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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
439/513







 ベルリオーズ邸に辿りついたのは、あたりがすっかり暗くなってからのこと。

 使用人は安堵の表情でリオネルらを迎えた。


 一方、アベルの弟……ということになっているイシャスは、アベルとリオネルに加え、ヴィートが戻ってきたことに大喜びだった。


 子供の相手が得意なヴィートだから、イシャスにはすっかりなつかれている。早速夕食の時間までアベルとヴィートはイシャスの遊び相手をし、一方リオネルはそのあいだに怪我の治療を受けることになった。


 王都で行われた新年の祭りからリオネルらが戻り、ベルリオーズ邸は明るく和やかな雰囲気に包まれたものの、帰途で刺客に襲われたと聞いたクレティアンは渋い面持ちだ。


 腕に包帯を巻かれるリオネルの姿を見守りながら、クレティアンは尋ねた。


「相手は何人くらいだったのだ?」

「さあ……二、三十人――いやもっとかな」

「四十はいただろう」


 数字を訂正したのは、手際良くリオネルの怪我を手当てするベルトランだ。クレティアンは眉をひそめた。


「四十人……」

「遺体が少なく見えたのは、一部が逃げたからです」

「そのお怪我は刺客に?」


 控えめに尋ねるクロードへ、刺客に襲われた経緯をディルクが説明する。


「雪の日に、爆薬ですか」

「そう、あんな場所で使ってくるとは思ってなかったね」


 ディルクは腕を組み、窓際にもたれかかっている。クロードはうなった。


「雪で湿気るまえに爆発するよう、巧妙に投げ込んだということでしょう。敵もさるものです」

「国王派の者だな」

「ええ、おそらく」


 クレティアンがはっきりと国王派の名を出したのは、レオンがこの場にはいないからだ。レオンは目つぶしの影響も残らず、暖かい客室で読書に逃避している。


「申しわけございません、私がそばについていながら」


 リオネルを負傷させてしまったことに、ベルトランが責任を感じぬわけがない。


「いや、今回のような事態ではどうにもならなかった。そなたのせいではない」

「このタイミングで襲ってくるとは思っていませんでしたからね」


 ディルクがそう言うのも、まさか新年祭の帰りに命を狙ってくるとはだれも想像していなかったからだ。神前試合で罠にはめることができなかったがために、焦ったとも考えられる。


「常に警戒は怠らぬように、という教訓を得ました」


 そうつぶやくクロードへ、皆が目でうなずきを返す。


「そういえばアベルの姿が見えないが」


 国王派のレオンがいないのは当然として、いつもリオネルのそばにいるはずのアベルがいない。


「アベルはイシャスと遊んでいます」

「ああ、そうか」


 納得した様子のクレティアンだが、ふとその表情にかすかな陰が差す。むろん、その意味を知る者はない。


「怪我の具合はどうだ?」

「幸いにも軽傷です」


 ベルトランが短く答えると、クレティアンはほっとした面持ちになった。


「夕餉の時間までまだある。リオネル、そなたは手当てを受け、ゆっくり休んでいなさい」


 そう言い置いてクレティアンはオリヴィエやクロードを引き連れて部屋を去っていった。

 残されたのはリオネル、ベルトラン、ディルク、そしてマチアスである。


「そういえば、ヴィートくんは?」


 尋ねるディルクへ、ベルトランがやや不機嫌にも聞こえる声で答える。


「アベルといっしょにイシャスの相手をしている」

「そうか……じゃあ、イシャスのお守りは二人に任せて、リオネルは公爵様の言ったとおりゆっくりしていたら?」


 そうだね、と静かにうなずくリオネルを、ベルトランがちらと見やった。

 おそらくリオネルは戻ったら真っ先にイシャスと遊びたかったに違いないが、怪我の治療のためもあり、その座をすっかりヴィートに奪われている。

 その雰囲気はディルクにも察せられるらしく、やや気遣う様子でリオネルに尋ねる。


「食前酒でも飲む? 怪我の消毒になるかもよ」


 ディルクの冗談にリオネルは笑った。


「いいね」

「負傷時の酒は避けたほうがいい」


 低い声で釘を差すベルトランを、ディルクはさらりとかわした。


「軽傷だし、なにより疲れと冷えた身体を癒すのは、やっぱり酒だろ」


 ベルトランはなにも答えない。会話を聞いていたマチアスが、無言で部屋を出て酒を手配しにいった。







 大陸の冬は長く厳しい。

 けれど、子供の笑い声を聞いていれば、冬の寒さや侘しさなどどこかへ吹き飛んでいくかのようだ。


 先程からヴィートと取っ組み合いをしては床に転がされているイシャスだが、何度負けてもヴィートへ向かっていく。何回かに一度ヴィートが負けてくれるのが、嬉しくてたまらないようだ。


