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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~
391/513







 こちらにも、酒が入って舌が滑らかになった男がいる。


「残念ながら、私はリオネルの腕が動いた現場に居合わせなかったのですよ」


 淡い茶髪と屈託ない笑顔が印象的な青年ディルクだ。

 会場の奥、一段高い壇上に置かれた大きな卓を囲むのは、ベルリオーズ公爵クレティアンとその息子リオネル、ベルトラン・ルブロー、アベラール家嫡男ディルク、そしてシャルム王国第二王子レオン、とそうそうたる面々だ。


「けれど聞いた話では、敵軍に突入し、フランソワ殿のために負傷したアベルを、馬上から救いあげるために突如動かせるようになったとか。なっ、ベルトラン」

「おれだって現場を見たわけではない」

「でも直前までそばにいただろう?」

「ぜひとも話を聞きたい」


 ベルトランへ視線を向けたのは、ベルリオーズ公爵だ。

 他に目撃者がいなかったなかでは、状況を最も詳しく知るのはベルトランだけだ。彼は話を振られて仕方なしにうなずいた。

 生来無口なベルトランは、食事中などはさらに口数が減る。だが、クレティアンがこのことについて深い興味を示しているのだから、重い口も開かぬわけにはいかなかった。


「お話しするのはかまいませんが、私は一部始終を見ていたわけではありません」


 公爵に語りかける口調でベルトランは言う。


「途中まででいいから聞かせてほしい。その先はリオネルが引き継ぐだろう」


 何杯目かわからぬ葡萄酒を口にしているリオネルは、涼しい表情で赤毛の用心棒と父親へ向けて微笑した。

 ベルトランは諦めた様子で口を開く。


「……厳しい戦いのさなか、敵はシャルム陣形の中央を攻めるとみせて、直後には大軍を率いて右翼を狙ってきました。私とリオネルは急ぎ大軍の実態を確かめるために前方へ出ましたが、その際、右翼の陣形から、敵の大軍めがけて、たったの二騎で突っ込む向こう見ずなシャルム騎士の姿を見ました」

