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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
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 こつこつこつ……と机を指で叩く音が響いている。クレティアンが苛立っているということは明白だった。

 無駄のない動きでジュストが一礼すると、クレティアンが椅子から立ち上がる。


「ジュスト」


 名を呼ばれて、やや緊張しながら返事をした。自分が呼び出されたということは、リオネルの一件だろうと容易に察せられる。事態は、良いほうへ進んでいないようだった。


「まえに、ベルリオーズ邸へ一度戻るようにと手紙をリオネルに書き送ったが、返事があった」


 クレティアンの声は低い。ジュストは黙って言葉の続きを待つ。


「セレイアック大聖堂を出るそうだ。私がどれだけ探しても見つからぬ場所で、アベルと二人で暮らすと。アベルが館に住まうことを許すまで、何年でも戻らぬ覚悟だとつづられていた」

「…………」


 予想していたことではある。リオネルの覚悟はジュストにも伝わっていた。だから驚きはしなかったが、クレティアンの心情を思えば、なにを言えばいいかわからない。


「そなたの言うとおりだったな」

「……申しわけございません」

「そなたが謝ることはない。リオネルが決めたことだ」


 クレティアンにそう言われれば、ジュストは心苦しかった。自分が両者を説得できていれば、という気持ちもある。

 今回のことが、結果的にリオネルとアベルを追い詰めることになるのではないかと恐れるからこそ、なおさらジュストは自分自身のなかで葛藤があった。


「私はこのような行動に屈するつもりはない。居場所を突き止め、どのような手を使ってでも連れ戻す」

「公爵様……」


 力ずくでリオネルを連れ戻そうなどとすれば、どうなることか。

 リオネルは心からアベルを愛している。けっして力に屈することはないだろう。となれば待っているのは悲惨な結末だ。


 ジュストの心情を察したのか、クレティアンが告げる。


「なるべく手荒なことはしたくないと思っている。方法は追って考えるが、まずは居場所を突き止めなければどうにもならない」

「……はい」

「ついてはジュスト、そなたにひとまずセレイアックへ向かってほしいのだ」

「私に?」

「アベルの出自を含め現状を知るのは、ベルリオーズ家の騎士らのなかではそなたしかいない。無闇に真実を告げて事を大きくしたくないのだ」


 セレイアックに向かうということは、居場所を探るということだろうか。けれど、広いセレイアックの街を無暗に探しても、リオネルとアベルが暮らす場所など見つけ出せる気がしない。


 いや、本気を出せば方法はあるかもしれない。けれどその方法は、おそらく自分の望むものではないだろう。ジュストには荷の重い役目だ。

 するとクレティアンが言った。


「セレイアック大聖堂に残っているというデュノア家の侍女らは、リオネルらの居場所を知らないだろう」


 ジュストは顔を上げる。


「リオネルの性格を考えれば、当然こうなることを予測し、だれにも居場所を告げずに出ていくはずだ」

「では」

「だが、ただひとり例外がいる」

「……ディルク・アベラール様、ですか」

「そうだ。ディルク殿には伝えている可能性が高い。しかしあの者が知っていたとしても容易には口を割らないだろう」


 クレティアンの言いたいことはわかる。ああ見えてディルクは、リオネルのためなら、たとえ拷問にかけられてもなにも話さないに違いない。


「居場所を明らかにするために、私はアベラール侯爵に手紙をしたためる」

「事情を明かすのですか?」

「この際、しかたがない。ディルク殿から居場所を聞き出してもらうためだ。アベラール侯爵が働きかければ、ディルク殿もこの事態の深刻さに気づくかむしれない。そなたには手紙を届けるついでに様子を探ってほしい」

「様子、とは」

「ディルク殿と直接会えば、居場所を知っているかどうか、リオネルに会いに行っているのか、二人やベルトランが無事なのかどうかくらいはわかるだろう。なにかひとつでもわかることがあればいい」


