表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第二部 ~男装の伯爵令嬢は、元婚約者の親友の用心棒になる~
73/513

32






 しばらく他愛もない会話が続いたが、ベルトランがアベルを連れて扉口に現われると、皆がいっせいにそちらを向いた。


 広間に連れてこられたアベルは、皆の前でひざまずく。

 多くの貴族らの視線にさらされたアベルの姿は、いつもよりひどく脆いもののように、リオネルの目には映る。叶うなら、この少女をだれの目にも触れないところに隠しておきたかった。


「……私の従騎士、アベルです」


 ベルトランに紹介され、アベルは頭を垂れたまま口上を述べた。


「さきほどは見苦しい姿をお見せし、まことに申しわけございませんでした。わたしは、ベルトラン様の従騎士をしているアベルと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」

「なかなか落ちついた物腰の少年ですね」


 シャルルがつぶやくと、ベルリオーズ公爵は重々しい声をアベルの頭上に落とした。


「アベル、立ちあがり面を上げなさい」

「はい」


 立ち上がって再び軽く礼をした少年を、客人らは好奇と驚きの眼差しで見つめる。

 これほど美しい少年を、華やかな貴族社会を生きる彼らでさえ見たことがない。


「そこにおられるのはアベラール侯爵殿、ならびにエルヴィユ侯爵殿と、その嫡男シャルル殿、そして、その妹御のフェリシエ殿だ」


 公爵に紹介され、かすかな緊張がアベルの喉元にせりあがる。

 今、目前にしているのは、将来リオネルの妻になる女性、フェリシエ。

 そして、アベルの父であるデュノア伯爵を知るアベラール侯爵――かつては義理の父となるはずだった男だった。


「お目にかかれて、大変光栄です」


 アベルは深く一礼する。

 すると、ゆっくりとフェリシエが近づき、自らの白い手をアベルのまえに差し出す。

 アベルはかがんでその手をとり、甲に軽く口づけを落とした。その流麗な身のこなしを、フェリシエはじっと見下ろしている。


「あなたがアベルという名の従騎士ですね。まだ、十五歳とは……なんてかわいらしい。どちらの家の方なのかしら?」

「わたしは貴族ではありません、フェリシエ様」

「まあ、貴族ではない? リオネル様のおそば近くに仕えるのに?」

「…………」

「フェリシエ殿、アベルはもともとローブルグの騎士の家系の者です。この国ではあいにく貴族ではありませんが」


 アベルを擁護したのは、リオネルである。


「あらそうですの」


 フェリシエは艶やかな笑顔をリオネルに向ける。


「あんまり綺麗な子なので、貴族かと思いましたわ」


 そして彼女は、リオネルに向けたのと似通った笑顔を、アベルにも向けた。

 アベルは少し頬を赤らめてうつむく。間近で見るリオネルの婚約者は、実に華やかで美しい女性だった。

 眉目秀麗なリオネルと、咲きかけの薔薇のようなフェリシエ。これほど似合いの二人はいないだろう。


「アベル、あなたはたとえ貴族ではなくても、わたしの夫となるリオネル様を守る大切な役目を担うのですもの。これからぜひ仲良くなりたいわ」

「もったいないお言葉です」


 フェリシエの言葉に、アベルは頭を下げた。


「あなたの顔が見たいわ。頭を上げて?」


 アベルはゆっくりフェリシエに向きなおる。

 二人の視線が静かに交わった。


「綺麗な水色の目ね……」

「……おそれいります」


 フェリシエの青緑色の瞳に比べたら、自分の目の色など、どれほどのものだろうかと思う。


「ベルトラン殿の従騎士になるまえは、そなた、なにをしていたのだ?」


 エルヴィユ侯爵が問う。


「サン・オーヴァンの街で、家族と暮らしておりました」

「家族とは?」

「父母と、産まれたばかりの弟です」

「そなたの両親は今なにをしているのだ?」

「……鍛冶屋でしたが、病気で二人とも亡くなりました」


 レオンがちらとディルクの顔を見ると、ディルクはうなずく。

 二人とも、アベルの境遇について、そのような話は聞いたことがない。周囲を納得させるための方便であることは容易に想像ができた。


「それは気の毒なことだ……それでは、弟はどこにおるのだ?」

「今は、サン・オーヴァンのベルリオーズ家別邸におりますが、春からはこちらへ移る予定です」

「……ほう」


 エルヴィユ侯爵は、なにか思うところがあるような目線でちらりとリオネルを見やる。

 リオネルは、平民で年端の行かぬ少年を、その幼い弟とともに引きとり、そばにおくというわけである。貴族同士でしか交流を持たない彼らの社会においては、信じられないことだった。