「それが、フランソワ殿とアベルだったというわけか」


 ディルクは楽しそうだ。ちらと彼を見やってから、ベルトランは言葉を続ける。


「二人の命はもうないものと思われました」

「あまりに無謀な行動だったからね」

「すぐに二騎のうちの一騎がアベルであることに気づいたリオネルは、私に騎士らを率いてくるよう命じながら、敵軍のほうへ突っ込んでいきました」

「それはリオネルも危険な真似を」

「少しは黙っていたらどうだ?」


 いちいち話の腰を折るディルクへ、レオンが平らな声を向ける。が、ディルクは苦情を聞き流してベルトランに尋ねた。


「話の続きは?」

「私が騎士らを連れて戻ったときには、すでにリオネルは左腕で血まみれのアベルを抱えていました。私が知っているのは以上です」


 公爵へ向けて話し終えると、ベルトランはもう話すまいと宣言するように、目のまえの鹿肉を口のなかへ放りこむ。


「私が見ている目のまえで、アベルはザシャ・ベルネットの剣を身体に受けました」


 これまで話を聞いていただけのリオネルが、続きを引きとった。


「心臓が凍るかと思いましたよ」


 皆あらためて聞く当時の状況に聞き入っている。ただひとり、食事に集中するベルトランを除いては。


「ザシャ・ベルネットとは?」


 クレティアンが尋ねる。


「ローブルグでレオンとアベルを監禁したユスターの使者です。彼は罪を暴かれ、本国へ送還されましたが、このような形で復讐にでるとは思いも寄りませんでした」

「本当に、あのとき殺しておくんだったな」


 返す返すも悔しそうに言うディルクに、リオネルはゆっくりとうなずいた。


「ああ、おれもそう思っている」


 他国の正式な使者を殺めるのは外交上の問題になるが、それでも殺めておくべきだったとリオネルは言う。


「そうすれば、これほどの事態にはならなかった」

「どの時点で腕は動いたのだ?」


 クレティアンが最大の関心事へと話を促す。


「馬から崩れ落ちていくアベルを見たときです。剣を手放すわけにはいかない状況で、彼を抱き止めるため、気がつけば左腕が自ずと動いていました」

「……そうか、そのようなことが起きるのか。不思議なものだ。あれほど動かなかったのに」

「どういう仕組みなのだろうか」


 考えこんだ末に、レオンが独り言のようにつぶやく。


「意識しても動かないものが、強い衝動をまえにして、意識の外で作用したということか」


 どうやらレオンはこの件を、彼の最大の関心事である哲学的な範疇で捉えたらしい。


「小難しい話じゃなくてさ、ようするに全身全霊でアベルを助けようとしたってことじゃないか?」

「それではなんの解決にもなっていないだろう。意識と、意識の水面下にあるものが、行動や身体にいかに影響しているかを検証する、実に興味深い話だ」

「はあ、そうですか」


 哲学的なことに関してめっぽう疎いディルクは、どうでもよさそうだ。


「なにかわかったら教えてほしい」


 とリオネルは、真剣に考えこむレオンへ笑いかけた。


「そのときのアベルの傷はどれほどのものだったのだ?」


 クレティアンに問われると、リオネルは笑みを消し、かすかに眉を寄せた。


「左胸から腹部にかけて斬られました。回復した今だからこそ言えますが、助かったのが奇跡と思えるほどの怪我でした」

「そうか」


 なにか考えこむようにクレティアンはうなずいた。


「いや、本当にアベルが回復してよかった」


 しみじみと言うレオンにディルクが同調する。


「アベルになにかあったら、今夜の祝会だってだれも楽しめなかった」

「いや、そのときには祝会など開かれなかっただろう」

「ああ、そうだね。話を聞いていたら、なんだか無性にアベルを抱きしめたい気分になってきたよ」


 そう言いながらディルクは、騎士らと話をしているアベルへ視線をやった。

 ほぼ同時に咳払いをしたのはベルトランとクレティアンだ。けれどリオネルは静かに葡萄酒を口へ流し込んでいるだけだった。


「話が聞けてよかった。戦いの様子なども聞きたいが、話しはじめれば長くなるだろうから、先に私からそなたらに伝えておきたいことがある」


 重々しい口調で切り出したのはクレティアンだ。皆の視線が公爵へ集まる。


「エストラダのことだ」


 ベルデュ大陸の北部に位置するエストラダは、近隣の国々へ侵攻を目論み、これまで圧倒的な強さでフェンリャーナ、アカトフ、エルバスの王都を支配下に置いてきた。その後、一年半にわたって次なる獲物、大国ブルハノフと剣を交えてきたが。


「いずれ騎士ら……そして領民らの耳にも届くだろうが、エストラダがブルハノフの王都を陥落したとの報が、そなたらの帰還する前夜にもたらされた」


 食卓に沈黙が流れた。

 最初に沈黙を破ったのはディルクだ。


「まさかあの大国が?」


 これまで驚くほど短期間で各国の王都が制圧されてきたが、フェンリャーナ、アカトフ、そしてエルバスも皆小国だった。だが、今回は北東の大国ブルハノフが負けたとは。


「だからこそ一年以上かかったというべきか」

「けれど……」


 ディルクは納得できぬ様子だ。


「エストラダはかつてそれほど軍事力があったわけではありません。それが、急速に力をつけ、次々と近隣諸国を征服し、今度はあのブルハノフまで」

「すでにクラビゾンに侵攻しているそうだ」


 さらなるクレティアンの言葉に皆が押し黙った。

 クラビゾンは、シャルムの同盟国であるネルヴァルと国境を接している。もしクラビゾンが征服されれば、今度はネルヴァルに攻め入る可能性が高い。なぜなら、それによってシャルムの竜に食らいつく鷹の国土図が完成するからだ。


 竜の形をした強国シャルム。

 かつては隣り合うローブルグとシャルムの両国が、このベルデュ大陸でもっとも恐れられる二大強国だったが、今や、そのシャルムの竜の国土に喰らいつくように、エストラダが領土を広げている。



「やはり狙いは我が国だろうか」


 レオンがつぶやく。


「シャルムを支配下に治めれば、南の海へ出る陸路も、カトリーヌ大陸への航路も確保できるからな」


 不機嫌なベルトランの言葉に、葡萄酒を傾けながらディルクがつけたす。


「いや、やつらの目的は我が国だけではなく、最終的にこの大陸の全土を支配することかもしれない」


 エストラダの支配が暴虐を極めるという噂は、はるか北方からここシャルムにまで伝わっている。

 貴族の館から民家に至るまでが略奪の対象で、刃向かう者は殺され、男も女も奴隷同然に扱われる。支配された土地から逃亡した者たちが、ネルヴァル、シュレーズあたりに住みつきはじめているという話も聞こえてきていたが、逃げ延びた先もまた戦場になれば、難民はさらに数を増して南下してくるだろう。


