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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~
423/513

36










 皆が寝静まった夜。


 連日のように宴が催される王宮も、ようやく静けさを取り戻したころ。

 窓辺に寄り掛かって酔いを醒ます若者のもとへ、近づく影があった。


「このような時分におひとりとは、不用心ではございませんか、殿下」


 殿下と呼ばれた若者は、胡散臭げに顔を影のほうへ向ける。暗がりから現れたのは、祭服をまとった、糸杉のごとく細く背の高い男。


「酔い覚ましだ」


 素っ気なく答えるジェルヴェーズへ、ガイヤールは微笑する。


「さほど酔っているようにはお見受けしませんが」

「なにが言いたい? 私を殺しにでもきたか、ガイヤール」


 きわどい冗談にガイヤールは微笑した。


「殿下のお命を奪うくらいなら、自ら命を絶つことを選びます」

「それで? おべっか・・・・を言うために私に声をかけたのか?」

「今宵は機嫌があまりよろしくないご様子」

「おまえに関係のないことだ」

「……余計なことを口にいたしました。お赦しください」


 いつもに増して機嫌の悪いジェルヴェーズだが、その理由をガイヤールに話すつもりはないようだった。けれど。


「昨日、リオネル様と喧嘩をなさったとか」


 懲りずに、静かな調子で再び切り出すガイヤールを、ジェルヴェーズは目を細めて苛立たしげに見やる。


「話が広まるのは早いな、それとも神に近いとすべての話が聞こえてくるのか?」

「王妃様が案じておられました」


 母親であるグレースの名を出されて、ジェルヴェーズは口をつぐんだ。


「喧嘩などするくらいなら、いっそリオネル様を刺してしまえばよろしかったものを」


 ガイヤールの声が、静寂のなかに低く怪しく響く。ふんとジェルヴェーズは鼻を鳴らした。


「そのときには、王弟派をどう鎮めるのだ?」

「刺してしまえばこちらのもの、犯人など後から仕立てあげればよいのです。賊に襲われたことにすれば、王弟派もさほど騒ぎ立てたりはしません」

「レオンが見ていた」

「ひとり刺すのも二人刺すのも同じことでしょう?」


 ジェルヴェーズは冷ややかな眼差しを、ゆっくりとガイヤールへ向ける。


「――レオンも同じく殺してしまえと?」

「平和を守ることは、為政者としての務めです」


 しばらくガイヤールを見つめていたものの、ジェルヴェーズは視線をもとに戻し、冷ややかに笑った。


「暇そうだな、ガイヤール。暇すぎて、余計なことを口走るようになったか」

「そうかもしれません。今は私の代わりに、神前試合の挑戦者たちが〝死の祈り〟を捧げてくれているので」

「おまえも〝死の祈り〟をしてみたらどうだ? 少しは神に近づけるかもしれないぞ」

「ええ、この地位に至るまで私は〝死の祈り〟の倍の日数、祈りを捧げたことがあります。私はシャルムでもっとも神に近いところにいるのですよ」

「よく死ななかったな。それともここにいる貴様は亡者か」


 さあどうでしょう、と曖昧に答えるガイヤールに、ジェルヴェーズは「気味の悪い男だな」と口端を歪める。


「死んだに等しいほどの修行をしてきました。一度死んだ者は、怖いものがございません」

「なるほど、それで? おまえに怖いものがないのはわかったが、私と無駄話を続けてなにが目的だ」

「〝死の祈り〟に、神が満足されておられないのですよ」


 ジェルヴェーズは意味が分からぬという顔になって、ガイヤールを見返す。


「ひとり、足りないのです」


 少し考えてから、ジェルヴェーズは先程と同じ表情をガイヤールへ向け直した。


「シュザンに殺されたという最後の挑戦者のことか」

「ご存知でしたか」


 ジェルヴェーズは測るような面持ちになる。


「なにが言いたい?」

「シュザン様に殺されたかどうか――本当に少年が死んだかどうか、私は見届けておりません」

「なぜだ、遺体はどうなった」

「シュザン様は、最後の挑戦者を貫いた後、その者を連れ帰りました。そしてけっして私にその者を引き渡そうとはしません」


 ジェルヴェーズはなにか思い至る面持ちになる。


「その少年はまだ生きていると?」

「幼い者ゆえ、シュザン様が温情をおかけになったのかもしれません。けれどそれは神々の意に反することです」


 皮肉っぽく声を立ててジェルヴェーズは笑った。


「私に少年を取り返してきてほしいと、そういうことか」

「殿下以外に、頼る方がおりませんでした」

「なるほど、父上ならシュザンをかばうだろうな」

「お力を貸していただけないでしょうか」


 おもしろいではないか、とジェルヴェーズは口端を吊り上げる。


「シュザンはまえから目障りだった。ここで不正を暴き、隊長の座から引きずり下ろすのも一興だ。……ジョスラン、オディロン!」


 大声で叫べば、どこからともなく屈強な近衛兵が姿を現す。ガイヤールは驚いた様子もなく微笑で近衛兵である二人を見やった。


「騎士館へ向かう」


 つかつかと歩み始めるジェルヴェーズに、近衛兵二人は無言で従う。

 その後ろ姿を、ガイヤールはきっちりと一礼しながら見送った。






+++






 寝静まった深夜の騎士館に、慌ただしい足音が響く。一室へ辿りついた若い騎士は慌てた様子でひと息に告げた。


「シュザン様、夜分に失礼いたします!」


 すぐに開いた扉から顔をだしたのは、夜着姿のシュザンだ。眠っていたはずだが、それを感じさせない顔つきである。


