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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第六部 ~一夜の踊り子は誰がために~
322/513







「父上」


 足早に入室したリオネルは、寝台へ駆け寄る。クレティアンの起き上がる気配がした。


「そのまま、動かないでください」


 リオネルが制するが、クレティアンは緩慢な動きで半身を起き上がらせた。


「リオネル」


 発せられた声は低い。クレティアンが心底怒っていることは容易に察せられる。


「なぜ戻ってきた。来てはならないと言ったはずだ」

「――父上、仰らないでください。このような状態の父上にすべてを任せて、私だけが安全な場所にいることなどできません」

「私は平気だ」

「平気なはずありません。――かなり痩せられました。顔色も優れないご様子です」

「リオネル」


 言い聞かせるようにクレティアンはゆっくりと声を紡ぐ。寝台の傍らには、護衛の騎士と、執事のオリヴィエが控えていた。


「まだ殿下がおまえの帰還をご存じないなら、すぐにここを去りなさい。フェリシエ殿については、迎えの者を来させるようにエルヴィユ家へ知らせをやった。おまえはなにも心配せずに、〝煙突掃除の少年〟を連れて隠れていなさい」

「殿下のもとへはすでにレオンが向かっています。すでに帰還は伝わっているでしょう」

「…………」

「アベルには行動を控えるように言ってあります。ご心配には及びません」

「殿下が気づかないとも限らない」


 むろんクレティアンは、サン・オーヴァンの王宮でかつて煙突掃除の少年に扮していたアベルが、ジェルヴェーズから不興を買ったことを気にかけているのだ。


「……殿下から、イシャスという名の家臣がいないか聞かれた。そのような名の〝家臣〟はいないと答えておいたが、気がつくかもしれない」

「いざとなれば私が守ります」

「だから隠れていろと言っているのだ」


 クレティアンが声を荒げる。と、すぐに咳き込んで身体を丸めた。クレティアンの容体がけっしてよくないことを、駆けつけたリオネル、ベルトラン、ディルク、そしてマチアスは目の当たりにする。


「父上こそ、なにも心配なさらずにお休みになっていてください。しばらく滞在すれば、殿下も王都へ戻られるでしょう。そのあいだは私がすべて取り仕切ります」

「リオネル……」


 呻くようにクレティアンが息子の名を呼んだ。

 懇願するかのような声音だった。だが、リオネルの態度は毅然として変わらない。


「私はベルリオーズ家を継ぐ者です。このようなときに、こそこそ隠れていることなどできません。どうかお許しください」


 なにも答えられぬクレティアンに一礼し、リオネルは部屋を後にする。


 問題は山積みだ。けれど希望もある。

 ジェルヴェーズがジルを連れてきているということは、到着してすぐにクロードから聞いている。

 ――ならば、ジルを取り戻すよい機会だ。

 リオネルが隠れていては、けっしてジルの返還は実現しないだろう。まっすぐにリオネルはジェルヴェーズのいる部屋へと向かった。









 ぐっと肩を引かれてマチアスは振り返る。


「ご入室は、リオネル様のみです」


 威圧的な声は、ジェルヴェーズ付きの近衛兵だった。次期国王の近衛兵だけあって、背はベルトランと並ぶほどあり、服を纏っていても盛り上がった筋肉ははっきりわかる。シャルムでも有数の剣士たちだ。彼らが本気を出せば、マチアスとて剣を交えて勝てる保証はない。

 無言でマチアスが近衛兵のひとりを見返すと、ディルクが「離せ」と命じた。


「おれの従者に気安く触れるなよ」


 むろん立場のみでいえば、近衛兵らよりディルクのほうが上である。けれど、国王夫妻および王子付きの近衛兵は、階級とは関係なく特別な立場にあった。

 あからさまに苛立つディルクに命じられても、近衛はゆっくりと手を離しただけで、相変わらず威圧的な態度で見下ろしていた。


「殿下はリオネル様以外の者の入室をお許しになっておりません」

「レオンはいるんだろう?」

「第二王子殿下とフェリシエ様はすでにご入室されております」


 へえ、とディルクは眉をひそめる。意のままになる相手だけを集めているかのようだ。なおさらリオネルひとりを入室させるには不安がある。


「挨拶もできないのか?」

「できません」


 冷淡な回答を得て、ディルクは扉のまえに立つリオネルへ視線をやる。リオネルは小さく頷いた。近衛兵らがこの態度では、どうにもならない。


「おれは入らせてもらうぞ」


 低い怒声はベルトランだ。いや、けっして声を荒げてはいないが、怒っているように聞こえる。

 長身の男同士が睨みあった。いずれ劣らぬ巨漢が無言で火花を散らしたのだから、その迫力はすさまじい。


「おれはリオネルから一歩も離れない。この世の果て――いや、墓場から天国、魔物の巣窟まででもついていくからな」


 最後のひと言に、ディルクだけは場違いと承知のうえで、密かに笑いをかみ殺した。この調子のベルトランに墓場までついてこられたら、棺桶のなかでもおちおち眠っていられそうにない。


