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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
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 荷物を王宮の片隅に与えられている自室に置き、トゥーサンを残してカミーユが真っ先に向かったのはノエルのもとである。けれどこの日は隣国ファルファレロから要人が訪れていて、ノエルは衛兵任務についていた。


 しかたなくいったん自室へ戻ろうとすれば、途中で王宮の廷臣らと話をするフィデールの姿を見かける。

 軽く頭だけ下げ、あとで挨拶をしようとしたところ、フィデールのほうから廷臣らに断りを入れてこちらへやってきた。


「カミーユ」

「お久しぶりです、フィデール様」


 話の最中に抜けてよかったのかと尋ねれば、フィデールはかまわないと言う。

 彼の青みがかった灰色の瞳に、母ベアトリスを思い出し、カミーユは少しばかり戸惑った。考えてみれば、自分も同じ色の瞳なのだが。


「いつ戻ってきたんだ」

「ついさっきです」


 フィデールには直接事情を説明していなかったはずだが、ノエルから聞いたのだろうことは容易に察せられる。ノエルとて理由を話さなければならないから当然のことだ。


「叔母上が心配していた」


 フィデールのひと言に、カミーユはぎくりとした。


「……知らせたんですか」


 フィデールの雰囲気が幾分か硬いのも、ベアトリスと関わりがあるせいかもしれない。


「当然だ。カミーユを守るのが、私やノエル殿の役目だから」


 ベアトリスと連絡を取り合ったということは、もしかするとシャンティを殺し損ねた一連の出来事まで、フィデールは聞いているのだろうか。

 なにをどこまで知っているのか、フィデールの表情からは読みとれない。


「叔母上にも会わずに、どこにいたんだ?」

「マイエや、周辺にある所領の街で、乳母のエマを探していたんです」

「なぜ叔母上にご挨拶しなかった」

「心配かけるし、父上に知られたら困ると思ったので」

「乳母は見つかったのか?」

「いいえ……」


 フィデールはじっとカミーユを見つめている。すべて見透かすようなフィデールの瞳だが、カミーユはそれを正面から見返した。

 見透かされるわけにはいかない。

 シャンティを守らなければならないのだから。


 フィデールもまた視線を逸らさず、さらに尋ねてくる。


「カミーユ、向こうでだれに会った」

「え……」


 質問の意図がわからないからこそ、慎重に答えなければならない。


「だれ、とは?」


 聞き返せば、フィデールは探るように目を細めた。


「叔母上にご挨拶はせずとも、密かにデュノア邸には行ったのだろう? 乳母を捜すためには、失踪を知らせた者と話をしなければならないだろうから」

「手紙に詳細が書かれていたので、館へは行きませんでした」

「乳母の失踪を知らせてきたのはだれだ。よく彼女のそばにいたというシャンティ殿の侍女か?」


 カミーユはぐっと言葉に詰まる。沈黙をフィデールは肯定と受けとったようだった。


「そうなのか」


 咄嗟にカミーユは否定する。


「いえ、違います」

「シャンティ殿の侍女だった者は、デュノア邸から失踪したそうだ。カミーユがなにか知っていれば教えてほしいと、叔母上の手紙につづられていた」

「……失踪?」

「知らないか」

「今回、私は一度も会っていないので」

「居場所は?」

「もちろん知りません」

「伯爵は、侍女が無断で出ていったことにひどくお怒りのようだ。見つかったらただではすまされないだろう」

「…………」


 カミーユは内面を悟られないように振る舞うので必死だった。もともと嘘は苦手だし、考えていることが素直に顔に出る質である。


「叔母上には私から、カミーユが無事に王宮に戻ってきたことを伝えておこう」

「……ありがとうございます」


 今は、ベアトリスに書き綴る言葉が思い浮かばない。

 カミーユを愛してくれている実の母だが、これまでのシャンティへの仕打ちを思えば、憎しみさえ抱いてしまうのを止められない。感情的にならないためにも、とりあえず心を落ちつかせるためには、しばらく時間が必要だった。

 フィデールから連絡してもらえるなら、それに越したことはない。


「今回、乳母を探しにいくことができたのは、ノエル叔父上のご厚意だ。叔母上もお赦しになるだろう。だが二度目はない。もう勝手に王宮を離れるなどということはないように」


