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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~
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 リオネルらのもとから立ち去ったフィデールは、喉の奥で笑う。

 黙ってその背後を従っていたエフセイを振り返ったとき、フィデールの口元には薄い笑みの名残だけがあった。


「見たか、エフセイ」

「はい」

「生きていたというわけだ」

「……そうですね」

「こういうことだったのか」


 フィデールはゆるく空気を吸い込む。


「まさかシャンティが生きて、リオネル・ベルリオーズのもとに身を寄せていたとは」

「ええ」

「そのうえ親密な仲になっていたとは、運命はわからないものだ。シャンティは我々を裏切る道を選び、その裏切りにベルリオーズ家も加担している」


 ゆっくりと話しながら歩む二人の雰囲気は、華やかで底抜けに明るい街の祭り騒ぎとは不釣り合いだ。


「ブレーズ家を欺くことにかけては、ベルリオーズ家の右に出る者はないな。シャンティの復讐の仕方もまた見事だ」


 フィデールを見返すエフセイの顔に、表情らしき表情はなかった。


「これで、いくつかの謎が解けた」


 無表情のままエフセイがうなずく。


「カミーユが騎士館へ会いにいっていたのは、シャンティに会うためだ。そして殿下がベルリオーズ邸で出会った〝レナーテ〟の正体もわかった。殿下が魅了されるほど美しく踊りに秀でた少女……うまく殿下を謀ったものだ」

「我が身を犠牲にして、リオネル様を救おうとしたのかもしれません」


 平坦な、感情のこもらぬ声でエフセイが言う。測るような面持ちでフィデールは異国の家臣を見やった。


「女とは健気なものだな。私の仮説が正しかったというわけだ」


 かつて、愛する男の心を得るために魂を悪魔に捧げたはずのレナーテが、最後にジェルヴェーズに身体を捧げきれなかった理由について、リオネルとフィデールは時と場所を異にしてそれぞれ仮説を立てた。


『レナーテには、愛する男などいなかった』というのが、リオネルの仮説。

『レナーテは恋しい男の心をすでに手に入れていた』というのが、フィデールの仮説。


 先程の様子を見て、フィデールはすでに直感している。


 ――リオネルは、シャンティに心底惚れている。


「どうなさるおつもりですか」

「ああ、楽しみ方はいくらでもある」


 すでにフィデールの口元に笑みはなく、ただ青みがかった灰色の瞳に冷淡な色を浮かべていた。


「殿下に〝レナーテ〟を献上するのもいい。殿下が彼女の羽根をむしり取り、リオネル・ベルリオーズを激怒させるという筋書きはどうだ? シャンティにもリオネル殿にも同時に報いることができる。愉快だろう?」

「…………」

「あるいは、貴族社会にリオネル・ベルリオーズとディルク・アベラール、それにシャンティ・デュノアに関わる醜聞を広めるのもおもしろい。親友の元婚約者をかくまっていたとなれば、リオネル・ベルリオーズの評判も地に落ちる。二人で舐める屈辱の味はさぞ美味だろう」