「わー、やられた!」


 ヴィートが背中から床に派手に転がれば、声を立ててイシャスが喜ぶ。


「やったな、こら!」


 起きあがったヴィートがイシャスを追い回す。きゃーと言いながらイシャスはアベルの後ろに隠れた。


「逃げられるかな?」


 アベルがイシャスに笑いかけると、いらずらっぽい視線が返ってくる。こんな表情はすでに赤ん坊ではなく、しっかりと子供らしい。


「追い詰めたぞっ!」


 ヴィートがじりじりと近づくと、イシャスは自分からえいやっと立ち向かっていった。そんな様子を眺めながらアベルは深く息を吐く。

 王都では、アベルの正体がデュノア家の令嬢と知られて、一度はリオネルのもとを離れる決意をした。あのまま神前試合で死んでいれば、イシャスにもヴィートにも会えなかったのだ。

 そのことを思えば、こうしていっしょにいられることに胸が熱くなる。


 けれど、平和な時間が長くは続かないことを、アベルは知っている。

 すでに多くの者が、アベルの正体に気づいてしまった。シュザンやノエル、あるいはカミーユやトゥーサンが、デュノア家にいる父オラスに真実を告げるとは思えないが、なにかしらの理由で伝わる可能性はある。

 いつまでここでこうして過ごせるだろうか。


 そんな思いに加えて、昼に起きた事件がアベルの気を重くする。

 リオネルを狙った刺客は国王派の手先に違いない。逃げ散った刺客がいつまた仲間を増やしてリオネルの命を狙ってくるかわからない。


 いつまでリオネルのそばで、彼を守ることができるだろう。


 アベルは首を横に振った。

 こんな弱気ではいけない。


 ずっとリオネルをそばで守るのだ。イシャスとも、これから先もこうして過ごしたい。ヴィートや、ディルク、マチアス、ベルトラン、レオン……その他大勢の仲間と力を合わせていかなくては。

 そう自分に言い聞かせれば、ヴィートがイシャスを抱いてこちらへ寄る。


「あ」


 アベルが目を丸くしたのは、イシャスがすっかりヴィートの腕のなかで寝入っているからだ。


「疲れていたんだろう、取っ組みあってるうちにこてんと寝た」

「そうですか」


 笑いながらアベルはイシャスを引き取ろうとするが、ヴィートは首を横に振った。


「いいよ、このままで」


 ヴィートはイシャスを抱いたまま、アベルの隣に腰かける。


「でも重いでしょう?」


 アベルが戻ってきたので、エレンは久しぶりに子育てから離れ、別の部屋で自由に過ごしている。今夜イシャスを寝かしつけるのはアベルの仕事だ。


「ちっとも。子供って不思議だよなあ。こんなに軽くて小さいのに、大人よりも存在感がある」

「本当にそうですね」

「寝てても起きてても、目が離せないっていうか、小さいのに輝いてるんだよ」


 イシャスを見るヴィートの褐色の瞳は、愛情に満ちていて優しい。


「久しぶりにアベルにもイシャスにも会えて嬉しいよ」

「わたしもヴィートに会えてとても嬉しいです。今回はどうしてベルリオーズ領へ?」

「もちろん、アベルの顔を見にきたに決まっている」

「冗談でしょう?」

「冗談なわけあるか。おれは毎日アベルのことを想って過ごしてるんだ。もちろん表向きの理由はラ・セルネ山脈のふもとを耕している仲間の様子や、進捗状況の報告ということになってるけど」 


