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山の上は雪深かった。
屈強な山賊たちも、分厚い動物の毛皮の外衣を着込んでいる。
彼らが人里から遠く離れて生活するこの集落には、大小の山小屋が並び建ち、それぞれ山賊たちは自らの小屋で火を燃やして寒さをしのいだり、外で斧や槍を振りまわして身体を温めたりしていた。
女と共に暮らす者もあれば、気の合う集団で暮らす者もある。ここは、山賊の村のようなものだった。
「こんなに寒いときは、ここにいるより、山を降りてお宝や若い娘でも漁ってきたほうがいい」
やや大きめの小屋のなか、若者たちが話している。
「気晴らしに、仲間を集めて襲いにいくか?」
「狙うなら、貴族の屋敷の周辺か、やつらの馬車なんかにしようぜ」
「いや、やつらは最近警戒して、衛兵を増やしてる。小さな村のほうが確実に襲える」
「村か……なんだか興奮してこねえな」
数人が話していると、別の者が口を挟む。
「お頭は最近、貴族の館を次々に襲う計画を立てているらしいぜ」
「本当か?」
「ああ、お頭はシャルムの貴族が嫌いだからな」
「それは楽しみだ。あの高慢で気取ったやつらを血祭りに上げたうえに、 高貴な女を抱けると思うと血が騒ぐぜ」
「やつらは、山のように宝石や財宝を持ってるしな」
そのとき木戸が開き、ひとりの若者がなかへ入ってきた。
「お、エラルドじゃねえか」
その姿を見たひとりが驚きの声を上げる。
「おう、久しぶり。なんだか楽しそうだな」
「まあな、お頭のおかげで退屈しねえよ。おまえは独りで戻ってきたのか? ヴィートは一緒じゃねえのか?」
「ああ、あいつはスーラ山に残った」
「そいつはいいや、あいつがいると堅苦しくてしかたがねえ」
「ずっとスーラ山のほうにいてくれたら、せいせいするんだが」
「そうなったら、あっちの山のやつらが、みんなこっちに逃げてくるんじゃねえか?」
仲間が大笑いするのを、エラルドは苦笑しながら聞いていた。ずいぶんヴィートも山賊内で浮いた存在になってしまったと思う。
「ヴィートはいいやつなんだがな」
皆がひとしきり笑ったあと、エラルドが独りごとのようにつぶやく。
「いいやつ? 山賊でいいやつなんていねえよ。〝いい山賊〟なんて、山賊じゃねえ」
「あいつは山賊なんてやめて山の下で暮らしたほうがいいんだ。そうして、あいつがせっせと働き、稼いだものをおれたちが奪ってやる」
「そりゃ楽しそうだ。ついでにやつの嫁さんもいただいちまおうぜ」
「ははは、あんなくそ真面目に嫁なんて来ねえよ」
「おまえら、本当にそんなことしたら、ヴィートになにされるかわかってるのか?」
エラルドがやや呆れ気味に聞くと、山賊らは急におもしろくなさそうに笑うのをやめた。
「言ってみただけだよ」
ひとりが口の片端を吊り上げ、鼻で笑う。
ヴィートの腕は立つ。皆、それをよく知っていた。
ヴィートはけっして暴力を好まなかったが、山賊の仲間らを抑えるためには、それを行使しなければならないことも骨身に染みてわかっている男でもあった。
彼の指示に従わずに凶悪なことをしようとした仲間たちは、半死半生の目に遭っている。それを知る山賊の仲間たちは、ヴィートの怒りを恐れ、彼がいるところでは品行正しい山賊を演じなければならなかった。
そのようなこともあり、ヴィートが仲間から疎まれるのも仕方のないことではあった。
「おれはブラーガに会ってくる。なにか言伝は?」
エラルドが立ち上がると、ひとりは「毎日会ってるからいいよ」と答え、もうひとりは「早く貴族を襲いたいと伝えてくれ」と言い、最後のひとりは「ヴィートを追放してくれ」と言った。
再び苦笑して、エラルドは小屋を出た。
集落のちょうど中心にあり、やや大きめであるということ以外は他の小屋と変わらぬたたずまいの建物のなかへ、エラルドは入っていく。
「ブラーガ、いるか? おれだ」
すぐになかから現れたのは、仲間の一人だった。彼に案内されて、いくつかの部屋に別れた小屋のなかの一室へ向かう。
「エラルドが戻ってきました、頭領」
がらんとした殺風景な部屋の中央には薪が燃え盛り、その傍らで若者が長剣を磨いていた。
若者はゆっくりと顔を上げると、訪問者の姿を確認し、再び無言で視線を長剣に落として手入れを再開させる。
エラルドはそのまえまで行って胡坐をかき、
「ブラーガ、変わらねえな」
と快活な笑顔を見せた。
「エラルド、おまえもな」
「二年ぶりだな」
