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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~
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14










 雪景色に、複数の馬のいななきが響く。


 ちらちらと舞い落ちる白い氷の結晶がアベルの長い睫毛につき、時間をかけてゆっくりと細かな水滴になった。


「お疲れさま」


 笑いかけてくるリオネルに、アベルは微笑を返す。


「馬たちも、きっとほっとしていますね」


 ようやくリオネルらが王都に到着したのは、十二月も末近く。

 寒かったせいだろうか、アベルは身体の底から疲れを感じた。かつて真冬に肺炎をこじらせたことがあるせいか、寒さは苦手だ。


「リオネル様、ディルク様、お久しぶりでございます。ご無事の到着に安堵いたしました。ベルトラン様も、マチアス様も――ああ、アベル殿、あなたも元気そうで本当によかった。お疲れになったでしょう。お早くなかへ」


 ベルリオーズ家別邸の前庭に到着したリオネルたちは、執事ジェルマンの迎えを受けて建物へ入っていく。


「ああ、寒かった」


 外套を脱ぎながらディルクがこぼした。


「……身体の芯から冷えますね」


 アベルが身震いすると、リオネルが暖炉に火が入った部屋はあるかとジェルマンに尋ねた。


「ええ、もちろんございます。特に客間の暖炉に長いこと火を入れてあるので、温まるにはよいかと思います」

「客間?」


 リオネルが首をかしげる。

 通常なら客間は来客時にしか使わない。


「リオネル様のご帰還をお待ちになっているお客様がおられまして」

「それは?」

「さる高貴なお方です」


 いたずらっぽいオリヴィエの口ぶりに、リオネルとディルクが顔を見合わせた。と、次の瞬間には大階段の上部から声が降ってくる。


「遅いぞ」


 やっぱりな、と口端を吊り上げたのはディルクだ。


「高貴な方が来訪しているというわりには、館全体が呑気な空気に包まれてるから、おまえしかいないと思ったよ、レオン」

「どういう意味だ」

「そのままだけど?」

「おれには威厳がないというのか」

「さあ、解釈はどうとでも」


 再会早々やりあう二人の会話に、リオネルが割って入る。


「いつから待っていてくれたんだ?」

「一時間くらいまえだ。もう着いているかと思って来たのだが」

「思いのほか雪が深くて」

「ああ、もう真冬だからな。これからもっと降るだろう」


 騎士たちは、客間とは別の、暖炉と食事が用意された部屋へと使用人に案内されていく。

 ジェルマンに促されてリオネル、ディルク、ベルトラン、マチアス、そしてアベルは、レオンと共に客間へ向かった。






 客間に入ると、アベルは暖炉に一番近い椅子に座るようリオネルから勧められる。


「ここで大丈夫です」


 と、扉に最も近い席に座ろうとすれば、いいから、と強くリオネルに諭された。

 皆の嗜好をよく知るジェルマンが、さっと四杯の葡萄酒と一杯の温かい蜂蜜酒を女中メイドに運ばせる。レオンの杯はすでに小卓の上に置かれていた。


「こんなに急いで会いに来るとは、王子殿下におかれては、そんなにおれたちが恋しかったのか?」

「そんなわけあるか」


 ぶっきらぼうに言い放つレオンへ、


「そうか、おまえが恋しいのはローブルグにいる恋人だったな……たしか、男の」


 とすかさずディルクがからかう。

 普段から楽しげなディルクだが、レオンをからかっているときが一番きしているように見えた。


「その話を、兄上のまえでひと言でも口にしたら、本気でおまえを殺すからな」

「ああ、さすがにそれはしないよ。そこを疑われるとは、おれも見くびられたものだな」

「これまでの行いを見ていれば当然です」


 冷たく言い放ったのはレオンではなく、ディルクの従者マチアスだ。


「ディルクの場合は友情の裏返しだから」


 さらりと言うリオネルに、ディルクとレオンの双方が嫌そうな面持ちになった。そこへ妙に納得したアベルが二人へ追い打ちをかける。


「ディルク様がレオン殿下をからかうのは、そういうことなんですね」

「もうこの話はやめにしよう」


 レオンの提案にディルクが賛同する。


「そうそう、別の話題がいいね」


 珍しく二人は意見が合っているようだった。


「道中、なにもなかったか?」


 レオンに問われれば、リオネルが笑顔で答える。


「ああ、無事に来ることができたよ。天候も荒れなかったし、体調を崩す者もなかった」

「そうか、それはよかった。実は、ここへ来たのは他でもなく、明日、王宮で催される夜会へ出席してほしいと思ったからなのだ」

「明日?」


 リオネルが聞き返した。


「この時期、毎晩のように宴が催されるのは知っているだろう? 明日は格式張らない気軽な夜会だ。父上はもちろん出席しないし、逆に家臣や侍従の出席は自由ということになっている」

