第四章 木の葉は秋風に吹かれて 53
戦いを終えた諸侯らが食堂に会する。皆身体を洗い、服を着替え終えていた。
「本日ユスター軍はシャルムの国土から退却しました。駆けつけてくださった方々には、誠に感謝いたします」
一同へ向けて礼を述べたのはロルム公爵だった。
「加えて、遥かローブルグからおいで下さった方々には、言葉もありません。力を貸していただいた恩を忘れることはけっしてないでしょう。エーリヒ殿及び兵士の方々には心からお礼を申しあげます。ヒュッター殿には直接お礼を申しあげることができないので、後日、今回の戦いに参加した諸侯ら一同の連名で、感謝状を書き送らせていただくつもりです。すぐにとはいきませんが、いつか必ずこの恩に報います」
エーリヒ・ハイゼンは腕を組んだまま軽く応じる。短い期間ながらかつての敵同士共に戦ったものの、やはり彼がシャルムに対して抱く感情に変化はないようだった。
「それでは、シャルムの方々が会議をもたれるまえに、私は退室させていただきます」
エーリヒの態度を気にするふうでもなく、ロルム公爵は丁寧に会釈し、ローブルグの面々が全員退室するのを見届けると話を続けた。
「ひとまずユスター軍を追い払いましたが、再度侵攻してくる可能性を踏まえ、国境には兵を配備しておくつもりです。これについては、トゥールヴィル公爵がご家臣を充ててくださるとのことで、我が騎士団が力を回復するまでご厚意に甘えるつもりです」
ロルム公爵の視線を受けると、フェルナンは葡萄酒を優雅に口に運びながら「遠慮なく使ってください」と答える。
「アルテアガが最後まで攻めてこなかったことは、幸いでしたね」
シャルルの言葉に、ロルム公爵はうなずいた。
「本当にそのとおりです」
「今回の戦いは、どうも国同士の争いではなく、国境間の小競り合いに仕立てようとしていた感が否めません」
発言したのはディルクだ。
「アルテアガが参加しなかった理由はそこにあると?」
「ユスター軍の宣戦布告はなく、実態は不明。結果論ですがシャルムは正騎士隊を動かすことなく、またローブルグは国王の名代ではなくヒュッター殿の配下の援軍が参加し、アルテアガにおいてはまったくの不参加。つまり、各国の王が一度も関わらぬままに戦いは始まり、そして終わりました」
「この戦いが小競り合いですか」
やや悔しげにつぶやいたのはテュリー侯爵である。
「敗戦国側に、制裁を加えることができたらよかったのですが」
「残念ですが、おそらくこの戦いの責任を追及しようとも、ユスターはしらを切るでしょう」
冷静に予測するのはリオネルだ。
「そのとおりですね。ですが、実際にはユスター軍はけっして無傷ではありません。むしろ多くの兵士を失い、軍は大幅に縮小しました。それこそシャルムの国境を侵したためにユスター国が受けざるをえなかった報いでしょう」
「もう少し報いたかったものだがな。結局、敵の実態が見えぬ戦いだった」
つまらなそうに言うフェルナンに、ベルトランの兄であり、ルブロー家嫡男のエヴァリストが視線を向ける。
「あるいは、サン・オーヴァンにおられる陛下の周辺はなにかを掴んでいるかもしれません」
しばし思案してから、フェルナンは確認する。
「諜者からの情報があると?」
「ウィルニス王宮にいる諜者から、なにも伝わっていないというのは不自然です」
ユスターの王都ウィルニスにある王宮へ、シャルムは諜者を潜入させているはずだった。
「なにか知っていたとしても、我々には伝えないでしょうね」
皮肉っぽくディルクが言う。
「まあ、そうでしょうね」
ロルム公爵が同意した。
「そのあたりは、もはや当事者と陛下しかわからぬ領域です。我々には推測することしかできません」
「リオネル殿の推測とは、いかなるものでしょう?」
「私が想像したことをお聞きになっても、あまり意味はありません。どちらにせよ、陛下はこの戦いにおいて正騎士隊を動かすつもりはなかった――その事実だけで充分です」
「山賊討伐の折りもしかり、陛下は姑息な手段を選ばれる」
国王エルネストはベルリオーズ家や王弟派諸侯らを利用しつくし、追い詰めようとしているかのようだ。
「甥であるリオネル様を戦場で殺すおつもりだろうか」
悔しげにシャルルが言うと、先程から気配を消していたレオンが首をすくめた。だから会議には参加したくなかったのだと、その顔には書いてある。
「まあまあ、シャルル殿。お怒りはわかりますが、ここは公の場ですから」
静かに諌めたのはルブロー家のエヴァリストだった。しかし、まったく聞こえていないかのように、フェルナンが過激な発言をする。
「いざとなれば、我々は国王に反旗を翻す覚悟がある。トゥールヴィル家、ベルリオーズ家、ロルム家の三公爵家に加え、各地の王弟派諸侯を加えれば相当な勢力になるからな。勝ち目は充分にある」
「ですが、陛下に盾突くとなれば、正騎士隊を率いる弟君が難しい立場に立たれます」
「そのときにはさっさと隊長の座など捨てるのだな」
容易く言うフェルナンに、エヴァリストは柔和な顔を苦笑させた。
各々の意見が交わされている最中だが、先程から沈黙を貫いている者が数名いる。ギニー子爵家やムーリエ男爵家のような、公爵家に比べて位の低い諸侯らや、あるいは主人に仕える立場のベルトランやマチアスらは別として、あえて発言を控えているのは国王派に属するはずのレオンと、この戦いのあいだじゅうあまり存在感を見せなかったヴェルナ侯爵である。
ヴェルナ侯爵は自らの守備範囲で戦うことに徹しており、議論へ積極的に参加したり、他の王弟派諸侯らと特に交流を深めたりしようとする気配はなかった。彼が今回戦いに加わった目的は、まったく別のところにあるからだ。
「国内で争うことになれば、それこそ周辺国に攻め入る隙を与えることになります。私はサン・オーヴァンへ向けて兵を率いていくつもりはありませんよ、叔父上」
「おまえはそれでもいい、リオネル。だがおれたちには、亡き姉上の忘れ形見でもあるおまえを守る責任がある」
なんとも言えぬ表情でリオネルが口を閉ざしたとき、カタンと食堂の扉の向こうで音がした。
「戦いに勝つ自信はある。いいかリオネル、とにかく命を大切にしろ。おまえさえいれば、我々は現王家を叩きつぶしてシャルムを正しい道に戻せるんだ」
フェルナンは物音を気にする様子もなく話を続けているが、マチアスはちらとベルトランと顔を見合わせ、席を立つ。
フェルナンの発言を受けて再びレオンが、小さく、小さくなっていく気配を感じながら、マチアスは扉へ歩んだ。
けれど取手に触れるより先に、向こうから扉が開く。
思わぬ相手と間近で視線が絡みあう。
澄んだ青空色の瞳が、マチアスを見つめていた。
「あ」
とその口は動いたようだ。
「アベル殿!」
驚いてマチアスは声を上げた。