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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第二部 ~男装の伯爵令嬢は、元婚約者の親友の用心棒になる~
55/513

15





 ディルクは眉間に皺を寄せ、不可解だという顔をした。


「なんだそれは?」

「なんだとおっしゃっても、今、申し上げたとおりです」

「レオンがこんなところにいるはずないだろう」

「そのとおりですが」

「おれに聞くまでもない。さっさとつまみだして、道端に放り出しておけ」

「かしこまりました」


 マチアスは頭を下げると、扉を閉める。

 けれど完全に閉まり切る寸前に、なにか思い直したように扉は再び開いた。


「なんだ、まだなにかあるのか?」

「いえ、そういえばその男……『愛想がいいわりには口が悪く、要領がいいわりには不器用で、迷惑なほど無駄に地獄耳なディルクに会わせろ』とわめいているそうなのですが」

「…………」


 束の間ディルクは言葉を失ってから、引きつった顔で口を開いた。


「今すぐ、その男をここに連れてこい」

「よろしいのですか?」

「今すぐだ、早くしろ」

「かしこまりました」


 マチアスが部屋を去ると、ディルクは机に手をついてうつむいた。

 その肩が震えている。

 けれど薄茶色の髪に隠された青年の顔のあたりから、今度は涙ではなくて、笑い声がこぼれた。


 はじめは小さかった笑い声も、しだいに我慢できなくなり、ディルクは腹を抱えて笑い出し、それは、〝レオン王子と名乗る男〟が衛兵によって部屋に連れてこられると、さらに盛大なものになった。


「なに笑ってやがる」


 レオン王子と名乗る男が、後ろ手に拘束され、仏頂面で言った。


「ごめんごめん」

「ディルク様、お気をつけください。この男は、ディルク様に対して暴言を吐き散らしておりました」


 衛兵が真剣な面持ちで、館の跡取りに進言する。


「ああ、そうみたいだね」


 ディルクが笑いをこらえていると、拘束された男はうんざりした面持ちになった。


「早くこの腕の縄をほどいてほしいのだが」

「そうだ、そうだった。ごめんごめん、解いてあげて」

「は、しかし、ディルク様……!」


 慌てる衛兵に、ディルクはなんとか答える。


「ここにいるの、本物のレオン王子……」


 呆然とした衛兵の顔が、徐々に赤らみ、そのあと、みるみるうちに青ざめる。


「お……おおおおおお王子殿下っ?」

「そうだよ、シャルム王国第二王子のレオン殿下」


 ディルクの声に弾かれたように、衛兵はレオンを拘束する腕の縄を短剣で断ち切る。


「し……失礼しました! 数々のご無礼、失言、なにとぞご容赦くださいませ!」


 床に這いつくばるようにして、衛兵はレオンに頭を下げた。


「はあ……散々な目に遭った。ディルク、おまえは自分のところの兵士をどのように教育しているのだ」

「不審なやつがいたら、とりあえず捕まえて縛り上げるように言ってある。……衛兵、そんなに動揺しないでも大丈夫だ。おまえは言いつけどおりに働いたのだから。よくやってくれた。もう下がっていいよ」


 額を床にこすりつけるようにひれ伏す衛兵の上に、ディルクはあっさりと告げた。


「え、しかしディルク様……」

「いいんだ。平凡な顔の男が一人でのこのこ現れて、自分はレオン王子だなんて叫んだら不審者以外の何者でもないのだから、しかたがないよ。おまえは早く警備に戻りなさい」

「……は」


 衛兵は非礼を咎められなかったので、ためらいつつも、もう一度レオンに深々と頭を下げて部屋を辞した。

 室内にレオンとディルク、そしてマチアス以外にはだれもいなくなると、ディルクは再び笑いだす。


「いつまで笑っているのだ」


 レオンが呆れて言った。


「ディルク様、失礼ですよ」


 マチアスも淡々とした口調で諌める。


「ごめん、でも、だってひどい格好だし……『レオン王子と名乗る男がわめき散らしてる』って……」


 ディルクは腹を押さえた。


「ああ、お腹痛い」

「ディルク様、レオン殿下の湯浴みと御着替えのご用意をいたしましょうか」

「ああそうだね。用意してさしあげて」


 ディルクはもう笑えないという顔でレオンを見た。


「それで? なんでこの国の王子が、そんな恰好で、たった一人で、このアベラール邸に来たの? だれが見ても偽物だよ?」

「…………」


 レオンは説明するのも面倒といった顔で、ディルクを見返す。


「とりあえず、なにか食わせてくれ。腹が減って力が出ない」


 その台詞に、ディルクはまたも腹を抱えた。


「ああ、もう、勘弁してよ。あんまりおれを笑わせないでくれ。お腹が痛くて死にそうだ。一国の王子が、そんな恰好で、たった一人で、腹をすかせて……っ」


 笑いすぎによるディルクの腹痛は、それからしばらく続いた。






 あれほど涙をこぼすことも、そして、あれほど腹を抱えて笑うことも、さほど頻繁にあることではない。それが一日のうちの短時間で起こったのである。ディルクは色々な意味で疲れた顔をしていた。

