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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
461/513

24






 デュノア領マイエからセレイアックへ向かう一行がいる一方、セレイアックより北東に位置するベルリオーズ領シャサーヌからマイエを目指す者もいる。


 真夜中に、それも大粒の雪が降りそそいでいるにも関わらず、馬も騎手も平然と夜道を駆けていた。


 シャサーヌからマイエへ向かう途中には、アベラール領を通過する。

 旅人は、アベラール領に入るとすぐに近くの宿場町に立ち寄った。


「夜通し駆けるのはさすがにおまえも辛いだろう」


 年若い旅人は馬に語りかける。


「よく頑張ってくれた。今夜はいったん休息を取ろう」


 馬の背を労うように叩いたのは、ベルリオーズ公爵から内密の指示を受けたジュストだった。

 この時刻になると、いわゆる普通の宿屋の門戸は閉まっているので、しかたなくこの時間帯でも営業している場所へ向かう。辿りついたのは、売春街だ。


 ジュストが一軒の店に入ると、店主が揉み手で迎える。


「旅の方、いらっしゃいませ」

「明け方まで部屋を借りたい」

「ええ、ええ、大歓迎でございますよ。どのような娘がお好みですか? ええとお客様は随分とお若いようですが……」

「女はいい。借りたいのは、馬を繋ぐ厩舎の一画と、寝台つきの部屋だけだ」

「と、申されましても」


 困惑する店主へ、ジュストは鋭い視線を向ける。


「他の客と同じ料金は支払う。それなら文句はないだろう」

「ええ、はい、はい、けっこうでございます」


 自分の息子ほどの年頃の旅人に睨まれ、店主はすごすごと引き下がった。


 建物のあちこちから甘い嬌声や、男たちの荒い息づかいまでが漏れ聞こえているなか、ジュストは眉をひそめつつも部屋へ向かう。が、途中でふと足を止めた。

 背後で、今入ってきたばかりの扉を叩く音があったからだ。


 振り返れば、店主が扉を開けているところだった。


「ああ、あんたが噂の婆さんか」


 暗い雪景色のなかに、たしかに老いた女性がたたずんでいる。女性がなにか言うより先に、店主が扉を閉めようと動いた。


「ここにはあんたの探し人はいない、立ち去ってくれ」

「……待ってくださいまし。金糸の髪の、水色の瞳の、それは美しいお嬢様を探しているんだ。お願いだから、話を聞いておくれ」

「帰れ、帰れ。そんな美人がいたら、おれがとっくに愛人にしてる」

「少しでいいんだよ。店のなかを見て回ったら、帰るから……」

「頼むよ、婆さん。娘たちはみんな接客中なんだ」

「お嬢様が、男相手に商売しているなんて思ってはいませんよ。下働きや掃除婦もいるだろう?」

「そんな美人に掃除させる阿呆がいるか」


 押し問答を繰り広げる二人のもとへ、ジュストは歩み寄った。


「なんの騒ぎだ」


 痩せた老婆が、窪んだ眼孔の奥からぎょろりとジュストを見上げる。


「お客さん、かまわないでください。ここいらの街をうろついて人探しをしているおかしな婆さんです。すぐに追い返しますから」

「話を聞いてみたい」

「は?」


 店主は拍子抜けした顔だ。


「この女性と話がしたいんだ。暖かい葡萄酒を二杯用意して、部屋まで持ってきてくれ」

「……ですが」

「女も取らずに全額払うと言っているんだ。つべこべ言わずにそれくらいやったらどうだ」


 有無を言わさぬジュストの圧力に屈した店主は、背中を丸めながら店の奥へ向かった。

 大きく目を見開いている老婆へ、ジュストは視線を移す。


「人探しをしているという話を聞きたい」

「お嬢様の居場所をご存知なので?」


 まずは部屋に行ってからだと、ジュストは老婆を宿のなかへ導いた。






 寝台が中央に据えられた狭い室内には、飾り程度に小卓と丸椅子が二脚、窓際に置かれている。そこへ老婆を座らせ、ジュストはじっと相手を観察した。

 ただの気のおかしい老婆か、それにしては、どこか気品の漂うような……。


