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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第六部 ~一夜の踊り子は誰がために~
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 諸侯らやフランソワと共に話をしていたディルクは、リオネルが近づくのに気づいてレオンと共に輪から外れる。


「やあ、さっきは追い返してくれてどうも」


 第一声から嫌味を言われたリオネルは、困惑の表情になる。リオネルが口を開きかけたのを遮って、ディルクが続けた。


「というのは嘘だよ。アベルが戻ってきたんだって? 本当に? 怪我を負ったというのは?」


 レオンとマチアスも真剣な様子でリオネルの説明を待っていた。


「ああ、本当だ。もう何日もまえから戦いに加わっていたようだ。今日、手薄になった右翼を突かれた際に、フランソワ殿と共に敵軍に突っ込んでいって、ザシャ・ベルネットに斬られた」

「あいつにやられたのか」


 確認するディルクの声は低い。

 リオネルがうなずくのを前にして、ディルクは眉をひそめる。


「ちくしょう、本当にあのとき殺しておけばよかったな」

「おれも同じ気持ちだが、さすがにあのときはローブルグ王の許しなしに、他国の使者をエーヴェルバイン王宮で殺すわけにはいかなかっただろう」


 渋い声でレオンに言われて、ディルクは「まあ、そうだけど」と不満げに同意する。


「傷は深いのですか」


 心配そうにマチアスが尋ねると、リオネルは表情を険しくする。


「寸でのところで致命傷には至らなかったようだが、けっして軽くはない」

「命の危険は」

「ないと信じている」


 皆のあいだに重い沈黙が降り落ちる。それを破ったのはディルクだ。


「どういう経緯でアベルは戦いに加わっていたんだ?」


 質問を受け、リオネルは眉を寄せる。


「わからないが……」


 言いながらベルトランを見やる。ベルトランが先を引きとった。


「おそらくリオネルや我々の力になりたかったのだろう」

「アベルらしいね。なんだか、わかる気がする。……それとリオネル。左腕が動いているんじゃないか?」


 ああ、とリオネルは自らの左腕に視線を落とす。


「そうなんだ。動かそうとしたわけじゃない。馬から落ちるアベルを目にした瞬間、身体が勝手に動いていた」

「奇跡のようだな」


 レオンがつぶやく。けれどディルクは未だに信じられないらしい。


「本当に動くのか?」

「ほら」


 リオネルは腕を後ろに引いたり上げたりしてみせた。


「本当だね、信じられないけど。すごいな」

「心から安堵いたしました。ご回復おめでとうございます」


 丁寧にマチアスが祝いの言葉を述べる。


「ありがとう。けれど今はアベルのことばかりが気にかかって、とても喜ぶ気持ちにはなれない」

「心中お察し申し上げます」

「アベルの意識は戻ってないのか?」

「……一度も」

「そうか……心配だな。おまえは明日からまた戦いに戻るつもりなんだろう?」

「もちろん」

「なら、今夜はアベルのそばにいてやったらどうだ?」


 友人の気遣いにリオネルは表情を和らげる。


「ああ、そうさせてもらうつもりだ」

「意識が戻ったときには、ユスターを追い払ったという報告ができるといいな、リオネル。そうすればアベルも安心してすぐに回復するだろう」


 レオンの意見にマチアスがうなずく。


「そのためにも早く勝たなくてはなりませんね」

「明日も頑張るぞ!」


 どんとディルクに背中を叩かれたレオンは、前のめりになって咳きこんだ。

 ともすれば暗く沈んでしまいそうになる雰囲気のなかで、重い空気を動かす風を吹き込むのは、案外不器用なディルクの優しさと気遣いだ。


「シャルムのため、アベル殿のため、力を尽くしましょう」

「皆、ありがとう」


 心からの感謝をリオネルは仲間に伝えた。皆が無言のうちに決意を新たにする。咳きこみながらも、レオンは幾度もうなずいていた。






+++






 ちらりちらりと光を弾きながら、地上へ舞い落ちていくのはプラタナスの葉だ。


 日が暮れた王宮の庭園だが、各所に灯る篝火に照らされて、花壇の花も、東屋も、三美神を象った彫像も、白く輝いている。


