表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
503/513

66






 皆が去り、アベル、リオネル、そしてベルトランの三人で夕食の用意をする。

 食卓に料理を並べ、祈りをささげれば、この生活のどんな些細なことでも愛おしく感じられた。


 食事を始めてすぐ、アベルはベルトランをちらを見やる。


「あの、ベルトラン?」


 名を呼べば、ベルトランが顔を上げた。


「……ベルトランは、お邪魔虫などではありませんよ」


 唐突なアベルの言葉に、ベルトランが食事の手を止める。


「ベルトランは、わたしたちにはなくてはならない存在です」

「おれが?」


 リオネルの身辺警備には必要だろうが、〝わたしたち〟に必要だというアベルの言葉の意味がわからない、とその顔には書いてある。


「わたしは、ベルトランがそばにいないリオネル様を、見たことがありません」


 これまでは、どこかしんみりとした雰囲気が流れていたのに、はじめてリオネルが笑った。


「〝ベルトランがそばにいない〟おれって」


 つられてアベルも笑う。


「つまり、リオネル様はベルトランと一緒セットで〝リオネル様〟な気がするのです」

「……複雑な気持ちだな」


 リオネルが苦笑交じりにつぶやく。


「ベルトランとセットで、おれのことが好きだということ?」


 確認するリオネルの言いまわしがおかしくて、ついアベルは吹き出してしまう。


「なんだか、わけがわからなくなってきました」

「言いだしたのはアベルだよ。おれたちはもっとわけがわからない」


 たしかにリオネルの言うとおりだ。ベルトランなど、もはや我関せずといった雰囲気で食事を再開させている。


「つまりですね……」


 やや焦ってアベルは説明した。


「わたしたちは、これでいいのだと思うんです。ベルトランはお邪魔虫などではなく、大切なわたしたちの一部なんです」


 焦ったせいか、どこかこじつけたように響いてしまう。あまりうまく伝わらなかったようで、ベルトランはあいかわらず無言で匙を口に運んでいた。


「ああ、そのとおりだと思う」


 リオネルがうなずく。けれどどこか複雑な表情だ。


「……ただ、アベルは、ディルクの言っていた〝お邪魔虫〟の意味をわかっていない気がするけれど」

「え、どういうことですか?」


 謎かけのような言葉にアベルが難しい顔になると、ベルトランが食事を続けながらぼそりと言った。


「リオネル、今夜おれは居間で寝る」


 アベルとリオネルは、同時にベルトランへ視線を向けた。


「そういう意味じゃなくて」


 慌ててリオネルが否定するが、ベルトランは続ける。


「いや、ディルクの言ったことには真実もある」

「なぜ、そんなことを言うのですか?」


 アベルもまた驚いて尋ねれば、ベルトランがようやく顔を上げた。彼はリオネルにひと言「悪いな」と言ってから、アベルへ視線を移した。

 そして、長い手を伸ばしてアベルの髪をくしゃくしゃと撫でる。


「おまえの気持ちは伝わってる」


 子犬か子猫にでもするようなベルトランの仕種を、アベルは少しくすぐったく感じる。


「ありがとう、アベル」

「ごめんなさい、うまく言えなくて」

「おまえは本当にかわいい」

「かわいい?」


 ベルトランの口からそんな言葉を聞くとは思っていなかった。彼がアベルを〝かわいい〟と思っていたなど、はじめて知る。


「ベルトランが女性を褒めるなんて珍しいね」


 先程まで慌てていたはずのリオネルが一転、どこかおかしそうに言った。


「ベルトランは三人兄弟の末っ子だから、アベルは初めての妹のようにかわいいのだろう?」

「いちいち説明しなくてもいい」


 ぶっきらぼうな口調は、ベルトランの照れ隠しだろうか。なんだか、ベルトランこそかわいく思えてくる。

 アベルが妹なら、ベルトランは兄のような――寄りかかってしまいたくなるような存在だった。


「本当にベルトランの妹だったらよかったのに……」


 思わずつぶやけば、周囲が静まり返る。

 見上げればリオネルとベルトランの視線がこちらに注がれていた。おかしなことを言っただろうかと内心で慌てる。


「いえ、その……あ、そういえば」


 話題を逸らそうとして、いや、実際に以前から言おうと思っていたことを不意に思い出す。


「そういえば、リオネル様」


 責める口調が伝わったらしく、リオネルが目を見開く。


「どうかした?」

「わたしを追って死ぬなんて、いけませんよ」


 ああ、とリオネルは思い当たる表情だ。


「公爵様が、おっしゃっていました。わたしが死んでいたら、本当にあとを追うつもりだったのかと」

「言ったはずだよ。命があってもなくても、アベルを失ったらおれの心も失われると」

「では、たとえ心を失っても生き続けるとお約束してくださいますか」


 リオネルが寂しげな面持ちになる。


「残酷なことを言うんだね。アベルのいない世界で、生き続けなければならないなんて」


 それに、とリオネルは声を落とす。


「……まるでアベルがもうすぐ死んでしまうような言い方だ」

「今日、公爵様に短剣を渡され、命を絶つように言われました」


 沈黙したリオネルをとりまく空気が凍りつくのを感じたが、アベルは落ちついた口調で続けた。


「公爵様を責めないでください。公爵様はわたしを試されたのです。わたしが簡単に命を投げ捨てるかどうか――真にリオネル様を愛するということが、どういうことなのか」

「…………」

「わたしは、命を絶つことはできないと公爵様に申しあげました。どんな形でも生きることが、リオネル様を愛することだと思うと、そうお伝えしました」


 だから、とアベルはリオネルの瞳を見つめる。


「――信じてください。どんなことがあっても、わたしはリオネル様のために生きます。矢の雨が降り注ごうとも、火に焼かれようとも、四方から剣に貫かれようとも、わたしは生きてリオネル様のもとに戻ります。ですから、リオネル様もわたしの言葉を信じ、どんなときも生きてください」


