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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第六部 ~一夜の踊り子は誰がために~
341/513

23








 アベラール邸の前庭に、馬に跨った騎士らが続々と集まる。


 到着した息子やリオネルを出迎えるアベラール侯爵は、厳しい面持ちだった。まずは王子であるレオンに挨拶し、それから足早にリオネルのもとへ向かう。


 ちょうど馬から降りるところだったリオネルは、明らかに左腕が動かせぬ様子だ。その姿を目の当たりにして、アベラール侯爵の表情はさらに苦いものになる。


「ああ、リオネル様。お怪我を負われたと聞き及んでおりましたが、見舞いにも行かず、このような形でお会いするとは」


 恐縮した様子の侯爵に、リオネルは柔らかな表情を向けた。


「たいした怪我ではありません。見舞いなら、ご子息に毎日していただいているので、ご心配には及びません」


 リオネルの言葉を受けても、アベラール侯爵の表情は晴れない。


「しかし、そのようなお身体で戦場へ赴かれるなど」


 考え直してはいただけないか、と言いかけた侯爵の台詞を、リオネルは笑顔で遮る。


「休まずに馬を駆けてきたので、騎士たちは疲れていると思います。わずかなあいだになるかと思いますが、休息させていただいてもかまいませんか」

「これは気がつかず申しわけありません。わずかなあいだなどと言わず、時間の許す限りご滞在ください」


 侯爵は視線をリオネルの背後へ向けた。整然と並んだ騎士らの顔に疲労の色は見えないが、身体は休息を必要としているに違いない。


 アベラール侯爵は、配下の者に指示を出して、騎士らを案内させる。

 それから侯爵自身がリオネルらを館内へ導いた。


「シャサーヌからここまでの道のりは、何事もなくお越しになれましたか」

「ええ、おかげさまで」


 ここセレイアックとシャサーヌを行き来する者は多いため、両者を繋ぐ行路はよく整備されている。


「館へ参られる途中、広場にしばし留まられたと耳に挟みましたが、なにか気にかかることでもございましたか」


 玄関をくぐりながらアベラール侯爵が尋ねる。

 返答を躊躇ったリオネルの代わりに、ディルクが答えた。


「『だれか』が、いたような気がしたそうです」

「だれか、とは」


 不思議そうにアベラール侯爵は問い返した。けれど今度こそ答える者はない。あまりに中途半端なディルクの説明に、侯爵が困惑するのも当然のことだ。

 見かねたマチアスが、言葉を選びながら返答をする。


「リオネル様は大聖堂のなかをご覧になりたかったようです。それで少し馬を止めて、ご見学なされました」

「ああ、そうでしたか」


 納得した様子ではなかったものの、アベラール侯爵はそれ以上この件については触れなかった。そのかわり、ふとなにかに気づいた様子でリオネルやベルトランの周囲を見回す。


「従騎士の少年がいないようですが」

「……彼は、わけあって我々のもとを離れました」


 答えたのはベルトランだ。

 あれだけリオネルが気にかけていて、常にそばに置いていた家臣だというのに、いなくなったとだけ告げられてすぐに呑み込めるはずがない。だが。


「さようでしたか」


 腑に落ちぬ面持ちながらもアベラール侯爵はやはりそれ以上は追及しない。追求すべきではない雰囲気を、しっかりと感じとっていたからだった。






 正式な挨拶を終え、客室へ通されるとリオネルは窓辺に寄り、外の景色へ視線をやる。

 距離はあるものの、アベラール邸も大聖堂も高い建築物であるため、最上階の部屋から大聖堂の鐘楼はよく見える。


 鐘楼を眺めるリオネルをちらと見やったものの、ベルトランはなにも言わない。

 一方、ディルクは心配そうに声をかけた。


「なあ、リオネル。会いたい気持ちはわかるけど、いくらなんでもアベルがセレイアックの大聖堂の鐘楼にいるはずないじゃないか」


 だれもが気遣って不用意な言葉を口にしないようにしているなか、この青年だけはそのような気遣いからは遠い場所にいた。

 マチアスが頭を押さえたが、ディルクは従者の様子に気づいていないのか、まったく意に介さない。


「そうだね」


 短くリオネルは答える。


 そう、広場に差しかかったとき、ちょうど一羽の鳩が広場の石畳から飛び立ったのだ。


 大聖堂の鐘楼向けて飛んでいく鳩の姿を、我知らず目で追った。瞬間、リオネルの目に飛び込んできたのはアベルの姿。

 リオネルは隊列の進行を止めて馬を下りた。

 大聖堂へ飛び込むと、驚く司祭を横目に鐘楼の階段を駆け上る。


 ――けれど、そこにアベルの姿はおろか、人の気配さえなかった。


 今となってはリオネル自身にとっても、記憶は曖昧だ。

 たしかにアベルの姿を見た気がした。けれど、会いたいあまりに見た幻影だったのかもしれないとも思う。


「今夜こそはいっしょに酒を飲もう、リオネル。どれだけでもつきあうよ。明日一日潰れてもいいから、思いきり飲んで、そうしたらまた少しは気も晴れて再出発できるよ」


 ベルトランやレオンがなにも言わずにそばにいる種の友人だとすれば、ディルクは強い力で引っぱり上げようとする種の友人である。

 そして、リオネルが深く沈みこんでいる今は、特にそんなディルクの存在が貴重だった。


「リオネルに本気で酒を飲ませれば、おまえは付き合いきれないぞ」


 ぼそりとベルトランがディルクを脅す。


「ああ、そうなんだろうね。なんとなく気づいていはいたよ」


 顔を引きつらせてディルクは笑った。これまでリオネルが酔っぱらったところをディルクは見たことがない。涼しい顔で飲んでいるから気づきにくいが、かなりの量を摂取しても平気なのだろう。


