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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~
404/513

17








 真夜中に別邸へ向かう馬車を、ベルトランや護衛の騎士らが護っている。

 車内にはアベルとリオネルの二人きりだった。


 あらためて――そして今夜初めてリオネルと二人になると、アベルは妙に気まずい気分になる。沈黙に耐えきれずにアベルは口を開いた。


「今夜は、レオン殿下に一度もご挨拶できませんでした」

「レオンにはまたすぐに会えるよ。それより、デュノア家のカミーユ殿がアベルと話せなくて残念がっていた」


 真向かいに座すリオネルの顔を、アベルは直視できない。


「まえに、直接礼を言われるのは苦手だと言っていたね」

「…………」

「だから、彼にはあまり気にしないようにと伝えておいたよ」

「……ありがとうございます」


 軽くうつむき、言葉少なにアベルは答える。


 と、不意に狭い車内の空気が動いた気がして視線を上げれば、リオネルの繊細な手がアベルのひたいに触れるところだった。

 逃げるまもなく、彼の手の温度がひたいから伝わる。


「――――」


 突如、顔が熱くなった。

 心臓が早鐘を打つ。

 ただひたいに触れられただけなのにおかしい。近頃の自分はなんだかへんだ。


「少し……熱いかな」


 違う。それはリオネルが急に触れてきたからだ。


「やっぱり怪我の具合が悪いのかもしれないね。帰ったら医者を――」

「だ、大丈夫です」


 言いながらアベルは、リオネルの手をとり、ひたいから離す。


「アベル?」

「違うんです。リオネル様がご心配なら、ドニさんに診察してもらいますが、体調が悪いわけではないんです。……本当に、少し疲れただけで」


 そうか、と答えるリオネルの口元はかすかにほほえんでいたが、それはよくアベルを安心させるために浮かべる笑みによく似ていた。

 自分は不安そうな様子だっただろうかと、アベルは自分自身に戸惑う。このごろ最もわからないのは己の感情だ。


「イシャスにはどんなものを買っていくつもり?」


 話題を変えたのもリオネルの気遣いだとわかるだけに、申しわけない気持ちになる。


「……飽きずに長く使える玩具がいいと思っているのですが」

「それでいて珍しいものだよね」

「はい」

「サン・オーヴァンには本当にたくさんの店があるから、ある程度絞っておいたほうがいいかもしれない」

「心当たりがあるのですか?」

「いいや、今のところはまったく」


 あっさりと笑いながら答えるリオネルに、アベルもつられて口元を緩ませる。


「ある程度絞るとおっしゃるので、詳しいのかと思いました」

「イシャスが生まれてから、玩具には興味を持つようになったよ。でもあまり買い与えるとエレンやきみに怒られるから、買いたい衝動に駆られないよう店をのぞかないようにしていたんだ」


 リオネルの口ぶりに、ついアベルは笑ってしまう。


「父親かおじいちゃんの心境みたいですね」


 と、つい口にしてから、アベルは我に返った。

 リオネルが、父親かおじいちゃんの心境などとは……。なにを言っているのだろう自分は。


 けれどアベルの動揺をよそに、リオネルは冷静だ。


「本当だね」


 と、柔らかくほほえんでいる。この人が動揺することなんてあるのだろうかと、アベルはリオネルの完璧な美貌を盗み見た。

 そういえば、と気になっていたことを思い出す。


「国王陛下との面会はどうでしたか?」

「どうって?」


 不思議そうにリオネルはこちらへ視線を向けた。

 先程〝つつがなく終わった〟ということはアベルも聞いている。どのような様子だったのかを知りたかったのだ。


「ジェルヴェーズ殿下はいらっしゃらなかったのですか?」

「いなかった。陛下の私室でこぢんまりと会っただけだ。ユスター国境を守ったことに対する労いの言葉をいただいた」

「そうですか、お言葉を……」


 王弟派の者たちは命を張って戦ったのに、個人的な場において言葉をかけるだけでその苦労に報いるとは。かといって、なにか具体的に褒美とやらが欲しいわけでもないのだが。

 もやもやとしたアベルの思いを察したようにリオネルが言う。


「いいんだ、これで。そもそも陛下からの言葉や報賞なんてひとつもいらない。おれたちは陛下や国王派の貴族たちのためではなく、大切なものを守るためだけに戦ったのだから」


 アベルは深くうなずいた。本当にそのとおりだと思ったからだ。

 諸侯らは領民を、兵士らは主君や家族を、そしてアベルはリオネルや仲間を守るためだけに命をかけた。大切な者たちの無事な姿が、なによりの褒美だ。


「リオネル様の左腕が回復されたことが、わたしにとっては一番の褒美でした」


 素直に思いを伝えれば、リオネルがわずかに目を見開く。それから今度は、少し切なげに紫色の双眸を細めた。


「……ありがとう、アベル」


 リオネルの表情に、心臓が早鐘を打つ。本当にこの頃の自分はどうかしている。


 感謝されることなんてなにひとつしていない。視線を逸らしてうつむくと、遠慮がちにリオネルがアベルの指先に触れた。


「おれはアベルを守りきることができなかったのに、きみが戻ってくるという最大の褒美を手に入れてしまった。不甲斐ないよ」

「ほ、褒美だなんて……もったいないお言葉です。それに、リオネル様はわたしを守ってくださいました。あのときリオネル様に馬上から救いあげていただかなかったら、わたしはけっして助かることはなかったのですから」

