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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
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今回は更新が日曜日になってしまい、申し訳ありません<(_ _)>












「ああ、部屋のそとっていうのは新鮮だなあ!」


 ディルクは腕を大きく広げて深呼吸した。

 半月ものあいだ部屋に閉じこめられていたディルクは、謹慎が解かれてからというもの、毎日こんな感じである。


「ただの廊下ですが」


 ディルクの視線の先にある景色を見やって、マチアスが冷静に指摘した。けれどディルクの目はきらきらしている。


「輝くような光景だよ」


 マチアスは無言だったが、長椅子に腰かけていたレオンは、しみじみとうなずく。


「おまえの気持ちはよくわかる」

「レオンは、好きで部屋にこもって読書していたんだろう? それに、部屋のそとには出られたんだから、廊下なんていつだって見られたじゃないか」


 本当におれの気持ちがわかるのかと疑うディルクへ、レオンが言う。


「おれは新年祭のときに風邪をひき、長期にわたって自室で静養する羽目になったのだ。覚えているだろう。元気になってもなかなか医者からは外出許可が下りず、くわえて母上からは見舞い禁止令が出て、だれにも会えずに部屋で過ごしていた。あれは辛かった」

「たしかにそんなこともあったね」


 ぽんとディルクが手を叩く。


「なるほど、それなら、おれの気持ちもわかるかもしれないな」

「あのとき、部屋を出た瞬間に廊下が輝いて見えた」

「そうだよなあ。わかるよ。おれとレオンが、はじめてわかりあえた瞬間じゃないか?」


 ディルクの言葉にレオンが片眉を上げた。


「こんなものを、わかりあってどうする」

「まあそうだよね。そもそも、レオンとわかりあいたかっていう問題もあるし」

「それはこちらの台詞だ」


 あれこれ言い合いながら、ディルクとレオン、そしてマチアスは食堂へ向かう。

 けれど、上座に位置するテーブルに着いてしばらくして食事が始まると、ディルクが首をかしげた。


「父上、公爵様はいかがしたのですか?」


 クレティアンが席についていないのに、先に食事に手をつけるはずがない。つまり、クレティアンは昼食の席には参加しないということだ。


「クレティアン様はご用事があるそうだ」

「ご用事?」


 リオネルを探しにきたクレティアンが、いったいセレイアックでなんの用事があるというのだろう。


「なにをされているのですか?」

「さあ、私にもわからないが」

「昨日も外出なさっておられたようでしたが、セレイアックの街に行かれたのでしょうか」

「わからないと言っているだろう」


 父侯爵はなにも教えてくれなさそうな――あるいは、実際になにも知らないのかもしれないが、とにかく得るものがなさそうだったので、ディルクは尋ねるのをやめた。


 昼食を終えて廊下を歩みながら、再びディルクは首をかしげる。


「公爵様はどちらへ行かれたのだろうか」


 レオンが腕を組む。


「……このところ叔父上は、なにか考えこんでおられる様子だったな」

「考え込んでいるのは、リオネルのこと以外にないだろう」

「それはそうだが、ここへ来た当初とはまた雰囲気が違う。どこか疲れているというか」


 ふぅん、とディルクは近頃いつ見ても新鮮な廊下へ視線をやった。


「昨日はジュストといっしょに出かけていたようだけど」

「今日も彼と行動を共にしているのか」

「わからない。食堂にジュストはいないようだったけどね」


 するとすぐ近くから突如声がする。


「私のことですか」


 驚いて振り返れば、ジュストがすぐ背後に立っていた。


「ジュスト、どれだけ気配を消すのが得意なんだ。お化けになれるぞ」


 ディルクの台詞に、マチアスとレオンが同時に突っ込む。


「ディルク様がぼんやりしすぎなのでしょう、さっきからいらっしゃいましたよ」


 とマチアス。


「それを言うなら、刺客や、諜者だろう。お化けなど……おまえは子供か」


 とレオン。


「ふたりともおれの意見にいろいろと文句があるようだけど、まあいいや、なんだって。ちょうど話したいと思っていたんだよ、ジュスト。昨日は公爵様とどこへ行っていたんだ?」


