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「それにしても……」
一人の呟きに、もう一人がうなずいた。
「……なんというか」
三人の青年が、騎士館の最上階の廊下を歩いていた。その後方に、赤毛の若者が、一定の間隔をおいて従う。かれらは皆、正騎士隊の隊長室から自室に戻るところだった。
三人の青年というのは、リオネル、ディルク、レオンで、赤毛の若者はベルトランである。
未だ衝撃から抜けきらぬディルクとレオンの様子に、リオネルは遠慮がちに言った。
「二人を巻き込むつもりはなかったんだけど……結果的には、道連れにしてしまって、申しわけない」
謝られて、ディルクは頭をかいた。
「いっしょに残るって言ったのはおれたちだから、別にリオネルが謝ることはないよ。ただ……正直なところ、びっくりしたね」
レオンも腕を組み、ため息をつく。
「おまえたち二人が残るのに、おれだけ一人叙勲されるわけにもいかないだろう。しかし、シュザンの特訓は一年延長か」
二人の言葉を受けて、リオネルは視線を床に落とした。
ベルリオーズ家別邸から王宮の騎士館へ赴き三日たったころ、リオネルは同時期に従騎士になった仲間二人を連れてシュザンの部屋を訪れ、重要な話があると皆に打ち明けた。
騎士見習いの期間を一年延長したい――。
そうリオネルはシュザンに申し出たのだ。
今年リオネルらは十七歳になる。年の末には、全員そろって正式に騎士としてシュザンから叙勲されるはずだった。
リオネルは突然の願い出を詫びたうえで、シュザンに次のように説明した。
『私は、十四で従騎士になってより、真剣に稽古に打ち込んできました。けれど自分の力は未だ不熟です。今年、叙勲され騎士になれば、ただ剣に向き合っているわけにはいかなくなります。私はもっと鍛錬し、だれよりも強くなりたいのです』
どうか十八歳になるまで剣の腕を磨かせてほしい、とシュザンに頭を下げるリオネルをまえに、ベルトラン以外の皆が驚きを隠せない様子だった。
今回このように願い出るにあたって、シュザンに説明した理由は、リオネルの本心だ。強くならなければならないと、リオネルは心から思うようになっていた。
それは、自分自身のこともさることながら、家族や友人たち、そしてアベルのことまでも守るためである。自分の手で大切なものを守りたい。様々なことを考慮した結果ではあったが、最大の理由はここにあった。
リオネルの説明を聞いてしばらく無言だったシュザンは席を立ち、頭を下げるリオネルの前へ歩み寄った。
『義兄上が了承すれば、おれは構わない』
〝義兄〟というのは、シュザンの姉であるアンリエットの夫――つまりリオネルの父、ベルリオーズ公爵のこと。
一人息子に甘い公爵が、リオネルの意向に反意を示すとは考えにくかった。
『本当ですか?』
リオネルは顔を上げて叔父を見る。
『……どれだけ強くなる気なんだ、おまえは?』
シュザンは笑いながら言った。近いうち、自らの技量をも越えるかもしれない甥を、シュザンは嬉しいような眩しいような思いで受け止めている。
『ありがとうございます』
リオネルはもう一度頭を下げた。
『ということで、リオネルの叙勲は一年延びそうだが、おまえたちはどうする?』
シュザンはディルクとレオンを見やる。
二人は想像もしていなかった事態に、互いに顔を見合わせた。それからディルクが不敵に笑む。
『もちろんリオネルといっしょにもう一年残ります。そうですよね、殿下』
苦い表情でレオンはディルクを睨んだ。
『……ああ。おまえに言われずとも、そのつもりだ』
リオネルは驚いて二人を振り向く。
『リオネル一人に強くなられては、こちらの立場がないからな』
レオンが付け加えると、ディルクがその肩に手を置いて言った。
『レオンは、根っからのリオネルの信奉者なんだな』
『だれがそんなことを言った』