「あんな大怪我をさせて、守ったとはいえない」

「わたしが勝手に負った傷です」


 沈黙したリオネルは、ややあって再び口を開く。


「怪我はもう痛まないか?」

「平気です。もう剣を握って立ちまわれるくらい」

「アベル」


 少しばかり怒ったように咎める声へ、アベルは小さく笑った。


「笑っている場合じゃない。その身体で立ちまわるなんて、冗談でも言ってはいけないよ」

「わたしは幸せ者ですね」


 唐突な言葉に、リオネルが次の台詞を呑む。


「こんなにリオネル様に心配してもらえるわたしは、幸せ者です」

「…………」


 心から、アベルはそう思った。

 こんなに優しい人に、こんなに想ってもらえるなんて。

 自分は世界一幸せな人間に違いない。現実に目隠しして、立場も境遇も過去も関係なく素直な思いを抱くことができたなら、彼の気持ちに応えることができていたのだろうか。

 あるいは、過去は変えられずとも、未来を変えることはできるのだろうか。


 触れていた指先を引き寄せられる。

 そして、持ち上げられた手指の先に、リオネルの唇が触れた。


「――――っ」


 言葉もなくアベルは顔を赤らめる。


「……本当はきみを抱きしめたいのだけれど」


 指先に口づけたまま、リオネルが視線だけをアベルへ向ける。その眼差しは、普段のリオネルとは少し違っているような気がして……けれど、どこが違うのかアベルにはわからない。


「せめて、こうすることを許してくれないか」


 こちらは赤面し、緊張しきって反応さえできない。すると、リオネルがアベルの手をやんわりと放した。


「ごめん、こんなことをして」


 指先にリオネルの唇の感触が残っていて、胸の鼓動がおさまらない。


「……あと数日で年が明けるね」


 アベルは黙ってうなずく。


「来年も、おれたちがいっしょにいることを、神々は許してくださるだろうか」


 運命に逆らってでもアベルの手を放さぬと普段は言うリオネルが、今宵はかすかに憂いが混じる。それはアベルを不安にさせた。

 まるで、もうすぐ別れなければならぬような出来事が、待ちかまえているかのようで。


「お許しくださることを、祈っています」


 そう答えるしかなかった。

 リオネルのそばにいることは許されない。だれよりもそのことを知っているのはアベルだから。

 リオネルのそばにいたい。もしも、許されるなら。


「ああ、また雪が降ってきた」


 先程までやんでいた雪が、再び窓のそとを舞い始めている。

 闇夜を飾る無数の白い欠片が、王宮やサン・オーヴァンの街、そしてそこに生きるひとりひとりの運命を、無言で包んでいく。

 リオネルといっしょに見る、馬車の窓の雪。

 わけもなくアベルは胸が締めつけられた。






+++






 新年を翌日に控えたこの日。

 突然ジェルヴェーズが現れたときにも対応できるように、アベルは別邸にいても変装を怠っていなかった。濃い茶色の髪に、小麦色の肌。ここ数日この姿で過ごしているので、随分と馴染んできている。


 リオネルはというと、必要最低限しか王宮へは顔を出さないと言っていたとおり、国王に挨拶しにいった夜以来、王宮の晩餐会などには出席していない。


「出席されなくても大丈夫なのですか?」


 連日のように催しがあるようだが、出なくとも平気なのかとアベルが尋ねると、


「国王名での招待ではないかぎり、行かなくてもかまわない。年が明ければ、様々な行事で毎日通うことになるしね」


 そう言って別邸でのんびり過ごしている。


 レオンは王宮に、ディルクは自らの別邸にいながらも、ときどきベルリオーズ邸へ顔を出しては他愛もない話をしていく。

 窓の外を染める純白の雪を眺めつつ、チェスをしたり、本を読んだり、とりとめのない話をしたりして、暖炉の火の燃える暖かい館のなかで過ごすのも悪くないものだ。


 けれどその日の午後、珍しくリオネルが外出の準備をしていた。

 どこへ行くのか尋ねると、王宮だという。


「王宮?」


 昼食が終わってまもない時刻。晩餐会へ出席するにはまだ早い。それにリオネルは公式な会に出席するようなきっちりとした格好ではなく、普段と変わらぬ服装に厚手の外套を羽織っている。

 声をかけてもらえず不安な気持ちになるアベルへ、リオネルが説明した。


「叔父上にまだ会っていないから、挨拶に行こうと思って」

「シュザン様に?」


 リオネルの母アンリエットの弟で、シャルム正騎士隊の隊長シュザン・トゥールヴィル。アベルはまだ彼に会ったことがない。


「アベルもいっしょに、と思ったんだけど、外があまりに寒いから」


 どうやらベルトランと二人だけで向かうつもりらしい。


「夕方には戻るつもりだ。本当に行って帰ってくるだけだから」


 リオネルの台詞には、こちらを気づかうような含みがある。どうしてもついてきたければ来てもかまわないが、館にいてくれたほうが安心――言外にそう告げられている気がして、アベルは小さく息を吐いた。