「ジェルヴェーズ王子は?」


 尋ねたのはディルクだ。


「さあ、兄上の動向はまったく読めないからな」


 沈黙した二人へレオンは言葉を続ける。


「実はカミーユが会いたがっている」


 その名を聞いたとたん、アベルの心臓は跳ねた。

 三年前に悲惨な形で離れ離れになった弟カミーユ。もう二度と会ってはならないと、父であるデュノア伯爵からは言い渡されたが、五月祭ではその姿を見ることができた。


 むろん、父のお達しがなくとも、今の姿でカミーユと会うわけにはいかない。すでに〝シャンティ・デュノア〟は死んだのだから。


「カミーユは王宮を抜けられないから、おまえたちのほうから会いに行ってやってくれないか。夜会ならゆっくりと話ができるだろう。彼はアベルにも会いたがっていた」

「もちろん行くよ」


 真っ先にディルクが答える。


「なあ、アベル」


 視線を向けられて、アベルは動揺した。どうやって言い訳しようかと考えていると、折よくリオネルが口を挟んだ。


「けれど、王宮にはジェルヴェーズ王子がいる。迂闊にアベルを連れていくわけにはいかない」

「今度は髪を真黒に染めて、顔の肌も小麦色にして、おれの家臣として連れていけばいいんじゃないか?」


 ディルクが提案した。


「まさか新年の祝いの席に出席しているあいだ、ずっとアベルを別邸に残していくわけじゃないだろう?」

「……そういうわけではないけど」

「じゃあ決まりだ、そうしよう」

「あ、あの、待ってください」


 アベルは声を上げた。このままではカミーユに引き合されることになる。


「わたしは……そ、そういえば用事が」

「用事?」


 ディルクだけではなく、リオネルまでもが意外そうな顔でこちらを見やった。それもそのはず、アベルが王都で用事などあるはずがない。

 言ってしまってから、まずいと思ったが今更遅い。


「えっと……そう、サン・オーヴァンの街で、イシャスになにか珍しい玩具でも買ってあげようと思っているのです」


 そういうことか、とリオネルは納得した様子だ。


「それなら、おれがいっしょに行けるときにしよう。サン・オーヴァンは治安があまりいいとはいえないし、この雪のなかではなおさら心配だ」


 どうしよう。

 頭のなかが真っ白になったところで、マチアスが言った。


「ならば、アベル殿は王宮で私と行動を共にしましょう。髪を染め、肌の色も変え、アベラール家の家臣として私のそばにいれば、さほど危険はないと思われます」

「ああ、うん。それがいいね。リオネルもそれならいいだろう?」


 心配がぬぐい切れぬ様子のリオネルだったが、マチアスの「必ずお守りします」という言葉に後押しされ、ついにはうなずく。


「もし殿下が出席していたら、けっして近づけないようにしてほしい」

「承知しております」


 アベルを置いて話はどんどん進んでいき、もはや引き返すことのできないところまできていた。こうなったら、夜会で顔を合わせぬよう逃げ回るしかないと、アベルは密かに決意する。


 そう決意しながらも、カミーユに会いたい気持ちがアベルの内にあることが厄介だった。

 このまま流れに任せて、カミーユのまえに立つことができたら――カミーユを抱きしめ、互いの無事を確認し合うことができたらいいのに。

 けれどそうなった瞬間に、きっとなにかが崩れていく。


 そう、今の状態のままでいることが、この危うい均衡を保つための最善の道なのだ。そのことに気づけば、この手のうちにある幸せの儚さに、アベルは怖くなる。


「皆に会えるのをカミーユは本当に楽しみにしていたぞ。きっと喜ぶだろう」

「堅苦しい王宮の生活だからね。おれたちはシュザンに師事して騎士館で過ごしていたからよかったけど、王の住居棟で生活していたら息が詰まっただろうな」

「そうだな。だからカミーユは、ディルクのような軽々しい男に懐いているのかもしれないな」

「軽々しい? おれのような真摯で硬派で生真面目な男をつかまえて、軽々しいだって?」


 わざとらしいほど真剣に尋ねるディルクに、レオンが頬を引きつらせる。


「おまえ、それは本気で言っているのか?」 

「もちろん。アベルはどう思う?」


 ディルクに話を振られてアベルは顔を上げた。


「はい、ディルク様は誠実で、思いやりのある方です」


 勝ち誇ったように胸を逸らすディルクへ、レオンは冷ややかな眼差しを返した。


「アベルに聞くのは姑息だな」

「いいんだよ、世界で唯一アベルだけがおれの本当の姿を知っていてくれれば」


 大袈裟な表現にアベルはやや戸惑いながら小さく笑う。と、リオネルが「そういえば」と突如、話題を変えた。


「叔父上はお元気か?」


 いささか唐突だったが、レオンはすぐにうなずく。


「ああ、シュザンは変わりない。あいかわらず正騎士隊隊長の任務に加え、騎士や従騎士らを鍛え上げ、さらに父上と王弟派貴族の仲を取り持ち、他にも数え切れないほどの仕事をこなしている」


