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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~
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第二章 神前試合は、運命の歯車に導かれ 15








 午前中に降っていた雪は昼過ぎに止んだものの、辺りが暗くなるにつれてすっかり冷え込んでいる。

 あと四日で新たな年を迎えるというこの日。

 外套をまとっていても、骨まで冷えるような寒さだった。


 王宮へ向かう馬車のなか、隣に座るリオネルが、アベルの横顔をまじまじと見つめてくる。


「本当によく変装したね」


 アベルはあらためて自分の姿を思い起こした。

 リオネルに言われたとおり、髪は杜松ねずの染料で濃い茶色に染め、顔や手には肌を小麦色に見せるために色の濃い油薬を塗り、さらにベルリオーズ家別邸の年配の女中から借りた化粧で目の印象に少しばかり変化をつけた。

 鏡のまえに立ったときに、思わずアベル自身が笑ってしまったくらい、普段と雰囲気が違う。


「別人になった気分です」


 よく陽に焼けた十二、三歳の元気な少年といった感じだ。


「でも、煙突掃除の少年と見破られるかもしれないし、その瞳の色だけはごまかせないから、くれぐれも殿下のそばには――」

「わかっていますよ」


 小さく笑って見せたが、すぐに笑みは消えてしまい、アベルはなんとなくリオネルから目を逸らす。


「少し緊張している?」


 え、とアベルは顔を上げる。

 強張った顔をしていただろうかと、指先で頬に触れた。


 今夜の夜会には、カミーユが参加している。

 遠目にでも弟に会えるかもしれないという期待。――けれど上手く立ちまわらなければ、カミーユに正体を知られてしまうかもしれない。

 様々な思いが複雑に絡み合って、リオネルの指摘したとおり、アベルは緊張していた。

 それでも笑みを添えて毅然と答える。


「大丈夫です」


 と。


「会場にいるのが辛かったら、マチアスといっしょに控室で休んでいてもかまわないから」

「ありがとうございます」


 口数の少ないアベルを、リオネルは気がかりげに見つめている。あまり見つめられると、リオネルの紫色の瞳に、カミーユとの関係を見破られてしまう気がして、アベルは落ちつかなくなる。


「この姿は、そんなにおかしいですか?」


 冗談めかして尋ねてみれば、リオネルが表情をやわらげた。


「いや、これはこれでとてもかわいいとは思うけど――むしろ心配になるくらい」

「…………」


 ――聞かなければよかった。

 どこから見ても青臭い少年の姿を、「かわいい」だなんて。どう考えてもおかしい。


 リオネルとアベルが話しているあいだ、馬車の向かいに座るベルトランは、かなりの長身にもかかわらず、いつもどおり空気のごとく存在感を消していた。


「いや、街へ買い物に行きたいというのを、無理に連れてきてしまった気がして」

「いいえ、いいんです」


 そう、遠目にでもカミーユの姿を見たい気持ちは、もはや抑えきれないところまできている。これだけ変装していれば気づかれる心配もないだろう。

 成長したカミーユの、元気な姿をこの目で見たい。


「年明けに――」


 遠慮がちに話しかけられて、アベルは隣のリオネルへ視線を戻した。


「――サン・オーヴァンの広場で祭りがある。街中の人が集まり、音楽を奏で、雪を踏みしだきながら踊り明かし、普段よりも多くの露店が出揃って賑わう。よかったら、いっしょに行かないか?」

「けれどリオネル様は、王宮の催事で忙しいのでは?」

「街の祭りは、王宮の催事から少し遅れてあるんだ。別邸に滞在していたころにも連れていってあげられなかったし、今回はいっしょに行ってイシャスのお土産を探せたらいいと思っているのだけれど、どうかな? きっと彼の喜ぶものを見つけられるよ」


 聞いているだけで楽しそうだ。リオネルの誘いに、アベルは大きくうなずいた。


「行きたいです!」


 リオネルから柔らかい微笑が返ってくる。


「決まりだね」


 話しているあいだにも、馬車は幾重にも厳重な王宮の門をくぐり、前庭に到着している。 先に到着していたディルクやマチアスと合流したのは、その直後のことだった。






+++






「わあ、すごい。見事な変装だね」


 貴族や兵士らであふれかえる前庭で、ディルクは感嘆の声を上げる。


「実家を出て小姓ペイジになりたての少年って感じだよ。驚いた、うまく化けたね」


 なぜ実家から出てきたばかりなのかは不明だが、アベルは礼を述べておく。


 あえてベルリオーズ家の紋章の入っておらぬ簡素な馬車で来たため、今のところ注目を浴びずに片隅で話をしているが、先王の直系であるリオネルと、赤毛のベルトランの姿はすぐにひと目につくだろう。あまりゆっくりしている時間はない。


