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前話もストーリーに動きがなかったので、もう一話更新しました。
本話を含めてあと6話ほどで第七部完結予定です m(_ _)m yuuHi
「母に手紙ですか?」
トゥーサンは驚いた様子だった。
「そう、姉さんが無事だと知ったら、どんなにか喜ぶかと思って」
王宮の一室。カミーユの部屋で二人は声を潜めて話しあっている。
「ベアトリス様ではなく、母に?」
エマに手紙を書きシャンティの無事を知らせたいと告げたカミーユへ、トゥーサンは意外そうに尋ねてくる。
「うん、母上にも知らせたいけど……母上は父上のことが大好きだから、秘密にしておくことが負担になってしまうと思うんだ」
「なるほど……」
「それにさ、ぼくたちのおしめを取り替えるところから全部世話してくれたのは、エマだから。母上が心を痛めているのと同じくらいエマは辛いと思う」
カミーユがそう思うのは、シャンティがいなくなってからのエマの様子は、見ていられないほどだったからだ。食は細くなり、花を摘みに行く以外ではほとんど外出しなくなった。
このまま弱りきって死んでしまうのではないか――あるいは自ら死を選ぶのではないかと思われるほどの様子で、そんなエマを置いて王都へ行くのは、カミーユにとってひどく心残りなことだった。
シャンティの無事を知った今、遠くデュノア領に残してきたエマにそのことを知らせてやりたい。
「いいだろ? なにも知らないエマのことを考えると、辛い」
うーん、としばらく考えこんでから、トゥーサンはようやく視線を上げる。
「わかりました、ではシャンティ様の居場所は伏せ、けっして他言しないようにと付け加えるなら――」
「ありがとう、トゥーサン!」
エマにいい報告ができると、カミーユは心が浮き立った。
「手紙を読んだらきっと元気になってくれるよ」
さっそくカミーユは机に向かい、筆ペンを手に取る。
すらすらと書きはじめてからしばらくすると、背中へ声をかけられる。
「ありがとうございます、カミーユ様」
カミーユは後ろを振り返った。そこには先程と同じ場所で、深々と頭を下げるトゥーサンの姿。
「トゥーサン?」
「母を、大事にしてくださって、感謝いたします」
「なんだよ、あたりまえだろ。おれたちを育ててくれた人なんだから。姉さんもエマのことをすごく気にしてた。おれにとっても、姉さんにとっても、本当の母親のような存在なんだ」
うつむき黙ってしまったトゥーサンへ、カミーユは小さくほほえんでから再び手紙へと向かう。トゥーサンは、カミーユに涙を見られたくないだろうから。
「母上は、おれたちを生んでくれた。――けれど、エマはおれたちを育て、愛してくれた。それにトゥーサンは従者だけど、おれや姉さんにとっては兄さんでもあって……みんな家族だよ」
振り返らずに言ったカミーユへ、トゥーサンは無言で頭を下げつづけていた。
一方、同じ王宮内の一角では、王妃グレースと国王エルネストがなにやら真剣な様子で話をしていた。
「レオンを西方の視察に、とな」
グレースがうなずくのを見ると、エルネストは小さく溜息をつく。
「ジェルヴェーズには、私から言い聞かせておいた。今後レオンに手を上げることはないだろう」
「……レオンが風邪を引いたのは、ジェルヴェーズがあの子を凍った池へ突き落としたためだという噂を耳にいたしました」
なに、とエルネストは眉をひそめる。
「どこから聞いたのだ。本当のことか」
「噂、です。だれから聞いたのかは申しあげられません」
「言えば、私からジェルヴェーズに伝わり、その者に危険が及ぶと?」
問われたものの、グレースは返答を避けて穏やかな口調で話を続ける。
「五月祭の折りに体調を崩したのも、ジェルヴェーズがレオンに薬を盛ったせいだと」
「作り話ではないのだろうな?」
「少なくとも今回、ジェルヴェーズがレオンに手を上げようとしたのは、事実なのですから」
エルネストは顎に手をあて、考え込む顔つきになる。
「それでレオンを西方の視察に、ということか」
「ジェルヴェーズが王位継承に関して不安を感じていること、さらに、そのせいで心に負担があることは承知しております。けれど、だからといってレオンに危害を加えていいわけではありません」
