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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第六部 ~一夜の踊り子は誰がために~
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 轟くような地響きは、中央の前線で戦うリオネルらの耳にも届く。だが中央部は激しい戦いを繰り広げているので、そちらへ兵士を向かわせるほどの余裕はない。


「リオネル」

「わかってる」


 ベルトランに呼ばれて、リオネルは馬を駆けながらわずかな焦りを見せた。ロルム家の騎士団がこちらへ到着したばかりだ。右翼は手薄になっている。


「敵はおそらく大軍だ」


 リオネルとベルトランは、状況を見極めるために西へ向けて駆けていた。

 必要とあらば、すぐにロルム家の隊を引き返させるか、あるいはベルリオーズ家の騎士団を右翼側へ向かわせねばならない。


「罠だったか」


 ベルトランのつぶやきにリオネルは沈黙を返す。


 そうなのだ、初めからリオネルはユスターの出方が気になっていた。兵力に余裕があるあちらは有利に動くことができる。こちらを翻弄するのも容易い。それなのに、終始ユスターは両翼からの攻撃に固執していた。


 それが突然今日になって、中央に兵力を集中させてきた。

 おかしいとは思ったが、やはり一貫して脇から崩そうというその攻め方に変わりはなかったのだ。


 ここ数日、ザシャ・ベルネットがリオネルのまえに現れていない。もしかしたら迫りくる軍のなかにいるのかもしれない。

 ザシャは手強い。それが大軍と共に右翼に突入すれば……多くの兵士らの命が失われることになるだろう。


 リオネルとベルトランは中央にいる敵軍を突破し、全体の見渡せる位置にまで出た。


「あれは――」


 右翼に向けて大軍が押し寄せている。

 浅瀬を渡る馬たちが、激しい水しぶきを生じさせ、ルステ川は白くけぶって見えた。


「ベルリオーズ全軍で右翼側へ向かおう」


 険しい面持ちでリオネルがつぶやき、馬首をめぐらせかける。

 ――けれど。


 はっとしてリオネルは視線をもとへ戻した。


 シャルム陣形の右翼から、すさまじい速さで二騎が飛び出すのを目にしたからだ。

 二騎はまっすぐに大軍に向けて疾駆する。遠目でもその姿ははっきりと確認できた。


 片方は逞しい長身の騎士、フランソワ・サンティニ。

 もう片方は、まだ子供のような体格の――。


「そんなわけが……」


 声を洩らしたのはベルトランだ。


 アベル――、とリオネルの口がたしかに動いた、と、ほぼ同時にリオネルは馬の腹を強く蹴っている。全速力で馬が駆けだす。


「リオネル!」

「すぐに騎士たちを率いて援護しろ!」


 速度を落とすことなく、リオネルはベルトランに命じる。


「危険だ、行くな!」


 ベルトランが叫ぶが、リオネルは止まらなかった。


 ――信じられない。

 信じられるはずがない。


 別れさえ告げずに、アベルが無断でベルリオーズ邸から去ってから、およそひと月。

 このような場所にいるなど、そんなことがあるはずない。


 けれど見間違いではない。

 たしかにアベルだ。


 右翼からフランソワ・サンティニと共に飛び出し、大軍に突っ込んでいくその少女の、金糸の髪が陽光を弾いて眩い光を放っている。



 死んでしまう。



 リオネルの背筋を冷たい恐怖が駆け抜ける。


 あのような大軍を、たったの二人で相手にできるはずがない。

 フランソワでさえ四方から切り刻まれるだろう。


「無茶だ……ッ」


 アベルとフランソワが大軍に呑まれていくのを、リオネルは目の当たりにする。

 知らず、リオネルは大切な少女の名を声のかぎりに叫んでいた。






+++






 まるで大きな壁に衝突するようだった。


 敵軍の最中に突っ込んでいく瞬間には、戦い慣れたアベルでさえ両目をつむりたくなるほど恐ろしかった。けれど、それがたしかな恐怖にまで昇華するまえに、アベルはすでに敵の只中にいた。


