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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
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 皆で食卓を整える。

 けれど、ジュストはそれだけで疲れきった様子だった。


 というもの、リオネルとベルトランが配膳するものだから、ジュストは自分がやるといって動いたものの、そこはリオネルも譲らず、結局いっしょにやることになったからだ。


 アベルなどほとんど毎日リオネルに世話になっているが、ジュストには現実からかけ離れたことらしい。あんまりジュストが恐縮するので、アベルもなんだか悪い気がしてきた。


「リオネル様、すみません。あとはわたしたちでやります」


 お椀と柄杓を手から取り上げようとすれば、リオネルが苦笑する。


「アベルまでどうしたんだ」

「いえ、日頃の行いを省みまして……」

「ベルリオーズ邸から出たときくらい、アベルのために色々やってあげたいのだと言ったはずだけど?」

「これまで甘え過ぎていたことに気がつきました」

「遠慮なく甘え過ぎてくれ」


 ほほえむリオネルに気後れする。こうして話しているあいだに、ジュストはさっさと食卓を整え終えてしまった。


 食事の最中もジュストはすっかり緊張した様子だ。

 そんなジュストの皿にリオネルは二個めのパンを置く。


「もっと食べるだろう?」

「え、あ、はい……」


 かちこちになったジュストに、リオネルが笑う。


「そんなに硬くならなくても」

「ですが、リオネル様と私では立場があまりにも……」

「アベルを見てごらん。平気で食べているのを、見習えばいい」


 少し馬鹿にされているような気もしたが、ここは割りきってアベルはジュストに笑いかける。


「ジュストさんが、はじめてわたしから見習うことですね」


 言っていて哀しくなったが、この際、開き直るしかない。


「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ」


 すぐにリオネルが申し訳なさそうに謝る。


「いいのです、自分でも本当にそう思ったのです」

「いや、よくないよ。ごめん。悪い意味で言ったんじゃなくて、むしろ嬉しいんだ。アベルがいつもおれと普通に食べてくれることが、すごく嬉しい」


 ジュストの話だったはずが、すっかりリオネルとアベルの話になっている。


「それは……立場の違いはわかっていますし、リオネル様がとても高貴な方だということも承知しているのですが、いっしょにいると不思議と肩の力が抜けて、ほっとするというか……」