 それに引き換え、湯浴みし、着替え、腹ごしらえをすませたレオンは、さっぱりした顔をしている。


 ディルクは長椅子に足を投げ出して座っているが、レオンは物珍しそうに室内を歩きまわり、調度品を観察したり、庭の景色を眺めたりしていた。


「これが、おまえの館か」


 しみじみと言うレオンに、ディルクは口の片端を釣り上げる。


「庶民の暮らしはいかがですか、王子さま」

「庶民というには、いささか金持ちのようだが」

「おまえの住居の華やかさには到底及ばないだろう。あれと張りあえるのは、ベルリオーズ邸くらいじゃないか?」

「さあ、他の貴族もけっこうなものらしいぞ」

「私腹を肥やしているやつらも多いからね」

「おまえは、いちいち毒を吐かないと気がすまない質らしいな」


 ディルクはその言葉を否定せず、笑いながら葡萄酒の杯を傾けた。

 あたりはすっかり暗くなったが、部屋のなかは暖炉と燭台の火で明るい。


 この部屋にレオンがいることに、どことなく違和感のような、新鮮さのようなものを感じながら、ディルクは本題を切りだした。


「それで、王子さまが、あんな恰好で、たった一人で、お腹をすかせて……このアベラール邸に来た理由はなんなんだ?」


 途中で笑いそうになるのを、必死にこらえる様子である。

 レオンは立ったまま、なにか考える面持ちでディルクの顔を見つめ、それから溜息をついた。


「なにそれ?」


 ディルクが怪訝な顔をする。


「身内の恥だから、聞かないでくれ」

「身内の恥?」


 ディルクは復唱してから、一拍間をおいて軽く笑った。


「身内って、王族のこと?」

「それ以外に、おれにどんな身内がいるんだ」

「その『恥』、すごそうだね。聞くのが怖いような……」

「だから、聞かないでくれって言っているだろう」

「そういうわけにはいかないよ。だって、生粋の王弟派貴族の我が家に、国王派の主要人物が滞在しているんだよ?」

「おまえはおれを友達だと思っていると言っていたではないか。友達が家にいることになんの問題がある」

「そんなこと言ったっけ?」

「ひどいな、忘れたのか」

「いや、友達だよ。友達だけどさ……友達ならリオネルのところに行ってもよかったんじゃないのか?」

「王弟派の主役のところに、おれが滞在できるか」

「友達なんだろう?」

「……おまえは本当に性格が悪いな。そんなにおれがここにいるのが嫌か」

「いや、全然嫌じゃないよ。好きなだけいてくれたまえ、レオン殿下。ただ、理由を知りたい」

「…………」


 レオンは腕を組んで、ディルクを見下ろした。ディルクはなにかを推し測るような目つきで、レオンを見返す。

 レオンはもう一度ため息をついた。


「兄上に、監禁されたのだ」

「あ、そう」

「……なんだ、そのあっさりした反応は」

「いかにもあいつがやりそうなことじゃないか。それで?」

「監禁された理由を聞かないのか」

「聞いてほしいの?」

「いや……」


 レオンが視線を逸らすと、ディルクもレオンから目を背けて見るともなく銀杯を見つめる。それからディルクはぽつりと言った。


「リオネルを殺しそこなったからだろう?」


 レオンは驚いた顔をしてから、両目を細めてディルクの横顔を見た。


「…………知っていたのか」

「いつか、おまえとジェルヴェーズが鍛錬場の脇の木立で話している姿を見たことがある」

「……シュザンの稽古の休憩中のことか。やはり見られていたのだな。……すべて聞いていたのか?」

「いや、なにを話しているのかまでは、わからなかった。ただ、よからぬ話をしているような空気は感じたよ……その直後のおまえの様子で、だいたい察した」

「おれがリオネルの命を狙っているとわかっていて、おまえはおれと普通につきあっていたのか」

「おまえがリオネルを殺さないことはわかっていたよ」

「…………」

「万が一にでもなにかすれば、おれはおまえを斬っていたけどね」

「…………」

「それで、監禁されていた王子さまは、どうやって逃げだしてきたの?」


 レオンはひとつ咳払いをして気持ちを切りかえ、ディルクの質問に答える。


「……おれが王宮の神殿内にある地下墓地に監禁されて三日目に、シュザンが助けに来てくれた」

「シュザンが?」


 ディルクが驚いた様子で聞き返す。


「ああ。監禁されているあいだの口実として、おれがおまえといっしょにアベラール邸に向かったのだと、兄上は周囲の者に説明したらしくてな。シュザンはそれを不審に思って探してくれたらしい」