 リオネルの切なげな眼差しがアベルを見返す。


「三年前、きみは川で自ら命を絶とうとしていた」


 アベルは小さくうなずいた。


「アベルは、ひたすら死に焦がれているように見えた」

「……そうかもしれません」

「新年祭の折り、おれがひどい言葉で突き放したとき、アベルは死を選ぼうとした」

「わたしが死を選ばないのは、リオネル様の愛があるかぎりにおいてですから」


 食卓を挟んでリオネルがアベルの手を取る。


「もう二度とあんなふうにきみを傷つけたりしない」


 アベルはもう一度うなずいた。


「必ず生きてくれるか、どんなことがあっても。おれもけっして死を選んだりはしないから」

「お約束します、必ず生きると」


 リオネルの手に力が加わる。


「――ありがとう」

「リオネル様もお約束ですよ」

「もちろん」


 アベルとリオネルの食事は話しているうちにほとんど冷めていたが、しっかりと繋ぐ手と手とはこれまでにないくらい温かい。

 一方、ベルトランはまだ冷めきらぬうちに黙々と料理を平らげていく。

 すると、リオネルがひとこと。


「……結婚してくれないか、アベル」


 黙々と料理を食べていたはずのベルトランが、……リオネルのアベルに対する溺愛には慣れていたはずのベルトランが、盛大にむせた。

 リオネルがベルトランの背中をさする。


「大丈夫か、ベルトラン」

「け……結婚!」

「せっかくいい感じだったのに」

「そういう問題じゃないだろう。冗談か? ――なにより、まずアベルが固まっている。どうにかしないと、目の焦点さえ合っていないぞ。このまま倒れたらまずい」


 まだむせているベルトランから、気遣う様子ながらも離れ、リオネルはアベルのところまで来る。


 しゃがみ込んでアベルの手をとり、まっすぐに瞳をのぞきこんだ。やや強引に焦点を引き戻されて、アベルは我に返る。

 けれど、我に返っても、なんだかよくわからなかった。


「けっ……?」

「そう、結婚」

「ちょ……、まっ、え、だ、けっ……」


 動揺して舌がまわらない。


「ごめん、なにを言ったかわからなかった。もう一度言って」


 ちょっと待ってください、だって結婚なんて……と言いたかったのだが、その台詞自体が混乱しきっている。少し冷静にならなければと、アベルは自分自身を叱咤した。

 言葉を変えてようやくアベルは尋ねる。


「じょ、冗談……ですか?」

「一世一代の求婚を、冗談とはひどいな」


 リオネルは少し困ったように苦笑している。


「……えっ、で、でも、けっ、結婚って……」

「いやか?」


 いやだとか、いやじゃないとか、そういう問題ではない。考えたこともない――というより、考える余地もないことだ。


「公爵様はどうするんだ」


 動揺しきってまともな判断ができないアベルの代わりに、ベルトランが冷静な質問を放る。


「結婚に必要なのは神々の承認であって、父上の了解ではないよ」

「そんな強引な形で、アベルがベルリオーズ公爵夫人として認められるはずがない」

「だれがアベルを〝ベルリオーズ公爵夫人〟にすると言った?」

「なに?」


 意味がわからないという顔のベルトランに、リオネルは告げる。


「さっきも言ったけど、婚姻に大切なのは神々の許しだ。父上の承諾や、盛大な婚礼の宴を挙げることや、ベルリオーズ公爵夫人になることは、本質的なことじゃない。つまり……」


 リオネルがひざまずき、アベルの左手を、まるで繊細な硝子細工に触れるように掲げた。


「アベルと生涯を共にしたい。だから、おれと結婚してくれないか」


 まるでおとぎ話から抜け出てきたかのような、優雅な仕種でリオネルが口づけを落とす。

 手の甲にリオネルの唇の熱さを感じた直後には、火照った感覚のなかで頭のなかだけが真っ白になり、余計にうまく考えられなくなっていた。


「あれ、アベル、手が熱い?」


 顔を上げたリオネルが眉をひそめる。


「熱があるんじゃないか」


 ベルトランのひとことを受けて、リオネルがアベルのひたいに手を置く。


「まっ、まさか、そんなはずないじゃありませんか」


 慌てて身を引くが、すでにリオネルの手はひたいを包んでいた。


「大変だ、本当に熱がある」

「気のせいです、絶対」


 リオネルから突然信じられないことを言われたので、顔が火照ったのだろう。たしかに少しぼんやりするが、それもきっとリオネルの言葉のせいだ。それ以外に考えられない。

 とにかくアベルは混乱していた。


「休んだほうがいい」

「へ、平気です」

「そうか、わかった。寝台で横にならなくては」

「全然わかっていないではありませんか」


 平気だと言い張ったが、結局アベルは寝台へ運ばれることになった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