7
一月末。まだまだ寒い日々は続きそうだ。
「これはどうですか?」
羊毛で編まれた帽子は、白を基調として淡い色彩が混ざりあった優しい色合いである。
「かわいいなあ」
並べられていた帽子を手に取ったヴィートは、嬉しそう――いや、なんだかいやに楽しそうにそれを眺める。
ブラーガの赤ん坊に土産を買っていくというので、先程からアベルがあれこれ提案しているが、ヴィートはどれもかわいいと言いながらも、なかなか買う気配がない。
「そろそろ絞らないと、決められませんよ? これまでのなかで、どれが一番良さそうでしたか?」
「そうだなあ……どれも良くて決められない。もう少し他の店も見て回らないかい?」
いいですけど、とアベルは笑う。
「余計に迷うと思いますよ」
「ああ、それならそれでいい。ずっとアベルと二人でデートしていられるし……」
「え?」
もごもごと言っていたので、ヴィートの声をアベルは聞き取ることができなかった。
「あ、いや、何でもない。あっちの店なんてどうだ?」
外出を長引かせ、なるべくアベルと二人きりで過ごそうとする姑息なヴィートの打算に気づいていないアベルは、素直についていく。
一方、二人のあとをつけているジュストが、ヴィートの下心が見抜けぬはずがない。
「リオネル様が放任しているのをいいことに、あの山賊め」
忌々しげにつぶやきながら、ジュストは二人のあとについていく。それを知ってか知らずしてか、ヴィートは上機嫌でアベルに尋ねた。
「なかなか決まらないから、いっしょにお昼でも食べようか」
「もうお腹空いたんですか?」
アベルは驚いた。まだ昼食には早い。
「いや、お腹が空いてないなら、温かい飲み物でも飲もう」
「疲れたなら休憩してもいいですよ」
「ほら、寒いし、アベルが疲れてるんじゃないかと思って」
「いえ、まだ平気です」
「そうはいっても身体が冷えたらよくないし、どこかお店に入ろう」
やや強引に軽食屋へ誘導され、アベルは苦笑交じりに背の高いヴィートを見上げる。
無精ひげはすでに丁寧に剃られ、二十四歳という年齢にふさわしい雰囲気だ。ただ、もとが山賊なだけあって、優しげな顔立ちながらもどこかしら野性味が漂う。
「ヴィートは、本当にお土産を買う気があるのですか?」
「もちろんだ」
喜々として軽食屋へ入っていく様子からすると、あまりそうは見えなかったが。
店へ入っていく途中、アベルはかすかにぴりっとした気配を背後から感じる。
それはいつかジークベルトと店に入りかけたときと同じ。
――ということは。
「ジュストさん……?」
振り返るがだれもいない。
「いいからアベル、入ろう」
ヴィートに手を引かれる。
「〝いいから〟?」
「どうせ見張りをつけられているんだろ。そんなことはわかってるさ。気にせず過ごそうぜ」
「…………」
ヴィートを見張っているということだろうか。それともアベルの行動を? まさか心配症のリオネルが、護衛のためにアベルを尾行させているとか。
そういえば、前回もジュストはそんな理由でアベルについてきていたような記憶がある。だが今回はヴィートという心強い友人がいっしょだ。
「なにがいい?」
問われてアベルは我に返る。
「えっ、あ、では、温かい葡萄酒で」
「珍しいな、蜂蜜酒じゃないなんて」
「たまには」
「そう、じゃあ、おれは普通に葡萄酒で」
注文した飲み物が運ばれてくると、アベルは今度こそヴィートへ告げようと思う。再会した当初から伝えようとしていながら、ずっと機会を逸していたのだ。今こそ絶好の機会ではないか。
「ヴィート、大事な話が――」
「本当にどれもかわいかったな。どれにしようか迷うよ」
「あの、実はわたしは――」
「白っぱい帽子もよかったし、音の綺麗な鈴もよかったな」
「ようやく気づいて――」
「そう、はじめに見た馬の人形もいい」
「自分自身の気持ちに――」
「やっぱりでも、もう少し探したら、もっといいのが見つかるかもな……って、どうかした?」