レオンはその手を払いのける。
『素直じゃないところが、レオンのかわいいところだね』
『かわいいと言うな!』
二人が言い合うのを、シュザンは可笑しそうに見ていた。
『おまえたちは本当に仲がいいな。では十八歳まで、運命を共にしなさい』
こうして三人全員が、従騎士生活を一年延長することになったのだった。
「リオネルが十八までこんな生活を続けていたら、ベルトランの護衛なんて不要になってしまうんじゃないか?」
ディルクが冗談交じりに言う。
「そのベルトランに、今度、騎士見習いをつけることにした」
リオネルの言葉に、ディルクは大きく目を見開いた。
「まさか、ベルトランに騎士見習い? 嘘だろう?」
「本当だよ」
「ベルトランは、騎士見習いをつけないはずじゃなかった?」
ディルクは以前に聞いた話を思い出して、背後のベルトランを振り返る。リオネルの従者ジュストが、ベルトラン付きの騎士見習いになりたいと申し出て、断られたという話を聞いたことがあったのだ。その結果、ジュストはベルリオーズ家の騎士隊長クロードにつくことになった。
「……リオネルの身辺警護に専念したいとかなんとか、言ってなかったっけ?」
ディルクに問われて、ベルトランは淡々と答えた。
「このところ、リオネルの周りがますます不穏になってきた。身辺警護ができるやつを、ひとり増やそうと思って」
ふうん、とディルクはうなずく。
「でもベルトラン自ら? 怖いな……シュザンより格段に厳しそうだね」
「それは不運なことだな。おれは遠慮したい」
レオンまでディルクの意見に同意したので、リオネルは苦笑した。
「いったいだれなんだ? ベルトランに付く騎士見習いは」
「……今、館にいるよ」
「今度会わせてよ」
「いつか会えるよ」
「おまえの新たな用心棒になるやつなんだろう? これからは、おまえに会うたびに顔を合わせるようになるんだから」
「たしかに、どんなやつなのか気になるな」
再びレオンもディルクの意見に同意した。
「……そのうち、ね」
リオネルは短く答える。
「そのうち? わかった、そのうちね。それにしても、リオネルの剣術強化といい、身辺警護の増員といい、ずいぶん警戒している様子だね。なにかあったの?」
先日ベルリオーズ家別邸の果樹園で起こった事件を、アベルに関する部分のみ省いて、リオネルは二人に説明した。
+++
木立の葉が色濃くなり、外にいても寒さはほとんど感じられなくなっていた。
けれどこの日は大降りの雨。
外で稽古ができない日は、シュザンの武器の手入れや修理、馬の世話などをする。本来、従騎士の仕事は、師匠の身の回りの世話にまで至ったが、シュザンの場合は王宮で務める正騎士隊長であったのと、従騎士らの身分が高すぎたので、食事の給仕や着替えの手伝いなどはしなかった。
仕事を少し早めに切りあげ、レオンは久しぶりに宮殿に戻り、風邪をひいたという母を見舞った。
ルスティーユ公爵家から嫁いで王妃となった母グレースは、齢五十を越えているが、特に病気がちというわけではない。心配して顔を見にいくと、グレースは軽く咳をしていたものの、ひどい症状ではなかった。
レオンは安堵したが、そのとき偶然グレースを見舞っていたある人物と鉢合わせになり、この時分に母を訪れたことを深く後悔した。
グレースの寝台の横にいたのは、兄ジェルヴェーズ。
母といくつか言葉を交わし、ジェルヴェーズのことは一瞥しただけで、レオンは早々に部屋を出る。すると予想通り、ジェルヴェーズはレオンを追って部屋を出てきた。
「レオン、久しぶりだな」
「ええ」
背中に声をかけられ、聞こえなかったふりをするわけにもいかず、レオンはしかたなく振り返った。
「稽古に熱心なおまえが、母上の見舞いに来るとは、感心なことだ」
「……ご容体が悪くないようで安心しました」
「リオネル・ベルリオーズ共々、従騎士を一年延長するそうではないか」
「…………」
