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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第六部 ~一夜の踊り子は誰がために~
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64







 起きあがろうとしたが、身体がついていかない。


「大丈夫だ、おれたちが見てくる。アベルはここで待っていてくれ」

「いっしょに……」


 いっしょに行きたい。

 そう言いかけたが、リオネルの笑顔に制される。


「火の始末を誤っただけかもしれない。とにかく、すぐに戻るからアベルは先に休んでいてくれないか」


 そうか――、とアベルは思う。今の状態のアベルがいったところで、足手まといなだけだ。ならばここで大人しく待っていよう。


 リオネルとベルトランが天幕を出ていく。

 ひとりになると、急に部屋の温度が下がったように感じられる。ゆっくりと目を閉じた。


 アベラール軍の宿営地からは、どれくらいの火の手が上がったのだろうか。ベルリオーズ家の騎士らも皆駆けつけているだろう。

 ――何事もなければいいが。


 そんなふうに思っていたときだ。

 天幕の扉が開く気配があった。

 リオネルらにしては早すぎる。重く感じられる身体をすぐに起こして扉口を見れば、見知らぬ男の姿があった。


「なるほど、まだ残っているやつがいたのか」


 男がつぶやく。


「えらく上等な子供じゃねえか」


 アベルは起きあがり、そばにあった長剣を掴む。そのあいだにも、男の背後から仲間らしき者が続々と天幕へ侵入してきた。


 ――夜盗か。


 とすれば、アベラール軍の宿営地で上がった火の手というのは、この者たちの仕業だったのか。アベルは剣を鞘からゆっくり抜き放つ。

 リオネルの持ち物を、かような輩に渡すわけにはいかない。


「去りなさい」

「去れだと? 威勢がいいじゃないか。なら、おれたちをここから追い出してみろよ」


 男たちが剣を鞘走らせた。

 アベルは抜き放った剣を容赦なく男たちへ振り下ろす。たちまち数名の夜盗が倒れたが、問題が生じたのはその直後のことだ。

 さらに立ち回ろうとしたとき、アベルは腹部に激痛を覚え――それは立っていられないほどの痛みで、なんとか踏みとどまったものの、剣を握りしめたまま動きを止めざるをえなかった。


 むろんその隙を敵が見逃すはずはなく、一瞬のうちに夜盗のひとりがアベルの腹部を蹴った。息も詰まるほどの痛みに、目の奥で光が走り、アベルはその場に倒れる。賊が集まり、アベルの身体を押さえつけた。

 意識を失わなかったのは、最後に残った責任感からだったかもしれない。


 アベルを捕らえた賊が、顔を覗き込んで怪訝な声を発する。


「こいつ、以前このあたりで襲ったやつに似てないか」


 別の声がした。


「随分と仲間を殺してくれたやつか。たしかに、こんな金髪だったな」

「えらい美人じゃねえか……って、おい、血がでているぞ」


 盗賊がアベルの腹部へ視線をやって顔を顰めている。


「だれだ、商品に傷をつけたのは」

「おれじゃねえよ」


 とアベルを蹴り上げた男が言う。


「おれは蹴っただけだ、刃物は使ってない」

「これじゃ売り物にならねえぞ」


 大きく舌打ちした賊は、浅い呼吸を繰り返すアベルの髪を、ぐいと上へ引いた。


「しょうがねえなあ、値は下がるがこれだけの顔なら買うやつもいるだろうよ。連れていくぞ」


 抵抗しようとしても、力が入らない。部屋の隅で男たちの話す声が聞こえてくる。


「すごいぞ、剣吊り帯に使われている皮――これはかなり上等だぜ」

「こっちには小さいが上等な宝石がついている」

「この外套だって高く売れるぞ。さすがは貴族だ」

「見ろ、金貨が何枚入ってるんだ?」


 夜盗はリオネルやベルトランの荷物を漁っているらしい。


 悔しかった。このような男たちに、目のまえで、リオネルやベルトランの所持品を盗まれるなんて。

 本当なら指一本触れさせたくない。

 力を振り絞って、アベルはそばに落ちている剣へ手を伸ばす。が、すぐにその手は夜盗の足に踏みつけられた。


「早く連れて行け。この怪我じゃ、たいして動けないだろうが、激しく抵抗するようだったら殺してもいい。この金糸の髪だけでも、けっこうな値がつくだろうよ」


 身体を手荒に抱え上げられると、息が詰まった。

 ――痛い、という言葉では表しきれない。傷口が焼けるようだ。

 壮絶な痛みの在り処へ左手を持っていけば、温かく濡れていた。傷が開いたのだ。


「おい、待て」


 声がした。

 その声に、アベルは聞き覚えがある。


 ――嘘だ、と思った。


 聞こえなければよかった、いや、聞き間違いであってほしいと思った。

 けれど、その声はたしかにアベルの知っている人のものだった。


「やめろ、そいつは怪我をして、いつまでもつかわからない。置いていったほうがいい」

「馬鹿を言え」


 アベルを抱えている男が怒鳴る。


「金貨一枚にでもなれば上等だろう」

「ならば、この場で髪だけ切っていけばいい。どうせ命は助からない」

「おい、サミュエル。ごちゃごちゃ言うようなら、おまえは先に戻ってろ。邪魔だ」


 そう言って賊がアベルを抱えて歩きだすと、サミュエルが叫んだ。


「やめろ! 連れていくな!」

「なんだと?」


 盗賊の声が凄みを帯びる。サミュエルがまとう空気がわずかに怯んだようだった。それでも言い返す。


「し……死にかけた怪我人まで金にする必要はないだろう」

「今更、綺麗事を抜かすのか」

「まだ子供じゃないか、わざわざ連れ帰って殺す必要はない」

「サミュエル、おまえ、自分が何を言っているのかわかっているのか? つまらないことを抜かし続ければ、どうなるかわかっているんだろう? 妹の居場所をおれたちは知っているんだ」