「わかりました、お帰りになるのをお待ちしています」


 承諾したのは、リオネルを安心させるためだった。

 かつての自分なら、なにがなんでもリオネルについていっただろう。けれど。

 今はそこまで強情になれない。リオネルの気持ちを知っているからこそ心配をかけたくなかった。


「そうか、ありがとう」


 安堵した様子でリオネルがうなずく。


「そうだ、さっき書庫でアベルの好きそうな本を見つけたんだ。居間の小卓に置いておいたから、よかったら読んでみて」


 そう言い置いて、リオネルは降りしきる雪のなか、王宮へとでかけていく。

 玄関で執事のジェルマンと共にその姿を見送ったアベルは、自らの気持ちの在り処を見つけられず、いつまでもそこに立っていた。









「叔父上、お久しぶりです」


 正面玄関を使わず、正騎士隊に所属する者だけが通れる門より入れば、複雑な手続きを取らずとも叔父であるシュザンに会いにいくことができる。むろんリオネルは正騎士隊に所属していないが、門を守る者はシュザンの甥であり従騎士でもあったリオネルのことはよく知っている。


 突然執務室に顔を出したリオネルとベルトランを、驚く様子もなくシュザンは笑顔で迎え入れた。


「ああ、リオネル。もっと早くに来るかと思っていた」


 すでに王都に到着して四日。

 ついに今年もこの日で最後である。


「すみません、一度館に腰を据えてしまうと、出られなくなってしまって」


 そう答えたものの、実際にはアベルを館に残しておきたくなかったというのが最大の理由だ。王宮へ連れてくるのは危険だから置いてきたが、それでも離れるのは不安だった。


「寒いからな、しかたがない。ベルトランもよく来てくれた。おまえはいつ会っても変わらないな」


 シュザンが幼いころからの友人であるベルトランに笑いかける。


「おまえもな」

「まあ、二人とも座ってくれ」


 長方形の卓を挟んでシュザンと向きあうと、すでにそこには杯が置かれていて、だれかが先にここを訪れた形跡がある。


「さっきまでディルクが来ていた」

「ディルクが?」


 リオネルは顔を上げた。

 シュザンの教え子らしき若い従騎士が古い杯を下げて、新たな葡萄酒を運んでくる。


「二人ともなかなか来ないと思ったら、同じ日の、しかも時間差で現れるとは、どうなっているんだ?」

「すみません」


 リオネルが苦笑交じりに謝罪すれば、「冗談だ」とシュザンが笑う。


「どうせ、二人ともベルリオーズ家別邸でのんびり過ごしていたのだろう?」


 そのとおりだ。ディルクはこの四日のあいだに、ベルリオーズ家別邸を訪れては、くつろいだ様子で過ごして自らの館に戻っている。特に互いにシュザンに会いにいく日時も決めておらず、気ままに訪れたら同じ日の時間差になってしまった。


「少しのんびりしすぎました」

「いや、身体も心も休めたほうがいい」


 すっとシュザンは真剣な面持ちになる。


「ユスター軍との戦い、リオネルもベルトランもご苦労だったな」

「いいえ。叔父上には各所から援軍を集めていただき、心より感謝しています」

「あんなことくらいしか、おれにはできなかった。赦してくれ」

「叔父上のご助力がなければ、戦いは長引き、勝利していたかどうかわかりません」

「別件で怪我を負っていた左腕が、戦いのさなかに治ったと聞いた」

「ええ、おかげさまで」


 軽く笑うリオネルへ、けれどシュザンは真剣な顔つきのまま続ける。


「結果的に治ったからいいものの、こちらはどれだけ心配したか」

「申しわけありません」

「そもそも狼に襲われたというのは本当なのか?」

「狩りの最中の事故です」

「…………」


 納得いかぬ様子のシュザンは、ちらとベルトランを見やる。が、ベルトランは肩をすくめるだけだ。小さく息を吐いてから、シュザンは言った。


「ともかく、左腕を負傷した状態で戦場に行くなど、無茶にもほどがある」

「そのたぐいの説教は、散々いろいろな人から聞きました」

「それで?」


 呆れたようなシュザンの口調に、リオネルは反論を諦める。


「いえ、叔父上からの説教も聞きましょう」


 シュザンはため息をついた。


「……おまえの気持ちはわかる。ベルリオーズ家の騎士らを戦場に行かせて、自分は安全な場所にいることが嫌だったのだろう」

「そのとおりです」

「今回は運がよかったが、一歩間違えれば最悪の事態になっていた。そのことだけは忘れないように」

「はい」


 素直にうなずくと、シュザンはもう一度軽く息を吐き出す。それから視線をリオネルの隣に腰かける赤毛の騎士へと向けた。



















穏やかなシーンが続いてきましたが、次回からは波乱の幕開けになります。

(アベルの正体がリオネルに気づかれます)






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