33
「おかしな言い訳をすると、侯爵様のお怒りを買いますよ、ディルク様」
「大丈夫だよ、こっちにはレオンがいるから、父上も強硬な態度には出られないはずだ」
「おれをだしに使うな」
あれこれ言い合いながら三日ぶりにアベラール邸へ戻ってきたのは、ディルク、レオン、そしてマチアスである。
ジュストやエマがアベルたちと再会した日の翌朝。
セレイアック大聖堂からアベラール邸は、同じセレイアック領内のほど近い距離なので、移動に時間はかからない。
立派な鉄柵門のまえに現れた三人を、衛兵は慌てて館の敷地内に通した。
「それで、どんな言い訳をお考えなのですか」
「だからまえに伝えたとおり、西方国境の視察」
「……いったいどこを視察したと説明されるおつもりで?」
「デュノア領周辺のローブルグ国境」
「カミーユ様が訪問された直後です。あやしすぎるでしょう」
「そういえば、レオンはこのあいだどのあたりを視察したんだ?」
「おれをだしに使うなよ」
「その台詞、さっきも聞いたような」
「二度も言わせるな」
「偉そうだな、レオン。ああ、そうか、そういえば王子様だったっけ」
「わざとらしいやつだな」
あれこれ言いながら三人は館のなかへ入っていく。突然姿を消し、三日ぶりに館に戻ってきた三人を、アベラール邸の家臣らはあたふたしつつ最敬礼で出迎えた。
「ディルク様!」
マチアスと親しい騎士バルナベが駆け寄ってくる。
「ああ、バルナベ。今、いい言い訳がないか考えているところなんだ」
挨拶も脈絡もなく言うディルクをまえに、バルナベは「はあ」と首をかしげつつ、遠慮がちに告げた。
「お帰りなさいませ、ディルク様。侯爵様が大変お怒りです。早くご挨拶にいかれたほうがよろしいかと」
「わかっているよ。だから、いい言い訳を探しているんだ」
ちらとマチアスを見やってからバルナベは尋ねる。
「いったいどちらへ行かれていたのですか?」
「それが言えないから、言い訳を探しているんだ」
ひとつ覚えのように繰り返す主人に、バルナベは困惑の表情になった。再びマチアスを見やったものの、相手は首をすくめるだけだ。
しかたなくバルナベは、今考えうるかぎりもっとも役に立ちそうな助言をした。
「……良い言い訳が見つからないなら、本当のことをおっしゃるのが賢明かと」
ははは、と乾いた笑いをこぼしながら、ディルクは短く礼を述べて父親の書斎へと向かった。
+
ただいま戻りました、と平然と告げるディルクを迎えたのは、渋い面持ちのアベラール侯爵だ。両手を組んで仁王立ちする姿からは、彼の苛立ちが見て取れる。
「それで?」
「それで、とは」
「私の許可もなく、どこでなにをしていたのだ」
「ですから、レオン王子を見習って西方の国境視察に」
「そのような言い訳が通用すると思っているのか。カミーユ殿とどこへ行っていたのだ」
「カミーユは関係ありません」
「ディルク」
重々しく侯爵は息子の名を呼んだ。
「三日間も館を留守にしたのだ。本当のことを言いなさい」
「今日の午後から、再び国境視察に行く予定です」
「それでは質問の答えになっていない。カミーユ殿はなぜ王宮を出て、ここを訪れていたのだ」
「彼は内密で訪れたのです。事情までは聞かない約束では?」
「なるほど、よくわかった。今日から館を出ることを禁じる」
強硬な手段に出た父親に、ディルクはたちまち表情を曇らせた。二人のやりとりを見守るマチアスとレオンは、口を出せる雰囲気ではない。
「どうしてそうなるのですか」
「不肖の息子だが、ずっと娘ばかりが続き、ようやくできたアベラール家の跡取りだ。西方視察だなどと偽り、どこでなにをやっているかわからぬうちは、外に出すわけにはいかない」
「では、事情を包み隠さずお話しすれば、行かせてもらえるのですか」
「事情次第に決まっているだろう」
そう言いながら、侯爵は小卓に置かれた葡萄酒の杯に手を伸ばす。交渉の余地もない父親へ、ディルクは平然と告げた。
「シャンティ・デュノア殿が生きています」
アベラール侯爵はたちまち葡萄酒をむせ返らせた。慌てて駆け寄ったマチアスが、ハンカチを差し出す。
「――ディルク、そなた、なにを言い出す」
ハンカチを受けとり、咳きこみながら公爵はディルクを見やった。
「シャンティは、ベルリオーズ家に仕える従騎士のアベルです」
「親をからかうのも大概にしなさい」
「アベルはシャンティです。そして、リオネルは彼女を愛しています」
ついに侯爵は頭を後ろへのけぞらせて閉口する。
「シャンティは、アベルとしてベルリオーズ家にいましたが、近頃デュノア家はシャンティが生きていることをつきとめ、ベルリオーズ家に返還を要求しました。シャンティ、つまりアベルは戻ることを決意しましたが、デュノア邸へ戻る途中に馬車が行方不明になったと、デュノア家から公爵様に連絡がきたそうです」