 葡萄酒が運ばれてくると、ジュストは単刀直入に切り出す。


「実は私も人を探している」


 老婆は葡萄酒には手を伸ばさずに、視線だけをジュストへ向けた。


「貴女が探しているという女性と、容姿が似ているようだったから引きとめた。もう一度探しているという相手について教えてくれないか」


 まさかとは思うが、ジュストには気になった。

 老婆はたしかに、金糸の髪と水色の瞳と言っていた。ローブルグ人なら珍しくない特徴だが、今この時機タイミングで同様の相手を探している身としては、聞かなかったことにはできない。


「……ええ、わたしが探しているのは、大切なお嬢様なのです」

「年は?」

「生きておいでなら、十六歳になられます」


 アベルと同じ年齢だ。


「金糸の髪に、水色の瞳と言っていたが」

「そのとおりです。見た目だけは、まるで妖精のように可憐なお嬢様で」


 見た目だけは、とは……。


「差し支えなければ、名前を教えてもらえないか」

「わたしの……?」


 どうしてここで老婆の名前を知る必要があるのだと、ジュストは内心でわずかに苛立ったが、顔には出さずに訂正した。


「いいや、探しているという女性の」


 老婆がやや考え込む面持ちになったのは、なにか言えないわけでもあるのかもしれない。


「それはちょっと……」

「もし違ったらかまわないから、確認だけさせてくれ。その女性は、もともとデュノア家に関わりのあった人か、あるいは今はベルリオーズ家に関わりのある人か」


 驚愕する眼差しがジュストへ向けられる。やはり。ジュストは確信した。


「アベル……いや、シャンティ様か」

「なぜその名を――」

「私も、シャンティ様と、あと自分自身の主人を探している」


 するとジュストの説明を聞くや否や、警戒するように老婆は立ち上がり、震えながらつぶやく。


「おまえは……さてはブレーズ家の手の者か……!」


 ジュストは目を細める。


「ブレーズ家?」

「シャンティ様を殺しにきたのか、悪魔め!」


 どこに隠し持っていたのか、老婆はナイフを手にして、止める間もなくジュストへ斬りかかった。


「待て、話を聞け」


 老婆など所詮ジュストの敵ではない。易々と封じ込めると、唸る老婆へ告げた。


「私はベルリオーズ家の者だ。主人であるリオネル・ベルリオーズ様はシャンティ様を助けるために館を出られたまま、戻ってこられない。だから私がお二人を探しているのだ」

「……ベルリオーズ家……リオネル様?」

「ここアベラール領のご領主であられるディルク様のことは、知っているだろう? リオネル様はそのご親友だ。私たちはシャンティ様を害そうなどとは露とも思っていない。むしろ探して――、大丈夫か?」


 ジュストは捕えた老婆が咳きこみはじめるのを見て、言葉を止める。

 普通ではないような激しい咳はなかなか収まらない。

 その背中をさすってやると、やがて老婆は咳と共に赤いものを吐き出した。老婆の様子を目の当たりにしてジュストは即座に悟る。


「……肺を病んでいるのか」


 弱り切っているらしい老婆は、力尽きて意識を失った。






+++






 黒く冷たい夜空に、ぼんやりと明るさが広がる。暗灰色の雲からは舞い落ちる雪の姿が、ようやく確認できるようになった。


 カミーユとマチアスがセレイアックに着いたのは、陽が昇ってしばらく経ったころのこと。リオネルらと別れてからすぐに近くの街で休憩し、仮眠をとって体力を回復させてからセレイアックへと戻ってきた。

 ずっとデュノア領内での再会を願って、カミーユは途中で幾度も馬の足を止めて待ったが、シャンティを救いだしたリオネルやディルクらと合流することはなかった。


「救出が順調にいっても、我々より半日は遅れて到着することになるはずです。先にセレイアックで待っていましょう」


 マチアスに説得されて、カミーユは再会を諦め、先へ進んだ。


 けれど、セレイアックに着いても、アベラール邸へ足を踏み入れるわけにはない。アベラール侯爵を通じて、カミーユがデュノア領へ戻ってきたことが父親に知られたら困るからだ。