「ほっとする? 本当に?」

「もちろん本当ですよ」

「そうか……そうなのか」


 リオネルはいやに嬉しそうだ。上機嫌で食事を口に運んでいる。


「……リオネル様とアベルは本当に仲がいいのですね」


 しみじみ言いながらジュストが小さく笑った。


「あ、やっと笑いましたね」


 アベルがいたずらっぽくほほえみかけると、ジュストは少し気まずそうな面持ちになる。


「このようなリオネル様を見るのは初めてだから」

「ベルリオーズ家の騎士たちが見たら、驚くだろうな」


 真顔のベルトランまで言うので、リオネルは苦笑した。


「そうかな、まるでおれが堅物のような言い方だね」

「堅物というより、嫡男としての自覚が先んじているというほうが近い」


 ベルトランの言葉を他人事のように聞きながら、リオネルはジュストの作った煮込み料理を食べている。


「こうして立場や隔たりを超えてアベルや皆といると、本当に幸せだよ」

「よかったな、リオネル」


 そんなリオネルの言葉に、アベルも嬉しい気持ちになった。

 リオネルの幸福は、自分の幸福なのだと、あらためて思う。


 そんなことを思っていると、思い出したようにリオネルは口を開いた。


「そういえば、今日の帰りに裁判所にもう一度寄って話を聞いてきたんだ」


 たった今思い出したような口調だったが、話す機会をうかがっていたことがどことなく感じられる。

 アベルとジュストは顔を上げた。


「……ジャックはどうなりましたか?」

「いろいろと白状したようだ」

「いろいろとは――」

「彼は、別の者に頼まれてアベルを川に突き落としたらしい」

「頼まれた……?」


 アベルはリオネルの顔を見つめる。リオネルは苦い表情だった。


「依頼したのはマリナだ」


 アベルは瞳を見開く。

 あどけないのに艶っぽい笑顔が脳裏に浮かんだ。


「マリナさんが……」

「ジャックと彼女は、元々関係があったらしい。今回、マリナはアベルを陥れるため、ジャックに川に突き落とすよう指示したということだ」

「…………」

「すまなかった、アベル」

「リオネル様が謝ることなんてありません」

「おれがうまく対処しなかったからだ。もっと彼女を警戒――」


 話している途中のリオネルの口を、アベルは片手で塞ぐ。


「謝らないでください」


 するとリオネルは目だけですまなそうな表情を作る。思わずアベルは笑ってしまった。


「いいんです。もう終わったことですから」


 口をふさぐアベルの手へ、リオネルは自分の手を重ねて、やんわりと引きはがす。


「判決が確定するまでは、まだ終わったわけじゃない」

「マリナさんは?」

「今日の昼前に、憲兵に連れていかれたはずだ」


 昼前といえば、ちょうどジュストといっしょに食材の買い出しに出かけていたころだ。知らぬ間にマリナは捕らえられていたらしい。


「二人はどうなるのでしょうか」


 ちらとアベルを見やってから、リオネルは視線を伏せる。


「役人によれば、ジャックとマリナは絞首刑に処される可能性が高いようだ」

「絞首刑?」


 思わずアベルは聞き返す。

 あまり言いたくなかったのだけど、と付け加えつつ、リオネルは説明した。


「命を危険にさらしたうえに、川から自力で上がったアベルを救おうとせず、あまつさえ手を出そうとした。二重、三重の罪になる。絞首刑にならないほうが不思議だよ」


 アベルはやや混乱した。

 二人が絞首刑とは――。


 たしかにリオネルの言うとおりかもしれないが、あの二人が絞首刑に処されるというのは少し厳しすぎるのではないかとアベルは思う。


「けれど、わたしは無事だったのですし、もう少し軽くできないのでしょうか」

「妥当な判決だ」


 リオネルは聞く耳を持たない様子だったが、アベルも食い下がる。


「マリナさんは直接手を下したわけではありませんし、ジャックは頼まれたのであって、絞首刑という罪を二人で分ける感覚で、せめて禁錮刑とか……」


 ディルクあたりが聞いていたら、〝罪を二人で分ける〟という案に笑ってくれていたかもしれないが、今はリオネルとベルトランとジュストしかいない。リオネルが断固とした態度なので、口出しできる雰囲気ではなかった。


「それは、アベルが助かったから言える話であって、最悪の結末を迎えていたら絞首刑ではすまされなかったよ。いや、おれがそれではすまさなかった。わかるか、アベルは殺されていたかもしれない。アベルはあの男に襲われ傷つけられていたかもしれない。もしそれが現実になっていたら? 彼らの罪は重い」