 すでに散策するには肌寒い季節だが、それでも外套を羽織って庭を歩く者の姿はある。過ぎて行く夏を惜しむかのように、彼らはゆっくりと庭園の合間を歩いていた。


「そうか、なかなか剣を指導する時間がとれないか」

「ええ。カミーユには申しわけなく思っています」


 ブレーズ公爵と、その異母弟であるノエルもまた、そういった人々に混ざって散策をしている。

 やや緊張した様子でカミーユは二人に従っていた。


「忙しいから、しかたあるまい。フィデールのときも忙しいなかよく面倒を見てくれたこと、感謝している」


 普段から笑顔の仮面を張りつけているブレーズ公爵だが、ノエルのまえでは素顔なのか、笑ってはいなかった。けれど見慣れぬというより、むしろ自然な印象だ。


「カミーユ、いつまでそうしているのだ。かしこまることはない」


 声をかけられ、カミーユは頭を上げた。たしかに相手は伯父だが、なんといってもベルリオーズ家に並ぶ大公爵家の当主である。


「あ、はい、申しわけありません」

「もっと気を楽にしていい」

「ありがとうございます」


 嬉しい半面、立場も年齢も違いすぎるので、なかなかそうもいかない。どういう顔をすればいいのかわからないでいると、公爵が笑った。


「子供は素直でいいな」


 え、とカミーユは慌てた。いったいどういう意味だろう。なにか失礼があっただろうか。狼狽するカミーユを気の毒に思ったのか、ノエルが「大丈夫だ」と笑う。


「甥のおまえがかわいいと、兄上は言っているのだから」


 各所に点在する篝火に照らされた花々が、秋の夜風に揺れる。


 やはりカミーユはなんと言えばいいのかわからなかった。


「カミーユ、そなたに会ってから、子供とはかわいいものなのだと初めて知った。ベアトリスがフィデールをかわいがっていた理由が、今になってわかった」


 カミーユは顔を上げて、不思議そうにブレーズ公爵を見上げる。


「……我が子が、一番かわいいものではないのですか?」


 子供のかわいさを初めて知ったというが、ブレーズ公爵のひとり息子フィデールだって、今は立派な若者だが、かつては子供のころだってあったはずだ。


「フィデールは私に懐かなかった。私が厳しくし過ぎたのだ。あれは母を幼くして失くしているし、頼る相手も、甘える相手もなく苦労したことだろう」


 ブレーズ公爵夫人が亡くなったということは知っていたが、公爵がフィデールに厳しく接したという話は初めて聞く。淡々としたフィデールの姿からは、そのような過去は想像できない。


「公爵様は厳しかったのですか?」


 素朴なカミーユの質問に、ブレーズ公爵はいつもの笑顔の鉄面皮とは異なる笑みを浮かべた。自嘲するような笑みにも見える。


「気づけばフィデールは、だれも頼らない――あるいは頼ることのできない者になっていた」


 ブレーズ公爵は、カミーユの質問に直接答えなかった。

 兄の言葉を聞きながら、ノエルは沈黙している。


「不思議なものだが、甥はただただかわいい」

「きっと孫もそうでしょう」


 ようやくノエルが口を開いた。


「孫か――そうかもしれないな。果たして、フィデールに結婚するつもりがあるかは、わからないが」

「そのような」


 ノエルは小さく笑った。冗談だと思ったのかもしれない。


「従騎士時代から、フィデール殿は貴婦人方の人気を集めておられました」


 嬉しそうな顔ひとつせず、ブレーズ公爵は視線を庭園の彼方へ向ける。


「あれに嫁いでも、幸福にはなれないだろう」

「兄上」


 わずかに責めるような響きがノエルの口調にはある。


「ノエル、我がブレーズ家の当主は、代々家族を愛する方法を知らぬ。我らの父がその妻や子供たちを――、私が妻やフィデールを幸福にできなかったように」

「…………」


 ブレーズ公爵とノエルは腹違いの兄弟である。公爵とベアトリスは前ブレーズ公爵の正妻オディルの子で、ノエルは愛人カトリーヌの子だ。


 ベアトリスはカトリーヌを疎み、前ブレーズ公爵の死をきっかけに館を出たカトリーヌをすぐに再び呼び戻し、精神的に追い詰めて死に至らしめた。


 かくしてノエルにはベアトリスを恨むべき理由があるが、事実そうであるかは感情を読ませぬノエルの態度からはわからない。少なくともノエルはカミーユに対して、ベアトリスの子供であるにもかかわらず親切に接してくれていた。