あまりに言葉を幾度も遮られるので、わざとではないかと思ってしまう。不審の表情で見つめるアベルへ、ヴィートは屈託なく笑った。
「なんか機嫌悪い?」
「さっきからわたしの話を遮っていませんか」
「ごめん、なんだった?」
アベルは脱力する。
「大事な話があるんです」
「ふうん」
「言いにくいことですが、これはけじめとして――」
と、せっかくゆっくり話せる雰囲気だったのに、それが一瞬にして壊れたのは不意に大きな声が響いたからだ。
「ああ!」
聞き覚えある声のような気がして顔を上げれば、ディルクがこちらへ真っ直ぐに指を差している。
「アベルとヴィートじゃないか!」
どこかわざとらしさを感じさせるのは、気のせいだろうか。
「ディルク様?」
それにリオネル、ベルトラン、マチアス……レオンまで。
「なにしにきたんだ?」
ただ不思議に思っているアベルとは違って、あからさまにヴィートは迷惑そうに顔をしかめた。けれどヴィートのそんな表情をまえにしてもディルクはどこ吹く風で、悪びれもせずに答える。
「偶然通りかかったんだよ」
「そんな勢ぞろいで街の散策か? 嘘つけ」
「ばれちゃった? 実は、別れを惜しみにきたんだよ」
「おまえたちはおれより一日長く、アベルといっしょにいられるじゃないか」
ヴィートは明日の出発で、ディルクやレオンは明後日の出発だ。今日が最後の日なのに邪魔しやがって、とヴィートの顔には書いてある。
「違うって、ヴィートくんとの別れを惜しみにきたんだ」
「嘘つけ」
遠慮なくディルクは二人の机に椅子を引きよせて座った。
「すみません、おれは温かい葡萄酒で」
己の道を突き進む友人に、リオネルやレオンはやや呆れた表情である。
「空気とか、そういうのがおまえは読めないのか?」
目のまえに座ったディルクに、ヴィートは抗議した。
「空気なんて読んでたら、アベルをとられるだろ?」
「少なくとも坊ちゃんは読んでくれてたみたいだぜ?」
「あいつは想いが深過ぎるから、こういう方法しか選べないんだ。おまえだって、それくらい承知してるんだろ? リオネルの行動を見抜いて、好き勝手やってるんだから、ちょっとずるいんじゃないか?」
「ずるくたってなんだって、最後に手に入れたもん勝ちだ」
「さすがは山賊だね、人から奪うのは得意中の得意か?」
「なんだと?」
険悪な雰囲気になっていく二人へ、リオネルが割って入る。
「もういい、ディルク」
「おまえがぼんやりしてるからだ、リオネル」
「そっちはもう足搔く必要もないだろ。こっちは必死なんだ、放っておいてくれよ」
「なんのことだか知らないが、アベルが困惑しているぞ」
とレオン。
「ディルク様、こういうときは、もっと言ってもかまいませんよ」
とマチアス。
なにがなんだかわからぬ状態になりつつある。
「あの、とりあえず皆様、座って飲み物でもどうですか?」
アベルの提案にリオネルがそうだねと同意した。
「おれは葡萄酒、ベルトラン、レオン、マチアスも同じでいいか?」
こうして一同は小さなテーブルを囲むこととなった。
+
「それで? 土産とやらは買ったのか?」
飲み物がそろうと、レオンが尋ねる。沈黙しているヴィートに代わってアベルが答えた。
「たくさんいいものを見つけて、迷っているところです」
「おれが選んでやるよ」
名乗りを上げたのはディルクだ。
「けっこうだ、自分で選ぶ」
「なかなか決まらないみたいだし?」
「親友のはじめての子供に贈るものだから、迷うのは当然だろ」
「あの……もし外にジュストさんがいるなら、入ってもらっては?」
確信していたわけではないが、アベルが試しにそう聞いてみると、リオネルは弱った様子で笑った。
「気づいていたんだ」
「なんとなく……」
「ごめん、見張るつもりはなかったんだ。ただ色々と心配で。ジュストにはさっき帰ってもらったよ。気配を消して冬空の下にいるのは疲れるだろうからね」