 たじろぐふうでも、回答を避けようとするでもなく、淡々とジュストは答えた。


「街です」

「街でなにを……?」


 ディルクの顔には、まさかという色が浮かんでいる。


「リオネル様とアベルの姿を、ご覧いただきました」


 は? とディルクは口を開いた。


「おもしろくない冗談か?」

「冗談ではなく真実です。私がお二人のもとへ公爵様をお連れしました」

「リオネルたちを裏切ったのか、ジュスト」


 ディルクが声を低めると、ジュストはうつむいた。


「……そういうことになるかもしれません」

「なぜそんなことを」


 あいかわらずディルクは静かな怒りを秘めていたが、マチアスがそんなディルクを遮り、二人のあいだに入る。


「昨日、公爵様はリオネル様とお会いになったのですね」

「いいえ、会ったというよりは、お姿をご覧になっただけです」

「つまり、リオネル様はお気づきになっていないと?」

「はい」

「今回のことには、なにか理由があったのではありませんか」


 マチアスに問われると、ジュストはかすかに眉をひそめた。


「このままではいけないと思ったからです。このままではなにも変わらないと」

「お二人の姿を公爵様がご覧になれば、なにかが変わると?」

「リオネル様とアベルが共に過ごす様子を直接ご覧になったら、クレティアン様のお心になにか変化があるかもしれないと思いました。私自身が、変わったからです。お幸せそうで、けれど、まるで明日には別れなければならないことを予感しているかのような、そんなお二人の様子を、クレティアン様にもご覧になっていただきたいと思いました」

「それで、クレティアン様は実際にご覧になっていかがでしたか?」


 ジュストは難しい表情を変えずに答える。


「リオネル様には、声さえかけずにお帰りになりました」

「……それはどういうことだ」


 口を挟んだのはレオンだ。


「クレティアン様のお心は、私などにわかるはずありません」

「それで? 今日はどちらへいかれたんだ?」


 訝るようにディルクが尋ねた。


「アベルに会いたいそうです」

「アベルに?」


 ディルクはますます険しい声音だ。


「アベルに会いに行っているのか?」


 ひとつジュストはうなずく。ディルクがなにか言うより先に、レオンが尋ねた。


「なぜリオネルではなく、アベルなんだ?」

「そこまではわかりませんが……お二人だけで話したいということでしたので、私はいったん戻ることになりました」

「公爵様の警護はどなたが?」


 尋ねたのはマチアスだ。


「オリヴィエ殿が家の周囲を見張っておられます」


 ディルクとレオンは顔を見合わせた。


「……アベルと叔父上が二人で、っていうのは、いい予感がしないな」


 レオンがつぶやけば、ディルクがうなずく。


「おそらくアベルを説得することは容易だ。もともとアベルは、駆け落ちではなく、リオネルと公爵様が話し合うことを望んでいた」


 リオネルとクレティアンのあいだに亀裂が入るくらいなら、アベルは自らリオネルのもとを去るだろう。それが今回はリオネルの強い意思があって、こういった形になったのだ。


 だからこそ、もしクレティアンがアベルに対し、身を引き、どこかへ去るように告げれば、アベルは言われるがまま従うはずだ。


「アベルのところへ行ったほうがいいかもしれない」


 ディルクとレオンが玄関へ足を向けかけたとき、ジュストが声を上げた。


「お待ちください」


 振り返る二人にジュストは頭を下げる。


「どうか、今はひとまず見守っていただけないでしょうか」


 視線が集まるなか、ジュストは頭を下げた姿勢のままで言った。


「公爵様がよくよくお考えになり、悩み抜かれた末のことです。どのような結果であれ、受け入れる覚悟で、私は公爵様にお二人の様子をお見せしました。ですので、公爵様のご判断に委ねるしかないのです」

「それはジュストくんの事情じゃないか。もしこれでアベルがリオネルのまえから姿を消すようなことがあったら、どうするんだ? アベルは、リオネルやベルリオーズ家だけのアベルじゃない。おれの友人であり、婚約者でもあった人だ」


 反論の余地のないディルクの指摘に、ジュストは無言になる。すると、マチアスがやや遠慮がちに声を発した。


「ディルク様のおっしゃることはもっともです。アベル殿は、我々にとってなくてはならない存在――けっして失えぬ存在です」


 皆はマチアスに視線を向けることなく、そのままの姿勢で耳を傾けている。


「けれど、ジュスト殿のお気持ちも察するに余りあります。ベルリオーズ家に仕える者として、これまでどれほどの葛藤を抱えてこられたでしょう。リオネル様のためにアベル殿を守り、一方では公爵様から任務を仰せつかり……けれど、ジュスト殿がもっとも望んでいることは、リオネル様と公爵様が和解し歩み寄ることです」


 頭を下げた体勢から、ジュストはゆっくりもとの体勢に戻る。

 マチアスは言葉を続けた。


「皆様がそれぞれの思いを胸に抱いておられますが、けれど根底で望んでいるのは同じだと思うのです。それは、ジュスト殿の願いと同じ、リオネル様と公爵様の和解。そして、リオネル様とアベル殿が共に暮らせることです」


