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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第二部 ~男装の伯爵令嬢は、元婚約者の親友の用心棒になる~
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 ……なんだか、最近アベルの様子がおかしい。


 リオネルは、鬱々とした気分だった。

 ともに散歩に出かけ、首飾りを送った日からである。


 あの日から、アベルはしばしばリオネルのそばから逃げるように去っていくのだ。それも、ディルクやレオンを伴って。

 リオネルが戸惑っていると、はにかむような笑顔を向けられることもある。

 その笑顔はかわいらしいのだが、行動との関連性が不明だった。


 なにか気に障ることをしただろうか。

 やはり、首飾りを無理に押しつけてしまったのだろうか。

 それともディルクやレオンといっしょに過ごしたいのだろうか。

 リオネルは考えれば考えるほど、深みにはまっていくような気がした。

 そして周囲に人が少なくなると、結果的にフェリシエと過ごす時間が増える。そのことも、ひどく憂鬱だった。


 侯爵らが去ってから六日が経ち、フェリシエやディルクたちも自領に帰る日となった。

 シャルルはすでに数日前にここを発っているが、フェリシエは「せっかく婚約者となるリオネルに会えたのだから、ディルク様が帰るころまでは留まりたい」と主張したので、残ることとなったのだ。





 この日、彼らの滞在の最終日だが、例によってリオネルはフェリシエと二人きりにされていた。


 ベルトランは隣室にいる。友人であり用心棒でもある彼は、リオネルから離れることが不本意だったが、フェリシエがリオネルの婚約者になるという流れがある以上、気を使わざるをえなかった。


 先程から、フェリシエのとりとめのない話を聞いていたリオネルは、やや疲れた顔をしている。

 世の中の多くの女性がそうなのかもしれないが、彼女らのおしゃべりは、最終目的地を持たず、あちこちに話が飛んでは、尽きることがない。


 愛しい相手のおしゃべりならかわいいものだが――むしろアベルの話すことなら、リオネルはひと言も聞きもらさぬように聞くのだが――それ以外の女性の延々と続くおしゃべりを、楽しく聞いていられる男はそういないだろう。

 陽が高いうちには滅多にもよおさない眠気を感じて、リオネルは欠伸あくびをかみ殺した。


 けれどフェリシエが領地に戻るまえに、言っておかなければならないことがある。

 これが、最後の機会だった。


「……それで、そのときいらしたのはボナール子爵令嬢でしたの。もう三十にも近い方なのですが、一度もご結婚されていないということで、お父様が相手を紹介してさしあげたのですよ。そうしたら、どうなったと思われます? なんとご令嬢のほうが断ってしまったの。理由は、自分より身長が低い人とは結婚できないからなんておっしゃるのです。お父様もがっかりなさって……」

「フェリシエ殿」


 不意に話を遮られたフェリシエは、リオネルを見上げた。

 化粧のほどこされた長い睫毛が、くっきりと青緑色の瞳を彩っている。


「お話の途中で申しわけございませんが、貴女あなたにお話ししたいことがあります」

「わたくしに、話したいこと?」

「前々から言わなければならないと思っていたのですが、このようにご滞在の最後日になってお伝えすることをお許しください」

「……なんでしょう?」


 フェリシエの瞳は、いぶかるような色をたたえた。自分にとって、この人は良からぬことを告げてくるかもしれない。そんな予感が彼女にはあった。


「私は、フェリシエ殿との婚約を進めるつもりはありません」


 フェリシエは、もともとぱっちりしている瞳をさらに大きく見開き、幾度かまばたきをした。

 今この瞬間、聞こえてきた言葉の意味がわからない。

 いや、到底受け入れられない。


「今、なんて……?」

「すみません、もっと早くお伝えするつもりだったのですが」


 なにせフェリシエの話がいつまでも続くので、リオネルが話を切りだす機会がなかったのだ。


「……なぜ? なぜですの?」


 フェリシエは目に涙をため、取り乱しそうになるのをこらえて、ようやく問う。


「貴女がどうこうというわけではありません」

「それならば……っ」

「ですが……婚約はできません」

「どなたか別の女性を想っていらっしゃるのですか?」

「……いいえ、そういうわけではありませんが」


 リオネルは、そう答えるしかなかった。

 想う相手がいると言えば、目の前の女性をはじめ、周囲は騒ぎたてるだろうからである。

 どんな形でもアベルを傷つけることはしたくない。


「まだそのような気持ちになれないのです」

「ならば、わたしはお待ちしますわ。リオネル様が、結婚したいと思える日まで待ちます」

「いいえ、男はいくつになっても結婚はできますが、女性はそうではありません。フェリシエ殿は素晴らしい方です。私のような者に貴重な時間を費やされるより、どなたか素晴らしい男性と結ばれていただきたい」

