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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
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「それにしてもアベルはかわいらしかったな」


 執務机についた肘で頬杖をつき、ディルクは溜息をつく。


「淡い萌黄色のドレスに、綺麗に結った髪。あれじゃあ、リオネルは幸せだろうけど、心配も絶えないだろうね」


 夕食も終わり、執務もひと段落したディルクは、葡萄酒片手に昼間のアベルの様子を思い出していた。

 レオンが相槌を打つ。


「ああいう格好をすると、従騎士のときとまったく印象が違うから不思議だ」

「同じ人とは思えないよね」

「兄上が気に入ったくらいだから、それだけ注意したほうがいいのだろうな」


 レオンも哲学書を小卓に置き、暖炉に近い椅子に腰かけてディルクと向かい合っている。

 暖炉のそばにあるその特等席は、寒がりなレオンがいるときはいつも彼のものになってしまうが、ディルクは特に文句も言わなかった。


 なんだかんだいってディルクはレオンに優しいのだが、愛しのローブルグ王に暖めてもらったらどうだとか余計なことばかり言うので、いつもレオンと言い争いになるのだ。


「元婚約者としての欲目を差し引いても、アベルの魅力はわかるよ。へんな虫がつくのも心配だし、今日みたいに自信過剰な女に嫉妬されて目をつけられるのも心配だ」

「人のよさそうな顔をしているからな。いじめやすいのだろう」

「たしかにお人好しだね。お人好しのわりには、案外短気だけど」


 ディルクがそう言えば、レオンが小さく笑った。


「帰り際に用心棒殿に会えて運がよかったな」

「今日の出来事を伝えることができたからね」


 空になった杯に、マチアスが葡萄酒を注ぎ足す。


「アベル殿はお元気そうでしたか?」

「もちろん。リオネルには会えなかったけどね」

「私も皆様にお会いしたいのですが、ディルク様が政務を片付けてくださらないので行けそうにもありません」


 ちくりと嫌味を言われてディルクは片眉を上げた。


「だから、がんばってやっているだろう。それともなにか? アベルに会いにいったのがいけなかったと?」

「会いにいくのはかまいません。お戻りになってから、剣の打ち合わせをする時間が長いのです」


 はいはい、とディルクは適当に聞き流す。


「さて、次はいつ会いに行こうかな……」


 つぶやいたところで、扉を叩く音があった。

 マチアスが対応すれば兵士が深刻な様子で告げる。


「先程ベルリオーズ邸から使者が到着しました。侯爵さまが、ディルク様とレオン殿下をお呼びです」


 へえ、とディルクが平らな声でつぶやくと、状況を察したレオンの苦い眼差しと視線がぶつかった。

 無言で確認し合い、ディルクとレオンが立ち上がる。二人に続いて、マチアスも部屋を出た。









 アベラール侯爵の執務室には、すでにジュストの姿があった。ベルリオーズ邸からの使者とは彼のことらしい。


 二人が入室すると、ジュストは深々と一礼した。


 事情をすべて知っているジュストは使者としてもってこいだが、今の彼の立場にディルクは少なからず同情した。

 リオネルを連れ戻すようクレティアンに命じられているのだろうが、実際にこれまでの状況を自らの目で見てきたジュストの思いは、単純なものではないはずだ。


「ディルク、座りなさい。レオン殿下にもわざわざお越しいただき、申しわけございません」


 この態度の差はなんなんだ、とディルクは内心で反感を覚えたが、そういえばレオンは王子殿下だったのだと思い出す。


「これからの話は基本的に愚息ディルクに向けて言うものです。レオン殿下には聞いていていただければ幸甚に存じます」


 ディルクは椅子に腰かけながら、正面に座りなおす父親を見やった。


「いいか、ディルク。大事な話だ。余計な前置きはしない。――リオネル様とアベルはどこにいる」

「なんの話でしょうか」

「誤魔化しても無駄だ。公爵様から手紙を受けとった。すべてそこに書かれていた」

「すべてとは?」

「あえて私の口から聞くか。いいだろう。リオネル様はベルリオーズ邸にお戻りにならず、アベルと共に館で暮らす許可が下りるまでは、市井で暮らすおつもりだということだ」

「いきなりいなくなったと思ったら、そういうことだったんですか!」


 驚いたふりでディルクが言えば、アベラール侯爵は呆れた顔をした。


「知っていたのだろう」

「いいえ、まったく。驚いたというものではありません。それで二人はどこへ?」

「それをそなたから聞くために、ここに呼んだのだ」

「そんなことをおっしゃられても、私が知りたいくらいですよ」

「とぼけるな、ディルク」


 アベラール侯爵の声は真剣だった。


