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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
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第三章 再会はセレイアック大聖堂で 26








 老婆が食事をするのを眺めながら、ジュストは内心でため息を殺す。


 デュノア邸へ急いでいたはずが、思わぬところで足止めを食らうことになった。


 咳き込んで失神した老婆は、翌朝までジュストが借りたはずの寝台で眠り、目覚めると床で寝ていたジュストに詰め寄った。シャンティ様を知っているのか、と。


 目覚めてすぐ、蒼白な顔で話をしようとする老婆に、ジュストはまずは食事を取ることをすすめた。だいぶ身体が弱っているようだったし、このままだと命さえ危険だと感じたからだ。


 けれど、この老婆がよく食べる。

 すぐに自分のぶんを平らげてしまったので、いっしょに用意させたジュストのぶんを分けてやると、それもまたぺろりと腹に収めた。


「ずっと食べていなかったのか?」

「ええ、ちゃんとした食事をするのは久しぶりのことです」


 暖かい寝台で睡眠をとり、充分な食事をとった老婆は、落ち着きを取り戻した様子で頭を下げた。


「旅のお方には、大変お世話になりました」


 昨夜より老婆はずっと品のある女性に見える。おそらく貴族の館に仕えてきた者なのだろう。

 最初の印象よりはずっと若いようだ。老婆というほどでもなく、五十歳になるかならないかというあたりに見受けられる。


「それで、シャンティ様をお探しになっているというのは――」


 人心地つくと、彼女は再びシャンティの話を持ち出そうとする。ジュストは相手の言葉を遮って言った。


「先に貴女の話をしてほしい。まだ名前も聞いていないし」

「ええそうですね、これだけお世話になったのです。名乗りもせず、またこちらの事情をお伝えもせず、大変失礼いたしました。ですがおおやけにできないこともあります。わたしが語ることはすべて、だれにも話さないとお約束くださいまし」

「わかった」


 ジュストは相手を観察する。年配のこの女性には、人を欺こうとするようなところは見受けられなかったし、なにより真剣な様子だった。


「わたくしは、デュノア家で乳母をしておりましたエマと申します」

「乳母……」

「身の程知らずと承知で申上げれば、シャンティ様とカミーユ様は、我が子同然に可愛く思っております」

「なるほど」

「ベルリオーズ家に仕える騎士様ならご存知と思いますが、そのシャンティ様は、三年前にお亡くなりになりました。けれど……」


 ジュストは黙ってエマの話の続きを待つ。


「……わたし自身も、そう信じて絶望いたしておりましたが、実は館を追い出されただけで、生きておいでなのではないかということを館の者から聞きまして、居ても立ってもいられなくなり、館を飛び出してこうして探すことにしたのです」


 おそらくシャンティがいなくなってからのエマを知る者からすれば、この三年間あれほど憔悴しきって様子がおかしかったのに、今はこのようにしっかりと話す様子が信じられないだろう。

 シャンティが生きていると知ったエマは、街の者からは〝おかしな老婆〟と噂されているらしいが、実際にはその逆で、以前の落ち着きを取り戻しているようだった。


「貴女が館を出てなにをしているか、デュノア伯爵は知っているのか?」


 エマは首を横に振った。


「言ったら止められたでしょうから。いいえ、おそらく部屋に閉じこめられて、外にさえ出させてもらえなかったに違いありません」

「では、ひとりきりで探しているのか?」

「ええ」


 鞄ひとつ持っていないエマを、ジュストは観察する。所持金はなさそうだし、今までどうやって生活してきたのだろうか。


「館を出て、どれくらいが経つ?」

「さあ、どれくらいでしょう」

「よく……」


 よく生きてこられたものだと思ったが、ジュストは最後まで言わなかった。代わりに別のことを尋ねる。


「シャンティ様はなぜ館を追い出されたんだ?」


 エマは押し黙った。

 シャンティ・デュノアはディルク・アベラールの婚約者であったが、婚約を破棄された直後に池に落ちて死んだということにされている。けれどジュストは、クレティアンから今回の任務を命じられる際に、十数年前の出来事を聞いて知っていた。