「…………」
「悪い、ヴィートは連れてこれなかった」
「……別におれはなにも聞いていないが」
「その沈黙は、そういう意味じゃなかったのか?」
ブラーガは長身ではないものの、鋼のような逞しい身体つきである。その身体を丸めて剣を磨きつつ、彼は小さな声で吐き捨てた。
「あいつのことなぞ、どうでもいい」
その様子にエラルドは小さく笑う。
「気になるんだろう? 本当は」
「…………」
「あいつは元気だよ。あいかわらず、あっちの山でも皆に嫌われてるけどな」
「スーラ山でもか」
「このあいだは、寝てるあいだにわざわざ殺しにきたやつがいた」
「それで?」
「もちろん返り討ちに遭っていたけど」
「そんなくだらないことをしているなら、ここへ戻ってくればいいものを」
あいかわらずエラルドに視線を向けずに話しているブラーガだが、彼の思いはなんとなくエラルドには伝わってきた。
あちらの山でも、命を狙われるほど嫌われていると聞き、できればヴィートを自分の目の届く範囲においておきたいと思ったのだろう。カザドシュ山にいれば、頭領のブラーガのまわりでそのようなことは容易にできないし、もしなにかあっても自分の手で守ることができる。
「おまえは昔から変わらねえな」
「なんのことだ」
「いつも、いじめられっこのヴィートを助けたのは、おまえだった」
「……どれだけまえの話だ」
「大丈夫だよ、今のヴィートは子供のころと違って強いから。それよりおれは、あいつがいつか山から降りてしまうんじゃないかってことのほうが心配だ」
「…………」
「『山賊やめたい』」
「なんだそれは」
「ヴィートからの伝言だよ」
ブラーガは小さく舌打ちした。
「あいかわらずそんなことを言っているのか」
「いくつになっても、夢のなか……ふわふわとした雲の上にいるようなやつだよ、あいつは」
「くだらない」
ブラーガはそう言い捨て、手入れの終わった長剣を脇に置くと、次いで斧を磨きはじめる。
囲炉裏の火が大きな音をたてて爆ぜた。
「シャルムの貴族の館を襲撃するんだって?」
エラルドは囲炉裏からブラーガへ視線を戻し、尋ねる。
「ああ。もう知っているのか」
「仲間が楽しそうに話しているのが聞こえてきたよ」
楽しそうに、と聞いて、ブラーガはどこか嘲るように苦笑した。
「やつらは近頃、かなり警戒していると聞いたけど?」
「なにも本邸を狙わなくてもいい。警備の手薄な別邸や、離宮を狙えばいいんだ」
「王弟派とやらにかぎるのか?」
「先代がシャルムの王族と交わした約束など、おれの知ったことじゃない。山脈のふもと一帯の貴族ならどこでもいい」
「よほどシャルムの王侯貴族が嫌いなんだな、おまえは」
「……退屈なだけだ」
「退屈」
「山の連中も、地上の連中も、みんな虫けらのように弱い。なにかおもしろいことを派手にしてみたいと思っただけだ」
「……虫けらね。まあ、どんな理由であれ、仲間もみんな楽しそうだからいいんじゃないか」
エラルドは目の前の逞しい身体つきの男を見やる。
山賊たちは、この若く冷酷で残忍な頭領に対し、畏怖と尊敬の念を抱き、付き従っている。
二年前のあの日、チェルソの首を刎ね、分裂しそうになっていた山賊をまとめあげたこの若者は、なにか孤独で重たいものをチェルソから引き受け、背負っているようにも見えた。
「そうだ、さっき話してた仲間からの伝言だけど、ひとつは『早く貴族を襲いたい』で、もうひとつは『ヴィートを追放してくれ』……とのことだ」
聞いているのかいないのか、ブラーガは反応しなかった。
しばらくして、エラルドが「じゃあまたな」と腰をあげると、うつむいたままのブラーガが彼を呼びとめた。
「エラルド」
「なに?」
「おれは、あいつがいるから、好きなことをやっていられるんだ」
「あいつって、ヴィートのことか?」
「あいつが、ふわふわとくだらない夢物語を語り、理想を追求して、生ぬるいことをやって……あいつがそうしているから、おれはそのぶん、こうしてやりたいようにやっていられるんだ。おれの悪行のぶんだけ、あいつが償ってくれているような気がする」
「…………」
しばらくエラルドはそのまま足を止めて、なにか話の続きがあるのではないかと待っていたが、ブラーガはそれ以上なにも言わなかった。
あいかわらず顔を上げぬままなので、山賊の頭領が、どのような思いでそれを言ったのかわからなかった。ただひとつだけ、エラルドにもわかることがあった。
それは、この男には、ヴィートという存在が必要なのだということだった。