「妹の話を持ち出さないでくれ。それとこれとは話が違う」


 彼らの会話を、アベルは朦朧とした意識のなかで聞いていた。身体が思うように動いたら、このような男たちなど一瞬で斬り倒すことができるというのに。――悔しい。


「ああ、よくわかった。じゃあこの死にかけの怪我人の代わりに、おまえの妹を連れてこいよ。妹を売れるなら、こいつを置いていってやる」


 サミュエルが言葉に詰まる。


 ――もういい。

 もういいよ、とアベルは心のなかでサミュエルへ語りかけた。


 充分だ。気持ちは充分に伝わった。三年前、サミュエルは同じ決断を迫られたに違いない。こうして苦しみ、迷い、己を責めながらアベルを売ったのだということが、今更ながらわかる。


 アベルを抱えた男は、なにも答えぬサミュエルをひと睨みして出入り口へと向かう。

 ――が、その足が止まる。

 男が開けるより先に、天幕の入口が開いたのだ。


 夜盗たちが息を呑んだ。

 入口に現れたのは、長身の騎士である。彼はすでに抜き身の長剣を手にしていた。









 賊に抱えられたアベルの姿を目の当たりにして、リオネルの瞳が細められる。


「貴様ら――」


 低い美声と同時に、リオネルの剣がひらめく。

 所詮、盗賊などリオネルの敵ではない。〝撃ち合い〟ともいえぬほどリオネルの圧倒的な強さで、夜盗らが次々と倒れていく。


 アベルを抱えていた賊は、天幕を突き破って出入り口ではない場所から逃れようとするが、その背中をリオネルの一刀で斬られ、倒れ伏す。

 崩れ落ちる男の手から、リオネルはアベルの身体を救いだした。


「……アベル、アベル」


 張りつめた声に名を呼ばれる。

 こちらをのぞきこむリオネルの紫色の瞳を、アベルは見返した。


「リオネル様――」

「すまなかった」


 意識があることに安堵した様子のリオネルに、身体を抱き寄せられる。


「傷は痛むか? すぐに片をつけるから、あと少しだけ待っていてくれ」


 リオネルは立ち上がると、そばで剣を振るっていたベルトランに目配せする。ベルトランは最後のひとりを残し、それ以外の夜盗はすべて斬り終えていた。

 剣をひと振りして血を払ってから鞘に収めると、ベルトランはアベルの身体を引き受ける。リオネルは最後の賊を斬るために、剣を握りなおした。


 その光景が視界の片隅に映り、アベルは息を呑む。


 ――リオネルが、サミュエルを斬ろうとしていた。


「だめ……っ」


 手を伸ばす。

 かすれた声は、リオネルに届かない。


「アベル?」


 ベルトランが怪訝な様子で尋ねてくる。


 リオネルが長剣を振り上げる。サミュエルも剣を構えてはいたが、勝ち目がないと悟っているらしく、瞳には恐怖と諦めの色が浮かんでいた。


「……あ――」


 リオネルの剣が振り下ろされる。


「サミュエル……!」


 残された力の限りを振り絞ってアベルはベルトランの腕を押し退け、転がるようにしてサミュエルにしがみついた。

 リオネルが息を呑んだのがわかった。


 すでにリオネルの剣は、サミュエルをかばったアベルの背中のすぐそばまで振り下ろされている。リオネルほどの腕の持ち主でなければ、この位置で手を止めることはできなかっただろう。


 言葉も出ない様子でリオネルが立ち尽くしている。長く感じられる沈黙の末に、ようやくリオネルが声を発する。


「アベル……」


 ひとたび名を呼ぶと、それから大きく息を吐いた。


「なにをしたのかわかっているのか」


 リオネルの声が硬い。当然のことだ。もう少しで、自らの手でアベルの身体を傷つけるところだったのだから。


「ごめんなさい」


 無理に動いたせいで傷口が余計に痛む。それでもアベルは、サミュエルから離れようとしなかった。


「この人を……殺さないでください」


 リオネルの沈黙が重い。


「知る相手なのか?」


 なにも言わぬリオネルの代わりに尋ねたのはベルトランだった。


「……三年前コカールの街で、病気になって動けなくなったときに助けてもらったんです。この人が――サミュエルがいなければ、わたしは……」


 最後まで言葉が続かなかったのは、苦痛のためだ。姿勢を保っていられなくなり、アベルは身体を折って、サミュエルの服に片手でしがみついたままうずくまった。

 駆け寄る気配はリオネルだろう。


「アベル……」


 その声に普段はけっして見せることのない動揺が滲む。


「ベルトラン、医者を」

「わかっている」


 すでにベルトランは天幕を出ようとしているところだった。


「きみは本当に無茶をする。ひどい出血だ」


 リオネルに肩を抱かれてアベルは手を伸ばす。


「サミュエルを……」

「わかった。彼の命は奪わない、大丈夫だ。だからもう話すな」


 リオネルの腕のなかで、アベルは小さくうなずく。ようやく身体から力が抜けた。力が抜けていけば、意識も遠のく。眠気のためか、痛みのせいか……。

 混沌とした世界へアベルは落ちていった。








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