やりすぎだとはエルネストも感じるところらしい。難しい顔つきで唸る。
「特に年が明けてから、ジェルヴェーズは気が立っているように感じられます。気持ちが落ち着くまで少し二人を離すことも必要かと思うのです」
気が立っている理由を知っているエルネストは、ややバツのわるい面持ちでグレースから視線を逸らした。
「私たちの大切な二人の子供たちを守るためです。考えておいていただけますか?」
「……わかった」
「感謝いたします。それと……陛下からジェルヴェーズに強くおっしゃられますと、逆に気を害される気がいたします。あの子はそういうことにとても敏感ですから。わたくしのほうからジェルヴェーズには話をしますので、陛下にはレオンの安全を確保したうえで、子供たちの様子を見守っていただければ幸いです」
「考えておくゆえ、そなたはもう下がっていい」
口数少ないエルネストをまえに、束の間グレースはわずかに表情の揺らぎを見せる。ドレスの端をつまんで丁寧に挨拶し、グレースは王の私室を辞した。
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華やかな音楽と人々の笑声が、暗く淀んだ冬空に舞い昇る。
サン・オーヴァンの街は真冬とは思えぬ活気に満ちていた。
「わあ……すごいですね」
ベルリオーズ領シャサーヌの華やかさに慣れているアベルでさえ、王都の新年の活気には驚かされる。
「寒いのに、こんなに人が集まるなんて」
驚くアベルの横で、リオネルは柔らかく相槌を打った。
「さすがに王都は人が多い。加えて、各国からの旅人も大勢集まっていると思うよ」
「こんなに賑やかだと、本当に冬が飛んでいってしまいそうです」
アベルの言葉にリオネルは笑う。
「〝春待ちの宴〟だから?」
「本当に春が来るかもしれません」
真面目に言うアベルに、今度のリオネルは声を立てて笑った。
「そうだね、明日から花が咲くかな」
「咲いたら嬉しいですね」
アベルがリオネルへ笑いかければ、甘く愛おしげな眼差しが降ってくる。その眼差しに、ふとアベルは我に返ってどきりとした。
途端に顔が赤くなるのを隠すために、アベルは顔を背ける。
「あの――、今日は連れてきてくださって、ありがとうございます」
誤魔化すためにアベルは言葉をつむいだ。
「イシャスのお土産を探す約束をしていたから。それに、おれもずっとアベルといっしょに来たかったんだ」
素直な気持ちを伝えてくるリオネルに、アベルは戸惑う。
「ディ、ディルク様とレオン殿下は大丈夫でしょうか?」
広場に着いて早々、あまりの人の多さに彼らとはぐれてしまっていた。それからしばらく経つが再会できそうな気配はない。
「そのうちまた会えるかもしれないし、もし会えなくとも、館に戻れば落ち合えるから平気だよ」
「そ、そうですよね」
先程から影のように身を潜めているが、ベルトランもまたアベルやリオネルといっしょである。この人混みで、気配を消しつつリオネルを見失わないというのはさすがだ。
ディルクとレオンには、マチアスがついているはずである。
「踊りにいく? それとも、イシャスのお土産を見にいく?」
街の広場では、恋人がいる者は恋人同士で、相手のない者はそれぞれ好きなように踊っている。音楽に合わせて飛びはね、くるくると回る人々は皆楽しげだ。
踊ってみたい気もしたが、リオネルのまえで踊るのは気恥かしい。
それも、アベルは従騎士の姿だ。女性の振付を踊ればいいのか、それとも男性のほうを踊ればいいのかもわからなかった。
「えっと……、とりあえずお土産を探しに――」
「踊ろうか」
「えっ?」
驚いてアベルはリオネルを見上げる。
「せっかくだから、少し踊ろうよ」
「わたしは……男性のほうの踊り方は知りませんし」
「大丈夫だよ、簡単だ」
ほら、と手を引っ張られて、アベルは広間の中央へ。やや呆れた面持ちのベルトランがついてくる。彼は絶対に踊りそうになかった。
「別に男だからとか、女だからとかで踊りが決まっているわけじゃない。好きなように踊ればいいんだ。皆で春を待つお祭りなんだから、性別も身分も立場も職業も年も関係ない。おれもここではただのひとりの人間だよ」
