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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~
395/513






 すでに十二月も半ば。

 厳しい冬の只中にあっても、ベルリオーズ領最大の都市シャサーヌは、明るい雰囲気が漂っていた。


 それは、もとより活気に溢れる街であることに加えて、ユスター国境へ遠征していたベルリオーズ家の年若き跡取りと騎士団が、無事に帰還して間もないためかもしれない。


 踏みしだく雪は厚さを増し、時折馬車の車輪がはまっては、男たちが苦労して持ち上げている。

 露店で盛んに売られているのは、冬本番に備える諸々のものが多く――毛布や、ひざかけ、厚手の外套、手袋、長靴などが、よく売れているようだ。

 市場に並ぶ物も、夏とは様相を変え、砂糖と香辛料入りの温かい葡萄酒ヴァン・ショーや、シナモンの効いたローブルグ風の甘いパン、根菜のスープ、新年の前後に食される贅沢な肉が並びはじめていた。


 早速ヴァン・ショーを購入して、アベルは身体を温める。それから、小物などを売る露店をちらちらとのぞいた。


 ディルクとレオンは、半月ほど前にすでにそれぞれ自らの領地や王都へ戻っているが、もうすぐ王都で再び集まることできると思えば、寂しさは感じなかった。


 二日後に王都へ向かうアベルは、この日シャサーヌの街へ買い物に出かけていた。

 外が思ったよりも寒いと感じるのは、怪我から回復するまで外で働いてはならないというリオネルの指示を守り、ここしばらく暖かいベルリオーズ邸内に籠っていたせいだろうか。


 けれどこの日、ひとりでシャサーヌへ買い物に出かけたのは、土産を買うためだ。

 土産――それは、友人たちに贈るためのものだった。


 王都へ行く途中には、必ずラトゥイ領を通過する。ラトゥイ領の中心都市アルクイユには、かつて知り合ったタマラとミーシャが住んでいる。

 通過する際には、一瞬でもよいから彼らに会えたらいいと考えていた。

 正直にその旨をリオネルに告げると、かろうじて街へ出て買物をする許可が下りた。心配症のリオネルは、用心棒としてダミアンをいっしょに行かせようとしたが、彼は直前にクロードに呼ばれて仕事ができて、結局アベルはひとりきりである。


 実のところ、買物はひとりのほうが気楽でいい。

 すぐに土産が決まらないとなおさらだ。


 小さな硝子玉で作られた耳飾り、刺繍の細やかなハンカチ、美しい色に染色されたエプロン、小さな花籠……どれも素敵で迷ってしまう。タマラとミーシャはどんなものが好みだろうかと想像しながら歩いていると、声をかけられた。


「これはどう?」


 差し出されていたのは、硝子で作られた髪飾りだ。

 赤と橙色の小さな硝子玉が幾つも繋がり、スミレの花の形をしていた。


 ――かわいい、と思うと同時に、声に聞き覚えがある気がして何気なく顔を上げる。

 と、次の瞬間には目を見開いた。


「やあ、やっと見つけたよ」

「ジ、ジークベルト!」


 思わず声を上げれば、軽く身体を抱き寄せられ、抱擁された。

 ……これくらいの抱擁なら、男どうしでもおかしくないぎりぎりの線だろうか。


 いや、待てよ。とアベルは思う。

 ジークベルトはアベルが女性であることを知っているはずではなかったか。


「あのっ――」


 言いかけてやめたのは、わずかな――それはほんのわずかな殺気をどこからか感じとったからだ。

 殺気……?

