27
「あの男は、頭が切れる」
口の片端を釣り上げてつぶやいたのは、大神官ガイヤールだった。
「すべて計算のうえだったのでしょう」
エルネストが王弟派の娘が同席することについて、快く思わないこと。娘を連れていくと進言すれば、ジェルヴェーズが激昂し、シュザンに対してなにかしらの危害を加えようとすること。そうすれば、おそらくエルネストがそれを制止するであろうこと。そうして、エルネストがジェルヴェーズを諌めるうえで、娘のことも諦めるように言うであろうこと――。
それら全てを計算していたのだ。もちろん、命をかけた賭けでもあっただろうが。
「だからこそ、陛下の信頼を得ているのであろう」
ブレーズ公爵が、ガイヤールにだけ聞こえるほどの小声でささやいた。
ジェルヴェーズは怒りと屈辱で言葉を発せられないまま、長剣を鞘に戻す。
「ジェルヴェーズ、今宵はそなたが気に入っている者を呼ぶゆえ、それで我慢せよ。あのような生娘よりよかろう」
「いりません」
ジェルヴェーズは小さな声で言った。
「そなたがよいなら、かまわぬ。では、話をはじめよう」
エルネストはあっさりと息子の意見を受け流し、立ちすくんだままの彼と、窓辺にいたガイヤールに、座るよう促す。
ジェルヴェーズは激しい感情を押し殺したまま、無言で椅子に腰かけた。
「ジェルヴェーズ、レオンは西方の国境地域の視察からいつ戻るのだ」
「……知りません」
「そなたが、命じた視察であろう。期間を指示しなかったのか」
「忘れました」
「視察中、常にアベラール侯爵家を拠点にしておるのか」
「存じません」
「…………」
子供のようにふてくされた息子に、国王エルネストは呆れたような視線を向けたが、ジェルヴェーズは腕を組んだままうつむいている。その態度に嘆息してから、国王はその場に集まった顔ぶれを見渡した。
「貴殿らの耳にも届いていると思うが、このところ、左翼のラ・セルネ山脈に巣食う賊が以前にもまして治安を乱している。これが、放っておけないほどになりつつある」
ブレーズ公爵が、葡萄酒を口に運びながらうなずいた一方で、ルスティーユ公爵はやや首を傾げた。
「山賊どもが襲うのは王弟派の所領のみ。我らには関係ない話ではありませぬか」
ルスティーユ公爵がそう言ったのにはわけがあった。王弟派の所領を襲撃するのであれば罪を問わないと、かつて彼らに約束したことがあったからだ。そのときからすでに十年以上が経っていたが、約束は守られていたはずだった。
「それは、もはや昔の話。最近では政派を問わず被害の報告がきている。ラ・セルネ山脈沿いの町や村では、作物や私財が奪われ、女子供がさらわれ、家が焼かれる。さらに深刻なのは、諸侯でさえ標的にされていることだ。領民と同様に、領主の馬車や城館が襲撃され、財宝が奪われ、子弟が連れ去られるという。これ以上、手をこまねいてはおれまい」
「これまでどおり王弟派のみ襲っておればよいものを、なぜ、やつらは我らの政派にまで手を出し始めたのでしょう」
ルスティーユ領はシャルム王国の東方――竜の右翼に位置するため、左翼に位置するラ・セルネ山脈近郊のことについて、ルスティーユ公爵は詳しくなかった。
一方、左翼のすぐ下に位置するブレーズ領には、山脈沿いの所領についての噂が届く。
「山賊の束ね役が代わったのです。我々の言伝を受け取った頭領は、もはや死んだ模様」
「死んだ? 頭領が?」
「正確に言えば、殺されたようです。現在の頭領に」
「……前頭領を弑し、我らに刃向かうか。血の気の多そうな者ですな」
ルスティーユ公爵は、ブレーズ公爵の説明に唸る。
「その首領、まだ年若いらしく、アンセルミ公国の貴族の末裔で、名を〝ブラーガ〟というようだ」
ブレーズ公爵の説明を補足したのは国王である。
「アンセルミ公国……かつて我が国が征服し、取り込んだ国ですな」
「シャルム王国に恨みを抱いているということでしょうか」
ガイヤールが腕を組みながらつぶやくと、ルスティーユ公爵は首をひねった。
「しかし、アンセルミ公国が亡んだのは遥か昔のこと。恨むにしても、時間が経ちすぎているのでは」