「ローブルグ貴族の血を引くとはいえ、平民として暮らしていたにもかかわらず、なぜそなたは剣を使えるのだ?」


 アベラール侯爵がはじめてアベルに声をかけた。

 わずかに高鳴った自らの鼓動を感じつつ、用意しておいた回答を慎重に口にする。


「物心ついたときから、父の作る剣や武具がすぐそばにありましたので」

「それだけの理由で?」

「……もとはローブルグの騎士の家系ですので、父は幼いころからわたしに剣を教えてくれていました」

「そなたの父は、そなたに剣を教えてどうするつもりだったのだ」

「騎士としての誇りを忘れぬようにと」

「……なるほど。しかし、ローブルグの騎士が、シャルムの貴族に仕えるということに、そなたはなにも感じぬのか?」

「先祖がローブルグにいたのは昔の話です。そして、仕える主君は自ら選びたいと思っておりました。わたしの主君は、リオネル様以外にはありえません」

「それほど思い入れがあるのは、なぜなのだ? そなたはどのようにしてリオネル殿に見出されたのだ?」

「それは……」

「父上、もういいではありませんか」


 ディルクが苦笑して父侯爵を見やる。自分も同じ種の人間であることは棚にあげておいて、根掘り葉掘り聞く父に対して呆れ果てていた。


「ずっと質問攻めでは、彼も疲れるでしょう。とりあえず挨拶のために呼んだのですから、深い話は別の機会にして、そろそろ解放してあげてもよろしいのでは?」

「それもそうか」


 鋭い質問を投げかけてきたアベラール侯爵だったが、最後にアベルにあたたかい笑顔を向ける。それは、ディルクの笑顔によく似ていた。


「一度にいろいろ聞いてすまなかったな」


 息子に甘いという意味では、アベラール侯爵もベルリオーズ公爵と同じだった。次々と生まれてくる子供たちはそろって女であり、ようやく四人目にしてディルクが産まれたのである。待ち望んだ男児であり、アベラール家の大切な跡取りでもあった。


「アベル、来てくれてありがとう。もう戻ってかまわない」


 最後にリオネルからすまなそうな顔を向けられ、アベルはその気遣いに笑顔を返す。


「ご用向きなどございましたら、いつでも声をおかけください」


 皆に向かって一礼し、アベルは部屋を辞した。






「よく耐えたな」


 アベルの姿が見えなくなると、ベルトランがリオネルにだけ聞こえるほどの声で言った。

 リオネルは自嘲気味に微笑し、首を横に振る。


「とてもじゃないけど、見ていられなかった」


 フェリシエや侯爵らに囲まれ、次々と投げかけられる質問に対して、作り話を返し続けなければならなかったアベル。

 その気持ちを思うと心が痛む。

 そして、父と対面したときのように真実を告げてしまわないか、気が気ではなかった。そうなればアベルは今度こそ、ここにいられなくなる。


 リオネルは、幾度、質問を遮ろうとしたことか。けれどそれをぐっと押し留めたのは、アベルのためだった。

 ここでリオネルが質問を中断させれば、彼らは納得できないだろう。それどころか、リオネルがかばったことで、彼女はかえって立場を悪くする。

 それがわかっていたから、安易に口を挟むことができなかった。


 ベルトランはそんなリオネルの状況をよく理解していた。


「今回は、質問を打ち切ったディルクに感謝しなければならないな」

「そうだね」


 二人の小声を拾って、ディルクが振り返る。


「なに? おれがどうしたって?」

「……耳がいいんだな、おまえは」


 リオネルが微妙な顔になると、レオンがディルクを指差し、糾弾した。


「こいつは〝地獄耳〟の持ち主だ」

「そうかな?」


 ディルクが楽しそうに首をかしげるので、レオンは念を押す。


「言っておくが、褒め言葉ではないぞ」

「あ、そう」


 ディルクはわざとらしく肩をすくめたが、こたえた様子は少しもなかった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