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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第二部 ~男装の伯爵令嬢は、元婚約者の親友の用心棒になる~
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 天井から下がるシャンデリアの水晶が、蝋燭の火の光をはじいて輝いている。


 金箔で縁取られた壁画が壁一面に連なり、それぞれの絵には、ベルリオーズ領内各所の風景と、かつての領主や高名な騎士の姿が描かれていた。


 壁画と壁画の境目にある鏡は大燭台の光を反射し、室内をより明るく照らす。

 鏡の前には大理石の胸像、壁際には背もたれのない腰かけが等間隔に並べられ、その合間に、食事と飲み物が載った飾り机が配置されていた。


 ベルリオーズ邸で催される、新年の宴。


 最高の食材と技量で作られた馳走、高級な酒の匂い、贅沢に薪を使用して燃える暖炉の火、奏でられるリュートやフィドルの音色、それに併せて中央で繰り広げられるダンス、そして、四年ぶりに正式に帰館した若いベルリオーズ家の嫡男リオネルと、その友人であるレオンをはじめとする高貴な客人らの存在に、会場内は酔いしれていた。


 浮かれたような空気が満ちているなか、けれどアベルは、どこか冷めた気持ちで巨大な扉窓の硝子にもたれかかっている。

 この扉窓を開ければ外のバルコニーに出られるが、さすがに真冬なので外に出る者はない。


 ベルリオーズ家に仕える家臣の妻子らしき若い女性たちが、美しい水色の礼服をまとったアベルに目を奪われ、踊りや会話に誘ってきたが、それを曖昧な笑顔で謝絶しながらアベルは蜂蜜酒を飲んでいた。

 彼女が着ている、瞳の色と同じ淡い水色の服は、リオネルが宴のまえにわざわざ部屋に持ってきてくれたものだ。


「綺麗な色だから、アベルに似合うと思って」


 そんなふうに言って服を差し出したリオネルは、アベルがそれを遠慮がちに受けとると、どこかほっとしたような顔をした。

 十三歳のときに着ていた礼服だそうだが、今のアベルにちょうどよい。そして、リオネルが予想したとおり、色の白い彼女に淡い水色が映え、とてもよく似合っていた。




 アベルを含めて家臣らは立食であるが、会場を見渡せる席では、ベルリオーズ公爵を中心として、リオネルや客人らが食卓を囲い談笑している。


「それにしても、フェリシエ殿は美しくなられましたね」


 惚れ惚れとアベラール侯爵がフェリシエを眺めると、彼女の父が誇らしげに答えた。


「それもこれも、フェリシエがリオネル様をお慕いする気持ちからくるものでしょう。女性は、想う相手がいると変わりますからね」

「はあ、なるほど。リオネル殿の存在のおかげですか。我が娘たちも、もう少し生まれるのが遅ければ、リオネル殿のお相手になれたのですが、あいにく三人ともすでに二十歳を超えております。いや、残念です。ディルクが女であったら、迷うことなくリオネル殿に嫁がせたのですが」

「父上、気持ち悪いことを言わないでください」


 ディルクが顔を引きつらせる。


「それに、姉上たちはすでに他家に嫁いでいるではありませんか。未練がましいのでは」

「貴殿の娘御は、皆、良家に嫁がれている。喜ばしいことではないか」


 鴨の肝臓とイチジクの砂糖漬けがのったパンを片手に持ちながら、ベルリオーズ公爵が言った。


「それに、娘がいるというのはうらやましい。私には息子一人だ。三人も娘がいるというのは華やかなことだろうな」

「華やかというか、騒々しいというか……」


 ディルクのつぶやきを遮るように、アベラール侯爵が言う。


「よいではありませんか、クレティアン様。あとしばらくすれば、フェリシエ殿がこの館に来るのですから。そのうち、お子もできて、それは賑やかになりましょう。リオネル殿とフェリシエ殿のお子ならば、輝くような赤ん坊が生まれるでしょうね」


 フェリシエは「まあ」と頬を赤くそめたが、リオネルは表情を変えず、無言で食事を続けていた。


「ディルク殿は、新たな婚約者は探されないのか?」


 シャルルに水を向けられて、ディルクは苦笑した。


「おれは王宮であれこれ噂されて疲れたから」

「そうだったな。それでは当分、必要なさそうだ」


 その言葉に皆が笑ったが、彼の父であるアベラール侯爵は溜息をつく。


「笑いごとではありません。妻を娶り、アベラール家の直系の血を継ぐ者を作ってもらわなければ、将来が心配なあまり、私はおちおち夜も眠れません」

「だそうだが、いかがかな、ディルク殿」


 シャルルに問われたディルクは、回答を避けるように背後に控えているマチアスを振り返った。


「だそうだけど、どうなのかな、マチアス」

「さあ……申しわけありませんが、私は会場のほうへ足を運ぼうかと思っていたところでしたので、これにて失礼いたします」


 すかさずそう言ったマチアスは、一礼してその場を立ち去る。


「逃げたな、マチアスめ。主人を置いて逃げるとは、いい心構えだ」


 ディルクの非難はマチアスの耳に届いたかどうか。


「あはは、マチアスほどディルクにぴったりの従者はいないな」


 さもおかしそうに笑ったのはレオンである。


 マチアスが会場へ向かい、アベルのもとへと行くのを、リオネルは目で追っていた。

 先程からだれとも話さず、窓際でひとり銀杯を傾けているアベルのことを、マチアスも少なからず気にしていたのかもしれない。話しかけられたのを契機に、この場を離れたのだろう。