「たしかに過去の話ではありますが、平民ならまだしも、貴族の末裔であれは、大神官殿がおっしゃるように、かの国を滅ぼした我が国に対して、よい感情は抱いていないことは充分に考えられること」
今の頭領が率いているあいだは一筋縄では行かないかもしれない、とブレーズ公爵は静かな口調で言う。
「これまでのように、王弟派のみに被害を集中させることはできないものでしょうか」
眉をひそめて考えこみながら、ガイヤールは繰り返した。
「再び今の頭領に、罪に処さないということを約束して、我ら政派に手を出さぬよう約束できないものでしょうか」
「余もそれを考え、偵察も兼ねて、試しにラ・セルネに使者を送ったのだ」
「それで?」
「後日、使者の死体が麓に打ち捨てられていたそうだ」
「……それは、それは」
ガイヤールが口の片端を釣り上げる。
「それが返答ですか」
「賊の拠点まで辿りついたか、あるいは途中で見つかったか……いずれにしても、明確な反応ですね」
ブレーズ公爵の口調は淡々としていた。
ラ・セルネ山脈の山々に立ち入ることは容易ではない。山賊の塒の在処も、未だ謎に包まれたままである。彼らに会うためには、一か八かで山に入るしかないうえに、使者に起きたことを考えれば生きて帰ることは、まずもって不可能なことであるようだった。
「もはや討伐するしかあるまいか」
国王が重々しく言うと、ルスティーユ公爵はやや表情を曇らせた。
「しかし、彼らの居場所もわからないまま、討伐に踏みきるのはいかがなものでしょうか」
「正騎士隊を動かして、一帯を包囲するというのはいかがでしょう」
ガイヤールの提言に国王は難色を示す。
「正騎士隊か……しかし北方が不穏な今、我が国の兵力を山賊討伐などに割くのは、気が進まぬ」
国王が懸念していたのは、大陸の北東に位置するエストラダ王国のことだった。
かつて小国だったその国の勢いは、今や大陸中を戦慄させていた。
二年前、フエンリャーナ王国が征服された直後、エストラダと西側の国境を接するアカトフ公国と、その隣国であり、大陸の最北部で角のように突き出た半島に位置するエルバス王国は同盟を組んだ。エストラダの脅威に備えてのことである。
しかし、エストラダ王国は同盟国が警戒していたとおり西に侵略を開始し、小国アカトフ、そしてエルバスの両国を、二年もかけずに圧倒的な力で征服してしまった。
徐々に北方から漏れ聞こえてくるエストラダ軍のその戦いと侵略、征服のありさまは、実に残酷で無慈悲なものだった。エストラダ兵は、進軍する先々で、民を殺し、彼らから食糧や物資を略奪する。降服して剣を手放した敵兵に対しても殺戮を続け、捕虜になった兵士たちは拷問の末に、まとめて火にかけられるという。
国を滅ぼされた王族たちのほとんどが、街の広場で絞首刑にされた。
周辺国一帯を血の色で染めあげる勢いのエストラダ王国は、どこまで大陸を侵略し、支配する気なのか。
鷹の国土図を徐々に完成させつつあるエストラダ王国に、ここ、竜の形をしたシャルム王国も脅威を覚えずにはおれなくなっていた。王がしきりに気にかけているのも当然のことである。
そんな折に、山賊被害という厄介な問題が持ち上がったのである。
「包囲するにしても範囲が広大すぎるうえに、シャルム側しかできぬ。下手に動き、正騎士隊に被害が生じれば、我が国の軍事力は北方との戦い以前に脆弱になる」
「しかし、正騎士隊を動かさなければ、手強い賊どもを討伐することはできますまい」
「ふむ……だから、余も決めかねているのだ」
「陛下、私にひとつ案があります」
そう言ったのはブレーズ公爵だった。
「言ってみなさい」
「あくまで思いつきですが……左翼のことは、左翼にいる者に任せればよいのではありませんか」
「というと?」
「ベルリオーズ家に討伐をお命じになればよいのです」
その言葉に一同はしばし押し黙ったが、しばらくしてガイヤールが「なるほど」とつぶやいた。
「それは妙案かもしれません」
「しかし、山賊は手強い。いったい何人いるかもわからぬ。正騎士隊を動員しても一掃できる確証はないのに、ベルリオーズ家だけで討伐ができるものか」
「あの家は強兵を有しております。ベルリオーズ家の指揮のもとでラ・セルネ沿いの領主の兵を結集すれば、国の軍を動かさずとも討伐は成しえます」