「どうしてもリオネルひとりでというなら、おまえらを斬ってでもおれはなかへ入るぞ」


 ベルトランが長剣に手をかけると、二人の近衛兵は顔を見合わせる。それから、一方が表情を変えずに扉に手をかけた。


「殿下のご命令があれば退出願います。従わなければ、捕えられることになりますのでご覚悟を」


 ベルトランが無言で衛兵を一瞥すると、扉はゆっくりと開く。

 最後にディルクと目配せして、リオネルは入室した。








 客間には長椅子が二脚と、腰掛け椅子、それに小卓が並んでいる。

 大きな窓からは、落陽の名残りさえ失せていく紺色の空と、輝きはじめた星たちの姿が見えた。


 リオネルが足を踏み入れたとき、フェリシエは蒼白な顔で長椅子の隅に腰かけており、レオンもまた苦い面持ちでこちらへ顔を向けた。


「ようやく戻ってきたか」


 横柄な口調はむろん、フェリシエの隣で立ち上がったジェルヴェーズである。

 リオネルの後方に、影のごとく控える赤毛の騎士を見やってジェルヴェーズはわずかに瞳を眇めたが、彼の入室についてはなにも言わなかった。かわりに、リオネルが挨拶を述べるより先にジェルヴェーズは言葉を続けた。