「どうした、レイモン」

「ジェルヴェーズ殿下が、騎士館へおいでになりました!」

「殿下が?」


 シュザンは驚きの色をたたえると、瞬時に考えを巡らせる。なぜ、ジェルヴェーズがここへ――。

 けれどその答えは、続いて発せられたレイモンの言葉ですぐにはっきりした。


「殿下は、隊長と話す必要はないと申され、医務室のほうへ向かわれました」

「――探しにきたのか」


 つぶやいたときにはすでにシュザンは走りだしている。


「私は殿下のところへ向かう。できるかぎり時間を稼ぐから、レイモンおまえは客人の滞在している部屋へ行き、すぐにここを脱出するよう伝えなさい」

「客人とは、例の……」

「そう、最後の挑戦者だ」


 騎士へ告げてシュザンは駆けだす。医務室へ辿りついたとき、なかに挑戦者の姿がないと知ったジェルヴェーズが、ちょうど部屋から出てくるところだった。


「殿下――」

「ああ、シュザンか。正騎士隊の隊長がそのような薄着で、短剣しか携えていないとは不用心だな」


 近衛兵を引き連れたジェルヴェーズの口元に、冷ややかな微笑がかすめる。


「このような格好で失礼いたしました。来訪を存じていたらお迎えする準備をしていたのですが」


 寝台で休んでいたのだから仕方がないが、シュザンは謝罪した。


「それでは意味がない」

「意味がないとは」

「生き残った挑戦者は、死の祈りをしなければならない。知っているだろう?」

「むろんです」


 測る目つきでジェルヴェーズはシュザンを見やる。


「そなたが匿っている挑戦者を連れ戻しにきたのだ。事前に告げて、挑戦者を隠されたら困る」

「最後の挑戦者なら、すでに死んでおります」

「その類の言い訳なら聞き飽きている。――この館には客人用の部屋があったな」

「殿下――」


 呼び止めたもののジェルヴェーズはすでに歩きだしている。


「客室は何階だ」


 階段へ向かいながら確認するジェルヴェーズへ、近衛兵のジョスランが「五階です」と答える。


「五階へ向かう階段は幾つある?」

「三カ所です」


 迷いもなく答えるジョスランは、近衛のくせに正騎士隊に属する騎士館の構造をよく知っている。


「ジョスラン、オディロン、おまえたちはそれぞれ別の階段で五階へ向かえ。上から降りてくる者がいたら捕らえろ」

「かしこまりました」


 やりかたの巧妙さにはシュザンも舌を巻かざるをえない。これではアベルの逃げ道を完全に絶たれてしまう。


 近衛らと別れて三つの階段のうちのひとつを上るジェルヴェーズのあとを追いながら、シュザンは話を続けた。


「挑戦者の遺体はすでに親族が引きとっています」

「客室にだれかいようとも、それは挑戦者とは別人だと?」

「遺体さえここにはないのですから、挑戦者ではありえないでしょう」


 薄く笑ったもののジェルヴェーズは歩みを止めない。そして五階に辿りつくと、アベルに危機を知らせにいっていたはずのレイモンが、ちょうどアベルの部屋のまえでぎくりとこちらを振り返った。


「こんな時間にうろうろとなにをしている?」


 ジェルヴェーズの鋭い指摘に、シュザンは平然と答える。


「騎士館内を見回っている兵士です」


 嘲るように鼻で笑ってから、客室の扉を手荒に一室ずつ開いていくジェルヴェーズを、もはやシュザンに止められるはずもない。

 レイモンに伝えられたばかりなら、アベルがすでに逃げているとは考えにくい。すがるような思いでレイモンへ視線だけで確認すれば、やはり苦い表情が返ってきた。


 アベルはまだ部屋にいるのだ。


 見つかったときの言い訳を考えているうちに、ジェルヴェーズがアベルの部屋の扉を開く。一瞬動きを止めたジェルヴェーズが、ゆっくりと部屋のなかへ足を踏み入れた。


「殿下……!」


 慌ててあとから部屋に飛び込んだシュザンが見たのは、意外な光景。


 変哲のない部屋は、ジェルヴェーズの他に人気ひとけがない。衣服や武器の類は見当たらず、寝台に乱れもなかった。

 アベルはどこへ……。


 ただ、部屋はわずかに暖かく感じられる。

 ジェルヴェーズが暖炉へ向かったのはそのせいだろう。暖炉に残った薪を手に取り、使用されていた形跡を探すようだった。


「今すぐ暖炉に火を入れろ」

「は?」

「この部屋の暖炉に火を入れろ、今すぐにだ」


 わけのわからない指示を受けて、シュザンは廊下の燭台を外して薪へ火をつける。たちまち煙が上がった。

 そのまましばらく待ったが、なにも起こらない。


「……思い違いか」


 小さくつぶやいてから、ジェルヴェーズは諦めきれぬ様子で窓辺へ寄る。片側のカーテンを跳ね除け、窓を大きく開いて身を乗り出した。揺れる篝火の灯りが騎士館周辺の雪原や木立を照らしているのが見える。人が逃げたような痕跡は残っていなかった。

 苛立たしげに踵を返すと、次の部屋へ移る。


 去っていく後ろ姿に胸を撫で下ろしたシュザンは、密かにジェルヴェーズが開けていない側の窓を閉めた。

 重いカーテンに隠れて見えなかったが、はじめから片側の窓が少しばかり開いていたのだ。

 おそらくここから逃げたのだろう。


 アベルがこの窓から脱出するのは二回目だ。

 前回は、寝台のシーツを伝って途中までは降りているが、今回はなにも使わずに五階のこの場所から飛び降りたに違いない。下は雪が積もっているとはいえ、無事ですまされるとは到底思えない。


 アベルの身を案じたが、今はジェルヴェーズに悟られぬため、シュザンは知らぬふりを演じるしかなかった。








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