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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~
413/513

26








 小麦色の肌に、茶色い髪。

 十三、四歳と思われるほどの背丈に、薄い肩。

 指先などシュザンの半分ほどの太さしかないというのに、しっかりと成人用の長剣を握っている。


 戦い開始の合図が鳴る。


 シュザンは苦い思いで剣を構えた。

 このような子供と剣を交えるなど、まったく本意ではない。馬鹿にしているのではなく、自らの従騎士ほどの年の者に対して、剣を向けたくなどなかった。

 だから、相手を傷つけぬうちに早めに決着をつけるつもりだった。


 けれど。

 合図と共に踏み込んできたのは少年のほうだった。


 長剣の刃で攻撃を受け止め、その思わぬ素早さと技術にシュザンは戸惑う。

 手加減してかかれば、こちらが怪我を負う羽目に陥るだろうことを、シュザンは瞬時に悟った。ますます相手にしづらい挑戦者だ。


 得物を弾き返せば、間髪入れずに攻撃を繰りだされる。

 それは、こちらの命さえ奪おうとするような激しい戦い方。

 五合、六合と剣を撃ち合わせる。


 切れのある少年の剣捌きは実に見事で、シュザンでさえ感嘆するほどだ。それがだれかの戦い方に似ていると思ったが、直後に攻撃を繰りだされて思考を遮られる。


 両者の剣がぶつかりあうたび、客席からは悲鳴と歓声が上がった。


「あの者、なかなかやるではないか」


 エルネストはすっかり見入っている。


「小柄なのに、素晴らしい剣の使い手ですね」


 ルスティーユ公爵も素直に褒めた。


「この様子では、どちらかが血を見ねば決着はするまい」


 少年に実力があるとわかった今、手加減すればシュザンがやられる。シュザンも本気を出さざるをえないことは明らかだ。


「哀れな少年ですな」


 つぶやくルスティーユ公爵の脇で、ガイヤールが静かに笑っていた。







 激しくぶつかり合った剣をかみ合わせ、互いの顔が近づく体勢に持ち込むと、シュザンは少年へ密かに声をかける。


「……名は」


 少年は答えない。が、わずかに表情を動かした。


「私はおまえを傷つけたくない」


 それはシュザンの願いでもあり、懇願でもあった。けれど、少年はシュザンを見つめ、それからそっと笑う。その笑みが、哀しく儚げであると見てとるうちに、 


「声も、優しいところも、そっくりです」


 静かに少年はそう告げると、噛み合っていた刃を押し返し、シュザンの頭部へ自由になった得物を薙ぎ払った。

 咄嗟に避ければ、少年の剣がシュザンの耳近くをかすめる。

 観客席からどよめきが上がった。


「…………」


 互いに距離を保ちながら、見つめあう。


 どうやら相手にこちらの思いを汲むつもりがないことを悟り、シュザンはどうすべきか一瞬のうちに逡巡する。その隙にすかさず少年が斬りかかってきた。


 迷いを見せるな、とでも言いたげな激しい一撃に、シュザンは眉をひそめる。

 いつまでたっても本格的な攻撃を仕掛けようとしないシュザンを挑発するかのごとく、年若い挑戦者は激しく攻め立ててくる。


 奥歯を噛みしめ、シュザンは覚悟を決めた。


 剣を受けてばかりだったシュザンが反撃に出たのは、次の瞬間のこと。

 鋭い切り返しを流しながら、少年は後ろへ飛び退く。すると、大きな歓声が響いた。

 この若く優れた挑戦者をシュザンが鮮やかな手並みでもって倒すことを、もはや見物客は待ち切れぬようだ。また一部の市民は、名もない少年が正騎士隊の隊長を破るという展開を期待して、興奮した様子で罵声を飛ばす。