「ちょうどエルヴィユ家の娘と話をしていたのだ。器量のいい恋人ではないか」


 ――恋人。

 いったいだれがそう言ったのか知れないが、あるいは世間からはそう思われるのかもしれない。


「そなたがなかなか戻らないから、私が相手をしてやっていたのだ」

「遅くなり申しわけございません。フェリシエ殿は私の友人です。ご心配くださったのでしょう」

「友人、とな」


 皮肉めいた笑みをジェルヴェーズは浮かべた。


「殿下のご来訪、心より歓迎いたします」


 機をとらえてリオネルが口上を述べる。それからフェリシエへも視線を投げかけた。


「フェリシエ殿もわざわざお越しくださり、感謝します」


 緊張していたのだろう、フェリシエは蒼白な顔をしていたが、リオネルを間近にしてようやくその頬には赤みが戻った。青緑色の瞳には不安と期待が入り混じっている。


「交渉にいくらか時間がかかり過ぎたのではないか? あと少しで、捕らえたラクロワの騎士を処刑するところだったぞ」


 ジェルヴェーズの声には冗談とも思えぬ狡猾な響きがある。


「ジルは――」

「館の地下牢に入れてある。今のところ、首は胴に繋がっているようだが」

「交渉は成功させました。約束どおりジルを解放願います」


 リオネルは揺るぎない語調で要求したが、ジェルヴェーズはそれを歪んだ笑みで受け流す。


「シャサーヌへは初めて訪れたが、悪くない。しばらく滞在するつもりだ」

「ジルを今すぐ解放ください」

「ここへ来たのには目的がある。そう、そなたに聞きたいことがあったのだ、リオネル殿」

「…………」

「公爵に聞いても教えてもらえなかった。探して回っているのだが、それらしき者も見当たらない。そなたなら知っているだろう、イシャスという名の少年を」


 レオンとフェリシエの表情がわずかに動く。リオネルはジェルヴェーズを静かに見つめて答えた。


「話を逸らさないでいただきたい。ジルの話が済んでいません」

「解放したら話すのか? それともイシャスとジルの身柄を交換するか」

「そのような名の騎士はおりません」

「騎士とは言っていない。兵士……いや、従騎士や使用人でもいい。まだ子供だ」

「おりません」

「さて、そんなはずはないだろう。サン・オーヴァンで煙突掃除をしていたはずだ」


 無言でリオネルはジェルヴェーズを見据えた。内心を悟らせぬ涼やかな表情だが、瞳には警戒心が密かに宿る。

 それを愉しげに眺めやって、ジェルヴェーズは再び尋ねた。


「では質問を変えよう。ボドワンとかいう煙突掃除夫の元締めの家から連れ帰った少年は、今どこにいる」

「……連れ帰ったときにはすでにひどい怪我を負っており、直後に死にました」


 砂色の瞳を眇めて、ジェルヴェーズはリオネルを睨み据えた。


「嘘を言うな。王都のベルリオーズ邸から死者が出たとは聞いていない」

「もともと身寄りのなかった者です。遺体は埋めました」

「生きているのだろう?」

「残念ながら」

「証拠は?」

「ベルリオーズ家別邸の墓をご確認ください」

「そのような話を信じられると思うのか?」

「信じるも信じないも、真実です」

「この館に、イシャスという名の者はひとりもいないのか」


 わずかな間を空けてから、リオネルは「おりません」と答える。


「本当に?」

「はい」

「もし後々異なる事実が判明したら、そなたの首を刎ねるぞ」

「かまいません」


 ふとジェルヴェーズが笑む。残忍な笑みだった。


「誓うな?」

「むろんです」


 答えた瞬間、ジェルヴェーズの手が伸びてリオネルの首を掴む。ベルトランが止めるまもないほどの速さだ。フェリシエが悲鳴を上げる。

 突如呼吸を奪われ、リオネルがわずかに顔を歪めた。


「兄上、おやめください!」


 レオンの叫び声にもジェルヴェーズは動じなかった。


「苦しいか、リオネル殿」

「兄上!」


 掴みかかろうとするレオンを、室内にいたジェルヴェーズの配下の者が捕らえる。

 ジェルヴェーズが愉悦の笑みを浮かべる。

 ベルトランが動くが、リオネルが右手でそれを制した。ベルトランの足が止まる。


「懸命な判断だ」


 そう言って笑うと、ジェルヴェーズはリオネルを引き寄せた。


「今ここでイシャスの居場所を白状すれば解放してやる」


 目を細めて、リオネルはかすかに首を横に振る。と、そのとき、フェリシエが耐えかねたように二人のそばへ駆け寄った。

 震える唇が動く。

 ――知っています、と。


 リオネルが苦い表情でフェリシエを見やる。レオンとベルトランも彼女へ驚きの眼差しを向けた。

 けれど、フェリシエは涙を滲ませた――それでいて強い眼差しでジェルヴェーズを見上げ、すがりついた。


「知っています、イシャスという者を。ですから、どうかリオネル様を放してください」

「そうか」


 途端にジェルヴェーズはリオネルを解放する。咳こみながらリオネルは、ジェルヴェーズとフェリシエのほうを見やってなにか言おうとする。


「フェリシエ殿――」


 けれどリオネルの言葉を遮り、フェリシエはジェルヴェーズに訴えた。


「イシャスをここへ連れてきます。それでいいのですね、そうしたらリオネル様に暴力を振るわないとお約束くださいますね」

「約束しよう」


 酷薄な笑みでジェルヴェーズが答えた。


 フェリシエを止めようとするリオネルに向けて、ベルトランが首を振る。

 ここまできたら、どう足搔いてもジェルヴェーズが引き下がるはずがない。すでに彼のうちには疑念が生じている。騒ぎたてるほどに、隠し立てしていると告白するようなものだ。


 ジェルヴェーズが背後の家臣に命じる。


「フェリシエ嬢はイシャスなる者の居場所を知っているようだ。案内してもらい、ここへ連れてきなさい」

「……私が行きます」


 リオネルが言うと、ジェルヴェーズはゆっくりと首を振る。


「そなたは私とここで待つのだ。ここで、隠し立てした理由をたっぷりと聞かせてもらおう」

「隠してはおりません」

「先程そなたは、いないと言ったではないか」

「イシャスは騎士でも、兵士でも、使用人でもないからです。彼はまだ子供です」

「私は子供を探していたのだ」

「まだ三歳にもなっていません。まさかその幼子が、殿下のお探しになっていた相手なのですか」

「…………」


 またたくまにジェルヴェーズは表情を曇らせる。扉のまえで、どうしてよいかわからぬままのフェリシエに視線を向けて、「そうなのか」と確認する。


「……そうです。三美神にかけて、わたしが知るかぎり、この館にいるイシャスはただひとり、赤ん坊のような男の子です」


 震える声でフェリシエは言った。ジェルヴェーズは大きく溜息をつく。


「三歳にもならぬ子供……」


 落胆の眼差しでジェルヴェーズはリオネルを見下ろす。


「まあ、いい。本当かどうか、この目で確かめる。口裏を合わせていたとわかったときは、ただではすまさぬぞ」


 思わぬ事態になったようだ。


「わかりました」


 なにか決意した声でリオネルが言う。


「……イシャスをここへ連れてこさせます。お会いになったら納得していただけますね」

「その者が本当に唯一この館でイシャスという名であり、三歳という年齢であったなら」


 リオネルはフェリシエを振り向いた。


「フェリシエ殿、エレンも共に来るよう伝えてください。案じる者があれば、私が許可しているから心配いらないと言付けてもらえますか」


 うなずくフェリシエをジェルヴェーズの家臣が促し、二人は退出した。










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