 静かな声音のなかにも、厳しい響きがあって、カミーユは肩をすくめる。


「勝手なことをして、ごめんなさい」

「ノエル叔父上が任務を終えられたら、すぐにご挨拶にいきなさい」

「わかりました」


 素直にカミーユが答えれば、ほのかな香水の香りを残してフィデールは王宮の廷臣らのところへ戻っていった。






 ため息をつきたくなるのを堪えて、カミーユはフィデールの後ろ姿に一礼して歩きだす。


 フィデールはいったいどこまで知っているのだろう。ベアトリスやオラスが探しているから気をつけるようにと、カトリーヌに書き送るべきだろうか。


 あれこれ考えながら自室へ戻り、経緯をトゥーサンに説明した。するとトゥーサンは次のように言った。


「フィデール様は頭のよい方です。それに、これまでのカミーユ様のお話をうかがうかぎり、ベアトリス様からの信頼は厚く、お二人の結束は強いように思われます」

「すべて知っているってこと?」

「その可能性もあります。そのうえで、カトリーヌの話を持ち出したのかもしれません」

「どういうこと」

「つまり、シャンティ様とカトリーヌが行動を共にしていると、察しておられるかもしれないということです」


 カミーユは、トゥーサンの言葉の意味を理解して、目を見開いた。


「フィデール様が本当に知りたかったのは、カトリーヌではなく、姉さんの居場所?」

「シャンティ様がどこに逃げたのか、カミーユ様がご存知かどうか、探ったのかもしれません」

「…………」

「すべて憶測の域を出ませんが、いまのところはカトリーヌに手紙を書き送らないほうがいいでしょう。もしも行動を見張られていたとしたら、カミーユ様が手紙を書いたこと自体が、居場所を知っているということになります」


 カミーユは、はっとする。

 ――そうか、だからベアトリスにはフィデールから手紙を書くと言ったのか。


 カトリーヌに手紙を送るかどうか見極めるためには、ベアトリスに連絡を取る可能性を排除しておかなければならない。


 カミーユは寒気がした。

 フィデールをこれほど恐ろしい存在と感じたことはない。


「あくまでも可能性の話です。最悪の状況を想定して行動すべきと存じますので」

「わかった。ありがとう、トゥーサン」


 ある種の覚悟を胸に秘めてカミーユは拳を握った。


 ベアトリスも、フィデールも、カミーユには優しくしてくれる。けれど、一度敵に回したら、とてつもなく恐ろしい存在に違いない。


 これから自分はどう立ちまわるべきか。

 なにを選びとっていくのか。

 ひとつを選ぶということは、同時に他を捨てることでもある。


 自分自身の信念と向き合うべきときが近づいているのを、カミーユは感じていた。






+++






 目覚めれば、愛する人がそばにいる。


 それは、リオネルにとってこの上ない幸福だった。


 アベルの寝顔はあどけない。

 こんなふうに、アベルが安心して眠っていられる日々が続くようにと――いや、続いていくようにしなければならないと、リオネルは思う。


 運命は残酷で、アベルが辿ってきた道も、これから進む未来も、けっして平坦ではないだろう。この手でどこまでアベルを守ることができるのか、リオネルは拳を握った。


 白い頬に落ちかかる睫毛の影や、骨の細さを感じさせる薄い肩――ほんの些細な仕種に、しばしばリオネルは不安とも戸惑いとも知れぬ心地になった。幾度触れても、どれほど近くにいても安心することはない。


 アベルはいつだって、捕まえた瞬間に消えてしまう風のようだった。


 癒えることのない傷もあるだろう。だが、貴族社会から離れたこの生活のなかで、アベルが少しでも安らぎを感じてくれたらと、リオネルは願った。







「おいしいですね、このパン」


 今朝ベルトランが買ってきてくれたパンを、アベルは食卓で頬張っている。


「本当だね、酸味と甘みと塩気がなんとも言えない」

「これからパンはここで買いましょうか」


 悪くないな、とベルトランもまんざらでもない様子である。味にうるさいベルトランが気に入ったのだから、腕のよいパン職人がいる店といっていいようだった。


「おいしいお店、よく見つけましたね」

「まえを通ったらいい匂いがした」

「まるで動物みたいですね、香りでいいお店がわかるなんて」


 アベルはにこにこと笑いながら、そんな冗談を言う。

 動物みたいなどと言われたら常の仏頂面を顰めるところだが、妹のように可愛がっているアベルに言われれば、ベルトランも片眉を吊り上げるだけである。


 それをいいことにリオネルは、真面目一辺倒のベルトランを少しばかりからかう。


「どんな動物?」

「鼻が利くのは、狼でしょうか?」

「ああ、ベルトランはたしかに狼って感じだね」

「身体の大きさからすると、細身の熊とか、豹とか、そういう感じもしますけど」

「細身の熊って……」


 リオネルが笑いをかみ殺す傍らで、ベルトランが微妙な面持ちで黙々と食事を続けていた。他愛もない話を続け、食事が終わるとリオネルは再び出かける準備にかかる。


 アベルは少しばかり寂しげな面持ちになった。


 リオネルとしては、ベルトランにはアベルのそばにいてほしかったが、用心棒としての役割が骨身に沁みている彼にそれを求めるのは酷だった。一日の半分でもアベルのそばにいることが、ベルトランの最大限の譲歩なのだとリオネルもわかっている。