 競技場は、これまでの戦いとは異なる熱気に包まれた。


「すごい盛り上がりようですね……」


 雰囲気に気圧されつつ、カミーユは小声でノエルに言う。


「今年は思いがけない展開だからな」


 正騎士隊の隊長がリヴァルになったことも珍事であれば、このような幼い挑戦者が競技場に立つのも初めてことである。


「どちらが負けても残酷です」


 つぶやくカミーユを無言で見やってから、ノエルは静かにつぶやいた。


「その残酷さを受け入れられなければ、剣を握ることはできない」


 師の言葉の厳しさに、カミーユはうつむく。


 シュザンが本気を見せはじめると、少年は攻撃を受け止め踏みとどまるには力が足りず、すこしずつ押されて競技場の隅まで追いやられる。

 所詮これまでかと野次が飛んだものの、すぐに少年はするりと身を交わし、再び競技場の中心まで戻って体勢を整えた。

 観客は大いに沸き、いっそうの盛り上がりを見せる。


 シュザンからの攻撃を待たず、少年は相手の懐へ飛びこんでいった。捨て身とも思える無謀な戦い方だからこそ、シュザンでさえ容易にかわすことができない。

 容赦なく振り下ろされた剣を、シュザンが正面から受け止め、両者は間近で視線を絡ませた。


 シュザンは戦いながら薄々気づき始めていたが、近くでみればいっそうはっきりとわかる。

 小麦色の肌とそばかすに隠されているが、少年は美しい顔立ちをしている。淡い水色の瞳は強い闘志を秘めているが、その奥にはなにか底知れぬ感情を宿しているようだった。


「私が、だれに似ていると?」


 シュザンの質問に少年は瞼を伏せ、それから眼差しを上げたときには、首筋から胴にかけてをがら空きにしてまで剣を掲げ、再びシュザンへ向けて致命傷を与えかねない攻撃を仕掛けてくる。

 シュザンが自身を守れば再び剣がかみ合うことになるが、もし少年の隙だらけになった胸元へ剣を下ろせば、下手すれば相撃ちになる。


 危険で、無謀で、自分にも相手にも容赦のない少年の戦い方。


「なぜ死に急ぐ」


 剣を受け止めながら尋ねるも、少年はもうなにも話す気はないようだった。

 自らの身を守ろうとする気配もなく、少年はシュザンに襲いかかる。持てる力のかぎりで戦い、命を燃やし尽くそうとしているかのように。


 が、そのときふと少年の視線が、観客席の一席へ吸い寄せられる。


 集中力という意味では、けっして隙を見せなかったこの少年にしては珍しい。その隙にシュザンが一撃を加えれば、少年の肩に鮮やかな血が散った。


 残酷なことをしている自覚が、シュザンにはある。だが、相手がこちらの命を狙っている以上はしかたのないことだ。それが、剣を握る者の覚悟。


 すぐに視線をシュザンへ戻すと、少年は一歩下がりながら肩を押さえた。


 観客席が沸き、野次が飛び交う。

 その一席で、カミーユは顔色を変えていた。


 これだけの距離があっても、カミーユにははっきりと見えた。

 挑戦者の少年の視線が、カミーユへ向けられたことを。

 そしてその眼差し。

 その瞳の色。

 見間違えるわけがない。

 どれほど姿が変わり果てていても、わかる。

 その人のことを、ひとときだって忘れたことはなかった。


 ……けれどこちらへ視線を向けたせいで、次の瞬間には彼女・・の肩が血に染まる。


 片手で胸を押さえながら、カミーユはノエルにしがみついた。


「叔父上……っ」

「どうした、カミーユ」


 ノエルが怪訝な様子でカミーユを見下ろす。


「この試合――やめさせてください!」

「え?」

「お願いです、この試合を止めてください!」

「神前試合は、勝負がつくまで何者にも中断させることはできない。たとえ、陛下であってもだ」


 カミーユは服にしがみついたまま、すがる眼差しでノエルを見上げる。


「……大切な人なんです」

「なんの話だ」

「あの人は、姉です、あの挑戦者の少年は、姉のシャンティなんです!」


 さすがのノエルでさえ、咄嗟に言葉が出ないようだった。が、それにもかまわずカミーユは続ける。


「このままでは死んじゃう。お願いです、試合を――」

「あの少年が、シャンティ殿……? まさか」

「姉さんは、死んだんじゃない。池に落ちてなんかない。父さんに館を追い出されたんだ。姉さんは生きてる。生きて、あの競技場で戦ってる。でも、怪我を負って、このままじゃ死んじゃう」