やはりこの話を持ち出してきた兄に、レオンは苦い表情をつくった。
「ずいぶん仲が良いことだな」
ジェルヴェーズがレオンの目前まで歩み寄る。
「おまえが、それほどまでに、王弟派連中との共同生活を楽しんでいるとは知らなかった」
「……もっと剣の腕を磨こうと思っただけのことです」
「それは見上げた心意気だ。腕を上げて、今度こそリオネルを殺すか?」
間近から見下ろしてくるジェルヴェーズを、レオンは睨み返した。
「おれがやらずとも、兄上は別の方面からいろいろやられているようですが。先日、派手に襲ったのでしょう?」
「本人から聞いたのか?」
「…………」
「おまえが手を下さないから、こちらは別の手を考えなければならないのだ。……騎士館にいるあいだは襲いにくい」
「無理に襲わなくてもいいのでは」
「やつがベルリオーズ領に戻るときこそ好機だと思っていたが、もう一年王都にとどまるとは……とんだ番狂わせになった」
「それまで待てばいいではりませんか」
あっさりと言うレオンに、ジェルヴェーズは右手の拳を振り上げた。
拳はレオンの背後の壁に当たり、そこにあった燭台がジェルヴェーズの手に引っ掛かって廊下の絨毯に落ちる。
「待てるか、この馬鹿がッ」
レオンは背筋に緊張を走らせつつ、ジェルヴェーズから視線をそらして、床に落ちた燭台を見た。
「なにを焦っているのですか」
「今月でリオネルは十七になる」
「……従兄弟として、お祝いしますか?」
レオンが笑いもせずにそう言うと、今度こそジェルヴェーズの右手がレオンの左頬を直撃した。レオンは廊下に倒れこむ。
切れた口から流れる血を手のひらでぬぐいながら、レオンは半身を起こした。
「今度くだらないことを言えば叩き斬るぞ」
「そんなことをすれば、母上が哀しまれる」
「減らず口を閉じろ、レオン」
「兄上は、リオネルを葬ってどうするおつもりですか」
「おまえは、やつを葬らずして、どうするつもりなのだ」
「…………」
「われわれの王座を守るためには、あの血筋は邪魔だ。我々の立場はまだ不完全だ。あいつが生きているかぎり、貴族連中は過去にこだわり、王座をあいつに戻そうと騒ぎたてる。レオン、おまえは王位を継がないから危機感がないのだろうが、万が一にでもリオネルに王座が転がりこめば、父上も、おまえも、母上も……我々は過去の卑怯な簒奪者になり下がるのだぞ」
レオンは心中で、そのとおりだからしかたがないではないかと思ったが、さすがに口にはしなかった。そんなことをすれば、今度こそジェルヴェーズは本気で長剣を抜き払うかもしれない。
ジェルヴェーズは、床から立ち上がろうとするレオンの襟首をつかみ、強引に起き上がらせた。レオンの顔を引き寄せ、ジェルヴェーズは低い声でささやく。
「レオン、おまえの手でリオネルを殺す機会が一年延びたと考えろ」
ジェルヴェーズの本心は、王位継承順位第二位である自分でさえも、葬り去りたいのではないかと、レオンはときに思うことがある。レオンにリオネルを狙わせ、従兄弟殺し罪でレオンまでも消えてしまえば、この国で王座にふさわしい者はジェルヴェーズだけとなる。
けれどいくら冷酷な人間であるとはいえ、同じ母親から産まれた実の弟にそのような思いを抱くだろうか、とも思う。兄のことを慕っているわけではなかったが、血のつながった家族に対して、レオンはそんなふうに考えたくはなかった。
王座に就く可能性があるのは、ジェルヴェーズかリオネルのどちらかだ。兄のジェルヴェーズがいるかぎり、レオンの手にその権利は転がりこまない。父親のように、王座を簒奪しようなどとも、レオンは微塵も思わなかった。
レオンは、自分の服を掴むジェルヴェーズの手を振りほどく。
「リオネルは、延長した一年で、もっと強くなります。私のさえない腕に期待するより、優秀な刺客の技量を磨いておくほうが賢明なのでは」
そう言い捨てて、レオンはジェルヴェーズに背を向けた。