 そのあたりの事情をマチアスも考慮してくれたのか、館ではなくセレイアックの街でリオネルらを待つことを提案された。


「皆様が直接アベラール邸へ向かう可能性は、低いのではないかと思いますので」


 マチアスは言う。


「ディルク様がアベラール邸ではなく、セレイアックで落ち合おうと言ったということは、そういうことだと思うのです」

「おれのことを心配してくれたのかな」

「それもあると思います。けれどおそらく、それだけではありません」


 カミーユが首を傾げると、マチアスは馬上でまっすぐまえを向いた。


「今回は、デュノア家とベルリオーズ家が絡む話です。今のデュノア家は、つまりブレーズ家を意味します。両家の事情にアベラール家までが首を突っ込めば、事態は複雑です」

「慎重に行動しなければならないってこと?」

「ええ、そのとおりです。アベラール家が介入してベルリオーズ家の肩を持つようなことになれば、対立構造が明確になり、ますます危うい状況になります」


 わかったと答えながら、カミーユの胸にはある種の覚悟がよぎる。


 なにかとてつもなく危うい均衡が、これまでは、ぎりぎりのところで保たれていたのだ。もしシャンティのためにそれを崩さなければならないとしたら、それを受け入れる以外にない。


 自らの両親が、シャンティをあのような場所に監禁し、死へと追いやろうとしたと知ったときから、カミーユは自分が立ち向かわなければならないものの大きさをひしひしと感じている。

 その巨大な壁に、自分は向きあえるか――。


 不安や葛藤を胸に秘め、カミーユは沈黙したままマチアスのあとについていく。

 いったいどこへ向かっているのだろう。


 しばらくすると、大広場に面した大聖堂の門のまえで、マチアスは馬から降りた。

 カミーユが顔に疑問符を浮かべていると、マチアスが「入りましょう」と促す。


「大聖堂のなかへ?」

「多くの者が出入りする場所ですが、一方で大聖堂には修道院が併設され、外部の者が立ち入れない場所が多く存在します。出入りしやすく、また、隠れやすい。絶好の場所でしょう?」

「そこでディルクたちを待つの?」

「ええ、ディルク様もアベル殿を連れてアベラール邸へは向かわないはずです。ならば、戻る場所はここしかないと思うのです」


 主人の考えることをマチアスは的確に把握しているらしい。カミーユもまた馬から降りて、大聖堂の門をくぐった。





+++





 束の間のあいだ、気を失っていたのかもしれない。


 咳をして目が覚めるとアベルはしっかりと抱かれて、馬上にいた。視界に映るのは逞しい肩だけで、相手は確認できない。けれど、腕の感覚や香りでわかる。

 自分は今、リオネルの腕のなかにいるのだ。


 ここは街中まちなかなのか、周囲の人々が日常生活を営む音や声が、雑然としたざわめきとなって鼓膜を打つ。その雑音に、妙な安心感を覚えた。

 足の下はもう冷たい地下牢の床ではない。

 ここは厚い雲を通してだって、陽の光が当たる場所。

 そして、もう、ひとりきりではない。


 その事実を噛みしめ、アベルはリオネルの胸に頬を寄せて再び目を閉じた。


「……アベラール領内の宿場町に入ったよ、アベル」


 リオネルの声が優しく響く。

 ひと呼吸おいてから、アベルはゆっくりと顔の位置をずらして周囲へ視線をやった。


 忙しそうに行き交う行商人や旅人たちや、雪道をゆったりと走る馬車、追いかけっこをする子供たちや、世間話をする街の人々……。

 耳に届いていたとおりの光景が広がっていて、アベルは吐息を吐く。


「セレイアックまでまだ少しかかるから、一度休憩するつもりだ」


 そうか、とアベルはぼんやりしながらも思い至る。アベルはリオネルの腕のなかで半ば眠ったり起きたりしているが、皆は眠らずに雪のなかを夜通し馬を駆けている。疲労は激しいだろう。