「さすがだね……それで、シュザンに助けてもらって、その足でここに来たの?」


 レオンはうなずく。


「アベラール邸に向かったはずのおれが、王宮に姿を現したらおかしいだろう」

「ずいぶんと兄上殿にとって都合のいい行動をとってあげたんだね」

「アベラール邸にいるとされている期間中、ずっと監禁されるのは御免こうむるからな」


 ディルクは卓に置かれた梨や林檎、柑橘類の盛り合わせのなかから、林檎をひとつ手にとり服の袖で拭いた。果物は全てよく洗われているが、市場などで林檎を買ってかじるときの、癖のようなものである。


「……そうか、それで王宮を出てきたわけか」

「せっかくだから兄上の流言に乗ってやろうと言いだしたのはシュザンだ」


 ディルクは林檎をかじりながら笑った。


「シュザンらしいな」

「どのへんが〝らしい〟のだ?」

「おれたちの仲がいいことをよく知っているから、事のついでに、おまえをおれのところに行かせようとしたんだろう」

「……それは、たしかにそうかもしれない」


 シュザンが最後に見せた、リオネルを思わせる笑顔を、レオンは思い出した。


「シュザンは大丈夫だろうか……」

「あの人は大丈夫、きっとうまくやるよ。それに今回のことが露見したら、ジェルヴェーズも、くそ髭じじいからなにかの咎めは受けるだろう。そうならないためにも、ジェルヴェーズはおまえがいなくなったことを騒ぎ立てるわけにはいかないし、おまえを逃がした犯人を捜し出すことも容易ではないはずだ」

「つまり、逆におれが兄上に監禁されたと父上に訴えれば、シュザンが助けたことも兄上に知られるわけか」

「まあ、隠し通すわけにはいかないだろうね。そうなれば、シュザンの身が危険にさらされることになる。ただでさえシュザンはリオネルの叔父上で、根っからの王弟派の人間だ。ジェルヴェーズにとっては気に入らない存在だろう。どんな卑劣なことをしてくるかわからない」

「そんな事態は避けたい」

「そう、避けたほうがいい」

「とすれば、おれはここに居たほうがいいだろう?」


 ディルクは唇についた林檎の蜜を、舌で舐めとりながら小さく笑った。林檎は、すでに半分以上なくなっている。


「もちろんかまわないよ。仮におまえが事情を話さなくて、シュザンのこともなかったとしても、追い返すわけないだろう」

「おまえの口から、そんなに親切な言葉が出ると、逆に落ち着かなくなるな」

「失礼な奴だな、おまえは本当に」

「すまない、ではしばらく世話になる」


 ディルクは、不敵な笑顔を作り、「どういたしまして」と軽く頭を下げた。


「年が明けたらベルリオーズ公爵とリオネルに挨拶に行こうと思っている。いっしょにおいでよ」

「ついてきてほしいなら……」

「本当は会いに行きたいんだろう? 素直じゃないな、レオン殿下は。もっと正直になればいいのに」

「では聞くが、おまえは素直なのか?」

「おれのような素直な人間は他にいないよ。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。これほどわかりやすい男も珍しいくらいだ」


 得意げな顔で言う友人を、レオンは呆れた顔で一瞥してから、視線を書き物机の上へ向ける。


「ではこの上にある、濡れたスミレの花はなんだ?」


 予想もしていなかったことを指摘され、ディルクは笑顔を消し去った。


「スミレの花が、どうかした?」


 ディルクの声は低く、小さい。


「押し花が濡れているのは不思議だし、おまえは大笑いする前から瞼が腫れていた」

「……気のせいだよ」

「素直ではないのは、おまえも同じだ。人は、最も大切な者に対しては、素直になれないものではないのか」

「…………」


 苦しげに顔を歪めたディルクに、レオンは声を低くして謝った。


「すまない、悪いことを言ったか」


 思いつめたような表情のまま、ディルクはなにも言わない。


「……綺麗な水色だな。なにかを思いだす」


 レオンがぽとりと床に落としたその言葉に、ディルクは顔を上げた。


「なに? なにを思いだす?」

「いや……なにかは、はっきりとはわからないのだが」

「……そう」


 ディルクは寂しげに答える。

 レオンは、水色のスミレの押し花をじっと見つめた。






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