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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第六部 ~一夜の踊り子は誰がために~
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30






 アンオウェルやルエルの山々は険しい。


 ベルリオーズ領シャサーヌを出発し、途中アベラール領セレイアックに寄ってからさらに南下を続けているリオネルらは、やや遠回りにはなるが、山々を登って超えるのではなく山間の道を選んで進んだ。

 そのため、高配が激しく草木が生い茂る危険な山道を通るよりは、はるかに早く、そして安全に両山脈を通過することができた。


 ここへ来るまでに、すでにギニー家、ムーリエ家、ユミエール家などの兵士らが、ベルリオーズ家並びにアベラール家の軍に加わっている。かくして援軍の規模は拡大してきてはいるが、ユスターに対抗しうるだけの力が備わっているかどうかは未知数だ。




 アンオウェルとルエルの山脈を通過し、ドゥリエ領に入ったころ。

 彼らの行く手に、騎馬の一隊が現れた。


 攻撃してくる様子はない。国境へ向かう騎士団と合流するために、通過地点であるこの場所で待っていた援軍と思われた。

 これまで加わってきた兵士らより数は多いようだ。

 旗には一角獣と月が描かれている。多くの者はそれがどこの諸侯であるかわからなかったが、ディルクとマチアスは即座に相手を悟ったようだ。


 ディルクは苦虫を噛み潰したような面持ちになり、マチアスはかすかに目を細める。

 リオネルは、そんな二人をちらと見やってから、ゆっくりと一隊のほうへ馬首を巡らせた。すると、


「無視してもかまわないよ」


 冷ややかな声音のディルクに呼び止められ、リオネルは困り顔で再び振り返る。


「そういうわけにはいきません」


 すぐに主人を諌めたのはマチアスだ。


「大切な援軍です」


 親友とその従者を見比べてから、リオネルは馬の腹を蹴った。むろん、他の選択肢など初めからない。


 リオネルが近づくのをみとめると、一隊の統率者らしき男が馬上で一礼する。


「リオネル・ベルリオーズ様ですね」


 うなずきを返しながら、リオネルもまた確認する。


「ヴェルナ侯爵殿とお見受けします」

「この度の戦いに参加すべく参じました。ご同行をお許し願えませんでしょうか」

「感謝します、ヴェルナ侯爵。厳しい戦いになるかもしれませんが、共に参り戦いましょう」


 ――ヴェルナ侯爵。


 彼は王弟派貴族であり、ドゥリエ領に隣接する地の領主である。そして、マチアスの実の父だった。


 ディルクは遠巻きに侯爵を見ているだけで、近づこうとはしない。

 ヴェルナ侯爵の視線は、ディルクと、そのすぐそばにいるマチアスを探して彷徨う。目的の相手を目にとめると、侯爵は再びリオネルへ視線を戻した。


「微力ながら尽力させていただきたく存じます」


 リオネルと握手を交わし、ヴェルナ侯爵はマチアスらに声をかけることなく、兵士らを指揮してベルリオーズ家の行軍に加わった。







 ヴェルナ侯爵家の兵士らが加わってからというもの、ディルクはあからさまに不満げな表情を顔に張りつかせている。


「なにをそんなに苛立っているのだ」


 だれも触れてこなかった話題に触れたのはレオンだった。彼はマチアスの出自を知らない。不思議に思うのは当然のことだ。


「ヴェルナ侯爵とやらに、なにか恨みでもあるのか」

「まあね」


 あっさりとディルクは認める。適当に発した言葉を肯定されたので、レオンは目を丸めた。


「本当にか?」

「疑うなら、はじめから聞くなよ」

「恨みがあるとは、穏やかではないな」

「嫌いなんだ」

「なぜだ?」

「身勝手な男だ」

「いったいどんな恨みがあるんだ」


 尋ねるレオンへ、ディルクは沈黙のみを返す。


「言えないほど深い恨みなのか?」


 二人の会話は、すぐ後ろに従うマチアスにもむろん聞こえている。気を遣ってか、それとも別の理由があるのか、ディルクは次の言葉を発しなかった。


 中途半端なところで放置されたレオンは、消化不良で納得できぬ様子だ。すると、ディルクの代わりにマチアスが口を開いた。


「ヴェルナ侯爵様は、血縁関係上においては私の父親にあたります、殿下」


 さすがのレオンも呆気にとられる。


「なに……? 父親?」

「あいつはアベラール家の侍女に手を出したんだ」


 短くディルクは説明した。

 そのひと言でレオンはだいたい理解したらしい。


「侍女に手を……そうか」


 はじめてマチアスの出自を知ったレオンは、複雑な表情でディルクとマチアスを見比べる。


「従者殿の生い立ちをはじめて知った。悪いことを聞いたな」

「いいえ、殿下。私はなんとも思っておりませんから」


 マチアスがそう言う一方で、ディルクは忌々しげだ。


「おれは色々と思うところがあるぞ。うちの侍女に手を出しただけじゃなく、子供がいると知った途端に父親面して連れて帰ろうとしたり、思い通りにいかなければ手を上げようとしたり……」