 ため息をついたのはディルクだ。


「すごいなあ。気苦労も多いだろうから、たまには休まないと倒れるんじゃないか?」

「本当だね。叔父上は頭痛持ちだし、心配だ」

「おまえから言えば、少しは聞き入れるかもしれないぞ」


 そうかな、とリオネルは首をかしげる。あまり同意していないようだ。どうも正騎士隊の隊長は仕事熱心で休めぬ質らしい。


「そういえば、今年はだれがリヴァルに抜擢されたんだ?」


 ディルクに問われてレオンは首を横に振る。


「まだ公表されていない」

「公表されてない?」


 皆が驚く顔になった。


「当日に決まるらしい。正騎士隊か、近衛か、あるいは他から出るかまったくわからないのだ」

「本人には知らされているんだろう?」


 リオネルが尋ねる。


「さあ、どうもそのあたりが、はっきりしない」

「心の準備というものもあるだろうから、事前に知らされているべきだと思うけど」

「どうなのだろうな。その場で名指しされる可能性もあるのだろうか」


 ディルクが片頬を吊り上げた。


「なんだか胡散臭うさんくさいな。レオン、当日までにちょっと調べてみろよ」

「簡単に言うな」

「自分の父親に聞けばいいだけの話だろう?」

「政治や祭事のことは普段からあまり話題に上らない」

「話しちゃいけないって決まりでもあるのか?」

「そういうわけではないが……」


 レオンが沈黙すると、リオネルが葡萄酒を口に運びながら穏やかにディルクに言う。


「無理強いすることはないよ。それぞれ、親子の関係というものもあるだろうし」


 リオネルはレオンへ視線をやった。


「レオンはいつもどおりに新年を迎えればいい。何事もないのが一番だから」

「そ、そうだな」

「リオネル様も神前試合をご見学されるのですか?」


 アベルが尋ねれば、リオネルが酒杯を卓に置いて答える。


「いや、予定はないけれど」


 神前試合は王宮前の広場で開催される。このときだけは支配階級も市民も共に観覧席に立ち、シャルム屈指の猛者が命をかけて剣を交える姿を見守るのだ。


「そうですか……」


 招待されているからには、神前試合も見にいくものとアベルは思っていた。


「必要最低限の催しにだけ、顔を出そうと思っているから」

「もしその時間にリオネル様が館へ戻られているなら、わたしは個人的に見学に行ってもかまいませんか?」


 少し驚いた様子でリオネルは聞き返す。


「見たいのか?」

「シャルムじゅうから集まった強者と、貴族を代表する剣の使い手が真剣勝負するところなんて、滅多に見られるものではありませんから」

「……意外と激しいものが好きなんだね」

「昔から剣と弓と乗馬は大好きなんです」

「おもしろいね、アベルは」


 ディルクが笑う。


「でもなんとなくわかるよ」

「わかる、とは?」


 少しばかり嫌な予感がして尋ねれば、ディルクが平然と答えた。


「アベル、喧嘩っ早いじゃないか」

「そ、それは、時と場合によって……」


 しばしば短気を抑えられぬことは否めず、アベルは口ごもる。


「おとなしそうに見えて血の気が多かったり、真面目に見えていろいろ抜けていたり、なんでもできるようでいて不器用だったり、本当にアベルはおもしろいよね」

「それくらいにしておいてやってくれ」


 苦笑交じりにリオネルが言えば、ディルクが「おや」という顔になる。血の気が多いこと以外にもいろいろと指摘されたアベルは、黙って蜂蜜酒を口に運んだ。


「ディルク様はもう少しその繊細さデリカシーのなさを、どうにかなさいませ」


 淡々と主人に進言するマチアスに、「そうだ、従者殿の言うとおりだ」とレオンがここぞとばかりに同調する。

 憮然とした面持ちになるディルクを見やって、ベルトランが小さく笑った。


「おい、ベルトラン。今笑ったな?」

「いや」


 真顔でベルトランが答える。


「たしかに見たぞ」

「気のせいだろう」


 久々に再会した六人の話は尽きず、夜更けまで彼らの話は続いた。多量の酒が消費され、もはやだれがどれだけ飲んだかはわからない。


 平和な時間が過ぎるのは早く、運命の歯車は、奇妙な音を立てて軋みながら回っていった。



























遅くなりましたm(_ _)m

ワクチン2回目の強い副反応で寝込んでいました。

間に合わないかと思いましたが、今週もお届けできてよかったです。



いつも、誤字脱字の報告をいただき、ありがとうございます。とても助かっていますm(_ _)m yuuHi




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