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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第二部 ~男装の伯爵令嬢は、元婚約者の親友の用心棒になる~
52/513

12

 




 食堂の天井から吊るされた、クリスタルの大燭台シャンデリアの全ての蝋燭に火が灯っている。シャンデリアが放つ明るい光は、窓の外で舞い落ちる雪片を輝かせた。


 正面の壁一面を覆う巨大な油絵には、勝利の女神アドリアナが戦士に加護を与える光景が描かれており、その壁の側面には、ベルリオーズ家とその家臣らの紋章が刻まれた盾が並んでいる。


 油絵の手前に置かれた楕円形の食卓には、純白の布地がかかり、煌びやかな銀食器が並べられていた。

 部屋の中央には、その食卓とは垂直に、巨大な長方形の食卓が並んでいる。これは楕円形の食卓よりは質素な風情で、布地は橙色、食器は銀製だが細かい装飾はほどこされていなかった。


 食堂を見渡せる位置にある楕円形の食卓を静かに囲んでいたのは、ベルリオーズ公爵とその息子リオネル、そしてベルトラン、長方形の食卓を囲むのは本邸内に常駐する騎士たちやジュストという貴族の面々である。


 公爵夫人であるアンリエットが健在だったころは、音楽を好む彼女のために、常に楽師が控えており、食事中も竪琴や弦楽器の音が響いたが、彼女の死後はときおり思い出したように呼ばれるだけとなった。今も食堂に楽師の姿はない。


 普段は感情をあまり表に出さない公爵も、この日は相好を崩して、リオネルにあれこれと声をかけながら食事をしている。

 ベルリオーズ公爵は四十三歳。シャルム王となっていたにふさわしい風格と、威厳を持ちあわせた男だが、十二年前に愛妻を亡くしてからは、愛情のすべてを一人息子に傾けているようだった。


 公爵は息子との会話に熱中しており、皿の料理はほとんど減っていない。


「そうか、シュザンは変わりないか。あの者が正騎士隊の隊長になってから会うことが少なくなったが、立派にやっているようだな」

「騎士たちからの尊敬も厚く、そうそうたる面々を、うまく束ねていらっしゃいます」

「アンリエットがそれを聞いたらさぞ喜んだだろう」


 公爵は頷きながら話を続ける。


「そのシュザンの稽古はどうだった」

「叔父上には幼いころから武術を教わってきましたが、この四年間は今までとは比べ物にならないほど、多くを学ぶことができました。叔父上は無類の戦士であるとともに、指南することにも長けていらっしゃいます」

「そうか、それはよかった。一年延長したかいもあったようだ」

「はい。その際はお許しいただき、ありがとうございました」

「おまえが望んだことならかまわない。ディルクも共に延長したようだが、かなり上達したのではないか」

「ディルクやレオン王子と三人、叔父上の稽古には相当鍛えられたと思います」


 父からの質問攻めに、リオネルは嫌な顔をせず、ひとつひとつ丁寧に答えていく。


「久しくディルクに会っていないが、あの者も立派な青年になっただろう」

「王宮では姫君たちの人気を集めていました」

「あれは良い顔立ちをしているから、そうだろうな」


 頷きつつも、リオネルは王宮でのディルクの様子を思いだして、やや表情を曇らせる。ディルクは愛嬌があるから噂にもなりやすいが、本人は迷惑だっただろう。特に、婚約者のことがあったあとだ。


「……彼のことです、すぐにこちらにも顔を見せにくると思いますよ」

「そうだな、アベラール侯爵も頻繁に来てくれている。……レオン殿下は普段の生活に戻られることを、いかがおっしゃっていた」

「特にはなにも。気が進まないようではありましたが」

「そうか。殿下はご苦労されるかもしれないな」


 クレティアンは、甥にあたるレオンが、息子やディルクと打ち解けていることを、今までのリオネルの話から知っていた。そのため、国王派の中心にいる彼の立場の難しさはよく理解できる。