アベラール侯爵は頭を押さえ、眉間に皺を寄せてディルクの話を聞いている。マチアスは静かな表情で視線を伏せ、レオンは腕を組んでうつむき、やりとりを見守っていた。
「リオネルはアベルを助けるためにデュノア邸へ向かいました。そして私のところには、父上もご存知のとおりカミーユ殿が訪れました。カミーユ殿が密かにここへ来たのは、私に助けを求めるためです」
「……シャンティ殿に関することだったというのか」
低い調子ながらも尋ねてきたのは、アベラール侯爵が、この信じられないような話を真実だと認識しはじめているからかもしれない。
「ええ、そのとおりです、父上。カミーユは事情があってデュノア邸に戻り、そこで館の地下牢に監禁されている姉――アベルを見つけました。鍵を持っているのは伯爵夫妻だけです。つまり、閉じこめた犯人もまた、そのどちらか、あるいは両者ということになります。アベルを助けるために力を貸してほしいと、カミーユは私に訴えに来ました」
「なぜ伯爵夫妻が、シャンティ殿を地下牢に監禁する必要がある?」
「彼女はベアトリス殿の娘ではないからです」
「…………」
アベラール侯爵は両手で頭を抱えた。なにから確認すればいいかわからないといった様子である。そこへ説明を加えたのはマチアスだ。
過去になにがあったかということと、三年前の出来事も仕組まれた可能性があることを、マチアスは端的に説明した。
「とても信じられない……」
頭が痛そうにアベラール侯爵はつぶやく。
「シャンティ殿は死んでいなかったのか」
「ええ、父上。アベルがそのシャンティです」
「リオネル様が愛しておられるというのは?」
「本当のことですよ」
「なんてことだ……。それにディルク、そなたこそシャンティ殿を――」
「私はアベルをかけがえのない友人だと思っています。私がかつて深く傷つけた彼女を、リオネルが大切にしてくれるなら、私にとってこれ以上のことはありません」
様々な相手から問われ、幾度か繰り返してきた説明を、ディルクは父侯爵のまえでも告げる。
「しかし、しかしだ……」
アベラール侯爵は、一挙に様々なことを知って混乱しており、息子の抱くシャンティへの思いや、リオネルとの関係についてはひとまず追及を諦めたようだった。
「……そのシャンティ殿は、地下牢から救い出すことができたのか」
「もちろんです。デュノア伯爵夫妻には、私たちが来たことを気づかれずに助け出すことができました。アベルは体調を崩しているので、今はセレイアック大聖堂の修道院で療養しています」
「ひどく体調を崩しているのか?」
「身体もさることながら、心の傷もあるでしょう」
難しい表情で目をつむり、アベラール侯爵はしばらく考える様子だった。
「こういった事情ですが、ご納得いただけましたか?」
厳しい表情のまま沈黙を続けていた侯爵が、ややあって目を開く。
「セレイアック大聖堂に、リオネル様もおられるということか」
「リオネルと、その他にはベルトラン、カミーユ、トゥーサン、あとはベルリーズ家の従騎士ジュストと、デュノア家の侍女がひとり」
「クレティアン様はこのことをすべてご存知なのか」
「ええ、リオネルがセレイアックにいるということも、すぐにジュストが伝えに戻るはずです」
「リオネル様はいつまでご滞在なされるおつもりだろうか」
「アベルの容体が回復するまででは。私も彼らがいるかぎりは、館と大聖堂を行き来して様子を見守りたいと思っています」
「シャンティ殿が回復したら、リオネル様はどうなさるのだ?」
「当然連れ帰りたいでしょうが、そこは、リオネルの考えよりも、公爵様のお考えが大きく影響するところかと思われます」
ひと通り確認し終えると、ため息をつき、アベラール侯爵は片手を振った。顔に疑問符を浮かべるディルクへ、しかたなさそうに告げる。
「わかった、そなたは政務をある程度片付けたら、リオネル様とシャンティ殿のもとへ戻りなさい」
「よろしいのですか?」
「こんなときだからこそ、リオネル様や、かつて婚約していた女性を支えるのがそなたの役目だろう。くれぐれもデュノア家との諍いにはならぬように」
「ありがとうございます」
「ただし、カミーユ殿は従騎士という立場だ。王宮を長く離れることは許されない。すぐに戻るように諭しなさい」
「わかりました。本人が納得するかどうかはわかりませんが」
「納得させるのではない。なにがなんでも戻らせるのだ。わかったな」
「……はい」
父親の強引な指示に、ディルクは渋々うなずく。
「本人のためだ」
「わかっています」
ディルクとの話を終えると、アベラール侯爵はレオンへ向きなおった。
「殿下には、今回の一件に巻きこんでしまい、まことに申しわけございません」
「いや、私にとってもアベルは大切な友人だ。助けたい気持ちは、ディルクやリオネルに負けないつもりでいる」