 リオネルはアベルの髪に触れる。


「今日も結ってあげるよ」

「……じ、自分でできます」


 慌ててアベルは両手を頭にもっていく。けれど自分でできるといっても、アベルは髪を梳くだけか、後ろで無造作に束ねる程度だ。


「いいよ、すぐにできるから」


 アベルを椅子に座らせ、リオネルはアベルの髪を結えていく。


 柔らかく、あたたかいアベルの髪は、指先の温度に溶けていくようだった。

 耳の脇にざっくりと大きめの三つ編みを結い、それらを背後でまとめてリボンで留めた。ゆるく波打つアベルの金糸の髪は、たったそれだけでも映える。


 結い終わってからリオネルはわずかに後悔した。


「……だめだ」

「おかしくてもいいですよ?」

「違う、似合いすぎるんだ。一歩も外へ出ないなら、この髪型でもいいんだけど」


 ぷっとアベルは吹き出した。


「最近リオネル様の冗談が進化してきましたね!」


 それから結われた髪に指先で触れ、わあ、とアベルは感嘆の声をもらす。


「本当に器用ですね」

「そうかな。父上は器用だけれど、母はあまり手先を使うのは得意でなかったようだよ」

「本当ですか?」


 心なしかアベルが嬉しそうな顔になる。


「わたしといっしょですね」


 アベルほど不器用だったかどうかはわからないが、とりあえず嬉しそうだったので、リオネルはほほえんだ。


「アベルは不器用なところが、かわいい」

「……ほ、褒められている気がしないんですが」


 少し顔を赤くしてアベルは視線をうつむける。そんな仕草ひとつひとつも愛おしい。


「父上も、母上のそういうところが好きだったのかもしれないね」


 ぼそりとこぼれた心の声に、アベルはさらに顔が赤くなる。ごほんとベルトランが咳払いした。


「ああ、そうだ。仕事を探しにいかなければならなかった」


 玄関まで見送りにきたアベルに、知らない者は家に入れないように、そして洗濯や買い物に行く必要なく、料理は無理しなくていいと、リオネルはあれこれ告げてからベルトランと共に家を出た。

 アベルをひとり家に残していくのは、リオネルにとっては心の痛む瞬間だった。







 部屋の扉を閉め、アベルが鍵をかけるのを確認する。それから階下へ降りようとすると、ちょうど階段をだれかが上ってくるところだった。


「こんにちは」


 目が合って挨拶してきたのは、すでに初日に挨拶を交わした、真向かいの部屋の住人だ。


「ええ、こんにちは」


 軽く挨拶を済ませて通りすぎようとしたとき、彼女の左頬がかすかに赤く腫れていることにリオネルは気がついた。すぐにアベルの腫れた手が脳裏に浮かぶ。

 リオネルは呼び止められた。


「あの、リュシアンさん」


 あらためて視線を向ければ、マリナが小首を傾げてリオネルを見上げていた。


「剣を下げていらっしゃいますが、リュシアンさんは騎士様なのですか?」

「剣術を学んだことがあるという程度だが」


 マリナはリオネルを見つめながら、わずかに眉を下げて難しい面持ちになった。


「あの……実は、近頃ずっと知らない男につきまとわれているんです。すごく怖くて」


 共に部屋を出たベルトランは、腕を組んで二人のやりとりを見守っている。マリナは、厳つい赤毛の騎士がまるで存在していないかのように気にしていなかった。


「ひとりで暮らしているから、余計に怖くて。お向かいだし、なにかあったら助けてもらえませんか? もちろんお礼はします」


 お礼、というところに含みを持たせた言い方に、リオネルは内心でため息をつく。

 少し腫れた相手の頬へ今一度視線をかすめてから、目を細めてリオネルはマリナを見返した。


「エステルに」

「え?」

「エステルになにを言ったんだ?」

「なにをって……わたしはなにも」


 慌てる様子もなく、むしろ困惑した面持ちでマリナは首を横に振る。これが演技ならば完璧すぎるほどだ。

 けれど、リオネルはおおよそ察しがついていた。


「もし貴女が本当に困っていて、助けを求めたら、私にできることはする」

「……本当に?」

「だが、エステルの心を乱すようなことをするならば、今後一切近づかないでくれ。彼女を傷つける者を、おれは決して赦さないから」


 途端にマリナは沈黙した。リオネルは牽制するようにマリナを一瞥してから、その場を離れる。


 厩舎のほうへ向かう途中、従うベルトランが低く言う。


「平手のほうは彼女か」


 手の怪我が扉にぶつけたのではないことを、リオネルが見抜けぬはずがない。


「なにか言われたのかもしれない」


 マリナが娼婦であることは、雰囲気で察せられる。アベルがマリナを平手で叩いたのだとすれば、それ相応の理由があったはずだ。


「となれば、だれかにつきまとわれているというのも嘘だろう」

「そうだろうね」

「向かいに住んでいるというのがやっかいだな」

「それにアベルの手は、平手で打っただけではなかったはずだ」


 アベルの怪我を確認したはずのベルトランに、リオネルは確認する。やや苦い口調でベルトランは答えた。


「最後までアベルはなにがあったか言わなかった」


 リオネルはしばし考え込む。アベルをひとりにするのは、やはり心配だった。


「おれが先に戻ってアベルのそばにいる。おまえは本来の目的を達成しろ」


 ベルトランに言われて、リオネルは重く感じられる足取りで厩舎に向かう。部屋にひとり残されたアベルを思ったとき、不安と痛みを胸に覚えた。

 リオネルは馬に跨り、ベルトランと共にセレイアックの街なかへと向かった。








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