 毎日アベルのことを想っているというヴィートの言葉に、アベルは告げておかなければならぬことを思い出す。


 ヴィートとは山賊討伐の折りに出会った。

 囮になって山賊のあじとを暴こうとしたアベルを救ってくれたのが、そのときはまだ山賊を生業としていたヴィートだった。

 その後、紆余曲折を経てヴィートから求婚された。

 自分は男として生きる道を選んだからという理由であのときは断ったが、今は状況が違う。自分の気持ちに気づいたのだから。


 ――リオネルのことが好きだ。

 男として生きるという覚悟の片隅にその気持ちはたしかに存在して、アベルの決意と覚悟を揺さぶっていた。


 かつてヴィートに告げた言葉は、今となっては嘘になる。

 そのことを謝らなければならないのに、けれどヴィートを傷つけることはわかっているので、うまく切り出せない。


「あの、ヴィート」

「なんだい?」

「ええっと」

「そんなに躊躇って、愛の告白か?」


 ヴィートの冗談に、アベルは黙りこんだ。


「冗談だよ」


 豪快に笑いながら、ヴィートはイシャスを抱えなおし、片手でアベルの髪をくしゃくしゃと撫でる。


「そんな困った顔をしないでくれ」


 出会ったころのように無精ひげが伸びたヴィートは、あいかわらず何歳だかよくわからない風貌だ。


「ヴィート、わたしは――」

「アベルはますます美人になったなあ」

「…………」


 ずいと顔を近づけてくるヴィートを、アベルは真っ直ぐに見返す。

 言わなくては。それがせめてもの誠意。


「あの、わたしは――」

「美人すぎて、久しぶりに会うと緊張しちまう」


 再び言葉を遮られて、アベルは困惑の面持ちになった。


「ローブルグへ交渉に行ったり、ユスターとの戦いに参加したりしたんだって? ラロシュ公爵から聞いたよ。こんな別嬪さんを、坊ちゃんもよくそんな危険なところへ連れていくもんだ」

「私が自ら選んだ道です」

「だろうな」

「あと、〝坊ちゃん〟ではなく〝リオネル様〟です」

「大怪我をしたと聞いたけど、大丈夫なのか?」


 アベルの指摘を完全に無視して、ヴィートは心配そうに眉を寄せる。


「このとおり、すっかり平気です」

「アベルが戦場へ行ったのだと知っていたら、おれもユスター国境まで行っていたのに」

「遠いですよ?」


 ラロシュ領とロルム領では、シャルムの西北端から西南端まである。またもや冗談かと思ったが、ヴィートは真剣だった。


「アベルのためなら、どこでも行くさ。知らせてくれたらよかったのに」


 ヴィートは心からアベルのことを想ってくれている。だからこそ伝えなければならない。


「ヴィート、聞いてほしいことが――」

「今度は絶対におれに知らせてくれよ」


 切り出す機会を幾度も失って、アベルはうつむく。この話は別の時にしたほうがいいのだろうか。


「ブラーガやエラルドも心配していた」


 あのブラーガがアベルの心配などするのかと思ったが、そこはあえて口にはしない。


「ラ・セルネ山賊のふもとの様子は、どうですか?」

「この夏でだいぶ畑ができてきた。まあ、まだまだ先は長いけど」

「皆さんは元気にしていますか?」

「ああ、元気だ。ブラーガはすっかり怪我も癒えて、毎日赤ん坊を抱いているよ」

「赤ん坊?」

「言っていなかったか? ロジーヌ殿とのあいだに生まれたんだ」


 たしかにクヴルール男爵の娘ロジーヌとブラーガはそういう関係だったが、まさか二人のあいだに赤ん坊ができたとは。


「男の子だ」

「お二人は結婚されたのですか?」

「いや、あいつはそういうのはやらないよ。根っからの山賊だから。でも、子供のことは意外と可愛がっている」

「ロジーヌ様はそれでいいのですか?」

「いっしょにいられるだけで幸せみたいだぞ。ブラーガもまんざらでもない様子だしな」

「それはよかったですね」


 クヴルール男爵はリオネルの命を狙った罪で投獄され、獄中で自殺したことになっているが、実際には罪を赦され、クヴルール家の家臣としてロジーヌのそばにいるということはすでにリオネルから聞いていた。

 相手がブラーガでは三世代で仲良く……とはいかないだろう。それでもそれぞれに幸せならそれでいい。結婚できなくとも幸福だという二人の関係を、アベルは自分に重ね合わせた。


「まあ、ブラーガがずっとひとりの女で満足するかどうかはわからないけど。そういえばあの女たらしのローブルグ人には、つきまとわれてないか?」

「ローブルグ人……ジークベルトのことですか? 彼なら仲良くしています」

「仲良く?」


 ヴィートの顔が険しくなる。


「ああいう男は油断ならないからな。絶対に二人きりにならないほうがいいぞ」


 アベルは小さく笑った。


「ジークベルトはいい人です。大事な友人です」

「……坊ちゃんも、まだまだ詰めが甘いなあ。まあ、おれと二人きりにしてるあたりで、ずいぶん甘いんだろうけど」

「え?」

「なんでもないさ。さあ、夕飯でも食べにいくか」


 イシャスを寝台に横たえヴィートは扉へ向かう。


「アベルは行かないのか?」

「もしイシャスが目を覚ましたときにだれもいないと、かわいそうですから。エレンが戻ってくるまではいっしょにいます」

「それもそうだな、じゃあ、おれもそうするよ」

「ヴィートは先に食堂へ行ってください。ラザールさんやダミアンさんが話すのをきっと楽しみにしています」

「水臭いこと言うなよ、おれはアベルとここに残りたい」


 館の外に降り積もる雪。

 ときおり爆ぜる暖炉の火。

 かすかだが規則的な寝息が時間を刻む室内。


 少しばかりの距離を置いて長椅子に座り、二人はイシャスの寝顔を見つめていた。








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