 フィデールは淡々とした口調だ。


「だが、今回の件については、叔母上のご意向もある。すぐには動けない。折りを見て、あの方に報告しよう。あとは叔母上のお考え次第というところか」

「さようですか」

「良心が痛むか?」


 エフセイは沈黙する。


「これらから先、醜いものはいくらでも目にすることになると言ったはずだ。見切りをつけるなら、まだ間にあう」


 今すぐここを去ればいいと平然と告げるフィデールへ、エフセイは「お供します」と短く答える。


「物好きだな」

「私の主は貴方だけです」

「後悔するぞ」

「かまいません」


 広場を後にしようとする二人の先に、見知った姿がある。

 人混みのなか、彼らもまたこちらに気づいて振り返った。


 ディルク・アベラールとレオン第二王子、それに漆黒の瞳を持つ従者だ。


 レオンへ向けて軽く一礼してから、フィデールはディルクを一瞥して無言でその場を去る。不穏な空気だけが、双方のあいだには残された。






+++






「ああ! リオネル、やっと見つけた!」


 ディルクやレオンらと再会したのは、イシャスへの土産を探していたときのこと。アベルはすでにもとの姿に着替え終えていた。


「ディルク様!」

「やっと会えたよ」


 駆け寄ってきたディルクは、疲労と安堵の色を折り混ぜた表情で大きく息を吐く。そのディルクへリオネルが意外そうに尋ねた。


「探してくれたのか?」

「え? まあ……いちおう」


 ディルクはややぎこちなく答える。


「館に戻ればいつか会えると言ったのだが、ディルクが必ず探すと言い張ったのだ」


 レオンは探す必要などなかったのにという雰囲気だ。リオネルたちも同じ考えだった。この人混みの中で互いを探しあてるのはほとんど無謀に近い。


「リオネルはいつだって命をつけ狙われてるし、アベルはいろいろあった直後だし、心配はするだろう」

「呑気そうでいて、意外と心配性なところもあるのだな」


 ……と所見を述べたのは、むろんレオンだ。


「呑気そうとはなんだ。おれはいつも繊細で、敏感で、心配症だ」


 ディルクの台詞に、レオンが声を立てて笑う。


「冗談もほどほどにしたほうがいい」

「だれが冗談だって?」


 やりあう二人の会話に、リオネルが割って入った。


「ありがとう、ディルク」

「いや、そのだな……さっき嫌なやつにあったんだ。余計に気になってな」


 そう言いながら、ディルクは遠慮気味にアベルへちらと視線をやる。嫌なやつ――という言葉にわずかに戸惑いつつ、アベルのなかですぐにその人の顔は思い浮かんだ。

 ディルクが気を使ったのは、アベルの従兄弟にあたる人物だからだろう。


「フィデール殿か」


 リオネルが確認すると、ディルクは驚く面持ちになる。


「知っていたのか。もしかして会ったのか」

「ああ、会ったよ。最悪のタイミングで」

「最悪のタイミング?」


 マチアスも、気がかりげな視線をリオネルへ投げかけている。


「踊っていたんだ、アベルと」

「アベルの顔も見られたのか?」


 うなずきつつリオネルは答えた。


「彼がアベルの正体に気づいたかどうかはわからないけれど」

「おかしな噂を立てられるかもしれないぞ?」


 おかしな噂、と聞いてアベルは嫌な予感がする。リオネルが女好きとか、軽薄な男だとか、そんな噂が立ったら申しわけない。

 けれどリオネルはまったく気にするふうではない。


「おれにまつわる噂が立つのはかまわないけれど、万が一にでもアベルの正体に勘付いていたらまずい。そのためにも、彼やジェルヴェーズ殿下とは距離を置いておきたいから、おれたちはできるだけ早くベルリオーズ領へ戻ろうと思う」

「ああ、そうだね。それがいい」


 同意するディルクは、アベルの手元にある小さな木彫りの玩具へ視線をやる。


「それは?」

「イシャスへのお土産にどうかと思って」


 朱色に塗られた木彫りの人形から、アベルはひと回り小さな人形を取り出してみせる。


「わ、小さいのが出てきた」

「もっと小さいのが出てくるんですよ」


 そう言ってアベルは次々と小さい人形をなかから出してみせる。ディルクもレオンも目を丸くしてそれを見ていた。


「すごいね、どうなっているんだ?」

「北方の玩具ですね」


 言いあてたのはマチアスだ。


「よく知っているな、従者殿」


 レオンは尊敬の眼差しをマチアスへ向ける。


「昔、なにかの本で読んだことがあります」


 アベルは人形をしまいながら、イシャスの喜ぶ顔を思い浮かべた。


「珍しいので、イシャスのお土産に買っていこうと思っています」

「いいですね」


 マチアスが人形からアベルへ視線を移してほほえむ。


「きっと喜ぶだろうね」


 珍しそうに人形を指先でつつきながらディルクも言った。


 ……ディルクとの婚約中に、見知らぬ男とのあいだにもうけたイシャス。

 おそらくディルクもマチアスもすべて知っている。それでも、こうしてイシャスを変わらず慕ってくれている。アベルは心から感謝の念を覚えた。


「アベル?」


 心配そうに顔をのぞきこんだディルクから逃れるように、アベルは顔を背けて手のひらで目元をぬぐう。


「ちょうど買ってこようと思ったところなんです」


 人形を持って、アベルは代金を支払うために店の奥へ入っていった。代金を支払おうとしたとき、いつのまにかついてきていたリオネルがいくらか差し出す。


「え――」

「いっしょに払わせて」

「そんなの、いただけません」


 この人形は少しばかり高い。それでも、今月の給金をもらったばかりのアベルが出せない金額ではなかった。


「出したいんだ。おれもイシャスになにか買ってあげたかったから」


 アベルはどうしようかと考えあぐねて、リオネルを見上げる。


「あまり玩具を買い与えてはいけないと思って、買わないようにしていたから。いっしょに買わせてもらえたら嬉しい」


 アベルとリオネルが話していると、店の者が痺れを切らしたようで、「買うの? 買わないの?」と聞いてくる。


「か、買います」


 慌ててアベルはお金を払った。その際、どさくさにまぎれてリオネルも店主へお金を渡す。けっきょく半分ほど払ってもらうことになってしまった。


 店を出ながら、アベルはリオネルに礼を言う。

 きっとイシャスに玩具を買いたいというのはリオネルの本心だろう。けれど、たぶんそれだけではない。所持金のすべてをサミュエルに渡してしまったアベルのために、もらったばかりの給金を少し取っておきなさいというリオネルの心遣いだ。


「喜ぶといいね」

「きっと喜びます」


 紅く塗られた木彫りの人形をアベルは見つめた。








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