 ジュストは少し意外に思った。

 居場所それ自体ではなく、ディルクの様子からリオネルらの状況でわかることがひとつでもあればいいと、クレティアンは言う。


 おそらく長期戦になるだろう。クレティアンは手段を選ばず連れ戻すと言ってはいるものの、事を性急に進めるつもりはないようだった。


「焦っては方々で軋轢を生むだけだ。アベラール侯爵が私に返事をしたためたなら、それを携えてそなたはベルリオーズ邸に戻りなさい」

「かしこまりました」


 なんとしてでも居場所をつきとめるようになどという命令ではなかったことに、ジュストは安堵すると同時に、クレティアンの優しさを感じる。


 関係者に負担をかけずに、事を進めていくというだけではない。

 生まれて初めてベルリオーズ家の嫡男としての肩書き、先王の孫で正統な血筋という重圧、そして暗殺者から命を狙われる緊張感から解放され、心から愛する相手と生活をはじめようとするリオネルに、しばらくは平穏で幸福なときを与えてやりたい――それがクレティアンの真実の思いなのではないか。


 だからこそ、居場所をつきとめるのはゆっくりでかまわないと。

 いずれは強制的に連れ戻し、アベルとのあいだを引き裂かねばならぬ日がくるにしろ、今だけはそっとしておいてやりたいと思っているのかもしれない。


 クレティアンとて、ベルリオーズ家の当主という重い肩書きを背負っていなければ、息子が愛する女性と結ばれることを心から願ってやまなかったはずだ。


 だれもが葛藤を抱え、悩み、苦しんでいる。

 運命の過酷さをジュストは心から恨めしく思った。


「手紙は必ずアベラール侯爵様に届けます」

「出立は明日でかまわない。クロードには私から言っておくから、そなたは出立の準備を整えたら身体を休めておきなさい」

「ありがとうございます」


 ジュストが頭を下げたところで、こんこんと軽く扉を叩く音がした。ジュストが違和感を覚えたのは、それがいやに低い位置から聞こえてきたからだ。


 控えていたオリヴィエが扉を開けると、衛兵らがしゃがんでなにやら小さい相手ともめていた。


「コウシャサマにあげるのっ」

「公爵様は今お話し中なのだ、下がっていなさい」

「いつおわるの、おはなし」

「公爵様はお忙しいのだ、……いったい世話係りの女中メイドはどこにいったんだ?」


 エレンのもとから抜けだしてきたのか、イシャスはひとりきりである。衛兵らは、普段は相手にしないような子供にかえって手を焼いているようだった。

 オリヴィエがなにか言おうとするより先に、クレティアンが扉口へ向かう。


「ああ、イシャスか。遊びに来てくれたのか?」


 クレティアンが現れたので、衛兵らはさっと顔色を変えた。


「お騒がせして申しわけございません」


 片方は姿勢を正し、もう片方はしゃがみ込んだままイシャスをどうしていいかわからぬ様子で腕に抱いている。そのイシャスへクレティアンは手を伸ばした。


「おいで、こちらへ」


 兵士の腕から離れ、イシャスは嬉しそうにクレティアンに抱きつく。


「じーじ!」


 衛兵らは面喰っていたが、ジュストは思わず吹き出しそうになった。可愛がっていることは知っていたが、「じーじ」とは。


「公爵様……」


 不安げな衛兵らに、話はもう終わったのだと告げ、クレティアンはイシャスを抱いたまま室内に戻る。