 こんなところで殺気とは、いかなることだろうか。

 ちらとアベルが周囲に視線を巡らせた直後、ジークベルトはあっさりと身体を解放した。


 放浪の騎士ジークベルトは、現ローブルグ王の甥にあたり、次期国王と定められた高貴な身分の青年だ。その彼があちこちを旅しているのは、若くして亡くなった父親の代わりに広い世界を見たいという思いと、そして堅苦しい王宮の生活や玉座に関心がないという彼の自由な思想に基づく。


 ローブルグの王宮で別れて以来、約二ヶ月半ぶりの再会だった。


「なぜあなたがここに?」

「ずっと探していたんだ」

「え? だれを?」

「きみ以外にいないだろう」


 ジークベルトが、端正な顔に苦笑をひらめかせる。


「ユスター軍が攻めてきて、ベルリオーズ家の騎士団が出兵したことは、おれの耳にも入ってきた。アベルのことが心配で、セレイアックを通過する騎士団を確認しにいったが、きみの姿は見当たらず、シャサーヌに残ったのかと思ってこの街の周辺に留まっていたんだ」

「あの……ご心配いただいたみたいで」

「戦いには参加しなかったのか?」

「いいえ、別行動で」

「まさか、ユスター軍と戦ったのか」


 青く澄んだ瞳を見開くジークベルトに、アベルはゆっくりうなずきを返す。


「きみは女の子だろう?」

「戦って主君を守ることは、従騎士の務めです」


 アベルの言葉に軽く困惑の色を浮かべてから、ジークベルトは細いアベルの身体を頭の天辺からつま先まで見やる。


「怪我とかは、なかったのか」

「ええ、もちろん」

「……大丈夫だったのか。ならいいけど」


 ザシャに深手を負わされたことを、アベルはジークベルトには告げなかった。心配されるのは得意ではないからだ。


「アベルが戦場には行ってないと思い込んで、帰還した騎士団の姿は確認しなかったんだ。わかっていれば、もっと早くにきみの無事を確認することができたのに」


 立ち話を続けようとするジークベルトの手をちらと見やって、アベルは尋ねる。


「それ、かわいいですね」


 ああ、とジークベルトは視線を下げた。


「アベルに似合うと思って」


 アベルは困った顔で笑う。


「わたしはつけません。お土産を探していたのです」

「土産? いや、これはアベルのために見つけたんだ。ぼくがきみに贈るよ」

「……お気持ちはありがたいですが、スミレの髪飾りをつけた従騎士なんておかしいでしょう?」

「従騎士としてはね」


 でも、とジークベルトはじっとアベルを見つめる。


「髪飾りをつけて、そのままぼくのお嫁さんになればいい」


 声を立ててアベルは笑った。


「新しい冗談ですね」

「きみは相変わらずだね。よかったら、このへんの店で温かいものでも飲んで話さないか?」

「その髪飾りを、お土産としてわたしに買わせてくださるなら」


 スミレの髪飾りへ視線を向けてから、ジークベルトは屈託なく笑った。


「交渉成立」

「ローブルグの方と交渉を成立させるのは二度目です」


 冗談を言えばジークベルトが笑う。

 ミーシャにはスミレの髪飾りを、タマラには刺繍の美しいハンカチを買い、アベルはジークベルトと共に店へ向かった。


 けれど、店に入る直前に事件は起きる。


 扉を開けてジークベルトがアベルをなかへ促そうとしたとき再び、あの殺気が漂った。


 アベルが気づいたのだからジークベルトが気づかぬはずがないが、彼はゆっくりと振り返っただけで、長剣に手をやることなかった。

 ジークベルトの胸に、まっすぐ短剣の先を突きつけていたのは……。


「ジュストさん?」


 ――まさかのジュスト。

 慌ててアベルは名を呼ぶ。こちらもなんの冗談だろうか。けれど、ジュストの目は真剣だった。