 デュノア邸を追い出されたのは、婚約を破棄されたからなのか。それとも、シャンティを憎む者が企んだ陰謀によるものなのか。


「……デュノア家には、秘密がありました」

「秘密?」

「シャンティ様の出自に関わることです。これ以上はお話しできません」


 エマは言葉を濁したが、ジュストは確信した。やはりシャンティ・デュノアがベアトリスの子ではないということが、悲劇を招いたのだ。


「おかわいそうなお嬢様を、わたしの手でお救いしようと考えたのです」

「それでなぜアベラール領内で探し歩いていたのだ?」

「シャンティ様はディルク様との結婚を夢見ておられましたから。館を追放されたシャンティ様は、きっとディルク様の領地へ向かったと思ったのです」

「……なるほど」


 主人リオネルの想いを知っている身としては、複雑な気持ちだ。けれど当人たちはもっと複雑な思いでいるだろう。


「さあ、わたしの話はこれですべてです。今度はベルリオーズ家に仕える騎士様の話をお聞かせ下さいまし」


 どこまで伝えるべきか、ジュストは少し考えてから口を開いた。


「私の名はジュスト・オードラン。こちらもシャンティ様の行方を捜している」

「どういうことでしょう?」


 エマは身を乗りだすように尋ねてくる。


「シャンティ様とベルリオーズ家に、どのような関わりが?」

「ベルリオーズ家のご嫡男であられるリオネル様は三年ほどまえに王都サン・オーヴァンの街で、ひとりの少年を助けた。それからというもの、リオネル様はその少年を守り、少年もまたリオネル様に忠誠を尽くして仕えていた」

「少年をお助けに」

「そう、男装して〝アベル〟と名乗っていたから気づかなかったが、実のところ少年は女性だったのだ」


 すぐにエマは気づいたようだった。


「それがもしやシャンティ様……」

「私も最近知ったことだが、そういうことだ」


 エマは痩せて窪んだ目に涙をためて、身体を震わせた。


「やはりシャンティ様は生きておいでだった……」


 感極まるエマの肩に、ジュストは気遣うように手を置く。すがるようにエマはジュストを見上げた。


「……この三年間、シャンティ様はどのようなご様子でしたか」

「リオネル様のおそばで、一生懸命に暮らしていた」


 そうですか、とエマはハンカチで目元をぬぐう。


「それで、どうして騎士様はお二人を探しておられるのですか。シャンティ様はどこへ?」

「それがつい最近になって、シャンティ様がリオネル様のそばにいることを、デュノア伯爵に知られたそうだ」

「なんということ……」

「デュノア伯爵から、娘を返してほしいとベルリオーズ邸に書状が届いたらしい」


 大きくエマは目を見開き、息を呑む様子でジュストの話に聞き入っている。


「アベルはデュノア邸に戻ることを決断したそうだ」

「そんな、そんなまさか」

「アベルはベルリオーズ邸を出た」


 続きを聞くのはおそろしいという面持ちで、けれど必死にエマはジュストを見つめていた。その表情を見返しながら、苦い気持ちでジュストは伝える。


「そして、デュノア邸へ向かう途中で行方が知れなくなったそうだ。リオネル様はアベルを救うため、公爵様には無断でデュノア領へ向かった。だから、お二人の行方を捜すよう、私は公爵様に命じられている」

「ああ……」


 思いつめた様子でエマはつぶやく。


「あの方は……あのおそろしい方は、どこまでシャンティ様を追い詰めるおつもりでしょう」

「アベルが行方不明になったのは、やはり仕組まれたことだと?」

「そうに違いありません」


 となれば、アベルの命は危険に晒されているということだ。


「……わかった。私はすぐにデュノア邸に向かい、アベルと我が主人を探しにいく」

「そのまえに、教えてください。ベルリオーズ家の方々は、もしシャンティ様を見つけたら、どうなさるおつもりですか」


 エマの懸念は、ジュストにも理解できる。

 シャンティ・デュノアを連れ戻したら、ベルリオーズ家はどうするのか。


 家同士の火種となる少女を匿うことには危険が伴う。リオネルは愛する相手のためにどのような犠牲も厭わないだろうが、さて、クレティアンはどうだろうか。

 ジュストは今やリオネルの家臣として、またアベルの友人として、リオネルと同じ気持ちだが、ここはクレティアンの考えが最も影響するところである。


 結局、次のように答えるしかなかった。


「……私個人としては、従来通り、アベルとしてリオネル様のおそばにいられるよう手を尽くすことができればいいと思っているが……むろん、すべては公爵様がお決めになることだ。私のような者には測り知れない」