「公爵様からは、そのようなお話は伺っておりません」

「父上は――その、私とは違う意見を持っているようですから」

「公爵様は、わたくしとの結婚をお認めになっているのですか?」

「……まあ、そうですね」

「では、わたしは諦めませんわ」


 フェリシエはきっぱりと言ったが、リオネルも自らの姿勢を崩さない。


「父上が私の意見を聞き入れないために、貴女にこうして直接申しあげているのです」

「公爵様がお認めになっているのでしたら、わたくし、貴方様のお心が動かれるまで待ちしますわ。リオネル様が愛してくださるような女性になるよう、努力いたします」

「申しわけありませんが、どれだけ時間が経とうとも、私の心は変わりません」

「変えてみせますわ」

「フェリシエ殿……」


 どうしたものかと、リオネルが左手で眉間を押さえると、フェリシエは椅子から立ちあがり、リオネルの目前にかがんだ。

 なぜこんなに近くに来たのだろうかと思っているうちに、フェリシエはゆっくりとリオネルの首に腕を巻きつけ、身体を寄せた。


 甘い香水の匂いがふわりと漂う。

 フェリシエの柔らかい身体が、リオネルの服越しに密着した。


「フェリシエ殿」


 リオネルは、それらの全てに戸惑いと不快感を覚えたが、女性を相手に力づくで引き剥がすわけにもいかない。

 ややきつい口調でフェリシエをたしなめるが、その身体は離れなかった。


「しばしのあいだお別れなのです。次にお会いするときまで、わたしの温度を覚えておいてほしいのです」

「……お放しください」


 そう言ったときだった。


「リオネル、入るよ」


 当然のように扉を開けて入ってきたのは、ディルクだった。

 しかも一緒にいたのは、レオン、マチアス、――そしてアベルである。


 扉を叩かぬ幼馴染みの不作法を迷惑だと思ったのは、リオネルにとって生まれてはじめてのことだった。


「あ」


 ディルクは二人が抱き合っている姿をみとめて、足を止めた。すぐさま背後を振り返り、


「後退後退! お取り込み中だから」


 両手で三人を部屋から追い出そうとする。


 しかし、即座にアベルの姿を確認したリオネルの瞳と、抱きあう二人の姿に見開かれたアベルの瞳は、すでに完全に視線を絡み合わせていた。

 リオネルは慌てて立ち上がり、フェリシエの腕と身体から逃れる。


「誤解だ」


 部屋を出ていこうとする四人をリオネルは呼び止める。


「悪い、リオネル。今回は、本当に悪いと思った。いいところだったのに、すまない」

「いつもは、本当に悪いと思っていなかったのか」


 と、すかさず指摘したのはレオンである。


「まあね」

「とにかく違うんだ」


 リオネルは扉まで歩んでディルクの腕を掴み、出て行かせないようにする。


「いや、だれも咎めたりはしないよ。別にいちゃいちゃしていたってかまわないじゃないか。いや、本当にすまないことをした」

「だから――」

「申しわけございませんでした」


 アベルが頬を朱色に染め、深々と頭を下げる。

 リオネルは、片手で頭を抱えた。


 するとそばまで来たフェリシエが、リオネルの腕に自らの手を置く。


「そろそろ帰る時間のようですね。ディルク様は、わたくしを呼びに来てくださったのでしょう?」

「ああ、そうだけど、これから盛り上がるところなら、おれたちは玄関横の広間で待っているから、ゆっくりしていなよ」

「もうけっこうよ。充分に盛り上がったわ」

「フェリシエ殿」


 苛立った声を出したのはリオネルである。

 レオンが軽く首を傾げた。


「リオネル、照れているのか?」


 レオンの問いに答えられないでいるリオネルへ、フェリシエは艶やかな笑みを向けて部屋を去っていく。

 その笑みが意味するところに、アベルの顔は真っ赤に染まった。


「ア……アベル。違うんだ。今のは、誤解なんだ」

「……あの……?」


 なにが誤解なのか、アベルにはさっぱりわからない。


「なんの騒ぎだ?」


 隣室にいたベルトランが部屋に入ってくる。


「ああ、ベルトラン。ついにリオネルとフェリシエが、熱い口づけを――」

「していない!」


 リオネルはディルクを睨む。


「ごめん、違った。熱い抱擁を交わしていたんだ」

「…………」


 ベルトランがまさかという顔でリオネルを見てから、恐る恐るアベルに視線を向ける。

 すると、現場を目撃したらしいアベルは、顔を真っ赤に染めて当惑していた。


「だから、それも違うんだ」

「そんなに慌てることないじゃないか。しかも、さっきからどうしてアベルに向かって、言い訳めいたことを並べたてるんだ?」

「――――」


 リオネルは、ひどい頭痛を覚えてこめかみを押さえた。

 頭痛を覚えやすいのは、叔父のシュザンと同じだ。


「ええと……アベル。人はだれでも、魔がさすということがある」


 主人のことを気の毒に感じたベルトランは、彼をかばおうとしてアベルに言ったが、それはまったくの逆効果だっった。

 水色の瞳を幾度もまたたかせるアベルを前に、リオネルはとにかくこの話題が終わることを願った。


「ベルトラン、もういいから。なにも言わないでくれ」


 こうしてベルリオーズ邸を騒がせた三人の貴族の子弟と、その従者は、それぞれの領地へと帰っていった。

 リオネルが心から安堵したのは、言うまでもない。







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