「わたしは護衛なんてなくとも平気です」
リオネルを守るはずの自分が、守られていてはどうしようもない。そもそも忙しいジュストの手間を取らせるのは申しわけなかった。
「きみがそう言うことはわかっていたから、密かにあとをつけさせたんだ。本当は公然の用心棒をつけたいくらいだけれど」
それほどアベルのことが大切で、心配でしかたないのだとさりげなく伝えてくるリオネルに、ヴィートが片眉を吊り上げる。
「おれが用心棒になってやるが?」
ヴィートが用心棒になれば、命に代えてもアベルを守りきるだろう。心強い反面、別の意味で危ない。それを承知しているリオネルは、
「遠慮しておく」
と冷ややかに返した。
「さっきから、温かいはずの葡萄酒がいっきに冷めていくのは気のせいか?」
レオンが葡萄酒を口に含みながら微妙な顔をする。
「今日は寒いですからね」
マチアスは窓の外を見た。
「それでさ、ここは公平、公正に行こうよ。ねえ、アベル」
「なんの話ですか?」
「まわりくどい話はやめて、はっきりさせよう。アベルはさ、今日これからだれと過ごしたい?」
「えっ?」
ディルクからの唐突な問いに、アベルは思わずわかりきったことを説明する。
「今日はヴィートといっしょにお土産を買いに……」
「土産探しならおれがつきあってもいい。ようするに、ヴィートもおれたちももうすぐいなくなるし、リオネルはけっきょくいつも政務で忙しい。アベルと過ごせる時間が少ないのは皆同じだ。だから今日は、アベルがいっしょに過ごしたい人を選ぶのが、一番公平だと思うんだ」
「……どうして皆様は、わたしと過ごす必要があるのですか?」
ディルクの言いたいことが、いまいちよくわからない。
「ようするに、みんなアベルといっしょにいたいんだ」
「なんの冗談ですか?」
「いいから、そういうことだと思って」
「……それなら全員いっしょにいたらいいのでは?」
「アベルが見たとおり、今日はこの面子だとあまりいい雰囲気にならない」
まあ、それはなんとなく理解できたが。
「わたしはどなたかを選ぶような、そんな大それた立場にはいませんし」
このなかでひとり、共に過ごしたい人を選ぶなんて身の程知らずだ。
「いいから選んでよ。それで皆納得するから」
と言いながらディルクが目配せしたのは、ヴィートとリオネルだ。
「せっかくおれがいっしょに過ごしてたのに、ひどくないか?」
「このところずっとアベルとイシャスを独占してたじゃないか」
ディルクがすかさずヴィートの文句に反論する。
「いいよ、アベルはこのままヴィートといっしょにいて。アベルを追いつめたくない」
「そんな甘いことを言ってる場合じゃないだろ、リオネル」
あれこれ皆が話している脇で、アベルはまいったなと思う。
なぜ、このような訳のわからないことになってしまったのだろうか。
助けを求めてベルトランに視線をやれば、肩をすくめて「選ぶしかないんじゃないか」という表情だ。
マチアスは腕を組んで黙りこくっている。今日は主人の暴走を止める気はないらしい。
「それで、決めた?」
ディルクに問われて、アベルは仕方なしに答えた。
「……決めました」
「だれ?」
「レオン殿下です」
ディルクが目を丸くする。
「レオン!」
予想していなかった相手だったらしい。
「なんでまた」
「お会いしようと思っても、いざとなるとなかなかお会いできないのが、レオン殿下だと思いまして」
リオネルやベルトランは常にそばにいるし、ディルクやマチアスはすぐ隣の領地だ。ヴィートは少し離れているが、会おうと思えばいつでも会える立場にいる。
けれど、レオンはそうではない。基本的には王都にいるし、王子殿下ともなれば気安く会えるものでもない。
……というのが建前だが、本当は一番面倒がなさそうだからである。
アベルの説明に、たしかにね、とリオネルが笑った。
「笑ってる場合か!」
呆れた調子でつっこむのはディルクだ。かたやヴィートは、ひたいに手を置いてうなだれている。