「短い休憩になると思うけど、なにか温かいものを食べて、寝台で横になろう」


 アベルはリオネルの腕のなかでうなずく。


 少しずつだが、アベルは落ち着きを取り戻しつつあった。

 ずっとリオネルの腕に抱かれていたのがよかったのだと思う。リオネルの体温と力強さは、疲弊しきったアベルの心にたしかな安心感を与えてくれた。


 けれどなにか言葉を返そうとして咳きこむ。

 話さなくていいよとリオネルが背中をさすった。気持ちは落ち着きを取り戻しても、身体の回復には時間がかかりそうだった。


「シャンティ様」


 名を呼ばれて視線を向ければ、揺れる視界に、トゥーサンの馬に同乗するカトリーヌが映る。カトリーヌは不安そうな面持ちだ。

 自分のために危険を冒すような真似をさせ、住み慣れたデュノア邸から連れだしてしまったことを、アベルは申しわけなく思った。


「……巻き込んで、ごめんね」


 ほとんど音にさえならぬほどの声だったが、カトリーヌには伝わったのか、くしゃりと泣きだしそうな顔になる。


「こんなときに、わたしのことなんていいんです、シャンティ様」


 離れて三年も経つのに、カトリーヌは自分のことを未だに主人として大事に思ってくれている。そんなカトリーヌに返せるのは、かすかなほほえみだけだ。

 二人のやりとりを聞いていたトゥーサンが、気遣うようにこちらをちらと振り向く。


「シャンティ様……もっと早くにお助けできなかったことを、お赦しください」


 トゥーサンにも、主であるオラスやベアトリスを裏切るような真似をさせてしまった。本当にたくさんの人を巻きこんだのだとアベルは痛感する。

 こちらこそ赦してほしい。


 そう思ったけれど、うまく言葉にできない。アベルの、なにか言いたげな様子をまえに、トゥーサンは沈痛な面持ちになった。


「私は、カミーユ様とシャンティ様にお仕えする者です。どうか、そのような顔をなさらないでください。三年前から赦しを請うべきは私のほうなのですから」


 リオネルの手がアベルの頭を撫でる。その手の暖かさを感じながら、アベルは瞼を伏せた。

 負い目に感じている気持ちがこれ以上伝われば、逆にトゥーサンを追い詰めることになることを、アベルは知っていた。


 一行は宿場町をゆっくりと駆け抜け、ディルクが知っているらしい宿へと至る。


「ああ、ようやく着いた」


 いつもより緊張感をまとったディルクの声がする。


「アベルの具合はどう?」

「熱はあるし、あまりいいとは言えない」


 すぐそばからリオネルの声が響いた。


「馬はおれたちが繋いでおくから、リオネルは先にアベルを連れてなかへ入っていて」

「わかった」


 大丈夫、そんなに具合は悪くない。二人の会話を聞きながらアベルはそう思ったが、動こうとしても身体に力は入らない。自分を誤魔化すことに慣れてしまって、実のところどれくらい辛いのか、アベル自身にもわからなかった。


 馬から下ろされ、受け渡された先はベルトランの腕のなか。しっかり掴んで放さない膝かけを見やって、ベルトランが低く尋ねてきた。


「ずっと持っていたのか」


 アベルはうなずく。この膝かけの存在に、どれほど救われただろう。


 くしゃくしゃと頭を撫でられる。

 言葉はないが、大きな手からベルトランの気持ちは伝わった。

 よく頑張ったな、と。


 皆の優しさのひとつひとつのおかげで、少しずつ、自分の居るべき場所へ戻ってこられたのだという感覚が現実味を帯びてくる。


「膝かけ……ずっと、温かかったです」


 かすれたアベルの声を、ベルトランはしっかりと聞き取ってくれた。


「そうか」


 ベルトランの大きな手は、膝かけの暖かさだ。

 馬から降りたリオネルが、再びアベルを引き取る。アベルはリオネルに抱きかかえられて宿へ入った。







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