「ジュスト、すまないがあとはよろしく頼む」

「かしこまりました」


 ジュストが返事をするや否や、すぐにイシャスがクレティアンになにか差し出した。


「これ、あげる」

「なんだ? 水仙……もう咲いたのか」

「ひなたにあったの。あげる」

「そうか、嬉しいな。もらっていいのか?」


 こくこくうなずくイシャスをまえに、ジュストはアベルのことを思い出して、切ない思いに駆られた。

 戻る許可が得られなかったら、アベルとイシャスはどうなってしまうのだろうか。


 クレティアンの複雑な心境もまた察せられて、ジュストは一礼すると、笑い声の響く部屋をなるべくさりげなく辞した。






+++






 通りの喧騒に意識を呼び覚まされる。

 目を開け、見慣れぬ景色に一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなった。


 そしてすぐに、そうかと思い至る。昨日からリオネルとベルトランの三人で、セレイアックの街なかに移り住んだのだ。


 天井に巡らされた木の梁。雪の積もった小さな窓。部屋の隅に置かれた小さな椅子。


 身体を起こせば、どうも下が柔らかい。アベルは寝台で寝ていたらしい。

 おかしい――、昨夜は床に毛布を敷いて眠ったはずなのに。


 同じように床に寝ていたはずのリオネルやベルトランの姿はすでになかった。


 三人用の寝台付きの部屋だが、全員が床で眠ることになったのにはわけがある。すなわち、三人用といっても寝台は二つ。ひとつは二人が横になれるほどの大きさで、いまひとつはどう見てもひとり用の寝台だ。


 寝ようと思えば三人とも寝台で眠れたのだが、問題は組み合わせだった。

 リオネルもベルトランも気を使ってくれるので、女性であるアベルと寝台を共にすることはない。けれど、前者の寝台が二人用といえども、長身の若者二人が眠るには狭い。つまり二人用の寝台を二人で使うことはできず、ひとりは床で眠ることになってしまうのだ。


 アベルはリオネルとベルトランにそれぞれ寝台で眠るよう勧め、リオネルはアベルとベルトランに寝台で眠るように勧め、そしてベルトランはリオネルとアベルにそれぞれ寝台で眠るように勧めた。かくして皆が互いを気遣いあった結果、全員が床で眠ることになったのだ。


 最も呆れた様子だったのはベルトランだ。


「おれはいない・・・ものと考えてくれていい。おまえたちがそれぞれ寝台で寝ろ」


 ベルトランは最後までそう言ってくれたが、アベルは師匠を床に寝かせるわけにはいかないと、そしてリオネルはこの生活につきあわせたうえにベルトランだけを床で寝かせるわけにはいかないと、譲らなかった。


「結局のところ、リオネルもアベルも頑固だな」


 最後にはベルトランはそう笑って床に敷いた布団にもぐったのだ。アベルも同じように床で眠りについた。


 けれど、目覚めてみればアベルは寝台のうえだ。眠っているうちに寝台に運んでくれたらしい。寝台から下り、顔を洗うための水を汲みにいこうとすれば、すでに洗面器には綺麗な水が用意されていた。


 リオネルは本当に気が利く。おそらく彼なら領主の跡取りに生まれていなかったとしても、これだけの細かい心配りと、卓越した運動能力、頭の回転の速さ、さらには完璧な容姿を兼ね備えているのだから、どこでなにをしていても大物になっていたに違ない。