「陛下、ブレーズ公爵の案は思いもかけぬ収穫を生みましょう。あわよくば賊と領主家の連合軍は相討ち、万が一、貴族側が負けたとしても、ベルリオーズ家は相当な痛手を被り弱体化します」
ブレーズ公爵とガイヤールの言葉に、ルスティーユ公爵は深くうなずく。
そのとき声を発したのは、ふてくされ、長らく口を閉ざしていたジェルヴェーズだった。
「これ以上の良策はございません、父上。ベルリオーズ家と山賊が共に勢力を失えば、そのときこそ、我々が両者を容易にひねりつぶすことができましょう」
「……たしかに」
「そして、戦いの混乱に乗じて、リオネル・ベルリオーズの命を奪うのです」
ルスティーユ公爵がジェルヴェーズの言葉に同調する。
「よい機会ですな。刺客を放ってもよし、山賊に殺させるのもよし」
「我々の手を汚さずに山賊を一掃、ベルリオーズ家は疲弊、リオネル殿は亡くなるかもしれない……ということですね」
ガイヤールが酷薄な笑みを浮かべた。
「貴殿らの意見はわかった。――そのように進めよう」
エルネストのひと言で、この夜の議題の流れが方向づけられたのだった。
宮殿の一室で密談が進む一方、外の暗がりではエドガールが思いつめた顔で壁に寄りかかり、シュザンの戻りを待っていた。
「エドガール」
声をかけられて一瞬びくりと肩を震わせるが、その声がシュザンのものであると知ると、慌てて声のほうを振り向く。シュザンの腕のなかの娘を見て、一目散に駆け寄っていった。
「レア……! レア!」
「大丈夫、気を失っているだけだ。怪我はない」
「ああ――――」
エドガールは、シュザンから意識のない娘を受けとり強く抱きしめた。その目からは、温かい涙が伝う。
「よかった――」
その姿に、シュザンは口元に笑顔を浮かべながらも、重い吐息を漏らした。
「シュザン様、ありがとうございます。なんとお礼を言ってよいか――本当に、本当に、ありがとうございます――」
「婚約者殿が無事でよかった。しかし、これから先も、殿下はレア殿を見かければ同様のことをなさるかもしれない。陛下もおっしゃられていたが、今後、レア殿を宮殿に連れてきてはならない。それだけは必ず守ってくれ」
「……だれに言われなくとも、もうレアをこんなところへ連れてきたりはしません。絶対に」
エドガールはかすれた声で、憎々しげに吐き捨てた。今回の一件で、エドガールはジェルヴェーズを永遠に憎むことになるだろう。
ジェルヴェーズ自身にとっては、娘一人を抱けなかったことなど些細な出来事であり、レアのことなどすぐに忘れるだろう。むしろ彼に関して言うならば、今回の結果自体ではなく、その結果を導いたシュザンに対して相当な不快感を抱いたはずだ。
だがそれも、しかたないことだった。
エドガールとレアを守るためにはこうするしかなかったし、それがなくとも、もとからあの王子には嫌われていたのだ。今更それが憎しみに変わったところで、大差はないような気がした。
しかし……、とシュザンは思う。
このままジェルヴェーズがシャルムの国王になったら、この国はどうなるのだろうと不安を覚えずにはおれない。
ジェルヴェーズの政治的手腕を評価する以前に、彼は性格それそのものが破綻している。
気に入らないことがあればだれにでも暴力を振るい、ひどいときには死にまで至らしめる。今は、父である国王の存在がそれに歯止めをかけているが、ジェルヴェーズが王になった日には、この国は崩壊してしまうのではないかとさえ思える。
そのような未来を想像していると、ふと、本当にリオネルが王になってくれれば、と思うのだ。
――あの、心優しく聡明で冷静沈着な青年が王になれば、この国の未来はどれほど明るいだろう。
シュザンは、しかし、小さくかぶりを振った。
それは、とてつもなく危険な考えだった。
リオネルが玉座に座るためには、国王派と王弟派の大規模な衝突は避けられない。そのとき、シャルム王国は二分し、多くの血が流れるだろう。最悪の場合、その血のなかにリオネルの血が混ざるのだ。
この国を、あの青年を、そんな目に遭わせてはならない――。
シュザンは硬く瞳を閉ざした。