「双方の立場に挟まれて、御身に危険が迫らなければよいのだが」


 すでにレオンが王宮の地下墓地で、先祖の死霊と対面していたことを、クレティアンは知らない。


「レオンは神に好かれそうな種の男なので、きっと大丈夫でしょう」


 リオネルは穏やかな笑顔で答えた。


「ふむ……」


 意図してなのかそうでないのかは不明だが、どこからどこまでが本気か冗談なのかわからないことを言うときのリオネルの笑顔は、母のアンリエットのそれによく似ていた。


「ベルトランも長いあいだ、よく王宮でリオネルについていてくれた」


 口数少なく食事をする赤毛の用心棒に、公爵は声をかける。


 ……かつてベルリオーズ家の二代前の公爵には、跡取りの息子が一人と、令嬢が二人おり、そのうち姉のほうはルブロー伯爵家に、妹のほうは王家に嫁いだ。

 王家に嫁いだのがクレティアンの母であり、ルブロー家に嫁いだのがクレティアンの伯母、すなわちベルトランの祖母である。

 ルブロー家の三男であるベルトランは、祖母の実家であるベルリオーズ家に、十一歳のころから仕えていた。


「身に余るお言葉です」


 ベルトランは食事の手を止め、短く、けれど心からの返事をする。


「これからもリオネルのことを頼む」

「一生、ご子息に仕え、命をかけてお守りする所存です」

「頼もしい。そなたがいるからこそ、リオネルを安心して外に出すことができる」


 その台詞にリオネルが苦笑した。


「妙なことをおっしゃらないでください、父上。ベルトランがいなければ、私はこの館から一歩も出られないような口ぶりではありませんか」

「そなたが娘であったら、そうしただろうな。そのときは、他の男の目になど一切触れさせなかっただろう。むろんベルトランにも会わせなかった」

「男でよかったとつくづく思います」


 リオネルは呆れた顔で答えた。

 けれど父公爵の気持ちは、今のリオネルにはまったくわからないでもなかった。


 娘でも、恋人でもないけれど、愛しい相手を安全な場所に隠しておきたくなる気持ちは、父のそれに似通っているのではないかと思う。

 そんなことを考えていたリオネルの思考を見透かしたわけではないはずだが、公爵はおもむろに口を開く。


「ところで、ベルトランの騎士見習いになった者がいると、手紙には書いてあったが」


 その言葉にリオネルは軽く咳払いをし、ベルトランはというと平然と食事を続けていた。


「――ええ、父上。彼は今、従騎士ですが」

「そうか、従騎士になったか。まさかベルトランが従騎士をつけるとは思わなかった」

「…………」

「オリヴィエから聞いたが、先程その者を、そなたが抱きかかえて馬車から部屋まで運んできたというが、本当のことか」

「はい。熱があるので」

「ベルトランと二人で看病しているというのも、まことか」

「そのとおりです」

「そうか……」


 公爵は、もの問いたげな表情で、リオネルの顔を見つめた。

 その視線に答えるように、リオネルは食事の手を休め、顔を上げる。そして、なるべくなら食事中に話題にしたくなかった三日前に刺客に襲われた経緯や、その雨で従騎士の少年が体調を崩したことを説明した。


「私を守るためにこのようなことになったのです。責任を感じないではおれません」

「三十人近くの刺客……」


 公爵は、アベルのことよりも先に、やはり刺客の話に気を取られたようだった。


「今までの人数とは比べ物にならないな。それほどまでに、そなたの命が狙われているとは」


 もともと休みがちだった公爵の食事の手は、このとき完全に止まった。


「恐れながらクレティアン様、相手は本腰を入れはじめたと受け止めたほうがよいでしょう。三十人という数は、今までとは桁違いです」


 そう言及したのはベルトランだった。


「十八歳になり、騎士叙勲を受けたリオネルは、王弟派が新王に担ぎあげるに充分な条件をそろえましたし……それにリオネルが妻を迎えて子供を残す前に――これ以上正統な王家の血筋を繋げるまえに、殺害しておきたいと考えるでしょう」


 リオネルの代で断絶すれば、クレティアンの血筋は完全に途絶える。

 これまで息子に向けていた優しい眼差しを鋭くして、公爵は食卓上の燭台の炎を見据えた。


「兄上か……それとも、ジェルヴェーズ殿下、もしくは、国王派の貴族たちか」

「あるいは、そのうちの幾人かが結束しているかもしれません」


 公爵の緑がかった灰色の眼が、思考の淵に沈む。

 怒り、憎しみ、後悔、焦燥――――自らが継ぐべき王座を腹違いの兄に奪われ、わずか十三歳で王宮を追われたクレティアンの、その胸になにがあるのかを、だれも知ることはできない。