「我々が、泥沼の戦いに身を投じる日も近づいているということか」

「シャルムの国民を、エストラダの支配下におくわけにはいかない」


 真剣なレオンの口調に、ディルクがしっかりうなずき返す。

 マチアスがさりげなく継ぎたす酒へ優雅に口をつけながら、ディルクはリオネルへ視線を向けた。


「さっきから黙っているけど、リオネルはどう考えているんだ?」


 話を振られ、リオネルは静かな眼差しで親友を見返す。


「攻めてくるつもりなら、戦うまでだよ」

「さすが肝が据わっているな」

「でも、気になっていることがある」

「なんのことだ?」


 リオネルは軽く顎に指を添えた。


「ザシャ・ベルネットと剣を交えたとき、彼は言っていた。――我々西方諸国はけっしてエストラダには勝てない。正面から戦えば、我々は必ずエストラダに敗北すると」

「西方諸国はけっしてエストラダに勝てない? なぜ」

「彼らは人の力を超えているからだと」


 ディルクは眉をひそめる。


「人の力を超えているというのは……」

「神がエストラダを祝福しているからだそうだ」

「エストラダには、不思議な力を持つ者が生まれるというから、そのことだろうか」

「神から力を与えられた者に、我々は対抗できないと」

「それでシャルムを打ち負かして、エストラダに献上でもするつもりだったのか」

「そうかもしれないね」


 二人の会話を聞いていたレオンが首をひねる。


「どんな力を、エストラダは有しているというのだろう」

「魔術とか?」


 まさか、とレオンがディルクの意見に苦笑する。


「魔術などありえない。……しかし、未知だな」


 ベルトランはクレティアンを見やった。


「おそらくクラビゾンでは、エストラダの侵攻を食い止めることはできません。ネルヴァルが彼の国と戦うことになれば、我が国もついに戦に巻き込まれることになるのでしょうか」

「そうなるだろうな」

「またジェルヴェーズ王子あたりが、王弟派だけに押しつけてこなければいいけれど……」


 ディルクのつぶやきにレオンが肩をすくめると、すぐにクレティアンが言った。


「それはないだろう。相手がエストラダとなれば、シャルムは全力で戦わざるをえなくなる。正規軍が動ずにはすまされない」

「平和は長く続かないものですね」


 しみじみとディルクが言ったとき、会場の中央から椅子や机が移され、踊ることのできる空間がひらかれる。すると、楽曲もそのためのものに変わった。

 恋人や妻を伴った騎士らが進み出て、曲に合わせて踊りはじめる。


「婚約話もなくなったんだし、リオネルもだれか誘って踊ってくれば?」


 リオネルは首を横に振る。


「おれはいいから、ディルクが行ってきたらいい」

「そう? じゃあ、アベルでも誘おうかな」


 ディルクの台詞に、周囲は「え」と動揺を示した。


「どうかした?」

「男同士で踊るなど、どう考えてもおかしいだろう」

「レオンがそれを言うのか? ローブルグ王とは踊ったんだろう? いや、まだなのか」


 目を丸くするクレティアンのまえで、レオンは顔を引きつらせた。


「この――ディルク、覚えていろ。いつか必ず復讐してやる」

「おお、怖い。もちろんぼくがアベルを誘うというのは冗談だけれどね」

「なぜ、レオン殿下とローブルグ王が……」


 未だに意味がわからぬといったふうにつぶやいたクレティアンが、けれど説明を受けるまえに、はっとした表情になる。


「そうか、フリートヘルム王は――」


 ローブルグ国王が、男色家の変わり者であることは有名な話だ。


「叔父上ッ」


 慌ててレオンが立ち上がる。


「みなまで言わないでください。ただの勘違いです。なにかの間違いなのです。どうぞお気になさらず」

「まあ、そう照れるなよ。ということは、踊りがまだなら、キスもまだなのか?」


 にやにや顔で尋ねてくるディルクに、ついにレオンは剣の柄に手を添えた。


「殺してやる。この場で殺して、減らず口を二度とたたけないようにしてやる」


 まあまあ、とレオンをなだめたのはクレティアンだ。


「両国の親睦が深まることはいいことです、レオン殿下。表現は極端ですが、ディルク殿もそのことが言いたかったのでしょう」


 その傍らで、マチアスが深々と頭を下げる。


「申しわけありません、レオン殿下。主人の不適切な発言につきましては、どうぞ臣下である私をご処分ください」


 一方、止めなくていいのかと尋ねてくるベルトランへ、リオネルは穏やかに笑ってみせた。


「ああやって友好を深めているから、いいんだよ」


 まえも似たようなことを言っていたが、果たして本当なのだろうかとベルトランが首をひねったのは言うまでもない。











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