「これは大変な事態だ。リオネル様がベルリオーズ邸に戻られぬおつもりなのだぞ。もしものことがあったらどうするのだ」

「私に言われましても」

「リオネル様のためだけではない。このままでは、アベルはベルリオーズ家の騎士らに殺されたって不思議ではない」


 ベルリオーズ家の騎士に殺されると聞いて、ジュストの肩がわずかに揺れる。


「父上、縁起でもない……ベルリオーズ家の騎士らは、皆アベルのことをかわいがっています」

「わかっているのか、嫡男をたぶらかした相手を、だれが赦すと思う。かわいがっていたならなおさら裏切られたと感じるものだ」

「アベルはなにも〝たぶらかして〟なんか。むしろ、たぶらかしたのはリオネルのほうじゃ……?」


 レオンがぎょっとしてディルクを見たが、ディルクは涼しい顔だ。


「リオネル様に〝たぶらかした〟などという言葉を使うものではない」

「アベルには使ってもいいのですか」

「アベル……いや、シャンティ殿がリオネル様を誘惑したとか、そういう意味で言ったのではない。たしかに言葉は悪かったが、つまり、世間一般ではそのように捉えられるということだ。わかるだろう、ディルク。ここで重要なのは二人の立場の違いだ。リオネル様に館へ戻っていただくためには、本人の意思がどうであれ、周囲からすればアベルが障害となってしまう」

「だから二人の居場所を知りたいと? お教えしたいのは山々ですが、私は知りませんから」

「シャンティ殿の身の安全もまた、危険に晒されることになるのだぞ」


 たしかにこの事態は、リオネルや周辺の懸念のみならず、アベルの立場を悪くし、その身を危険に晒すことにもなりかねない。


〝シャンティ〟の名を持ちだされ、彼女のためなのだと言われれば、ディルクもたしかに心が揺らがないこともない。けれど身の安全のためにといって居場所を知らせたりすれば、その後の二人はただ引き裂かれるだけの運命だ。

 それはすなわち、リオネルだけではなく、アベルにとっても絶望を意味するものと思われた。


「なにも言わずにセレイアック大聖堂から姿を消したのです。私は居場所を知りません」

「街で生活などして、リオネル様とシャンティ殿に万が一のことがあったらどうする」

「ですから、私に言われましても」

「ふざけている場合ではない」


 はぐらかしてはいるが、ふざけているつもりはなかったので、ディルクは内心でむっとする。普通にしていても、ふざけているように見えるとでもいうのだろうか。


「もし国王派の者がこの事態に気づけば、どうなることか」

「彼らもリオネルの居場所を探し出すことは容易ではないでしょうから、ある意味では最も安全な状況ともいえます」


 アベラール侯爵は溜息をついた。


「なにが安全だ。国王派の者がリオネル様の不在を嗅ぎつければ、どんな噂をたてることか」

「噂? たかが噂でしょう。そのようなもの恐れる必要はありません」

「なにを言うか。リオネル様ご不在のあいだに、ますます国王派の力が強まり、ジェルヴェーズ殿下がやりたい放題――」


 言いかけてから、この場にレオンがいたことを思い出したらしく、アベラール侯爵は咳払いした。冷静な彼にしては、珍しい失敗だ。それだけ慌てているのだろう。


 レオンは小さく――、小さくなっていた。


「……それに、街の生活は過酷だ」


 アベラール侯爵は論点を変えて説得を続けてくる。


「所持金が底をつけば、生きていくことさえままならない。伝染病や飢饉は、市井の生活からは切り離せない。なにかあってからでは遅い」

「では、もしベルリオーズ邸に戻ったら二人はどうなると、父上は思われますか?」

「それはクレティアン様がリオネル様と話し合われて決めることだ」


 ジュストはアベラール侯爵の背後に立ち、黙ってやりとりを見守っていた。


「はぐらかさないできちんとお考えください。アベル……いえ、シャンティがベルリオーズ邸で生活することが許されると思いますか?」

「そなたは許されぬと思うから、二人の居場所をけっして口にしないというわけか」

「先程も言ったとおり居場所は知りませんが、もし二人が連れ戻されるようなことになったら、残酷な結末を迎えることは間違いありません」

「アベルは追放されると?」

「少なくとも引き離されるでしょう」

「だが、公爵様はシャンティ殿の身に危険が迫るような対応はしないはずだ。どこか安全な場所で暮らすことができるだろう。ともかく、そこは公爵様のご判断にお任せするべきで、我々の関与するところではない」


 アベラール侯爵の言葉に、はじめてディルクのまとう空気が変化した。父上、と呼ぶ声は怒りを秘めていて、瞬時に室内に緊張感が漂う。


 マチアスが気がかりげにディルクを見やった。


「先程はシャンティの身の安全のために、二人を探し出すべきと父上はおっしゃいました。けれど、居場所がわかったら我々は関与しないとはどういうことですか。安全な場所で暮らせるかどうかなど、最後まで関与しなければ見届けることもできないではありませんか。父上がシャンティのことを心から考えているとは少しも思えない」