 その表情からは、どんな感情も読み取れなかった。


「ついに単なる嫌がらせではなくなったか。今回は無事ですんでよかったが……」


 公爵の脳裏に、恐ろしい想像がよぎる。

 冷静だが、暗澹たる思いを含んだようにも見えるクレティアンの視線に気づき、リオネルは微笑した。


「そのために一年延長したのです。私は簡単に殺されません」

「リオネル、そなたに私の血さえ流れていなければ、このようなことにならなかった――すまないことをした」


 真剣な面持ちで謝る父に、リオネルは困ったように笑う。


「父上、あなたの血が流れていなければ、私という人間は存在しません。私はあなたと母上の子に生まれてよかったと思っていますよ」

「そなたには、母親も早くに亡くさせ、辛い思いばかりをさせる」

「そんなことをおっしゃらないでください。そのぶん、私には大切な人たちがいますから」


 そう言ったリオネルの表情は穏やかで、けれどアンリエットの双眸をそのまま受け継いだような美しい紫色の瞳は、公爵の知らない場所を見つめているようでもあった。

 公爵は、息子の様子に興味をそそられて尋ねる。


「大切な者とは」

「父上をはじめ、数え切れませんよ。叔父上も、館の者も、ベルトラン、ディルク、レオン……アベル。皆、私の大切な人たちです」

「アベル」

「ベルトランの従騎士になった者の名です」

「そうか……大切な者たちか」


 クレティアンは、しばし口をつぐんで息子の顔を見る。

 それから、おもむろに皿の上にあった野菜をフォークに突き刺したが、口には運ばなかった。


「アベルという者は、そなたを守れるほど強いのか」

「強いですよ」


 答えたのはベルトランだ。


「アベルは優れた剣の使い手です」

「ベルトラン、そなたが言うのであれば、確かなものなのだろうな。どのような者か、会うのが楽しみだ」

「彼は体調を崩しています。いずれ完全に回復しましたら、父上のもとへ挨拶に伺います」


 公爵は少し面食らったような顔をした。体調が良くなったら会わせるというのは当然のことだが、リオネルの「完全に回復したら」と言う語調には、なにか強い意志が感じられたからだ。


 公爵は二年前、リオネルから受けとった手紙に驚かされたことを思いだした。

 その手紙には、従騎士を一年延長したいということ、そして、将来リオネルの身辺を守る役割を担う少年を、ベルトランの騎士見習いにつけるということが書かれていた。普段は、元気で過ごしているとしか書いてよこさない息子だったが、そのときの手紙には、なにかいつもと違うものを感じたのだった。