「昔の話ですよ。今は互いに他人ですから」

「そう思っているのは、おまえのほうだけかもしれないぞ。ついこのあいだだって――」


 ディルクが言葉を途中で止めたのは、背後から馬蹄の近づく音がしたからだ。振り返ってみれば、話題になっていた当の本人が馬を駆けてきているではないか。


 あからさまにディルクは嫌な顔を作り、馬の腹を蹴る。


「マチアス、行くぞ」


 無言でマチアスは従う。従者なのだから従わざるをえない。


 やや呆れた眼差しでレオンはそれを見送ったが、すぐに二人は馬の速度を落とさざるをえなくなる。ヴァルナ公爵が彼らを呼び止めたからだ。


「ディルク殿、お待ちいただけないか」


 声をかけられては無視するわけにもいかない。むろんディルクとしては、無視したいところであったはずだが。


 馬上で渋々振り返ったディルクへ、ヴァルナ侯爵は「久しぶりですね」と告げてから、マチアスへ視線を向けた。


「そなたには、このあいだ会ったばかりだが」


 ヴァルナ公爵は五十六歳である。頭には年相応の白髪が混ざっているが、体格はしっかりしている。年のわりに若く見えるのはそのせいだろう。


「なにか用ですか」


 冷ややかにディルクが尋ねれば、侯爵は瞳に戸惑いの色を浮かべた。


「息子と話がしたいというのでは、呼び止める理由にはなりませんか」

「ご子息は、ヴァルナ領におられるのでは?」

「ここにもおります」

貴方あなたもしつこいですね」

「体調はどうだとか、天気がいいとか……、本当に他愛のない話がしたいだけですよ」


 ディルクは胡散臭うさんくさそうにヴァルナ侯爵を見やる。


「彼は話したくないと思いますよ」


 勝手にディルクはマチアスの心情を決めつけたが、ヴァルナ侯爵も引き下がらない。


「それは本人に聞いてみなければわかりません」


 片眉を上げてディルクはヴァルナ侯爵を見据え、それからマチアスに視線を移す。


「だそうだが」

「ディルク様のご意向次第です。私はどちらでもかまいません」


 従者としてのマチアスらしい回答だった。


「お許しいただけますかな、ディルク殿」


 あらためて問われたディルクは、不機嫌そうにヴァルナ侯爵を見やる。

 主人であるからといって、他領の侯爵が自らの従者に話しかけることを固く禁ずるというのもいかがなものではある。それに、父であるアベラール侯爵が言っていたとおり、もはや成人したマチアス自身が判断をするべきときにあるのだ。


「……どうぞ」


 不承不承ディルクは許可した。







 大軍の先頭に立ってリオネルは兵士らを率いている。後方で繰り広げられるディルクらのやりとりを気にしながらも、真っ直ぐ前を向き、片手で手綱を握っていた。


 共に戦う諸侯らのあいだに、わだかまりがあるのは困ったことだが、リオネルが介入するような話でもない。それに、ディルクの気持ちも理解できなくもなかった。


 ベルトランは、相変わらず無言でリオネルのすぐ脇に控えている。

 普段から口数の少ない男だが、アベルが出ていってからは一段と無口になった。あるいはリオネルに気を遣っているのかもしれない。これまでアベルの話題は、二人のあいだでは自ずと避けられていた。


「国境まで、あと一週間というところかな」


 リオネルが口を開いたので、ベルトランは視線をそちらへ向ける。


「そうだな。順調にいけばロルム領に入るまで五、六日、さらにロルム領内を移動して戦地まで二日ほどだろう」

「その間に、あとどれだけ諸侯が加わるか」

「遅れて加わる諸侯もいるはずだ」


 ベルリオーズ領の北部に隣接するエルヴィユ家は、南西部国境からかなりの距離があるというのに、兵を率いて参戦する意を伝えてきている。他にもあとから駆けつける諸侯はいるに違いない。


「戦地へ近づくにつれて、悲惨な状況が聞こえてきている」

「ああ」

「どうにかして、もっと早くロルムへ入ることはできないだろうか」


 リオネルに問われて、ベルトランは考え込む。


「このままの速度で行けば、戦地まで最短で七日だ」

「わかっている」

「早く目的地へ着くためには、馬の足を速めるか、休憩の時間を減らすかのどちらかしかない」

「休憩の時間を減らすのは、馬にも兵士にも負担が大きい」

「なら、行軍の速度を上げるか?」

「――二隊にわかれるのはどうだろうか。全軍を急がせるのは負担が大きい。ベルリオーズ軍は先行隊として急ぎ戦地へ向かい、残りは味方を集めながらこのままの速度で向かえば効率がいい」

「なるほど」

「それに、南の国境が気になる」

「南? アルテアガか」


 シャルムの南西国境には、アルテアガ公国がある。ユスターはアルテアガと同盟を結んでいるため、期に乗じて南からシャルムへ攻め入らないとも限らない。


「しかし今はユスター国境を守るので手いっぱいだ。南部から侵攻してくれば、さすがに我々の力だけではどうにもならない」


 そのことはリオネルもよく承知しているので、無言でうなずいた。


「二国に挟まれれば、国王派連中も正騎士隊を動かす決断をせざるをえないはずだ」

「あるいは、その可能性を知っていて、アルテアガはあえて攻めてこないかもしれない」


 リオネルの発言に、ベルトランが小さく苦笑する。


「それは興味深い見解だな。そこまで見据えていれば、敵も見事というべきだ」

「後方隊を、ディルクとレオンに任せようと思っている」

「すぐに伝えてこよう」

「諸侯らから意見があったら聞いてきてほしい。そのときには、おれが直接話しに行く」

「わかった」


 背後で〝他愛のない世間話〟をする三人のもとへ、ベルトランは事情を伝えにいく。

 かくして、戦地へ向かう西方諸侯らは二部隊に分かれることとなった。








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