 レオンが大きくうなずく。


「ここはひとつ、公爵様が選択なさった道を信じてみませんか」


 マチアスの言葉に、ディルクは浅く溜息をついた。


「……信じてみてもいい。けれど、もしなにかあったらどうする」

「アベル殿の無事を確かめたいと、そういうことですね」

「公爵様とアベルの会話まで聞く気はない。けれど、アベルがどこかへ行ってしまわないか、ただそれだけは確認しなければ落ちついていられない」


 マチアスはひとつうなずいた。


「――では、こうしましょう」






+++






 三月はすでに半ばを過ぎているが、春の気配は遠い。

 雪こそ降っていなくとも、雲が重たいことに変わりはなく、気温の低さでこれまでの雪も溶けそうにない。


 暖炉の明りだけが灯る部屋。アベルは鏡のまえに立ち、そっと溜息をついた。


 両脇の髪だけを背後でふんわりとまとめ、残りの長い金糸の髪は背中に流れている。

 今朝もリオネルが結わえてくれた髪には、紅の雛罌粟の髪飾り。


 鏡に映る自分の姿に、ふとアベルはどきりとする。こうして普通の女の子として生活することは、アベルにとって未だに不思議な感覚だった。


 髪飾りを買ってもらったのは昨日のことなのに、リオネルと街で一日過ごしたのは遠い昔のように感じられる。

 幸せな一日だった。


 夢のような一日が現実だったことを、このひなげしの髪飾りが証明してくれている。


 普通の女の子のように、好きな男性と暮らすこと――それは、もうアベルが二度と掴むことのできない幸せであるはずだったのに、与えてくれたのはリオネルだ。


 今日は、いつものように朝に部屋を訪れたジュストが、昼食後に用事があると言って部屋を出ていってしまった。ひとりきりになると、ぼんやりとしてしまう。

 ぼんやりと、この髪飾りを見て過ごしていた。

 金糸の髪を飾る、真紅の硝子細工。


 満ち足りた幸福に寄りそう、根拠の知れぬ不安。

 アベルは髪飾りに触れて気持ちを落ち着かせようとした。


 ちらと調理場を見やって、夕飯の準備をしていないことを思い出す。


「水、汲みにいかなくちゃ」


 立ち上がり、アベルは建物のうらへ向かった。


 建物に囲まれた裏庭は、都会だけあって庭とは呼べぬ広さだ。

 けれど手入れはされていて、植木が伸びっぱなしということも、井戸に苔が生えたままということもない。


 溶けない雪を踏みしだきながら井戸へ寄り、釣瓶つるべを放り入れる。

 水が充分に満たされた釣瓶を、縄を引いて引き上げれば、重さに手を滑らせる。そういえばずっとベルトランやジュストがやってくれていて、自分でやるのは久しぶりだ。

 痛みを覚えて手のひらを見やれば、細い指が縄ですれて血が滲んでいる。


 自分の手は、こんなに弱々しかっただろうか。

 白く、小さく、すぐに折れてしまいそうなほど細く、こんな手で再び剣を握ることができるのだろうかと不安になる。


 そう、たしかにアベルは予感していたのだ。

 剣を握る日が再びくるだろうことを。このままリオネルと街で平和に暮らしてなどいけないことを。


 もう一度アベルは釣瓶の縄を強く引いた。そのとき。

 軽々と釣瓶が吊りあがった。


 水が入っていないのだろうかと思ったのは一瞬のことで、すぐに、大きくしなやかな手が、アベルより頭上で縄を引いていてくれていることに気づく。

 はっとして振り向けば、信じられない光景――ここにいるはずのない人の姿があった。


 思わず縄から手を放してアベルは両手で口を押さえる。

 嘘だ、と思わず心のなかでつぶやく。


 幻?


 ……幻だったらいい。

 なぜなら、彼がここにいるということは、すなわち夢の終わりを意味するから。


 けれど、たしかに目のまえの人は、釣瓶を最後まで引き揚げ、アベルの持ってきた木桶へ注いでくれている。


 リオネルに似て、均衡のとれたしなやかな長身。

 容易く余人を寄せつけぬ毅然とした雰囲気でありながら、深い優しさと思慮深さを感じさせる眼差しは、生まれもった王としての素質を感じさせた。


「――公爵様…………」


 呆然とアベルはつぶやいた。


 目のまえにいるのは、たしかにベルリオーズ公爵であり、リオネルの父親であるクレティアンだ。

 けれど、まさか……どうして。


 長い夢から、覚める音が聞こえた。


 黙ってアベルの木桶を持ち上げたクレティアンは、はじめて正面からアベルと対面する。

 わずかに目を細めてから、クレティアンは言った。


「私が部屋まで運ぼう」


 慌ててアベルはクレティアンの手から桶を取り返そうとする。

 なにがなんだかわからないが、クレティアンに桶などを運ばせてはならないことだけはたしかだ。


「わ、わたしが」

「手を怪我したのだろう。それに、これはそなたには重い」

「けれど、こんなことを、公爵様には――」

「いいから」


 桶から手を離そうとしないクレティアンを、しかたなくアベルは部屋まで案内した。






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