 喧騒の中では、カミーユの声もノエルが聞きとれるぎりぎりのところ。訴えている途中ではたとカミーユはなにか気づいた様子で、話すのをやめ、立ち上がった。


「カミーユ!」


 慌ててノエルが甥の身体を引きずり下ろすと、カミーユは暴れた。


「放してください! 姉さんを助けに行きますッ」

「ここで競技場へ出ていけば罰せられる!」

「このままじゃ、姉さんが――」


 話している今も無茶な戦い方でシュザンに挑むシャンティは、少しずつ身体に傷を負い、血に染まりはじめている。


「わかった、できる限りのことはする。だからおまえはここに座っていなさい」


 そう言うと、ノエルは剣吊り帯びについていた飾りをひとつ剥ぎ取り、狙いを定めて競技場へ投げつけた。


 興奮状態の観客らはだれも気づいてはいなかったが、ノエルの投げた飾りは、まさに少年の身体を斬り裂く寸前だったシュザンの右手首に当たった。

 シュザンがはっとして動きを止め、客席を見上げる。

 すぐにシュザンとノエルの視線がぶつかるが、この妨害にどのような意味があるのかまではシュザンにはわかるはずもなかった。


 余所見よそみをした隙をついて、少年がシュザンの懐へ飛び込んでくる。

 やられる、と一瞬のうちに身の危機を悟り、シュザンが力の限りで相手の剣を跳ね除ければ、少年の長剣は折れ、三分の一ほどを残して先端が競技場の隅へ飛んでいった。


 客席が静まり返る。


 それから我に返った観客のなかから、止めを刺せという声がぽつぽつと上がりはじめ、しまいには残酷なまでの大合唱となる。


 少年は折れた剣を見つめ、そして止めを刺せぬままでいるシュザンへかすかに笑いかけると、三分の一になった刃を自らの細い喉元に押しあてた。


 すっと滑りはじめる刃。


 カミーユが観客席から手を伸ばす。


 その瞬間、時が止まったように、観客席も競技場も静寂に包まれる。


 けれど、静止していた世界に時間を戻したのはシュザンだった。

 はじかれたようにシュザンは動き、自らの長剣を突きたてる仕種で、少年の身体を抱え込む。その瞬間に意識を失くして倒れこんだ少年の身体は、傍からは、シュザンが少年に止めを刺したかのように見えたはずだ。


 カミーユが絶叫するが、再び動きだした世界のなか、大歓声のなかでそれはかき消される。



 国王へ一礼し、シュザンは倒れた少年を抱えて競技場を去った。






+++






 かつてないほどに盛り上がった神前試合も終わり、長閑なはずの昼下がり。休息を終えたディルクは、マチアスと共に再びアベルを探しに出ていた。


 強情に休もうとしないリオネルを、ほんの一瞬でいいからとなだめすかして、なんとか館へ戻したのはしばらくまえのこと。ベルトランがなんとかしてリオネルを眠らせたに違いない。その方法は、想像すると恐ろしいので、ディルクは考えないことにしていた。


 街のそとまで範囲を広げて捜索していたリオネルのあとを引き継ぎ、ディルクとマチアスはサン・オーヴァン周辺を探し回っていたが、いっこうに手掛かりはつかめず、しかたなく昼過ぎになって街なかへ戻ってきた。

 すると、今年は最高の余興だったらしいと、街中の話題はすでに神前試合で持ちきりになっているではないか。


 なんでも、最初の八人は見るからに強そうな猛者だったが、シュザンのまえでは刃が立たなかったらしい。


「ところが、最後の挑戦者がすごかった」


 試合を見にいった男が、食堂の中央で周囲に話して聞かせている。偶然居合わせたディルクとマチアスはそれを聞くともなく聞いていた。


「見た目はまるきり子供だ。だが、それがとんでもなく強い。まるで鬼神のように激しく斬りかかるんだが、それでいてシュザン・トゥールヴィル様に負けないくらいの綺麗な立ち回りなんだぜ」