「貴様、アベルをどこへ連れ込むつもりだ」

「きみは新しい用心棒かい? ずいぶん若いようだけど」


 ジークベルトは、余裕の体で相手に尋ねる。


「ち、違います。同じ従騎士のジュストさんです。ジュストさん、この人は友達なんです。というより……いつからいたのですか?」

「アベルは黙っていて」


 鋭い口調でジュストに言われて、アベルは目をまたたく。なにをそんなに殺気立っているのだろう。


「友達だと? 宿屋に連れ込んでなにをする気だったか、聞かせてもらおうか」


 宿とはどういうことだろうと、アベルが店の看板を見れば、たしかにそこは飲食店ではなく宿屋だ。


「きみがなかなか姿を現さないから、いいかげん鬱陶しくてね。ここへ入ろうとすれば、姿を現すかと思って」


 涼しい様子でジークベルトは言う。彼はとっくに気づいていたらしい。


「言い訳はけっこうだ。アベルから離れて、今すぐこの街から出て行け。さもなくば捕らえてベルリオーズ邸の牢につなぐぞ」

「厳しいね。牢に繋がれるのは困るな」


 とぼけた様子のジークベルトをまえに、ジュストの瞳にいよいよ本気がちらつく。従騎士といえども、何事においても優秀なジュストは、ベルリオーズ家きっての剣の使い手だ。


「あ、あの、ジュストさん! 本当にこの人は友達なんです。剣を下ろしてください」

「アベルは黙っているようにと言っただろう」

「じゃあ、こうしませんか。三人で温かい飲み物でも飲んで話しましょう」

「…………」


 二人から同時に沈黙が返ってくる。もうひと押しだとアベルは勝手に解釈した。


「ほら、こんな状態ではちゃんと話しあえませんから。ジュストさん、この人は私やリオネル様の友達ジークベルトです。ジークベルト、さっきもちらと言いましたが、この人はベルリオーズ家の従騎士でわたしの先輩のジュストさんです。立ちっぱなしでは身体も冷えますし、行きましょう」


 二人の手をとって、アベルは強引に歩きだす。引っ張られて、ジークベルトとジュストはアベルのあとに続いた。







「ぼくはアベルと二人きりで話したかったんだけど」

「おれの役目はアベルの警護であって、ローブルグ人と仲良く酒を飲むことじゃない」


 気乗りしない二人をなだめすかしながら、アベルは食堂で温かい蜂蜜酒を三杯頼む。

 甘い香り漂う酒をまえに、二人とも無言になった。


 麦酒の好きなジークベルト。

 甘いものは飲まないジュスト。

 けれど、アベルはあえて蜂蜜酒を選んだ。


「甘いものを飲んだほうが、和やかな気持ちになるでしょう?」


 そう説明すれば、ジュストがかすかに苛立った声をあげる。


「アベルは呑気すぎる。もっと警戒心を持ったほうがいい。自分と周囲を客観的に見たことがあるか? この男はどこからどう見ても下心の塊だ」


 下心の塊とは……。

 ジークベルトは冗談が好きなだけだ。あまりの言いようにジークベルトのことを気の毒に思う傍ら、ジークベルト本人は声を立てて笑った。


「ヴィートといい、レオンといい、このジュストくんといい、アベルのまわりにはおもしろい人たちが集まっているね」

「それで? おまえは、リオネル様のまえに引き出されたいのか?」

「それは困る。どうしてもこの街から出ていってほしい?」


 ジュストがどう答えようか迷う面持ちになっているあいだに、ジークベルトは「べつに、かまわないけど」と軽く続ける。


「アベルの無事を確認することが滞在の目的だったし、もうこの街に用はないから。出ていくことはかまわないよ」

「…………」

「その代わり、ここで少しだけアベルと二人きりで話をさせてよ。ジュストくんは店の片隅で見張っていてくれてかまわないから。きみがいると、せっかくアベルに会えたのに台無しなんだ」