 リオネルは自分がアベルのそばに行けないことを、もどかしく思う。

 ベルトランを向かわせようにも、リオネルはエルヴィユ家の者たちに囲まれ、ベルトランと離れており、それとなく会話を交わすこともできなかった。


「ディルク、そなたは早く落ち着き、私に孫の顔を見せてくれ」


 息子の従者が会場へ行くことを気にとめずに、アベラール侯爵は説得するような調子で言う。


「姉上たちの産んだ孫たちがいるではありませんか」

「アベラール家の跡取りたる孫の顔が見たいのだ」

「私の次の跡取りは、養子でもいいのでは」

「馬鹿を言うな。私の血が流れていなければ、意味がない」

「姉上のお子をひとりもらいましょう」


 のらりくらりと回答する息子に、アベラール侯爵はうんざりとした表情で、卓に肘をついた手で頭を抱えた。


「彼女が亡くなったのは事故と聞いている。気持ちはわかるが、そなたがいつまでも気に病み引きずることはない」

「……父上、ここでその話をするのはやめましょう」

「ならば、別の場所でするのか?」

「そうではなく――」


 こみいった話になりはじめたので、公爵は続きを遮るように二人の前に手をかざす。


「人間、年をとると早く孫の顔が見てみたくなるものだ、ディルク殿。私も気持ちは同じだ。そして孫の時代には、けっして命を狙われるようなことがあってほしくないと思う」

「そうですね、国王派の手から公爵様のお血筋を守らなければなりません」


 エルヴィユ侯爵は、そう言ったあと、やや気まずげに咳払いをした。この場に国王派の主要人物であるレオンがいることを、束の間、失念していたのだ。


 レオンは、国王派と王弟派、どちらの宴にも自分が参加していることに複雑な思いを抱いた。

 皆の自分に対する視線は好意的ではあったが、自分の父がベルリオーズ公爵の王位を簒奪し、自分の兄がリオネルの命を狙っている以上、居心地の悪さはぬぐい切れない。


 その場の空気が重くなりかけたとき、そこに風穴を空けたのは、ディルクのつぶやきだった。


「……マチアスのやつ、会場であんなに楽しそうにアベルと話してやがる。なんだかずるいな」


 緊張感がないようにもとれたが、それはわだかまった空気を和らげ、レオンに逃げ場を提供した。気遣いとは周囲に思わせずに、さりげなく気遣ったのだ。


 レオンは右手で頭をかいてから、王弟派諸侯らに配慮して遠慮がちに言う。


「私も会場のほうへ行く。皆は引き続き話していてくれ」

「殿下」


 公爵が呼び止めようとするが、レオンはすでに立ちあがっていた。


「向こうにある酒が飲みたくなったのです、叔父上」


 さすがのレオンも、叔父であり、正統な王位後継者であったベルリオーズ公爵には敬語である。


「であれば、女中メイドに持たせましょう」

「いえ、いいのです。マチアスのように、会場から宴の景色も、眺めてみたいと思いまして」

「そうですか」


 去っていく王子の後ろ姿に、アベラール侯爵らは席を立って軽く一礼した。

 しかしリオネルだけは、会場のほうに気をとられていたため、その動作が皆より一拍遅れる。

 リオネルの視線の先にあるのは、マチアスと会話するアベルの姿である。


「リオネル様」


 隣に座っていたシャルルに名を呼ばれ、はっとしたリオネルは即座に状況を呑みこみ、皆と同じくレオンに一礼した。

 レオンとは従騎士仲間であり、親しい友人でもあったが、このような公の場では、けじめをつける必要がある。それはディルクも同様だった。


「リオネル殿はどこかご気分がすぐれませんか?」


 やけに寡黙であり、心ここにあらずというような雰囲気のリオネルに、アベラール侯爵が声をかける。


「いいえ、大丈夫です」


 リオネルはやはり言葉少なに返答し、再び席についた。


「どうでしょう、我々がいてはゆっくり話しにくいでしょうから、リオネル様とフェリシエは二人で隣室に移っては」


 リオネルにとって甚だ迷惑な提案をしたのは、エルヴィユ侯爵だった。


「それはよいですね、ご婚約されるお二人が、久しぶりに会われたのですから。周囲に邪魔者がいては無粋でしょう」


 ありがたくないことに、アベラール侯爵もエルヴィユ侯爵に同調する。


「リオネル、フェリシエ殿を連れて、隣の広間へ行きなさい」

「父上、私は――」

「将来の妻となるフェリシエ殿と、積もる話もあろう」


 リオネルが黙りこんだときだった。

 会場内で、床になにかが落ちる金属音が響き、そして静寂が訪れた。


 皆がいっせいに視線を向けた先には、マチアスとレオン、そして、銀杯を手から落としたアベルがいた。





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