「王宮にいるあいだ、きみはアベラール家に仕える小姓ということになる。おれとは離れている時間が多くなるだろうけど、けっしてマチアスからは離れてはいけないよ」


 念を押すリオネルに、アベルはしっかりとうなずき返した。


「心配するなよ、リオネル。マチアスがへまをすることはないから」


 ディルクとリオネルに目配せしてから、マチアスはアベルへ向き直った。


「では、小姓殿。いっしょに参りましょうか」

「よろしくお願いします」


 頭を下げると、ぽんと肩をベルトランに叩かれる。振り返れば、軽くベルトランが目を細めた。リオネルのことはおれが守るから心配するな、とその眼差しはアベルに伝えている。

 アベルはひとつうなずく。

 こうして一同は王宮の建物に足を踏み入れた。








 続々と集まってくる貴族らが流れていく先は〝騎士の間〟である。

 騎士の間は、その名のとおり王宮に仕える大勢の騎士や、貴族らの家臣が、主の用が済むまで時間をつぶす場所で、庭球場のごとく広々としている。けれどこの日、広間は大勢の人で埋め尽くされていた。


 あちこちに据えられた飾り机には酒や料理が並び、格式張らない雰囲気で、貴族から、普段は会に参加できぬ侍従や小姓までが自由に楽しんでいる。


「もうこんなに集まっているんですね」


 アベルが驚きの声を上げると、まだ近くにいたリオネルがさりげなく教えてくれた。


「今夜は、貴族と関わりのある者ならだれでも参加できるらしいから」


 彼がそばにいるのは、リオネルとディルクがいっしょにいれば、必然的にアベラール家の小姓たる肩書きのアベルもそばにいることになるからだ。


「なんだか不思議な雰囲気です」


 貴族の夜会といえば華美な衣装で、優雅に立ち居振る舞うものだが、今夜は地味な格好の者もいるし、年齢層も幅広く、また、だれも会場の進行や形にこだわっている様子はない。


「さあ、我らが王子殿下はどこかな」


 そう言いつつも、ディルクは探す気配すらなく、近くの卓から葡萄酒の杯を取る。


「今夜の酒はあまり香りがないね」


 ひと口含んでからディルクはぼやいた。つまり高級なものは出していないということだ。


「こんなにたくさんの人に振る舞うのですから、そうなりますよね」


 ディルクに答えながら、アベルはどこかにカミーユがいないか恐る恐る周囲を見回す。


「この雰囲気だとジェルヴェーズ王子はいないようだな」


 ベルトランは別の理由で周りをざっと見渡し、低くつぶやいた。ジェルヴェーズがいればもっと緊張感が漂っているはずだということらしい。


「おれたちは今夜、国王陛下に挨拶に行かなければならない」


 リオネルがアベルに向けて言う。


「もしかしたら陛下のもとにジェルヴェーズ王子がいるかもしれないから、挨拶に行っているあいだ、アベルはこの会場でマチアスといっしょに待っていてほしいのだが」

「わかりました」


 アベルの代わりに即答したのはマチアスだ。


「ご挨拶なさっているあいだ、必ずアベル殿とこの会場でお待ちしております」


 かまわないでしょう、とマチアスに確認され、アベルはうなずいた。

 リオネルのことは心配だが、彼のそばについて回ればいずれジェルヴェーズと出くわすこともあるだろう。さすがに踊り子と見破られることはなくとも、煙突掃除の少年であるという疑いをかけられる可能性は充分にある。