 どうすべきか、とジュストの顔には書いてある。優秀なジュストでさえ、すっかりジークベルトのペースに巻き込まれているようだった。


「ぼくたちの会話をしばらく邪魔しないでくれるなら、この街を出ていくことは約束するよ。そうすれば、もうアベルには近づけないだろう?」


 渋々といった様子ながらも、ジュストは無言で立ちあがった。

 あのジュストが説得されるとは。アベルは半ば感心しながら二人のやりとりを見守る。


「変な真似をしたら、斬るぞ」

「かまわないよ」


 部屋の隅のテーブルへ移動するジュストの後ろ姿を見やりながら、ジークベルトは微笑する。


「これも、アベルの頼んだ蜂蜜酒のおかげかな?」

「ジュストさんは、ひと口も飲んでいなかったみたいですが」

「この甘い香りだけで充分だよ」


 ……そんなに甘いだろうか。

 アベルは蜂蜜酒の杯に顔を近づけてみる。ほのかな蜂蜜特有の香りが、幸せな気分にさせてくれた。


「本当にきみの周囲はおもしろい人ばかりだけど、皆、手強いね。二人きりになるだけのために、この苦労だ」

「皆で話すのも楽しいですよ?」

「ぼくは二人きりがいいんだ」


 ゆっくりと蜂蜜酒を口に運ぶジークベルトの横顔を、アベルはちらと見やる。


「アベルは最後までぼくの正体を、ジュストくんに明かさないでくれたね」

「それは関係ない話なので」

「でも、明かせば彼がすぐに引き下がることはわかっていただろう?」

「旅をしているときのジークベルトは、だれのまえでも、なんの肩書きも身分もない、ただのジークベルトでしょう?」


 アベルの言葉にジークベルトは目を細めてうなずいた。


「そのとおりだよ」

「きっと、いつかジークベルトがローブルグの王様になって、わたしがあなたの前では頭を下げる立場になっても、きっとこれまでと変わらずお互いに話していられると思います。肩書きとか、生まれとか、そういうものと関わりのない人間として生きたい気持ち、わたしにもよくわかりますから」


 ジークベルトは嬉しそうに笑ったあと、ふとアベルの顔を見やった。


「アベルはもしかして貴族の出身なの?」


 問われてわずかに困惑する。


「……もう忘れました」


 しばしの沈黙のあと、ジークベルトはうなずいた。


「そうか」


 この話題から離れたくて、そういえば、とアベルは切り出す。


「ユスターとの戦いでは、ヒュッター様の名代としてエーリヒ・ハイゼン様が軍を率いて駆けつけてくださったんです。おかげでシャルムは危機を乗り越えました」

「ヒュッターの名代? エーリヒ・ハイゼンが?」


 驚いた様子でジークベルトは聞き返してくる。


「ええ、こちらは正規軍が動きませんでしたから、フリートヘルム陛下も気を使ってくださったのだと思います」

「それで、ヒュッターの名を使ったのか。叔父上らしい……」


 口元を緩ませたジークベルトだが、すぐに思い至る面持ちになる。


「エーリヒ・ハイゼンは癖のあるやつだっただろう?」

「あまり個人的にはお話ししなかったので」

「彼は、父親も祖父も軍人でね。それも全員シャルムとの戦いで命を落としている」

「……そうなんですね」

「シャルムのことを根っから憎んでいるから、今回の同盟にも反対していたはずだ。それなのに、叔父上もよく援軍に差し向けたね。まったく意地の悪いことだ」

「シャルム人と手を携える機会を作りたかったのでは?」

「たんなる嫌がらせだよ」


 決めつけるジークベルトに、アベルは苦笑する。


「フリートヘルム陛下は、そんな方でしたか?」

「とにかく変わってるから」

「ええ、それは気づきましたけど」

「叔父上の話はもういいよ。きみと二人になってまで話すことじゃない」


 アベルは首を傾げる。いったいなんの話ならいいのだろうか。


「なにか特別なお話でもありましたか?」

「そう、特別な話。アベルの髪がどれほど綺麗で、アベルの目がどれほど澄んだ水色か、それに、アベルの唇がどうして咲きかけの花弁を思わせるかということについて話したかったんだ」


 ぷっ、とアベルは笑う。


「本当におもしろい人ですね」

「おもしろい? どのへんが? ぼくは大真面目だよ」

「わかっていますよ、ジークベルト」

「わかっていないだろう?」

「わかってますって」


 笑いながら、アベルはジュストの残した蜂蜜酒のぶんまで飲む。


「きみは意外と酒に強いんだね」

「意外でしたか?」

「わかる気もするけど」


 取り留めのない話をしばらく続けたのち、痺れを切らしたジュストに促されてアベルはジークベルトと別れ、ベルリオーズ邸へと戻った。










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