王派の好き勝手にさせられるか!」
「我々の手で、公爵様とリオネル様をお守りせねばならない」
怒りを抑えきれず、様々なことを言い出した騎士たちを、大声で一喝したのは執事のオリヴィエである。
「静まりなさい。公爵様の御前ですぞ」
室内は再び静まり返った。
「皆、気を揉ませてすまない。しかし早かれ遅かれ、皆の耳にも伝わり広まること。早々に心構えをしておいてもらいたかった」
「公爵様は、いかがなされるおつもりですか?」
騎士のひとりが声を上げた。
「ふむ……」
考える素振りを見せたが、もうその心は定まっていた。いや、定めるもなにも、ほかに選択肢はないのだ。
いずれこうなることは、わかっていた。
ただそれが思いのほか早まったのである。
リオネルもまた、そのことを理解していた。
ラ・セルネ山脈沿いの諸侯が、ベルリオーズ家に助けを求めに来はじめたときから、それは逃れられない結果だった。
リオネルは書状を読み終えると、そっとたたんで卓上に置いた。
その彼へ公爵は視線を向ける。
リオネルは、軽く目を閉じるしぐさでうなずいて見せた。
それを確認した公爵は、再び騎士らに向きなおり、それぞれの面々を眺める。
「皆、近々出兵すると心得よ。日は追って知らせる」
公爵の言葉に、食堂内が騒然となる。
しかし、公爵はそれを横目に食卓を離れ、部屋を去っていった。リオネルとベルトランも続いて退室する。
アベルは不安にかられて席を立ち、
「リオネル様」
二人に追いつくと主人を呼びとめる。
足を止めたリオネルは、アベルを振り返った。
「アベル」
その表情は普段と変わらない。
このような事態なのに、動揺も憂いもまったく見受けられなかった。
「あ、あの……」
むしろ憔悴しきっているのはアベルのほうで、その様子にリオネルは柔らかくほほえんだ。
「大丈夫、そんな不安そうな顔をしないで」
「ですが――」
気は焦るのに、なにを言えばいいのかわからない。
リオネルはそっと右手でアベルの頬を包みこむ。
「なにも心配いらない。ベルリオーズ家も、おれも大丈夫だ。おれが大丈夫だと言ったら、本当に大丈夫だから」
「…………」
「がんばるよ、おれは」
「リオネル様……」
「こんなことで負けたりはしない。おれには守りたいものがあるんだ」
そう言って再びリオネルは笑うと、頬に添えていた手を離して歩き出した。
呆然としたままのアベルの頭に、ベルトランが手を置き、くしゃくしゃっと撫でる。
長身の相手を見上げると、彼は無言で口角を上げ、リオネルのあとに続いて去っていった。
彼らの後ろ姿を、アベルはただ黙って見つめていた。