「そうですか」
しみじみとうなずいたあと、アベラール侯爵はひとりつぶやく。
「……けれどこれで、これまでのことが納得できた。リオネル様の態度も、クレティアン様のご心配も……想像しえた以上に、とんでもない事態だ」
「なんのことですか、父上」
「なんでもない。そなたは早く政務を片づけてきなさい」
厳しく命じられ、一礼して部屋を出ていくディルクのあとに、マチアスとレオンが続いた。
「おれはそのあいだベネデットの本でも読んで待っているから、早いところ政務とやらを片づけてくれ」
「こうなったら、政務とやらをいっしょに処理するっていうのはどうだ? 領主の仕事をやってみるのも勉強になるかもしれないよ」
「なるほど、それも悪くないな。領主の仕事を理解するいい機会かもしれない」
真面目に答えるレオンを、ディルクはまじまじと見返す。
「え、本気?」
「本気だが、なにかおかしかったか?」
「いや、なんというか、熱心なんだな」
しみじみと言うディルクに、マチアスが淡々と告げた。
「政務は領主たるディルク様が処理されるものです。レオン殿下には、処理したものの確認をしていただきましょう」
「げ、マチアスの仕事が減るだけじゃないか」
「つべこべ言わずにやりますよ」
レオンの笑い声に顔を引きつらせながら、ディルクは執務室へと向かった。
+++
ディルクらが執務室に籠っているころ、アベラール邸の窓から見えるセレイアック大聖堂では、ジュストがアベルとリオネルの滞在する部屋を訪れていた。
「リオネル様、それでは公爵様のもとへいったん戻りたいと思います」
部屋を訪れたジュストは、リオネルのまえで丁寧に一礼する。ジュストが大聖堂に滞在したのはたったひと晩だけだった。
「エマ殿のことも含め、いろいろと感謝する。加えてすまないが、これを届けてほしい」
昨夜のうちにしたためた手紙を、リオネルはジュストへ手渡す。ジュストはそれを両手で受けとり、丁寧に懐へしまった。
「もったいないお言葉です。手紙は必ず公爵様にお渡しします」
「よろしく頼む」
「ジュストさん、本当にありがとうございました」
アベルは寝台で半身を起こして、ジュストに礼を述べる。
「エマを助けてくださったこと、心からお礼申し上げます」
「いや、おれもエマ殿に会えたおかげで、こうしてリオネル様やアベルのもとに辿りつくことができた。感謝するのはこちらのほうだ。エマ殿にはくれぐれもよろしく伝えてほしい」
エマは別室で療養しており、そばには今、カトリーヌやカミーユ、そしてトゥーサンがついている。ジュストの口ぶりだと、彼はもうエマとは顔を合わせぬつもりのようだった。
「エマには会っていかないのですか?」
「デュノア家の方々でゆっくりしているところに、おれが行っては悪いだろう」
「喜ぶと思いますけれど」
少し迷う顔になってから、ジュストはひとつうなずく。
「そうだな、じゃあ、ひと言だけ」
アベルは笑顔でうなずき返した。
「エマもきっと、ジュストさんに心から感謝していますから」
「おれはなにも。……それよりアベルはしっかり休んで、早くよくなってほしい。おれなどには測り知れない思いがあるのだろうけど、なにがあっても味方でいるから」
ジュストの言葉に心を打たれる。ありがとうございます、とアベルが感謝を込めてほほえめば、照れくさいのかジュストはわずかに顔をうつむける。
「体調はもうだいぶいいんです。熱は下がってきたし、咳が出なくなれば、どこへでも行けます」
リオネルをはじめ、皆のおかげで、アベルの身体は癒されつつある。アベルが体調のよいことを説明すると、すかさずリオネルが口を挟んだ。
「つまりは、熱はまだあるし、咳も残っているということだ。まだまだ休養は必要だよ」
はい、とアベルは小声で答える。世話になっているし、彼の気持ちもわかっているから、ここは素直にうなずいておく。
二人のやりとりを見ていたジュストは、遠慮がちに一歩下がった。
「それでは、私は失礼いたします。最後にエマ殿に会ってから、シャサーヌへ向かいます」
「道中、お気をつけて」
アベルは別れの挨拶を返したが、リオネルはというと、「最後にちょっといいか」とジュストに声をかけている。部屋の外で話をするつもりらしいリオネルを、アベルは不思議に思って見上げた。
「ごめん、アベルにはもう少し落ちついてから話すから」
アベルは目をまたたかせる。なんの話かわからないが、どうも今はアベルには聞かせられぬ内容らしい。
ジュストを連れてリオネルが部屋を出ていくと、ベルトランだけが部屋には残った。
「なんの話でしょうか」
「さあ」
ベルトランは素っ気ない返事だ。あるいは話の内容に検討がついているのかもしれない。話題を逸らそうとするようにベルトランは尋ねてきた。
「……ところで、いつまで膝かけをそばに置いておくんだ?」