「せっかくおれがいっしょに過ごしてたのになあ……」
「嘆いてる場合か!」
「しかたありませんね、アベル殿が選ぶという約束でしたから」
「納得してる場合か!」
溜息をつくマチアスに、再びディルクが鋭く言い放つ。
「なんだ、この、おれが選ばれて全員がっかりした感は?」
レオンがぼやくが、皆沈黙している。気まずい雰囲気だ。
「あ、あの、なんだかわかりませんが、そういうことなのでいっしょに出かけましょうか」
早くこのわけのわからない状況から抜け出したいアベルは、レオンを促した。
アベルに声をかけられたレオンは、
「あ、ああ」
と、こちらもよくわかっておらぬ様子のまま答える。そう、アベルだってレオンだって、なぜこれから二人でシャサーヌの街へ出かけなければならないのか、さっぱりわからないのだ。けれど、どうもそうしなければならないらしい。
「ヴィート、最後までお土産探しにつきあえなくてごめんなさい。これまでいっしょに見たなかで、気に入ったのがあればいいのですが。なににしたのか、あとで教えてくださいね」
「アベル、待ってくれ」
店を出ていこうとする二人に続いてヴィートも立ち上がる。すかさずディルクが声を上げた。
「あっ、約束が違うぞ」
「おれは土産を探しにいくだけだ」
「じゃあ、おれも行こうかな。街を散策に行くだけだけど」
と、リオネルもまたちゃっかり立ち上がる。
「それならおれも」
とディルクが続いた。
+
「さあ、どこへ行こうか」
「どこでしょうね……?」
突然二人で出かけることになったアベルとレオンは、すっかり困惑している。行く宛てなどあるはずもなく。
「あれ?」
アベルがふと気配を感じて振り返れば、見知った面々があった。目が合いそうになると、皆がそわそわと視線を逸らす。
「なんだか皆様いっしょのようですよ」
「そうか、では市場でもひとまわりしていくか」
「どうしてですか?」
「そのあいだにヴィートは土産を買えるだろう。買ったあたりで、ぼちぼち帰ればいい」
「そうですね、それがいいかもしれません」
「土産か。……ああ、この鉄の棒などいいのではないか?」
市場の露店でレオンが手に持ったのは、とても赤ん坊には似つかわしくない代物だ。
「これは、なにかの工具では」
レオンの手のひらほどの長さの鉄の棒は、両端が変わった形状になっている。
「ブラーガの子供ともなれば、これくらいの玩具でないと満足しないだろう」
「玩具……?」
レオンは赤ん坊と接した経験があるのだろうか、とアベルは密かに疑問に思う。
「おい、土産はおれが選ぶと言っただろう?」
二人の会話にヴィートが口を挟んだ。つっこむべきところはそこなのだろうか。
すると。
「おい、なんで話しかけてるんだ?」
すかさずディルクが文句を放った。そのかたわらで、平然とリオネルが指摘する。
「さすがに赤ん坊に工具はないだろう。それはレンチだ」
ようやく大切なことを指摘してくれる人が出てきて、アベルはほっとする。
「代わりに、この鈴なんてどう?」
「あ、それ、さっきわたしもいいと思ったんです」
アベルはリオネルが手に取った鈴を指差した。
「これなら、小さな赤ん坊でも喜ぶね」
「音が綺麗なんですよ、ほら」
手を添えて揺すってみせると、リオネルが顔をほころばせる。
「本当だ、優しい音だね」
「おい、おれが選ぶと言ってるだろう。というか、なんで坊ちゃんがアベルといい雰囲気で土産を選んでるんだ」
「おまえが先にアベルと話したのだろう」
冷静に述べたのはベルトラン。
「なんだかんだいって、全員話しています。この際、皆様いっしょに土産探しをするというのはどうです?」
提案したのはマチアスだ。
「土産探しに、こんなに大勢いらねえ」
ヴィートはぶつぶつ言っていたが、結局はこうして全員が、ああでもない、こうでもないと、賑やかにシャサーヌの街で土産を見て回ることになったのだった。