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すでに王宮門前の広場には大勢の人が集まっている。
中央はリヴァルと挑戦者が剣を交えるのに充分な広さが確保され、その周囲を数え切れぬほどの見物客、さらにその周りを、臨時に組み立てられた貴族専用の見物席が取り囲んでいる。
神前試合は、貴族と市民という異なる階級が共に新年に集い、神に感謝を捧げる重要な祭事。
今年のリヴァルを発表する国王の登場を待ちわびる見物席。
けれどそのとき、ちょうど神前試合の場へ向かう途中だったエルネストのもとへ、予期せぬ報がもたらされていた。
「本日、リオネル・ベルリオーズ様並びにディルク・アベラール様は、すべての行事をご欠席なさるとのこと」
廊下を歩いていたエルネスト、ジェルヴェーズ、ルスティーユ公爵、そしてガイヤールは足を止める。
年明け初日は、王都周辺にいる貴族らは朝から王宮へ足を運び、国王に挨拶するべき日である。
それがリオネルとディルクの姿だけが朝から姿が見えぬために、エルネストは二人の行方を配下の者に調べさせていたのだ。
その結果が、先程の報告だった。
「なにゆえにだ」
怒りの口調でジェルヴェーズが問いただせば、報告にきた兵士は広い肩を縮ませる。
「今しがた王宮にベルリオーズ邸から使いの者が参り、その者によればお二方とも体調を崩されたそうです」
「馬鹿な」
エルネストがそうつぶやいたのは、あながち嘘とも思えなかったからでもある。
というのも、レオンが同じように高熱で倒れている。レオンとリオネル、そしてディルクという、シュザンの教え子であった三人がよくつるんでいることは、エルネストも気づいていた。
その三人がそろって体調を崩すとは。
「三人は共に雪の中で昼寝でもしたのか」
思わずエルネストがそうつぶやきたくなるのもしかたがない。
少なくともレオンの体調不良に関して事情を知るルスティーユ公爵は、内面の焦りを隠して、曖昧に首を傾げざるをえない。一方、計画を台無しにされつつあるジェルヴェーズは、みるみる顔に苛立ちを滲ませた。
「招待された身で新年祭を欠席するとは、どういうことだ!」
「は」
報告にきた騎士が、肩を震わせ頭を下げる。
「体調が悪いだと? そんなものが言い訳になるか! すぐに連れてこい!」
怒鳴るジェルヴェーズへ、再び騎士は頭を下げようとするが、それをエルネストが制する。
「仕方があるまい。病の者をリヴァルに立てたとなれば、なにかあったときに我々を責める者もあろう」
なにかあったとき――というのはむろん毒に倒れて死んだときである。
その運命を知っているからこそ、無理に呼び寄せれば国王とその取り巻きの手によってリオネルが殺されたと批判されかねない。
「しかし、これほどの好機はございません……」
食い下がったのはルスティーユ公爵だ。
念願のリオネル殺害。それが今日まさに成るというときに、この事態だ。まるで計画が裏で漏れていたかと思われるほどの時機の良さである。
なにしろ、計画はここにいる四人だけで練ったのだ。このなかで計画を外部に漏らす者があるはずない。
さらに、冬場は常に暖炉に火が灯っているので、五月祭のときのようにそこから盗み聞きされる可能性は皆無である。
レオンには、計画は知られなかった。リオネルらが計画を知る手立てはないはず。
――にもかかわらずだ。
「神前試合は、一年の幕開けを意味する神聖なものだ。少しでもつけいる隙を見せれば、王弟派に騒ぎ立てるきっかけを与えることになる。多くの民が見ているならなおさら」
「けれど、招待された貴族なら、病でも怪我でも父上の御前にひざまずくべきです」
「ならば今からベルリオーズ家の邸宅へ使者をやり、病だという者を引きずり出して競技の場に立たせるか? 日頃から抑圧されている王弟派貴族らが黙ってはいまい」
「言わせておけばいいのです、王弟派連中など」
「むろん、普段ならかまわない。だが、さっきも言ったが今日は民も見守るなかでのことだ。下手な真似をすれば民からの反感さえ買いかねない」
苦々しい面持ちでジェルヴェーズは歯ぎしりする。
これまで議論を聞いているだけだったガイヤールが、はじめて口を開いた。
「けれど、リオネル・ベルリオーズ様が無理とすれば、いったいどなたをリヴァルに立てるのです?」
リオネルを殺める以前に、重要なことだった。神前試合はまさに始まろうとしているというのに、肝心なリヴァルがいないとは。
国王エルネストは眉の根元を深く寄せて、考えあぐねる顔つきになる。
「……ヴェイル伯爵の息子は腕が立つが、今年は王宮へ来ていない。ギュイヨン子爵は十年ほどまえに務めたか。フランソワ・サンティニは去年戦ったのだったな……」
ただ騎士であるというだけであればいくらでも候補はあるが、神前試合においては、ずば抜けて腕の立つ者でなければならない。となると、候補は限られる。
「今年は、例年以上に腕の立つ者が揃っております。人選を間違えれば、リヴァルが倒されることになりましょう」
ガイヤールは静かに説明する。
陰謀以外の目的で、支配階級の代表たるリヴァルが負けるというのは、なにがなんでも避けねばならない事態だ。
「近衛から出すか……」
エルネストが代りの者を探す一方で、計画が破れたルスティーユ公爵とジェルヴェーズは言葉もない様子だ。
「けれど最も腕の立つ若手の近衛らは皆、殿下の護衛についております」
周囲から助言のないのを見かねた配下の騎士が、エルネストに説明する。
「ノエルは」
「かつてノエル様もリヴァルを経験されておられます」
「そういえばノエルの甥――フィデールはまだリヴァルになったことがなかったな」
「シュザンにでもやらせておけばいいではありませんか」
突如そう言い放ったのはジェルヴェーズだ。怒りや苛立ちを通りこし、今はひどく投げやりだ。
「死ぬなら死ねばいいでしょう」
憎々しげにつぶやき、踵を返す。
「どこへいく、ジェルヴェーズ」
「今年は神前試合の見物はいたしません」
「王族たるそなたが参加しないのか」
「父上はけっきょくのところ甘いのです。そのことがよくわかりました。ただし、フィデールをリヴァルには立たせませんよ。彼には、今から私とチェスをさせますゆえ」
皮肉めいた口調で告げてジェルヴェーズは足早に歩き去っていく。
息子の後ろ姿を見送りつつ、エルネストはため息をついた。
「シュザンか」
すでにエルネストが心を定めたことは、つぶやく声音から知れる。つまり、今年のリヴァルは、正騎士隊隊長シュザン・トゥールヴィルだということだ。
「挑戦者のひとりの剣に、すでに毒を塗ってありますが」
ガイヤールが告げると、すぐさま厳しい声音が返ってきた。
「シュザンの命を脅かすことは許さぬ。毒の剣などすぐさま捨てよ」
「かしこまりました」
指示するエルネストをルスティーユ公爵はじっと見守りながら、考え込む様子だ。
ジェルヴェーズが言ったとおり、けっきょくエルネストは甘い。リオネルやシュザン……つまり、アンリエットと血の繋がる者たちに対して。
彼女の亡霊は、今でも漂っている。そしてその亡霊はしっかりとシュザンやリオネルを守っている。そう思えば、ルスティーユ公爵は自らが犯した失敗を再確認させられた。