「いいよ、それでもつきあうよ。二日酔いで馬に乗れなくなるまで、つきあってやる」


 ふっとリオネルが笑う。


「ありがとう」


 ディルクの屈託のなさに場が和む。


「じゃあ今夜は酒をもらおうかな」

「よしきた。そうこなくっちゃ。レオンも飲むだろう?」

「あたりまえだ」


 食後にとびきりの酒を用意するよ、とディルクは明るく笑った。






+++






 街の広場はまだ、興奮冷めやらぬ様子の人々で溢れている。


「ディルク様は本当にご立派になられた」

「ご嫡男様と幼馴染みのリオネル様はそろって美形ね」

「一度でいいから、踊りをご一緒してみたいものだわ」


 とか、


「うわさに聞く赤毛の用心棒を初めて見たぞ」


 などと楽しげに騒いでいる者たちがいる一方で、


「いったい軍を率いてどこへ行かれるのだ」

「ベルリオーズ家の騎士が来たということは、アベラール家も出陣するのだろうか」

「もしや戦いが始まるのでは」


 と不安の声を上げる者も少なくない。


 アベル自身も、リオネルや仲間たちの顔を再び見ることができた感動より、なぜ彼らが兵を率いてセレイアックへ来たのかという疑問のほうが大きい。


 今のところ考えられることは、ユスターの情勢以外にない。

 けれどこのような頃合いで衝突が起きるだろうか。ローブルグとの交渉が成立したばかりだというのに……。


 考えた瞬間、はっとする。


 ――そうか。


 もしユスターが攻めてきたとすれば、この頃合いだからこそとも考えられる。


 つまり交渉が進展するまえにシャルムへ侵攻し混乱を起こせば、交渉を詰めるどころではなくなる。最終的に交渉をまとまらせぬままシャルムを弱体化させることができる、最後の好機ともいえるのだ。


 アベルは広場を見回し憲兵の姿を探す。こうした事情に通じているのは彼らだからだ。

 けれど憲兵の姿は見当たらない。いや、人混みのなかにそれらしき者がいる。大勢の人に囲まれて見えにくくなっていたのだ。皆、考えることは同じのようだった。


「教えてくれ、いったいなぜリオネル・ベルリオーズ様がいらしたのだ」

「戦争が起きるのか? セレイアックも戦場になるのか?」

「戦いになったら、わしらはどうしたらいい」

「お怪我をされたリオネル様が、戦場に行けるのかい?」


 質問攻めに遭いながら、憲兵は「冷静に! 落ち着いて」と叫んでいる。アベルは詰め寄る人々を押し分けて、どうにか声が聞こえるところまできた。


 若い憲兵は周囲に集まった人々を見回し、冷静な口調で告げる。


「いいか。まだ侯爵様からは正式なお達しがないから、確たることは言えない」


 憲兵がそう述べると、方々から不満の声が上がる。「静かに! 静かに!」となだめながら憲兵は続けた。


「とはいうものの、ユスター軍が国境を超えてきたという話は、どうやら真実のようだ。もしディルク様やリオネル様がユスター軍を追い払いに行くなら、戦地はシャルム南西部になるだろう」


 動揺のざわめきが波のように広がっていく。


「だが、皆、聞いてくれ。さっき目にしたとおり、ディルク様もリオネル様もアベラール邸にお入りになった。まだ戦場へ赴くと決まったわけではない。今我々がするべきことは、騒ぎたててご領主様を困らせるのではなく、この状況を冷静に見守ることだ」


 憲兵の言葉に、聴衆はしんと静まり返る。彼の言葉はもっともだった。


「さあ、仕事に戻りなさい。あまり騒いでいると、侯爵様からお叱りを受けるぞ」


 それは大変、と皆いそいそと散らばりはじめる。憲兵の説明に彼らはある程度納得したようだ。


 周囲に人がいなくなると、アベルは憲兵に駆け寄り、呼び止めた。驚いた様子で若い憲兵はアベルを振り返る。


「なんだ?」

「侵攻してきたユスター軍の規模を教えてください」

「そこまでは私も知らない」

「国境を侵したのはいつですか」

「そんなことを聞いてどうするだ?」

「知りたいんです」


 困惑の色を浮かべてから憲兵は首を傾げる。


「たしか一週間くらいまえだったと聞いたが」

「一週間……」


 考えこむアベルを、憲兵は怪訝な面持ちで見つめている。

 ぱっと顔を上げてアベルは憲兵をまっすぐに見据えた。


「リオネル様はお怪我をされています。絶対に戦場へいってはなりません」

「私に言われても……」


 それはそのとおりだ。アベルも憲兵に言おうと思ったのではなく、心の声が思わず口に出てしまったのである。


「すみません、ありがとうございました」


 慌てて立ち去るアベルを、最後まで憲兵は不思議そうに見送っていた。
















誤字脱字のご連絡、いつもありがとうございます!



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