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王宮内を探して回った結果、カミーユを見つけることができたのは、騎士の間においてだった。
声をかけたとき、カミーユはリオネルの周囲にベルトランしかいないのをみとめて、明らかに落胆の面持ちになった。
大勢の人がいるなかで話をするわけにはいかないので、リオネルはノエルに断りを入れ、とりあえずカミーユを連れて騎士館へ向かった。
騎士館の窓の外から、騎士らが鍛錬場で剣を撃ち交わす音が聞こえてくる。
シュザンが見守るなか、リオネルはカミーユと向かい合う。
カミーユは軽くうつむいたまま、温かい蜂蜜酒にも手をつけようとはしなかった。
「手紙でも伝えたとおり、きみの姉君はおれのところにいる。そのことを直接話したかったんだ」
「姉さんは元気ですか」
ようやくカミーユは視線を上げ、小さな声を口にした。
「ああ、元気だ。今朝もいっしょに食事をしてきたよ」
するとすぐにまた目を伏せ、カミーユは逡巡する様子を見せる。
「あの……、姉を助けていただき、ありがとうございました」
リオネルが驚いたのは、まさか礼を言われるとは思っていなかったからだ。この少年なりにいろいろと考えたのだということが伝わってくる。
「心から感謝しています。三年前に姉を救ってくださったことも含めて、あらためてお礼を言わなければと思っています。けれど……このまま姉さんが貴方のもとにいることに、納得したわけではありません」
「おれは、この先ずっと彼女を守っていきたいと思っている」
静かに思いを告げれば、カミーユが難しい表情で顔を上げた。
「リオネル様の気持ちは以前にも聞きました。けれど……結婚はできないでしょう?」
「え?」
カミーユの問いは単刀直入だった。
「姉さんのことを好きだといっても、いずれ他の女性を正妻に迎えることになるのではありませんか?」
「…………」
「貴方はベルリオーズ家の嫡男です。そのうえ王家の血を引いてる。姉さんをお嫁に迎えることの厳しさは私でもわかります」
ああ、そうだったとリオネルは思い至る。
アベルもそうだが、カミーユもまた同じようにまっすぐな性格なのだ。かつてディルクへもそうしたように、カミーユはいつだって相手に率直な意見を伝える。
こうして気持ちをぶつけてくれることは、リオネルにとってはありがたいことだった。カミーユの思っていることを知ることができるからだ。
不安をぶつけたカミーユは、絶対に言いくるめられてなるものかという強い眼差しで、リオネルを真正面から見つめていた。
そのカミーユへ、リオネルはさらりと告げる。
「彼女が受け入れてくれるなら、おれはアベルを正式に妻にしたいと思っている」
カミーユだけではなく、やりとりを見守っていたシュザンまでもが息を呑む気配があった。
「……あ、愛人?」
思わず漏れたらしいカミーユの心の声に、リオネルは内心で苦笑しつつ、首を横に振ってみせる。
「言っただろう、正式にと」
「ベルリオーズ家の公爵夫人に……?」
「そういうことになるだろうね」
「周囲から反対されます」
「どんな苦労でも、彼女といっしょにいるためなら厭わないよ」
じっとリオネルを見つめるカミーユの瞳には、真意を測ろうとする色が垣間見えた。
「口で言うのは容易いけど……」
「容易いけれど?」
「あなたが一番わかっているのではないですか?」
「二人なら乗り越えられると思うのは、おれの甘さだろうか」
カミーユは難しい面持ちのまま黙りこんだ。
「もちろん彼女が受け入れてくれたら、というのが大前提だ。今のアベルは少しもおれを男としては見てくれていないからね」
あたりまえだ、という眼差しをよこしてくるカミーユへ、リオネルは不敵に笑ってみせる。
「けれどもし、彼女がおれの気持ちを受け入れてくれる日がきたら、そのときには、あらためてきみに婚姻の許しを請うから」
ぜ……っ、とカミーユは言った。
なんのことかと思えば、
「絶対に……!」
と我に返ったように、カミーユは声を張り上げて叫ぶ。
「私がデュノア家を継いだ際には、絶対に……姉を返していただきます!」
リオネルは微笑する。
「彼女を想う気持ちは、きみに負けないつもりだよ」
「意外と意地悪なんですね」
「近ごろ、よく言われる」
沈黙が降り落ちる。
カミーユはなにか見定めようとするように、しばしのあいだリネルを見つめ、それからふと力を抜いたように見えた直後には、頭を下げていた。
「……いつか私がデュノア家を継ぐ日まで、姉をよろしくお願いします、リオネル様」
「もちろんだ」
「そのあいだに、姉さんを再び傷つけるようなことがあれば、私が貴方をぶん殴りますから」
カミーユの台詞に、これまで影のように存在感を消していた赤毛の用心棒が、ふと鋭利な空気をまとう。シュザンはむろんそのことに気づいていたが、カミーユは気づいているのかいないのか平然としている。