「ですが、今回は結果も考慮すべきと思うのです。もしわたしが死んでいたら、絞首刑だったかもしれませんが、わたしは生きていますし、なにもされませんでしたから」

「アベルになにかあったら、絞首刑どころか、おれがこの手で殺していた。同じ痛みを味わってほしいとさえ願うだろう」


 冷ややかな声音で物騒な言葉を吐くリオネルが、本当はそんなことをしないことをアベルはだれよりも知っている。


「リオネル様は、そんな残酷なことなさいません」


 アベルが静かに言うと、リオネルが口を開くより先にベルトランがぼそりとつぶやいた。


「リオネルがやらなくたって、おれがやるさ」


 こちらは実際にやりそうな気がして、アベルは寒気と共に言葉を呑む。


「えっと、だから、でも、今わたしはすっかり元気ですし」

「元気だと言うが、危ない状態だった。……もうこの話は終わりだ。裁判所が判決を下すだろう」


 話を打ち切ろうとするリオネルへ、アベルはそうさせまいと話を続ける。


「わたしたちが刑の軽減を求めたら、考慮されるのでしょう?」

「もう終わりだと言ったはずだよ」


 これ以上話もしようとしないリオネルに、アベルはむっとした。話を聞いてもらえる余地さえないとは。


「リオネル様は頑固です」


 けれどリオネルは涼しい顔で答える。


「頑固でけっこうだ」


 その態度が余計に頭にきて、アベルは短く付け加えた。


「リオネル様の石頭いしあたま


 ジュストがぎょっとした様子でアベルを振り返ったが、ベルトランはというとぼそりとつぶやく。


「アベルも相当な石頭だと思うが」


 軽く睨めば、ベルトランは視線を逸らして口をつぐんだ。


「頑固でも、石頭でも、おれは二人に厳重な刑罰を望んでいる」


 リオネルは、やはり冷静に言う。


「もういいです」


 アベルは言い放ってパンを口に押し込んだ。ジュストはリオネルとアベルの喧嘩をまえに、どうしたらよいかわからぬ様子で、気配を消しつつ黙って匙を口へ運んでいた。






+++






「それで、ジュストくんは毎日どこへいっているかわかったか?」


 当初は退屈で死にそうだった軟禁生活も、一週間経つと、だんだんと感覚が麻痺してくる。

 麻痺すると、案外これが普通に思えてくるから恐ろしい。ディルクは普通にこの部屋だけで生活し、淡々と政務を処理していた。


 付き合いや領民との接見などがないぶん、時間も気も取られないので、むしろ政務がはかどっている。画期的な状況だった。


 訴訟関連の書類を片づけているあいだに、暖かい葡萄酒を運んできたマチアスへ、ディルクはおもむろに尋ねた。


「毎日出掛けたって、このセレイアックで行くところなんてないだろうに」

「大聖堂でエマ殿やカトリーヌに会っているとか、買物をしているとか、劇を観にいったとか、いつも違うことをおっしゃいます」

「でも朝から晩までなんだろう?」

「ええ、夕飯も召し上がって戻られます」

「いくらなんでも、街での滞在時間が長過ぎる」


 ディルクは葡萄酒に口つける。


「やっぱり、このへんにいると当たりを踏んで、リオネルたちの居場所を探しているのかな」

「その可能性はありますね」

「ジュストは勘が鋭いうえに、今回の事情には詳しいからなあ。まずいね」


 居場所を知られることを警戒するディルクの傍らで、マチアスは処理の済んだ書類に目を通している。


「なあ、そんなのはあとでいいからさ、なんか阻止する方法はないかな」

「ジュスト殿のことですか」

「それ以外にだれかいるか?」

「あの方なら、大丈夫なのでは」

「はあ?」


 よく意味がわからない。


「大丈夫って?」

「たとえ居場所を探していたとしても、クレティアン様に報告するためではないような気がするのです」

「どういうことだ」

「いつごろからか、ジュスト殿は変わりました。リオネル様とアベル殿の関係を見守り、アベル殿を危険から遠ざけようとしているように見受けられます。居場所を探されているのだとすれば、安否を確認するため、あるいはいざというときにお二人を守ることができるようにするためではないでしょうか」


 マチアスの言葉を聞いて、ディルクは思案する。


「ご心配なら、だれかにジュスト殿のあとをつけさせますか」

「よほどうまくやらないと彼は気づくだろうな」

「私が尾行してもかまいませんが」

「いや、万が一マチアスが居場所を知ることになったら面倒だ」

「ですから、私のことはいいですから」


 ふう、とため息をつくとディルクはこの話題を曖昧にしたまま、訴訟関連の書類に再び目を通す。


「聞いていらっしゃいますか、ディルク様」

「近頃、裁判沙汰が多いな」

「私のことはご心配なさらぬようにと、まえから申しあげているはずです」


 マチアスの言葉を完全に無視して、ディルクはなにげないふうに言った。


「エストラダが起こしている戦争の煽りかな、この街も物騒になってきた。民も緊張感のようなものを感じているのかもしれない」

「…………」

「へえ、これは変わった事件だね。小間物屋の息子が、貸している部屋の住人を川へ突き落としたそうだ。それも、依頼したのはその部屋の向かいに住む女で、その女は、突き落とされた女性の恋人に横恋慕してふられ、嫉妬と腹いせのために殺そうとしたって。すごい話だな」