 こみいった二人の話題についていけず、カミーユは困惑の面持ちになる。

 ちらとカミーユを見やって、


「この話はもうやめましょう」


 とノエルが言った。


「ああ、そうだな」


 ブレーズ公爵もまたカミーユへ視線を向ける。


「そういえばカミーユは、少し見ないうちにまた背が伸びたのではないか?」


 つとめてブレーズ公爵は話題を変えたようだ。


「えっ、あ、はい。そうでしょうか」


 たしかに近頃は特に、寝ているときに手足がきしきしと痛むし、服もすぐに小さくなっていく。

 背が伸びているのかもしれない。そう思えば、途端にカミーユは嬉しくなる。


 カミーユの表情から心情を読みとったようで、ブレーズ公爵が頬を緩める。


「そなたは男前になるぞ。オラス殿も背が高く端正な顔立ちで、貴婦人らに評判だった」

「そうなのですか?」

「そうとも。ベアトリスが数ある縁談を断り、自らオラス殿を選んで嫁いだほどだ」


 その話は、カミーユも聞いたことがある。いつか母ベアトリスも、オラスを愛しているから嫁いだと言っていた。

 そもそもブレーズ家ほどの名門貴族の令嬢が、辺境のデュノア家に嫁ぐこと自体が不思議でならないのだから、カミーユが成長するにつれ、方々で噂を聞くようになるのは当然のことだ。


「公爵様は反対しなかったのですか?」


 疑問に思ったことを、カミーユはそのまま口にする。

 面と向かって聞かれることはなかったのだろう、目を丸くしてからブレーズ公爵は笑った。


「反対――はしなかった。が、心配はした。もともとあれは身体が強くはない。デュノア領にいい医者がいるのか、子ができず片身の狭い思いをするのではないか、慣れぬ暮らしに疲れはしないか……などと心配は尽きなかった。けれど、ベアトリスが選んだことならそれでいい」


 フィデールには厳しかったとはいうが、妹思いの人だとカミーユは思う。


 貴族は政略結婚があたりまえの世界だ。少しでも家を大きく、また盤石にするために、婚姻が利用される。姉シャンティのアベラール家との婚約も、父デュノア伯爵が仕組んだ政治的な取り決めに他ならない。

 けれど、ブレーズ公爵は妹の幸福を優先したのだ。

 その公爵が、息子であるフィデールに厳しくしたというのが解せなかった。あるいは婚姻関係に頼らず、当主の知略のみをもってして家を守ろうとしたからこそ、ブレーズ公爵は息子を厳しくしつけたのかもしれないともカミーユは思う。


「色々と気は揉んだが、そなたのような子を授かり、ベアトリスも幸福だろう」


 あえてブレーズ公爵が触れなかっただろうことが、カミーユの心にちくりと刺さる。なかったことになど、してほしくない。


「……姉もいます」


 小さな声でカミーユは言った。


 沈黙が降りる。ブレーズ公爵とノエルの視線を感じたが、あえてカミーユはそれらを見返さなかった。見返すのが怖い気がした。


「そうだな」


 少しくらい注意されるかと思ったが、ブレーズ公爵の声は穏やかだ。


「ひとりになってしまったからこそ、私も、ノエルも、フィデールも、そなたを守らねばと思うのだ」


 松明の灯りが届かない地面を、カミーユは見つめた。


「そなたは命を大切にしなさい」

「けれど、今回のようにシャルムが他国に攻撃されるようなことがあれば、私は命をかけて戦いたいです」

「勇ましいことだ」


 ブレーズ公爵は笑う。


「ならば強くなりなさい」

「本当は、コンスタンと共に今すぐユスター国境へ行きたいくらいです」


 再び公爵は笑う。笑うことによって聞き流しているのかもしれない。


「ユスター国境には、多くの諸侯らが駆けつけている。ロルム公爵家の嫡男殿には安心するように、伝えて差し上げたらいい」


 多くの諸侯が駆けつけているというのに、ブレーズ家もデュノア家も動いていないではないか。そんな言葉が喉元まで出かかったが、カミーユはどうにか抑えこんだ。


「……はい」

「そなたの今やるべきことは、ノエルから多くのことを学ぶことだ。頼んだぞ、ノエル」

「かしこまりました」

「さあ、冷えてきたからそろそろ戻ろう。カミーユに風邪をひかせては、ベアトリスに顔向けできない」


 めっぽう妹には弱いらしいブレーズ公爵は、カミーユを屋内へ促す。考えてみれば、フィデールもベアトリスには心を許しているように感じたことがある。


 長い影を足から伸ばして、三人は宮殿のなかへ入っていった。








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