 顔を洗い、着替えをすませて居間へ向かった。


「アベル、おはよう」


 リオネルはすでに朝食まで作りはじめていた。


「……おはようございます。あの、昨夜はわたしを寝台に……?」

「ああ、おれも使わせてもらったから。ベルトランには悪かったけど」


 嘘だと思った。リオネルはアベルだけを寝台に移して、自分は床で寝たのだ。熟睡して気づかなかった自分自身にアベルは呆れる。


「水も、ありがとうございました。あの……朝ごはんくらいわたしが作ります」

「いいよ、アベルは病み上がりなのに、おれが無理にここへ連れて来たんだ。ゆっくりしていて」


 野菜を切っているのはベルトランだった。主人と師匠にご飯を作らせるとは。

 そわそわしているアベルにリオネルが笑いかける。


「じゃあ、鍋をかきまわしてもらおうかな」


 まるでお手伝いを与えられた子供のようで、少し気恥ずかしい。


「あの……明日からは食事はわたしが作りますから」

「どうして?」

「どうしてって……リオネル様に食事を作らせるわけには」

「ここではおれは貴族でも領主でもなんでもないよ。普通の人と変わらない。だから、好きな女の子のために、なんだってやってあげたい」


 アベルは鍋をかきまわしながら顔が赤くなった。おそらく熱い湯気のせいだ。そうに違いない。湯気のせいにしなくては、伝えるべき気持ちを口にすることができそうにない。


「……わたしも、リオネル様のことが好きなので、お役に立ちたいのです」


 耳まで熱いのを、自分でも感じる。顔をリオネルへ向けられないでいると、長い腕に横からそっと抱き寄せられた。

 予想していなかったので、思わず鍋のなかに柄杓ひしゃくをとり落とす。


「アベル、ありがとう」


 野菜を切っていたベルトランは、突然の出来事で空気になりきれなかったらしく、無言で手を動かしていた。幾分か不自然なトントントンというナイフの規則的な音が、背後に流れている。


「そう言ってくれることが、すごく嬉しい。ありがとう、アベル」


 リオネルの低い美声が、すぐ耳元。


 そう、ここでは、自分たちは〝恋人〟なのだ。とても実感などできないし、慣れそうにもないが、幸福なことには違いない。

 幸せだと、どうしたらいいかわからない。目をつむり、リオネルの胸に頬を預けることで、慣れない感覚をやり過ごした。


 しばらくしてリオネルの腕から解放されると、ほぼ同時に身を屈めたリオネルの薄く形のいい唇がアベルのひたいにそっと触れる。


 これは……。


 ひたいへの、口づけ。

 アベルは思考が停止した。


 カミーユから受ける挨拶のキスとも、ジェルヴェーズからされた強引なものとも違う。相手がリオネルだと思えば眩暈がした。


 もともと赤かった顔が、火が出るのではないかと思うほど熱くなる。このままでは溶けてしまうかもしれない。

 間近にあるリオネルの顔や、触れた唇の感覚はあまりに鮮烈だ。


「ごはん、作ろうか」


 リオネルは何事もなかったのかのように食事づくりを再開させたが、アベルは固まったまま動けない。


「アベル?」


 ぼんやりしているアベルへ心配そうな声をかけるリオネルを見やって、ぼそりとベルトランが言った。


「アベルには刺激が強すぎたんじゃないのか」

「……ひたいに触れたこと?」

「それも含めて、昨日からの一連の流れだ」

「一連……そうだったかな。ごめん、アベル。大丈夫?」

「だっ、大丈夫です、もちろん」


 我に返り、鍋のなかで傾いていた柄杓を慌てて取り出す。やたらとぐるぐる中身をかき混ぜていると、しばらくして視界が暗くなった。

 なにかと思って振り向けば、すぐ横にリオネルの顔。

 不意打ちのように、頬に柔らかいものが触れる。今度は頬に口づけを受けたのだ。


 アベルは掴んだばかりの柄杓をまたもやとり落とした。


「リオネル……」


 呆れた声はベルトランだ。


「ごめん、つい、なにもかもがかわいくて」


 リオネルは目を細めて笑っている。とても楽しそうだ。間違いなくからかわれていると思った。


「ほどほどにしておかないとアベルが倒れるぞ」

「そうだね」


 リオネルがアベルの長い髪に触れる。


「お詫びに、あとで結ってあげるよ」


 領主という肩書も、貴族という枷も捨てたリオネルは、愛情表現が自由で直球ストレートだ。この生活に慣れるまでには当分時間がかかりそうだと、アベルは思った。














※次話より、ちょっと嫌な感じの登場人物が出てきて読む方によってはストレスを感じる場面もあるかもしれません。ちゃんと報いは受けますが、気になる場合には第八部が完結してからいっきにお読みいただけますと幸いです。






(3月4日にWEB拍手より「リオネルやっとアベルと恋人になれて良かったね!!!」と始まり、途中より「個人的なことですが…」とお便りをくださった読者様へ

活動報告のほうに少しだけお返事を書かせていただきましたので、よかったらちらっと見てみてくださいね。)




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