「ところで父上。戻ってから、まだクロードの姿を一度も見ていないのですが」

「あれは、騎士館にいるのだろう。最近、ますます仕事熱心なようでな」


 クレティアンが答えたとき、食堂の扉が開いて一人の若者が颯爽と現れ、公爵とリオネルの前でうやうやしくひざまずいた。噂をしていた当人である。


「クロード!」


 リオネルが明るい声で名を呼んだ。


「公爵様、リオネル様、お食事中に失礼いたします」


 引き締まった体つきに、ベルリオーズ家の騎士たちがまとう深緑の衣を身につけ、この館の騎士らを統括する責任者であるクロードは頭を下げた。


「リオネル様、無事のご帰館なによりでございます。ご挨拶に伺うのが遅れて、申しわけございません」

「どうせ遅れるなら、食事が終わってから来ればよかったんじゃないか」


 ひざまずくクロードに、辛辣な台詞を放ったのはベルトランだった。


「ベルトラン、おまえの皮肉な口ぶりもあいかわらずだな」


 クロードは顔を上げ、騎士隊長らしい知的な顔に、人の良さそうな笑みを浮かべる。

 彼はベルトランより一歳年上で、年が近いせいか二人はよく軽口をたたきあっていた。


 跪いていたクロードは立ちあがり、主人らに一礼してからベルトランの前まで来る。すると、ベルトランは口の片端に笑みを浮かべ、クロードを見上げた。


「皮肉な口ぶりなら、これからは毎日聞けるぞ」

「それは楽しみなことだ。ついでにおれの話も聞いてくれるのか」

「おまえの偏った話は遠慮しておく。かわりに手合わせならしてやるが」

「二人の手合わせなら、おれもぜひ見せてもらいたい」


 リオネルが葡萄酒を口に運びながら口を挟むと、公爵も首肯する。


「おもしろそうだな」

「公爵様とリオネル様がご覧になっているのであれば、負けるわけにはいきませんね」


 クロードが不敵に笑うと、ベルトランが冷ややかに言い返した。


「そんなに強くなったのか、クロード」

「いや、おまえが弱くなったかのではないかと思って」


 クロードは他に追随を許さない勇将であったが、ベルトランと剣を交えると、いつもあと一歩のところで敵わなかった。


「クロードもいっしょに食事をしないか」


 リオネルの誘いを、クロードは恐縮しつつ丁寧に断る。


「私は再び騎士館に戻り、やらねばならないことがあります。お気遣い感謝いたします、リオネル様」

「そうだった。クロードは三度の食事よりも、仕事のほうが大事だったね」

「食わずに働いていると倒れるぞ」

「クロードは、一度に食べる量が多いんだよ」


 リオネルの言葉にクロードは笑った。


「よくご存知でいらっしゃいます。それでは今度はお食事中ではないときに、あらためて参ります。公爵様、リオネル様、ご無礼いたしました」


 クロードは長身を折って一礼すると、その場を辞した。


「クロードはあいかわらず忙しそうだね」


 嵐のように去っていった騎士隊長の姿にリオネルが笑うと、食事の手を再開させたベルトランが羊肉を割きながら言った。


「忙しくしているのが好きなのだろう。仕事だけが生き甲斐の男だからな」

「クロードはいい男だが、仕事熱心すぎて嫁が見つからないのが、玉に傷だろうな」


 公爵の台詞に皆が笑う。

 その場が和んだところで、公爵はリオネルの様子をうかがうように口を開いた。


「嫁といえば、リオネル。エルヴィユ家の令嬢との婚約だが」

「父上、その話は――」

「やはり気乗りしないか」

「……申しわけございません」

「なにが気に入らないのだ? 正直に言ってみなさい」

「気に入らないというわけではなく……」


 伏せられた息子の長い睫毛をまえに、公爵は両腕を組み、溜息をついた。


「私も一度了承した話を理由なく断るわけにはいかない。二年前ほどまでは、そなたも私の意向に従うと言っていたではないか。関心がそれほどあるようでもなかったが、嫌だとも言ってなかった。だから私もこの話を受けたのだ」

「今は違います」


 リオネルはきっぱりと言った。


「今は違うと今更言っても、これでは約束を違えることになる。理由を教えてほしい。納得できる理由があるなら、私もエルヴィユ侯爵に説明ができる」

「それは……」


 リオネルは、言い淀み、料理が載った皿の上に視線を彷徨わせた。

 公爵はしばらく待っていたが、息子の言葉は続かない。


「特に理由はないのか。それとも、私に言えないなにかがあるのか」

「今は――なにも、言えません」

「……では、話してくれるまでは、私もエルヴィユ侯爵に断ることはできないぞ」

「父上!」

「そなたの気持を無視して縁談を進めたくはない。しかし、理由がはっきりしないうちに良縁を破談にすることもできない」


 リオネルにも、父の立場がわからないわけではなかった。

 親しくしている王弟派の有力貴族であるエルヴィユ侯爵と交わした約束を、たしかな理由もないまま違えることは容易なことではない。


「フェリシエ嬢は、以前よりさらに美しくなったそうだ」

「姿形がどうであろうと、私の気持ちは変わりません」

「そう頑なにならなくてもいいだろう。そなたにとって良い話だと思ったからこそ、私も受け入れたのだ。真剣に考えておいてくれないか」

「…………」


 理由を述べられない以上、リオネルが父公爵にこれ以上反論することはできなかった。

 けれど、断る理由――それをはっきり口にできる日はいつになるだろう。


 好きな相手がいるのだと答えれば、クレティアンでなくとも、周囲はそれがだれなのかと騒ぎ立てる。

 ベルリオーズ家の嫡男が惚れた相手は、いったいだれなのかと……。


 将来の公爵夫人になる者は、高貴で汚れない娘でなければならない。

 ――身元が知れないうえに、一人の子を持つ娘。その人に心を奪われているなどと、どうして答えることができるだろう。

 リオネル自身がどう考えていようとも、周囲が納得するかどうかは別の話だ。


 しかもそれは、アベルがリオネルの気持ちを受け入れたうえで、女性であるということを周りに知られてもよいという日でなければならない。


 リオネルは、出口の見えない想いに、気持ちが沈んでいくのを感じた。

 うつむき、憂いを帯びたリオネルの顔を、公爵、そしてベルトランはそれぞれの思いで見つめていた。








ひっそり修正しました!

拍手メッセージでご指摘いただきました読者様、ありがとうございました。

とても助かりましたm(_ _)m yuuHi

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