身分も、立場も、職業も、年も関係ない……ならば。
「あ、あの――」
聞こえなかったようで、リオネルが顔を寄せる。
「ん?」
歌声と笑い声のなかで、アベルは声を張り上げる。
「あ、あのっ」
張り上げたはいいが、肝心なことを言いだせない。
「どうかした?」
「その……」
やや心配そうな面持ちでリオネルがこちらを見下ろしている。
「踊るのはいやか?」
「いえ……そうではなく、その、なんというか――仕立屋を、探してもいいですか?」
「仕立屋?」
リオネルが怪訝な顔になる。
「えっと、この服では踊りにくいので、別の服を借りようかと……」
自分がどうしてそんなことを言いだしたのか、アベル自身にもわからなかった。いや、リオネルの言葉がきっかけではあったのだが、なにを口走っているのかは自分でも理解しきれない。
ただひとえに胸に沸き上がる衝動のために、アベルはそれを思いついただけだ。
自分自身に戸惑いつつも、一度口について出た言葉は、今更引っ込めることもできない。
「そう?」
不思議そうな面持ちながらも、リオネルがうなずく。
「好きな服に着替えてきたらいいよ。待っているから」
話は引き返せないところまできてしまい、リオネルとベルトランを店の入り口で待たせて、アベルはそばにあった仕立屋に入ることになった。
こんなことをするなんて、自分でもおかしいと思う。
男として生きると決めたのに……これからもそうやって生きると誓ったのに。
アベルは着てきた服を担保にして、簡素なドレスを一枚借りた。街の娘たちが普段着ているような、実に変哲のない薄紫色のドレスだ。
後ろで結んでいた髪を下ろし、無造作に肩にかからせる。
従騎士の姿だったアベルが、普通の少女になったのだから店の女主人は驚いたものの、アベルの姿を見て素直に感嘆のため息をついた。
「あんた綺麗だねえ」
鏡のまえに立っていたのは、緊張しきった顔つきの見慣れぬ少女だ。
馬鹿みたいだと思う。
鏡のなかに立つ不安げな少女を見て、ようやくアベルは気がつく。
リオネルと踊りたい。――女性として。
気がつけば、彼のことを異性として意識しはじめている。
どうしようもないほど、好きになってしまっている自分がいた。
そう、きっと長いこと押しこめていたのは、立場や、フェリシエの存在や、男の姿でいる自分への劣等感があったからだ。
いつからかは、わからない。今でも、感情の種類に自信があるわけではない。
けれど、けれど長いことその感情は、主君に対する盲目的な忠誠心と隣合わせに存在していた。
そして、リオネルに対する小さな思いに気づいたときから、女性としての自分が、たしかに己のうちにある。
鏡に映るのは、男として生きることを決意したアベルではなく、恋しい人と共にいたいと純粋に願うひとりの少女だ。
アベルは泣きだしたい気持ちになる。
女性としてリオネルの隣に立てるわけがないのに。
けれど、強い衝動に駆られたのは、リオネルが言ったからだ。……皆で春を待ちわびるお祭りなんだから、性別も身分も立場も職業も年も関係ないと。
自分も、ここではただのひとりの人間だと。
アベルもそうありたかった。
今この瞬間だけでも、ただひとりの――リオネルに深い想いを寄せる、平凡な少女に。
言葉で伝えることが許されなくとも、せめて娘の姿で……。
そう願ったが、それでも怖い。
急にこんな格好で現れたら、リオネルはなんと言うだろう。
このまま服を脱ぎ捨て、もとの服に着替えなおしたい衝動に駆られた。そもそも、着替えた理由を聞かれたらどうすればいいのか。好きだから、とでも自分は伝えるつもりなのだろうか。
なんて馬鹿なんだろう。
どうしようもない馬鹿だ。
「もう脱ぐのかい? せっかく着たのに」
「……なんだか似合わないので」
脱ごうとするアベルの手を、女主人が押さえて制する。
「なに言ってんだい。似合ってるよ。ちょっと、せっかくだから踊っておいで。今日一日貸してやるから。はい、行った行った」
「え、あ――ちょっ……」
恰幅のいい女主人に着替え室から勢いよく追い出されて、アベルは待っていたリオネルとベルトランのまえへ。
驚いた瞳がこちらへ向けられていた。