「覚悟しておくよ」
リオネルの台詞に、カミーユはみるみる不機嫌な面持ちを濃くした。
「私は本気です」
ベルトランがまとう空気がますます冷たい。
「大丈夫だ、アベルを傷つけるようなことは絶対にしない」
穏やかにそう告げれば、カミーユはぷいっと視線を逸らした。それから少しだけうつむき、その勢いで再び頭を下げる。
「……ありがとうございます、リオネル様」
小さな声だが、それはカミーユの心からの感謝だった。
「大切な姉を、どうかよろしくお願いします」
「命をかけて守るよ」
最後にもう一度「ありがとうございます」と言ったカミーユの声は、わずかに震えていた。
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今は止んでいるものの、幾日も雪が降り続いた街は純白に染まっている。
雪深い道だが、よく訓練されたリオネルとベルトランの愛馬たちは、意に介する様子もなく軽快に駆けていた。
「いずれ……」
リオネルがつぶやいたので、ベルトランはちらとそちらへ視線を向ける。
「デュノア伯爵に会ってみたいと思う」
「なんのために」
尋ねるベルトランの声は苦い。
デュノア伯爵家は、歴史的にアベラール侯爵家と懇意にしてきた家だが、ブレーズ家の令嬢が嫁いで以来国王派寄りの立場にある。加えてデュノア伯爵は、婚約を破棄されたアベルを館から追い出した父親だ。
「仲のいい姉弟だったのだろうと思って」
「それとなんの関係があるんだ?」
「……やっぱりやめておくよ」
リオネルの思考回路が読み切れず、ベルトランは沈黙した。
「どのような人物なのか、この目で確かめたいと思ったけど、やはりアベルを追い出した父親だ。会ったら、とても穏やかな気持ちではいられないだろうから、やめておく」
「そのほうがいい」
ぼそりとベルトランは答える。
「まだ十二、三歳の娘が妊娠させられ、そのうえ婚約を破棄されて辛い目に遭っていたというのに、冬を目前にして身ひとつで追い出したんだ。人間のすることじゃない」
血が通っている人間とは思えない冷酷さだ。
「娘が、かわいくないのだろうか」
リオネルの口からこぼれた疑問に、ベルトランは淡々と答えた。
「世のなかには様々な人間がいる。なかには、おれたちの想像が及ばないようなやつも」
「そうだね」
会話が途切れ、しばらくまた黙って馬を駆けていたリオネルだが、またふと独り言のように言う。
「きっとアベルは、デュノア邸でもお転婆だったのだろうね」
そう、アベルは出会ったときから乗馬が抜群にうまく、剣もなかなかの腕前だった。デュノア邸にいたころ、ドレス姿で馬を乗り回し、あの細腕で剣を振りまわしていたのだろう。
「手に負えないお転婆だっただろうな」
「貴族の令嬢でそんな子がいるとはね」
「デュノア伯爵は頭が固そうだから、随分とアベルもお転婆をやるのに苦労しただろう」
本当だね、とつぶやくリオネルの横顔に憂いがよぎる。
「目に浮かぶようだよ」
「そのお転婆娘が館を追い出されて、正真正銘の野生になったということだ」
「野生、ね」
苦い口調でつぶやくリオネルへ、ベルトランは視線を投げかけた。
「野生の鳥は、鳥籠に入れると死んでしまうのを知っているか」
突然の話の転換にややついていけず、リオネルはかすかに眉をひそめる。
「……知らないけど、わかる気はする」
「雛が巣から落ちていたとして、かわいそうだからと連れ帰ると、雛は人間から与えられたものは餌さえ口にしないこともあるそうだ。そのまま弱り果てて死んでいく」
「助けてあげようと思ったのが、かえって命取りになると?」
確認するリオネルへ、そうだ、とベルトランはうなずく。
「おそらくアベルもそうだ。もう彼女は、貴族の館で飼われていた金の小鳥ではない」
「どういう意味だ?」
「安全な籠に閉じこめ、そばに置いて飼い慣らすことはできないだろうということだ」
ベルトランの言葉に、リオネルは瞼を伏せた。
「けれど、アベルはおれたちのそばにいてくれている」
「彼女の意志でそこに留まるのと、籠のなかで飼い慣らすことは違う。すでにあの子は自分を貴族令嬢とは思っていない。おまえに仕えることでしか、自分自身の存在価値を見出すことのできない、根なし草だ」
「ならばどうしたらいい? 外界は危険にあふれて、とてもではないが小鳥を籠の外へ出したくない」
「いざというときには、自由にしてやることだ。無理に引きとめれば、さえずらなくなるどころか、籠の中で死なせることになる」
残酷な言葉だった。
「それがアベルのためだと?」
「おまえのためでもある」
それからリオネルは、館に帰り着くまでずっと黙りこんでいた。
単調なシーンが続いているので、今週はもう一話更新しました。
いつも誤字脱字報告をいただき、ありがとうございます。感謝ですm(_ _)m yuuHi