 マチアスに話す機会を与えまいとするように、ディルクは報告書を読み続ける。


「小間物屋の息子のほうも、被害に遭った女性を気に入っていて、川から自力で上がった彼女に手を出そうとしたらしい。男も女も最低だな」

「たしか、その事件は絞首刑が下されているはずです」


 マチアスはなにか諦めた風情で、この事件の話題に加わった。


「どれどれ……ああ、本当だ。でも、被害者側は刑の軽減を求めているぞ」

「この時世に、随分と寛容な人がいるものですね」

「ふうん、小間物屋の息子の名前はジャック、共謀した女はマリナ、被害者の女性はエステル……エステル? どこかで聞いたことがあるような」

「よくある名前ですが」

「被害を届け出ているのは、エステルの恋人リュシアンと、同居人のベルナール……」


 ディルクはなにか思い至る顔になった。


「エステルに、リュシアンに、ベルナール、それに小間物屋!」

「どうかいたしましたか?」

「これはアベルたちのことだ」

「は?」


 さすがのマチアスも聞き返した。


「彼らは街で偽名を使っているんだ。マチアス、おまえは報告書に記されている加害者と被害者の住所を読むなよ。居場所がわかるから」

「ですから、私のことはいいですから――」

「大変だ、アベルが川に突き落とされたとは」

「被害者の現状は、たしか……」

「いちおう無事だとは記されている」

「刑の軽減を求めているということは、何事もなかったのだと思いますが」


 ディルクは報告書を見つめる。


「悪いが、レオンに伝えてくれないか」

「様子を見にいっていただくのですか?」

「無事かどうか確かめたい」

「けれど、レオン殿下は見張られています」

「――アベルになにかあったら大変だ」


 案じる様子のディルクへ、マチアスは提案した。


「そうですね。では、裁判所の者を通じて、被害者の健康状態を調べさせましょう。その報告書の判決にご同意なさるなら、そのままご署名なさって私にお戻しください。すぐに担当の者と話をしてきます」


 署名、と言われてディルクはもう一度報告書へ目を通す。

 裁判所が下したのは絞首刑、被害者側が求めているのは刑の軽減だ。


「このまま署名すれば、ジャックとマリナの絞首刑が決まる。さて、被害者側が求めている刑の軽減はどうするか」

「……おそらく刑の軽減を求めているのは、リオネル様ではなく、アベル殿でしょう」

「だろうな」


 アベルがこんなことをされて、リオネルが首謀者を容易に赦すわけがない。彼が妥協したとしたら、アベルの強い希望があったからだろう。


「どうなさいますか」


 短く嘆息してから、ディルクは羽ペンを走らせ、報告書の最下部にすらすらとなにか書き記す。それから最後に自らの署名をほどこした。


「これでやってくれ」

「かしこまりました」


 受けた取った書類に目を通したマチアスが、ディルクの綴った文章を小声で読み上げる。


「刑の変更……禁錮刑四年の後、領外追放――ですか」

「絞首刑にしたいのは山々だが、アベルの気持ちもある。セレイアックの広場で彼らが吊るされるところを目にすれば、心を痛めるはずだ」

「なるほど」

「だが、人を殺めようとした罪は重い。それにアベルを襲おうとした人間は、我が領地には住まわせられない。ゆえに禁錮刑四年に領外追放が妥当だろう」

「よいご判断と存じます」

「悪いけど、アベルの状況を調べておいてくれ」

「かしこまりました」


 深々と頭を下げてマチアスは部屋を出た。








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