 激しく剣が交わりあう。

 大軍の中央を精鋭二人に衝かれた敵軍は、途端に動きを乱され、減速する。

 勢いづいていた兵士らの激しい闘志が、アベルとフランソワへ向けられた。


 互いを気にする余裕さえない。アベルもフランソワも、狂ったように剣を振るう。わずかな隙が命取りになるだろう。

 呼吸をするのもしばし忘れるほどに剣を交える。

 ひとりを倒しても、すぐにまた別の複数の兵士からの攻撃が加えられるため、息をつく間がない。


 少しでも時間を稼ぎたい。

 そのあいだにロルム公爵の軍が元の位置に戻り、右翼の守りを固めることができれば、陣形を崩されずにすむかもしれない。


 短時間ですでに何合も剣を撃ち合わせたアベルの腕には、痺れが走った。けれどアベルはそれに気づかないふりをした。

 意識してしまえば、もう腕を動かせなくなる。感覚を失っても戦いをやめるわけにはいかない。


 一心不乱にアベルは長剣をひらめかせた。


「ああ、おまえたちか」


 どこからか声がする。

 周りを敵兵に囲まれて、顔を向ける余裕もない。けれど相手の顔は確認できずとも、声には聞き覚えがあった。


「勇将フランソワ・サンティニと、あとはリオネル・ベルリオーズの忠実な家臣ではないか」


 ――ザシャ・ベルネット。


 この声、忘れはしない。

 エーヴェルバインの地下牢で、アベルはこの声を幾度となく聞いた。


 フランソワとは距離がある。彼はザシャの台詞を聞いてはいないだろう。ザシャは背後からゆっくりとこちらへ近づいているようだ。


「エーヴェルバインでは殺し損ねたが、今度こそ死ににきたか?」


 アベルは完全に敵兵に周囲を固められて、身動きできない。


「ああ、望みどおり殺してやろう」


 兵士らの向こうで、ザシャが剣を振り上げる。

 アベルはその気配を感じて身がまえた。


 ――危険だ。

 そう思った次の瞬間、けれどザシャはアベルを素通りして脇をすり抜けていく。


「おまえを殺すのは、こちらを片づけたあとだ!」


 そこで待っていろ、と叫ぶザシャの狙いはフランソワのほう。


 アベル以上にフランソワは猛烈な勢いでユスター兵を斬っていた。先にフランソワを倒さねば、被害が拡大するとザシャは考えたのかもしれない。あるいは、手強そうなほうを片づけてしまおうと思ったのか。


 咄嗟にアベルは馬首をめぐらせる。


 ザシャはフランソワの背中めがけて斬撃を撃ち下ろした。フランソワの周囲には敵兵が群がり、それどころではない。


 が、攻撃がフランソワの身体に到達するまえに、アベルが彼らのあいだに馬を滑り込ませ、ザシャの剣を受ける。あまりの衝撃にアベルの腕に激痛が走り、手からは長剣が離れ地面に落ちた。

 武器を失ったのだ。


 フランソワの驚いた眼差しがこちらへ向けられる。その隙に、取り囲んでいた敵兵が一挙にフランソワへ斬りかかった。

 寸でのところでフランソワは敵の攻撃を弾き返したが、丸腰になったアベルに戦う術はない。


「少年!」


 左手でつかんだ短剣を、フランソワは即座にアベルへ放る。

 けれど間にあわない。


 短剣を受けとろうと右手を伸ばしたその瞬間、アベルの身体に壮絶な痛みが走った。


 なにが起きたかわからなかった。

 ただ、胸の下から脇腹にかけて焼けつくような感覚がある。そう、それはたしかに、熱した鉄の棒を押しあてられたかのような――。


 歪む視界のなかで、ザシャが薄く笑っている。

 彼の握る長剣を濡らすのは、自分の血なのだろうかとアベルはぼんやり思う。

 ……これは現実の出来事だろうか。


 どこかで悲鳴が上がったような気もするが、それが自分の声なのか、あるいは他の人のものなのかもわからない。


 戦わなければ――、そう思うのに身体が思うように動かない。


 ああ、なぜだろう。

 リオネルの紫色の瞳が、間近に見える。

 手を伸ばせば、触れられる気がした。


 触れようと手を伸ばしかけて、けれど力が入らない。


 意識が遠のく。

 景色がまわる。


 まわっているのはこの戦場だろうか、それとも自分自身の身体が傾いているからだろうか。


 フランソワの叫び声に混じって、とてもよく知る人の声が聞こえるような気がする。その声をとても懐かしく感じながら、アベルは馬鞍から倒れ落ちていった。









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