「つまり、デュノア家に送り返す可能性もあると?」

「アベルの身に真に危険が迫っているなら、公爵様はそのようなことをなさるはずない。まずリオネル様がけっしてお許しにならないだろう」


 じっとジュストを見つめるエマは、大切なシャンティを救うためにはどうしたらいいのか、懸命に考えているようだ。


「リオネル様は私より先に館を出られたから、もうデュノア邸に着いているだろう。もしかしたら、すでにアベルを救いだして帰途についているかもしれない」

「騎士様、お願いです。わたしをあなたと共にお連れください」

「だが、いつどこで二人と再会できるかわからない。それまでずっといっしょに旅を続けるというのは厳しい」

「お願いでございます。どうしてもお嬢様の無事を確認したいのでございます」


 懇願され、ジュストは答えに窮した。エマを馬に乗せて旅を続けるとなると、著しく機動性が鈍るし、制約が増える。リオネルとアベルを探し出すという重大な任務を遂行するにあたって、障害が大きかった。


 考えた末にジュストは、はっきりと告げた。


「すまないが、エマ殿。それはできない」


 エマの顔に、深い落胆の色が浮かぶ。

 そのエマへ、けれど、とジュストは言葉を続けた。


「私は貴女をどこか安全な場所まで送り届ける。貴女はそこで待っていてほしい。アベルを探し出したら、必ず彼女を連れてエマ殿のところへ行くから」


 ぱっとエマが表情を明るくする。


「本当ですか」

「これは私の推測だが、これまでエマ殿はどこかに身を置いていたのではないか。もしどこか頼れる場所があるなら、そこで待っていてもらいたいのだが」

「ええ、そのとおりでございます。実は、セレイアックの中心広場に面した大聖堂で、しばらくお世話になっておりました」

「セレイアックの大聖堂?」

「デュノア邸を出て、わたしが真っ先に向かったのはセレイアックです。そこでシャンティ様をお探ししておりましたが、体調を崩して倒れ、街の人たちに助けられ大聖堂へ運ばれました」

「病気が治っていないのに大聖堂を出てきたのか?」

「いったん回復したので、再び探しに出掛けたのです。けれど、寒さのせいで病状はご覧のとおりですよ」


 これでジュストは納得がいった。所持金もなさそうなエマがこれまで生きてこられたのは、病体を世話してくれる場所があったからなのだ。


「では、貴女をセレイアックの大聖堂へ送り届けよう。私がアベルを連れてくるまで、待っていてくれ」


 痩せ細った指先でエマはジュストの手を握った。


「ありがとうございます、ベルリオーズ家の騎士様。あなたは天から遣わされた方です」


 そんな大げさなものではない。それに、訂正するのも面倒でそのままにしているが、まだ騎士ではなく従騎士だ。


「私がアベルを探すのは、主人からの命令であるのと、個人的に友人だと思っているからだ。感謝されるようなことはなにもないし、あと、〝騎士様″ではなくジュストでいい」

「ジュスト様、ええ、ええ、あなたのお優しさはこのエマには充分に伝わっております。おかげで希望を持つことができました」


 どうもかなり感謝されているようで、ジュストは落ち着かない心地になる。


「さあ、そうと決まれば早く出立しよう。具合は平気か?」

「わたしは平気です、すぐに出立いたしましょう」


 こうしてデュノア家の乳母と、ベルリオーズ家の従騎士という奇妙な組み合わせの二人は、共にセレイアックへ向かうことになった。






+++






 ジュストとエマがセレイアックへ向けて出立したころ、先にセレイアックに到着した一行がある。


 太陽の姿がまったく見えない夕暮れ時。薄闇に包まれた雪のアベラール領最大の街に、リオネルらの姿があった。


「……大聖堂?」


 リオネルの腕にしっかりと抱かれたまま、アベルは疑問をつぶやく。


 ディルクを筆頭に騎乗した一行が辿りついたのは、アベラール領はセレイアックの中心広場に面する大聖堂の裏門前。

 大聖堂は闇に染まりつつある景色のなかで、その輪郭をまさに失おうとしていた。


 アベルの小さなつぶやきを拾って、そう、とリオネルがうなずく。


「まえにアベルを見かけて、追いかけたけれど逃げられた場所。ディルクと話しあって、アベラール邸よりもそこがいいと判断したんだ。でも、もう絶対に尖塔から飛び降りたりしないでくれ」