「挨拶するだけ、ですか?」


 不安な気持ちで尋ねれば、リオネルがほほえむ。


「そうだよ、招待されたお礼と、王都へ無事に着いたことを報告するだけだ。すぐに終わる」

「逆に国王に面会するのだから、危険はないと思うよ。国王に会いに行ってなにかあれば大ごとだから」


 そう、きっとディルクの言うとおりだ。

 納得したところで、近くを通りかかった貴族のひとりがリオネルの姿をみとめて足を止めた。


「ベルリオーズ家のリオネル様ではありませんか」


 この国でリオネルはおそらく国王一家に次いで高貴かつ有名な存在だ。

 あまりに普通に立っているリオネルの姿に驚いた様子で、深々と一礼する。四十代と思しき紳士は、王弟派貴族のようだった。

 彼を皮切りに次々とリオネルとディルクの周囲に貴族が集まってくる。アベルはなんとなくその輪から離れた。





 カミーユの姿も見当たらないし、ジェルヴェーズ王子も今のところ来ていないようだ。

 気が抜けたような――カミーユに会えないのは残念なような、でもやはりほっとしたような――、複雑な気持ちだった。


「蜂蜜酒でも飲みますか?」

「ありがとうございます」


 マチアスに勧められてアベルは酒杯を受けとる。


「今夜は気兼ねしない会のようですから、アベル殿もくつろいでください」


 曖昧な笑みで礼を述べておいて、アベルは蜂蜜酒を口に運んだ。くつろぐ、といってもやはり落ちつかない。

 貴族らと話すリオネルとディルクを遠巻きに眺めていると、不意に彼らはなにか気づいた様子で顔を上げた。その視線を追えば扉口にレオンが現れるところだった。

 そしてレオンを守る近衛兵らに混ざって、落ちついた色味の金糸の髪と、青灰色の瞳の青年がいる。彼はすでに少年ではなく、青年と呼ぶに近い姿だった。


 思わず心のなかでその名を呼ぶ。


 背丈はすでにアベルを越し、腰の長剣がよく映えるすらりとした弟カミーユの姿に、アベルは心から感動した。


 なんて立派になったのだろう。

 かつては事あるごとにアベルの布団にもぐりこんできた、あの小さかったカミーユが……。

 涙が出そうになる。


「レオン殿下がいらっしゃいましたね」


 こちらの様子をうかがうようなマチアスの台詞も、今はアベルの耳には届かない。従騎士として立派に王宮で過ごしているカミーユの姿に、アベルの胸はいっぱいだった。


 レオンがリオネルとディルクに向けて手を振る。

 するとリオネルは、話していた貴族らに断りを入れて、レオンのもとへ向かった。従騎士仲間である彼らの仲がいいことは有名な話なので、だれもが納得する光景だ。


 リオネルとディルクが近づいてくると、カミーユがまえに出て、ディルクに飛びつく勢いで駆け寄る。仲がいいのだなあ、とアベルは胸が熱くなった。

 カミーユは姉である自分を失ったが、代わりにディルクという存在を得た。最初のころはいろいろあったようだが、今はこんなに親しげだ。


 彼らはしばらく会話を交わしたあと、ふと顔を上げて会場を見回した。

 だれか探す様子。

 そのときはじめてアベルは隠れていなければならないことを思い出した。


「まっ、マチアスさん!」


 驚いた様子で振り向くマチアスの腕を引き、アベルは会場の隅へ向かう。


「控室……いきましょう!」


 有無をいわさず引っ張られていたはずのマチアスが、すっとアベルの身体を周囲から隠すように背後へまわり、控室へ向けて歩き出す。


「控室はこちらです」


 迷うことなく、またカミーユたちに気づかれることなく控室の扉をくぐると、アベルは大きく息を吐いた。


「こちらの席が開いています」


 そう言ってマチアスは長椅子へアベルを導く。


「リオネル様とディルク様には、あとで私からアベル殿が控室で休んでいたとお伝えしておきます。事情があったのですから、カミーユ様にご挨拶できなくともかまいませんよ」


 アベルは、アベラール家の頼りがいのある従者をちらと盗み見た。

 ときに、マチアスが自分の素性について、何もかもを知っているのではないかと不安になる。まさかそんなはずないのだが。


「どうされましたか?」


 盗み見たはずが、しっかり気づかれていたらしい。アベルは慌てて視線を外して首を横に振る。


「な、なんでもありません」

「もしここでは休まらないようでしたら、先に別邸へ戻ってもかまいませんのでおっしゃってください。私がお送りします」


 ……実に、気が利く。


「私はここにいれば平気なので、マチアスさんもよかったらなにか飲まれてください。つきあわせてばかりでは申しわけないので」

「お気遣いありがとうございます。ではお言葉に甘えて葡萄酒をもらってくることにします」


 アベルに気を使わせぬよう、自身も飲み物を持ってくるあたりも、本当によくわかっている。主人に仕える者としてだけではなく、人間としても見習わねばならないとアベルはしみじみ思った。


 葡萄酒をもらうためにマチアスがその場から離れると、アベルは小さく溜息をつく。

 先程垣間見たカミーユの姿が瞼から離れない。


 もっと見ていたかった。

 叶うなら、声を聞きたかった。

 そばに行って、強く抱きしめることができたらどんなに幸せだろう。


 切ない思いに駆られていたとき、声をかけられた。


「ちょっとよろしいですか」


 聞き慣れぬ声に顔を上げれば、純白の祭服をまとった、糸杉のごとくひょろりとした男が立っている。王宮に常駐する司祭だろうか。


「あ、すみません。椅子、座りますか?」


 慌てて席を立てば、相手は微笑して首を振った。


「いいえ、お気遣い感謝しますが、おかまいなく。とてもお若いように見えたので、少しお話をと思いまして」


 相手が若いと、話す必要が生じるだろうか。不思議に思いながらも、断る理由も見当たらず、アベルはうなずく。


「お若いのに、とてもいい剣を持っておられる」

「…………」


 一見地味なこの長剣は、リオネルがシャサーヌで最も腕のよい職人に作らせた逸品だ。けれど、宝石も装飾もないので、だれもそうとは気づかない。

 この司祭には、この剣の良さがひと目でわかったのだろうか。


「辺境の諸侯でも、これほど良い作りのものはなかなか手に入りません。そうですね、王都か、エーベルヴァインか、シャサーヌあたりの一級の職人か、あるいは私に作らせなければ……」


 相手の冗談にアベルはくすりと笑った。


「司祭様が剣を?」

「実家が鍛冶屋でしてね」

「そうなんですね」


 ならば、剣の良し悪しについてはわかるかもしれない。それにしても、鍛冶屋の生まれで王宮の司祭にまで上りつめるとは、かなりの出世だ。


「貴方は腕もお立ちになるのでしょう?」

「――え?」


 思わぬ問いかけを受けたとき、


「失礼ながら」


 と横から声がした。マチアスが戻ってきたのだ。


「大神官ガイヤール様ではありませんか?」









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