「どういう意味だ」


 アベラール侯爵の声もまた低くなる。


「言葉どおりです。クレティアン様のためにリオネルを探し出して連れ戻すことさえできれば、父上はシャンティのことなどどうでもいいのでしょう?」

「口を慎みなさい、ディルク」

「権威を振りかざして誤魔化さないでください。黙るようにと命じるのではなく、もし私の言ったことが間違っているなら、なにか納得できる言葉をください」

「ディルク、そなた――」


 明らかに苛立つアベラール侯爵をまえに、ディルクも一歩も引かぬ姿勢だ。


 気がかりげな様子でマチアスが二人のやりとりを見守っているが、レオンはというと、親子喧嘩をまえに小さくなりすぎてもうほとんど見えないくらいだった。


 元来冷静な質のアベラール侯爵である、ひとまず怒りを抑える様子で言う。


「シャンティ殿のことは、私なりに案じている」

「案じていればどうして平然と二人を連れ戻すなどと言えますか。二人は愛し合っているのですから、クレティアン様に居場所を知らせるだけではなく、我々でどうしたら最もいい形になるのか考えるのが先ではありませんか」

「そなたは甘いのだ、ディルク。愛し合っていれば結ばれると? 領主としての自覚はないのか。リオネル様と手を携えてこの国を支えていく覚悟は」

「領主としての自覚とシャンティのことは関係ありません」

「いや、関係ある」

「シャンティのことより、領主としての自覚を優先させよと?」

「領地を治める者として、私情ではなく家のため――領民のために行動するのは、当然のことだ」


 ディルクはすっくと立ち上がった。


「よくわかりました」


 突然立ち上がったディルクを、レオンが驚いたように見上げた。


「おい……?」

「父上がシャンティのことを少しも考えていないことが、よくわかりました」

「どこへいく」

「話になりません。父上とは話し合う余地もありません」

「居場所を知っているのだな」

「知らないと何度言えばわかるのですか」


 その言い方に、慌ててマチアスが「ディルク様」と小声で諌める。


 が、無言でディルクが部屋を立ち去ろうとすれば、アベラール侯爵が配下の兵士を呼んだ。すると、たちまち控えていたアベラール家の兵士らがディルクを取り囲む。


「おおっ」


 ディルクのそばにいたレオンがのけぞる。


「なんだ、おまえたちは」


 顔を顰めるディルクを庇って、マチアスがまえに立ちはだかった。すでにマチアスの手は剣の柄に添えられている。

 たとえ同胞たるアベラール家の騎士らを相手取っても、マチアスは迷いなくディルクを守る構えだ。


「マチアス、大丈夫だから下がっていろ」


 ディルクがマチアスの腕に手を置くが、マチアスは動かない。


「おまえにはもったいないほどの優秀な従者だ」


 アベラール侯爵がため息まじりにつぶやけば、マチアスがはっきりと言った。


「ディルク様こそ、私にはもったいない主です」


 と。


「そうなのか!」


 驚きの声をあげたレオンをじろりとディルクが睨む。


「手荒なことはしたくない。ディルク、二人の居場所を教えなさい」

「父上は耳が遠くなられたようですね。これほど知らないと答えているのに、聞こえていらっしゃらないとは」


 そう言いながらディルクはマチアスの腕を引く。一歩も動かぬマチアスと、マチアスを危険から遠ざけようとするディルク。

 そんな二人を見やりながら、アベラール侯爵は兵士らに命じた。


「ディルクを捕らえて部屋に閉じこめ、外から鍵をかけなさい」


 兵士らがディルクに近づけば、マチアスが迷いのない動作で剣を抜き放つ。白い刃が冷たく光った。


「マチアス、やめろ」


 命じたのはディルクだが、マチアスはまっすぐに剣の先を兵士らに向けた。


「ディルク様を力づくで捕らえようとするならば、私が相手になります。――ディルク様には指一本触れさせません」

「もういい、マチアス。こうなったら父上のご命令通り、どこにだって閉じこめられてやるよ。知らないことを告白することはできない」


 そう言ってマチアスの腕に手を置き、剣を下げさせる。

 ディルクはマチアスから兵士らに視線を移した。普段のディルクからは想像できないくらい、真面目な顔だった。


「どこへでも行ってやる。そのかわり、マチアスの意志だ。おれには触れるな」


 視線だけで確認を求める兵士らに、アベラール侯爵はうなずき返す。ようやくマチアスが剣を鞘に収めた。


 兵士らがディルクに頭を下げる。


「ディルク様、非礼をお許しください」

「で?」

「お部屋までご一緒します」


 アベラール侯爵の私室を出る兵士に従って、ディルクは歩きだす。あとからマチアスがついていこうとするのを、兵士のひとりが阻止した。

 マチアスがたちまち静かな怒りをまとうところへ、ディルクはすかさず声をかける。


「ああ、本当におれは平気だから、マチアス。それよりレオンのことをよろしく頼む」


 ディルクがレオンへ視線を移せば、レオンからたしかに了承のうなずきが返ってきた。


 マチアスにレオンを託したのではない。逆だ。

 ――レオンに、マチアスを託したのだ。


 レオンがそれを承知していることを確認して、ディルクは小さく安堵しつつ部屋を出た。








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