 冗談を言って気持ちを和ませてくれているのかと思ったが、存外にリオネルの口調は真面目だ。たしかに冗談を言っている状況ではない。


「……もう、飛び降りません」


 咳の合間に生真面目に返せば、リオネルが小さく笑った。


「ありがとう」

「…………」


 笑われると、やはり冗談だったのかともアベルは疑ってしまう。ときにリオネルは予測不可能な冗談を言うことがあるからだ。

 真実が見えぬまま大聖堂の裏門をくぐると、街の喧騒が遠のき、あたりには重厚感のある静けさが降り落ちた。


「マチアスとカミーユが先に着いていると思うんだけど、なんらかの事情でまだ来ていないということもありうる。念のためおれが先に行って、司祭と話をしてくるよ」


 建物の裏にある厩舎で馬を繋ぎながら、ディルクが説明する。アベルがかつて平穏を乱して、牛たちに迷惑がられた家畜小屋もそばにあった。


 自分の身にはあれから実に様々なことが起きたが、牛たちのほうは元気だっただろうかと、アベルはぼんやり思う。


「おれたちはどこで待っていればいいのだ」


 尋ねたのはレオンだ。


「もちろん、なかに入っていてかまわないよ。扉をくぐったところで待っていて」


 一行は裏口から大聖堂の建物内へ入り、事前の説明どおりディルクだけが司祭に会いにいった。しばらくすると、聞き覚えのある男の声がする。いつか尖塔から飛び降りたアベルを、なにも聞かずに手当てしてくれたあの司祭だ。


「リオネル・ベルリオーズ様、それにレオン殿下、ようこそセレイアック大聖堂へ。私は司祭のビザンテです。お待ちしておりました」


 リオネルに抱かれたアベルにちらと視線をやってから、司祭は真剣な表情のなかにも気遣う色を浮かべた。


「お連れ様もお待ちです。暖かいお部屋を用意しておりますので、ご案内いたします」


 無事にカミーユらが到着していると知って、アベルは胸を撫で下ろす。アベルの心境を悟ってか、リオネルがアベルへ軽くうなずきかけた。


 案内されて建物の奥へ。人気のない薄暗い通路を通り、幾つもの扉をくぐって、建物内の一室に辿りつく。

 入室するとすぐ、こちらへ駆け寄る気配。そして声が上がった。


「姉さん!」


 アベルはリオネルの肩に預けていた顔を上げ、声の主を探す。すると、カミーユの心配そうな顔が視界に映り込んだ。


「ああ、姉さん」


 泣きそうなカミーユに、アベルはかすかに笑ってみせる。


「そんな顔しないで、カミーユ」


 なにか言いたいのをぐっとこらえる表情で、カミーユはアベルの手を握る。


「……こんなに熱が高い。早く医者に診てもらわなくちゃ」

「医者ならここに」


 そう言ったマチアスの視線を皆が辿れば、大聖堂の司祭へと辿りつく。


「ビザンテ殿は、優れた医者でもあります」

「すまないがアベルを頼む」


 リオネルの真剣な声に、ビザンテは力強くうなずく。


「むろんです」


 アベルはビザンテの手に委ねられることとなった。














いつもお読みくださっている読者様


こんばんは。すみません、日曜日になってしまいました。。

土曜日に更新できるよう頑張っていたのですが、ついに日曜日に。

大変失礼いたしましたm(_ _)m

来週からまた土曜日に更新できるよう頑張ります。


この度は、読者様よりレビューを頂きとても嬉しく拝読させていただきました。

拙作にはもったいないくらいの言葉です。

このようなお言葉をいただける作品と作者はとても幸せです。

これまでも素敵なレビューを頂き、また、拍手ボタンよりたくさんのコメントを頂き、ひとつひとつのお言葉がとても励みになっています。


ひとりで描く作品、ひとりで投稿する作業…けれど、その先で読者様がこの作品に触れてくださっていると知ることができるとき、投稿してよかったと心から思います。


頂いたコメントをいつか活動報告などで載せさせていただきたいと思いつつ、日々の忙しさに追われて大変申し訳なく思っています。

レビューも、コメントも、とても嬉しく読ませていただいてだいております。

いつもありがとうございます。


第八部もまだまだ前途多難なアベルとリオネルですが、引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。

心からの感謝を込めて。yuuHi



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