「見たかったなあ!」

「だから、いっしょに行こうと誘ったのに」

「あそこは人が集まりすぎて、面倒なんだよ。席が用意されてる貴族様がたはいいだろうけどよ」

「いや、今日のは見にいくべきだったぜ」

「それで試合はどうなったんだ?」

「ああ、それでな――」


 続きを口にしかけた男は、突如口を挟んで質問してきた者の顔を見て、はたと怪訝な面持ちになる。


「だれだ、おまえ」

「通りすがりの者だ。その話に興味があるから聞かせてくれ」


 胡散臭そうにディルクを眺める男に、マチアスが銅貨を数枚持たせる。金に目を落とすと、男は口笛を吹いた。


「教えてください、その挑戦者はどのような容姿でしたか」

「顔は遠くて見えなかった」

「特徴は?」

「別に変哲のない茶色い髪の、細っこい子供で、肩なんかこう折れそうなほど薄っぺらかったな。ありゃ、十三、四歳ってとこだろう」

「肌の色は?」

「少し日焼けした感じだったな」

「試合はどうなったのです?」


 尋ねるマチアスの声には焦りが滲む。


「いや、あれはなかなかいい試合だったぜ。緊張感が半端なくてな、最初は隊長殿も遠慮していたようで少年のほうが攻め立てていたが、後半で隊長殿も吹っ切れたのか攻勢に出て、そりゃ目が離せなかった」

「それで、結果は?」


 男が顎をしゃくって、マチアスの懐へ視線を向ける。するとディルクが男の胸倉を掴み上げて、不機嫌に言い放った。


「おい、調子に乗るな。さっさと言え」

「あと五枚」

「マチアス行くぞ。他で聞けばいい話だ」


 掴んでいた相手の服を放して、ディルクはさっさと店を出ようとする。が、それを見て慌てた男へ、マチアスはさらに二枚の銅貨を放る。


「マチアス!」


 ディルクの抗議を無視して、マチアスは男へ詰め寄った。


「これでいいでしょう。それで、少年はどうなりました?」


 男は鼻を鳴らす。


「しょうがないな、教えてやるよ。挑戦者が負けたよ。あちこち怪我だらけになって、最後には剣を折られてな。そのあとは隊長殿の剣で挑戦者の身体が貫かれたように見えた」

「死んだのですか」


 マチアスの声が強張る。


「だろうな」

「生きている可能性も?」

「そんなことおれにはわからねえ。最後にはシュザン・トゥールヴィル様が抱えていったから、あんたらが貴族なら、直接尋ねてみればいいんじゃないか?」


 もういいだろ、と銅貨をしまう男に、すでにマチアスもディルクも関心を失っている。

 今は、挑戦者のことで頭がいっぱいだった。


「挑戦者はアベルか」


 ディルクが苦い声でつぶやく。


「その可能性も否めません」

「シュザンのところへ行こう」

「行くならリオネル様もいっしょのほうがいいでしょう」

「アベルだったとしたら、大変なことだ。今すぐ確かめなければ」

「ええ、今すぐ行きます」


 マチアスの返答にディルクは眉を寄せる。


「せっかく休んだリオネルを起こすか?」

「とりあえずベルリオーズ家別邸へ行き、お目覚めになるのを待ちましょう。リオネル様のことですから、長くは眠らないはずです。お気づきなったら、全員で向かうのがいいかと思います」


 ディルクは押し黙った。

 もしシュザンに倒された挑戦者がアベルだったら……もし、アベルが死んでいたりでもすれば……、と悪い考えが駆け巡って居ても立ってもいられない。


「アベルだったのかどうか確かめるだけでもいい、今すぐ行きたい」

「万が一にでもアベル殿だったらどうするのです?」

「それは……」

「もしあの方が亡くなられていたらどうするのです?」

「変なことを言うのはやめろ」

「アベル殿はお二人にとってかけがえのない方です。ディルク様とリオネル様はごいっしょのほうがいいとは思われませんか」


 黙っているディルクをマチアスは促す。


「さあ、ベルリオーズ家の館へ向かいましょう。リオネル様がお目覚めになるまで、おそらくあまり時間はありませんよ」


 ディルクは沈痛な面持ちでマチアスに従った。



















いつもお読みくださっている読者様へ


今年最後の更新です。

一年間、ありがとうございました。

どうぞ良いお年をお過ごしくださいね。


Merry Christmas!


yuuHi

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